Quiberon, France
「ベーシック・インカムよりも怠け者同盟の社会 このエントリーを含むはてなブックマーク」では、ベーシック・インカム論に対する違和感について書きました。理由は、1)最も現在の日本から遠い理論で極端に走っている気がする 2)ヨーロッパにおいて長い歴史を持つのになぜ実現されないか疑問、の二つでした。

それでも有名人がベーシック・インカムについて話し合う機会があるのはいいことだと思ってます。議論することによって現状の社会はやっぱりおかしいよねっていう問題点が明らかになるからです。討論では、まず参加者に賛成と反対を聞いていましたが、思考実験に参加することは良いことなので、当然みんな賛成でした。そんな会があったら僕だって賛成するかも知れません。でも、盛り上がりすぎた議論は積極的に反対しておいた方が良いかなと思うので、その辺について書いていこうと思います。

ベーシック・インカムの議論が盛り上がる方が望ましい人たち

ベーシック・インカムの議論は現状の問題を浮き彫りにします。しかし、その問題はベーシック・インカムでしか解決できないものでしょうか?全く新しい概念で社会を作り変えようとするアイデアなどではなく、信頼ある既存手法ではダメなのでしょうか。ヨーロッパなどに参考はありませんか。この点に関してベーシック・インカムの議論は問題があります。革命的な新しいアイデアで社会を変えるという花火が打ち上げられれば、誰でも目がそちらに行きます。つまり着実に効果がある既存手法が気に入らない人は、この花火を打ち上げることで大衆の目を逸らすことができます。皆がベーシック・インカムの議論に熱中すれば、目新しくも無い既存手法は忘れ去られるでしょう。ベーシック・インカムが大衆の目を逸らすデコイ(囮)に使われる可能性を考えなければなりません。

社会がお金を分配するときには、大きく分けて二つの方針があります。「政府がたくさんお金を徴収してたくさんお金を分配する方法(大きな政府)」と「政府は少しお金を集めて少なく分配する方法(小さな政府)」です。ベーシック・インカムはどちらかと言えば前者です(一律分配なので分配コストが削減されるという議論もありますが)。こういうふうに考えて行けば、ベーシック・インカムには賛成するけども、所得税の増税には反対といった人は少しおかしなことを言っています。ベーシック・インカムをデコイとして使っていないか、眉に唾を付けて聞いた方が良いでしょう。

つまり、お金持ちなどで税金が重くなる大きな政府が嫌いな人は、普通にやれば到達できない夢のシステム、ベーシック・インカムの議論が盛り上がってくれる方が望ましいのです。さらに、ベーシック・インカムに賛成することで、自分は金持ちだけれども、ニートやヒキコモリ、打ちのめされて死ぬことばっかり考えている人の事も考えている進歩的な人だぞ!とアピールできます。討論を見た感じこんなように腹黒く考えているように見える人はいませんでしたが、頭のイイ人はこれぐらいの計算を無意識下に行って、行動するぐらい効率の良い頭を持ってるかも知れませんからね。注意が必要です。

議論すること賛成、議論のしすぎに反対

無人島に行って肉を焼かなければいけないときに、まだ誰もチャレンジした事の無い未知の手法で火を起こそうとする人はいないでしょう。もうすでに先人が発見した方法を試すはずです。それと一緒で、未知の革命的アイデアにこだわる必要の無い局面だってあります。前のエントリでも、このエントリでも、「分配コスト削減、景気対策、ベンチャーの促進、労働者のモチベーションの変化」などなどベーシック・インカムの細かな利点・欠点については意図的に触れてきませんでした。それは、今日本がやらないければいけないことは、未知の手法の開発ではないからです。いわば大方針としてその方向じゃないと思ったからです。

ベーシック・インカムは面白い話だと思っています。だからベーシック・インカムに反対したいわけじゃないんです。だからベーシック・インカムの欠点や批判しませんし、実現可能性を攻撃たりしません。大方針を決めるならそっちじゃないと言っているだけなんです。大方針は、「過剰な競争をやめてみませんか」っていう方針を取りたいです→怠け者同盟の社会の中で輝きを取り戻す日本 このエントリーを含むはてなブックマーク。

追記:
コメントにもありますが、ベーシック・インカムって小さな政府だと思っている人もいますね。確かに税収を管理する政府機能は小さくなりますが、税の徴収は大きくなりますよね。小さな政府=低福祉・低負担、大きな政府=高福祉・高負担だとするとベーシック・インカムは大きな政府って事になると思うのですが、どちらなんでしょう。とにかく論旨は変わりませんが、わかりにくい人は太字のように読み替えてください(参考wikipedia:小さな政府、大きな政府)。

追記2:
ポジション・トークだよねって思われそうなので、それを避ける方法を考えてみました→社会問題の議論でポジショントークを避ける二つの方法 このエントリーを含むはてなブックマーク
Read More ...

3 comments


Loire, France
ベーシック・インカムについての討論がニコニコ動画で開催され、深夜から始めたにもかかわらず、47,972人の視聴者があったそうです。僕自身は、「労働に対する社会の仕組みを試験に例える」に書いた通り、ベーシック・インカムを「正直、考えるだけ無駄か、思考実験ぐらいの代物だ」と思っているので、少し書いていきます。討論の方は時間がなくて最初の30分ぐらいしか見れなかったので、いろいろ抜けてるかも知れません。

ベーシックインカムは、政府が全ての国民に対して毎月最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金(5万円~8万円程度)を無条件で支給するという構想(wikipedia)です。解決する問題としては、貧困対策、少子化対策、地方の活性化、社会保障制度の簡素化、行政コストの削減、景気回復、余暇の充実、非正規雇用問題の緩和などがありますが、もっとも大きな論点は労働の価値を再評価する部分だと思います。労働の価値に絞って考えていきます。僕がベーシック・インカムが日本で盛り上がっていることに対する違和感は、まずベーシック・インカムが最も現在の日本から遠い理論のように思われるというものと、ヨーロッパにおいて長い歴史を持つベーシック・インカムが、なぜ実現されていないかという疑問から来ています。

「労働は最重要」と「労働は無価値」の両極端

僕が見ていた最初の30分では出演者がそもそも労働が尊いものだという価値観が問題であると述べていました。それでも、労働に価値があると思い込んでいるのは幻想だというのは言いすぎな気がするのです。確かに今の日本は労働の美徳が強すぎて苦しんでいる人が多いのは感じます。新卒で手に入れた職を手放してしまえば、レールをはずれ普通の生活すらできないような状況は問題です。家族や自由時間を犠牲にしても仕事を完遂することが最優先という価値観が、労働は無価値という価値観に取って代わられるのは極端です。

フランスはその点なかなかいい塩梅です。人によると思いますが、だいたい労働は家族、趣味に次ぐ3番目といったところです。駅の改札は壊れていれば担当者がやる気になるまで2,3日は直りませんし、エスカレータもしょっちゅう止まっています。修復の担当者が家族より趣味より仕事を優先していないことの証左でしょう(そしてそれが認められていることも)。僕がフランスに来たのは24歳のときで、同年代のフランス人は失業している人がたくさんいても普通でした(25%ぐらい)。仕事がないのは社会の問題で、個人的な問題じゃないと考えているのです。パーティでビールを飲みながら、失業保険ももらえてるし、仕事が見つかるまで日本語も勉強しているとか言ってました。

日本の場合は「労働は最重要」から「労働は無価値」へとワープするのではなく、労働の価値を少し下げるところから始めたほうがいいのではないでしょうか。一応それでやってるヨーロッパの例があるのですし。日本でベーシック・インカム論が盛り上がっているのを見ると極端に走っているような気がしてしまいます。

ヨーロッパは参考になる

かぶれていると思われるかもしれませんが、僕はフランスの人たちが一生懸命考えて出した答えを信頼しています。「センター入試とバカロレアに見る日仏の違い このエントリーを含むはてなブックマーク」でも書きましたが、彼らは答えのない問題に対して、執拗にねちっこく思考力を回転させます。フランスの宗教問題や、ストライキの問題、結婚に対する考え方などなど、彼らが出した回答は日本から見るとへんてこなものに見えますが、背景を知るとなかなか妥当なものだと感じます。同じ人間が苦しみながら考え抜いた答えは、多くの場合日本の状況に対しても参考になるのです。

なので、少なくともヨーロッパにおいて200年もの歴史のあるベーシック・インカムが実現されていない事実は重く受け止める必要があると思うのです。日本が世界に先駆けてベーシック・インカムを導入するなら、ヨーロッパで実現されないのは何がネックになっていて、それが日本ではどのように解決されるのか、しっかりした理論が必要だと思います。それと合わせて、実現するにあたって、世界に先駆けてベーシック・インカムを成功させた国は、後に続く国々のためにしっかりした理念を構築する必要もあるはずです。世界に先駆けて王政をを打ち倒して民主主義を成功させたフランスは、自由・平等・友愛からなる理念を構築し、民主主義を世界に波及させました。ベーシック・インカムでも「やってみたらできました」では追従する国は少ないでしょう。

ベーシック・インカムは思考実験用

討論では出演者がベーシック・インカムに対して賛成か反対かを表明するところから始まりました。討論の出演者の全てが賛成だったのも、ベーシック・インカムが思考実験用であることを表しているように思います。つまり、ベーシック・インカムは先進国では実現された例がなく、やってみないと成功するかわかりません。全く新しい概念で社会を作り変えようとするアイデアなので、反対するにしても実現可能性が低いとか、嫌なことが起こりそうとかいった反対では意味がありません。むしろ思考してみて、現在の問題点をあぶり出すように使うのが良いと思います。そうすると以下のように面白いアイデアがどんどん出てきます。これぞ、思考実験のための上手い問いという感じです。
ベーシック・インカムは問い自体に意味があるのであって、実行はむしろどうでも良いと思います。反論するなら実現可能性や副作用を攻撃するのではなく、対案を出すのがいいのではないでしょうか。個人的にはこっちのほうがいいかなと思ったり→怠け者同盟の社会の中で輝きを取り戻す日本 このエントリーを含むはてなブックマーク。

===
このエントリのフォローアップです。実はホリエモンを想定して書きました→ベーシック・インカムの議論が見えなくさせるもの このエントリーを含むはてなブックマーク
さらにフォローです。ホリエモンの例も出してます→社会問題の議論でポジショントークを避ける二つの方法 このエントリーを含むはてなブックマーク
===

追記:ホリエモンへの返答を書きました。
Read More ...

11 comments


Paris, France
「フランスで将来リーダーになる運命を感じて成長する人たち このエントリーを含むはてなブックマーク」に書いたように、上位のグランゼコールに入学すると将来のリーダー候補になり、それ以外の人は、お気楽な人生を歩むことになります。必然的にその区別は厳格なものになります。これがフランスの憲法前文に定められたモットーである「自由、平等、友愛」と相反するのではないかという疑問もあると思います(フランス憲法前文に「本共和国のモットーは自由、平等、友愛である(La devise de la République est « Liberté, Égalité, Fraternité »)」と定められていま。)。

努力してもエリートと同じ道を歩めない大衆、共和国の定める平等の理念との対立など、どのように折り合いを付けているのか長い間疑問でしたが、エリート主導型社会は大衆に支持されて維持されていることがわかってきたので、紹介します。

平等を求めるフランス

まず、フランスの理想とは国民が平等であることです。憲法の前文の第一言目には「フランスとは〜」とフランスを定義するところから始まります。議論好きのフランス人が定義するだけあって、この2文はかなりの包括的にフランスを定義しています。本ブログのおすすめの書「[書評] 日本とフランス 二つの民主主義」では、憲法の第一言目に平等を謳っているフランスでは、平等が自由に優越していると結論しています。例を挙げると、小学校で宗教的シンボルを身につける自由よりも、それを禁止して生徒を平等なフランス市民として教育することを選びます。また、経済では資本家がより自由に活動して経済的利益を上げることよりも、ストライキによる従業員の要求の方が重要視されます。資本家も従業員もどちらも市民であるという、市民の平等を求めているわけです。
Constitution de la République française
(フランス共和国憲法 前文第一条)

La France est une République indivisible, laïque, démocratique et sociale. Elle assure l’égalité devant la loi de tous les citoyens sans distinction d’origine, de race ou de religion.
フランスは、非宗教的、民主的、社会的な、分割し得ない共和国である。フランスは、生まれ、人種、宗教の区別なしに、すべての市民に対して法の下での平等を保障する。

エリート教育に対する批判

フランスで教育改革が話題になるときに、必ず槍玉に上げられるのはグランゼコールです。批判対象としては、卒業生の質に対する批判、教育内容に関する批判、入学試験に対する批判などいろいろあります。まず、エリート意識に対する批判です。
パリ郊外の暴動のこと - パリからはてな日記
グランゼコール出身じゃない人は、グランゼコールと聞いただけで、一様に、ガリ勉で偉そうでプライドが高くてと批判する。
また、批判精神の旺盛な(悪口の得意な)フランス人のこと、いろいろな言われようです。人工知能学会誌に投稿された「理科系の国フランス : INRIA滞在記(グローバル・アイ)」では以下のようにあります。
フランス人はおしなべて口が悪いので, たいていの場合「プレパが終わると勉強なんてしやしない」だとか,「将来マネージャになるのにマネジメントの勉強がなくて数学ばかりしている」だとか,卒業生までが一緒になって(自嘲も含めて)批判の大合唱となり,なかなか旗色が悪い.
いろいろな批判の中でも、一番大きな批判は、はやりエリートと庶民の格差に対する批判でしょう。エリートの養成に教育資源(予算、先生)をつぎ込めば、それ以外の教育の質が低下するのは、明白です。フランス人による記事「報道されないフランスの真実(1)」では以下のように書かれています。
フランスにおける教育制度の現状は ...(略)... 徹底的に競争主義を採用しているグランゼコール(高等専門教育機関)という<勝ち組>と、ボロい施設ばかりの(特に文系)大学という<負け組>という図式からなっています。
また、報道されないフランスの真実(2)では、フランス憲法の標語は嘘っぱちとすら述べられています。
少し大げさだが、15歳からちゃんと勉強しないと、負け組になるということである。こうした教育の実情を知れば、フランスの標語である「自由、平等、友愛」など大嘘であるようにしか思えない。
2007年のフランス大統領選挙で非グランゼコール出身のサルコジ氏が、グランゼコール出身のロワイヤル氏を破った事例も、この文脈の中で説明されるケースも有ります。

エリートは大衆の投資の上に成り立つ

それでは、ここまで批判を集めるグランゼコールの教育がなくならない理由はなんでしょうか?まず思いつく答えは、グランゼコールのエリートが権力を握るからグランゼコールのエリート教育が無くならないという理由です。内田樹の研究室: la nuit violente en Franceでも「「文化資本」と「家柄」によって構築された「強者たちのネットワーク」が権力、情報、財貨の占有を可能にしている」と言っています。

これは当たっているとは思いますが、一方で選挙でエリートが当選し、サルコジ氏以外の大統領もグランゼコール出身ばかりだという点を説明しにくいと思います。そもそも、フランス共和国は王侯貴族をギロチンで大量処刑にして誕生した国です。大衆によってエリートが不必要であるとみなされれば、現在ではギロチンは持ち出さないでしょうが、エリート達を社会的に抹殺するぐらいのことはやりかねません。エリート主導型社会の維持には大衆の支持が欠かせないのです。

大衆の支持を説明するには大衆の願いを知る必要があります。フランスにおいては大衆の願いとは「気ままに暮らしたい」というものではないでしょうか。ただし皆が気ままに暮らしてしまうと、フランス産業の国際的競争力は低下し、フランスが貧しくなってしまいます。ここで、気ままな大衆を強力に牽引するエリートが必要になってきます。フランスのエンジニアは社会的地位が高い このエントリーを含むはてなブックマークでは
  • フランスではリーダーが全てを決定し、庶民はリーダーの指示通りに働く
  • 日本ではフランスと比べると全員の能力が均一で、庶民が猛烈に働く
と書きましたが、同じ文脈で、新幹線と世界最速を競うフランス高速鉄道のTGVの設計思想は非常に示唆的です。TGVは先頭車両に動力が積まれ、それ以外の非動力車を牽引します(動力集中方式 - Wikipedia)。反対に新幹線は全ての車両が動力を持つことで、高速運行を可能にしているそうです(動力分散方式 - Wikipedia)。エリートに資源を集中させて気ままな大衆を牽引する方式と、全員が懸命に働く方式は採用されている国の形態を表しているようの思われるのです。

フランスの教育においてエリート養成により多くの資源を割くという選択が、大衆の願いによって選択されているのです。大衆はエリート養成に投資し、その投資利益として気ままな人生を享受することができます。この方式がフランスの平等の理念と矛盾しているかどうかは、終わらない議論なんだと思います。どんな社会でも人間が作る社会で理想と現実が一致することは稀なことだからです。

エントリと関連する補足:
エリート教育が大衆の投資だとする観点からすれば、エリートが知識と知恵を大衆のために使わず、自身の栄達のためだけに使うことは許しがたいことです。これがノブレス・オブリージュ(貴族の義務)と呼ばれるものです(詳細は→[書評] エリートのつくり方―グランド・ゼコールの社会学)。

エントリと関連する感想:
気ままに暮らしたいと思う大衆が、「自分が怠けたいから他国も怠けてくれないかな〜」と願い、作り出した論理の結晶が怠け者同盟の社会は人類の未来で述べた「エネルギー資源、人的資源、労働時間などの資源を投入して経済的利益を上げる競争を抑制して、節約した資源を本当に社会と個人を「幸福」にする要素に振り分ける社会」という論理です。個人的な願いを否定し難い人類普遍の論理へと高めるフランスはすごいなーと感じます(色んな意味で)。

関連:
Read More ...

3 comments


Gordes, France
フランスはエリートと庶民が日本よりもはっきりと分かれている国です→「フランスで将来リーダーになる運命を感じて成長する人たち このエントリーを含むはてなブックマーク」。このエリートはほとんど全てがエンジニアです。エンジニアではないエリートとしては、医学・法学・神学の分野にはグランゼコールが存在しないため、医師や弁護士、聖職者が含まれます。

エンジニアの養成には、グランゼコールと呼ばれる特別な学校が用意されています。グラン(大きな)エコール(学校)という名前ですが、大衆教育を目的とする大学とは全く違うシステムになっています。トップのグランゼコールは、学生2人につき教授が1人つくというような超少数精鋭のシステムです。本ブログではLe pointという雑誌のグランゼコールランキングを技術系→技術系のグランゼコールと商業系→商業系(MBA)のグランゼコールにわけて紹介してあります。

フランスのエリートは数学重視

「フランスで将来リーダーになる運命を感じて成長する人たち」でも述べましたが、フランスでは20歳で上位のグランゼコールに入学すると将来のリーダー候補になり、それ以外の人は、お気楽な人生を歩むことになります。20歳で決定した順位付けがその人の人生の大部分を決するシステムです。そして、その順位付けの大きな部分を占めるのが、数学なのです。人工知能学会誌に投稿された「理科系の国フランス : INRIA滞在記(グローバル・アイ)」という記事には、日本では文系に分類される学科でも数学が必要であると書かれています。
実は「数物重視」の風潮は現在でも連綿と続いており、大学入学資格であるバカロレアではカテゴリ「数学・物理」が最難関すなわち評価が高いとされている。これはエリート校に入るには数物が必須であるということで、日本では文科系に分類される政治・経済の分野においても、政治家や経営者の卵が学ぶ「高度商業 学習校 Hautes Etudes Commerciales」に入るには数物のバカロレアが必要だという。
フランスでは数学ができないとエリートになれないと言っても過言ではありません。

例えば、カルロス・ゴーン氏は20歳で最上位のグランゼコールに入学し、その後ミシュラン入社から3年目(27歳)で工場長、入社7年目(31歳)でブラジル・ミシュランの社長、入社11年目(35歳)で北米子会社の社長とCEOという出世をしています。彼が絶え間ない努力で人より優れた能力を獲得したことは間違いありませんが、彼の出世ももとを正せば20歳の頃に誰よりも数学ができたことによるとも言えます。彼の著作にも数学に優れていたことが書かれていました→[書評] カルロス・ゴーン経営を語る。

エンジニア天国、フランス

エリート・エンジニアを養成するグランゼコールの地位が高いので、当然エンジニアの社会的地位も高いのです。上で紹介した「理科系の国フランス」には、シンプルに以下のように書かれています。
ともかく「エンジニア」様になるというのはこれはたいへんな栄誉であって、企業の重役への階段をのぼるためには最低エンジニアが必要といったところである。
フランスの状況は、企業のトップの殆どが文系である日本とは大きく違って興味深いのではないでしょうか。以下の記事では、エンジニアを頂点とする序列と、頭の良いやつはエンジニアに成るはずだと言う思い込みが描かれています。僕には経験がありませんが、有り得そうな感じかも知れません。
パリに行って幸せになる方法:学歴社会フランス

フランスの大企業の社長の85%以上は、グランゼコールのエンジニア達によって占められています。

普通の会社員になる為には大学卒では明らかに学歴不足です。一般の会社では1.エンジニア、2.エコル・ド・コメース、3.大学というピラミッドが出来上がっています。
...(略)...
ある日、会議で(エンジニア出身の)その上司と二人っきりになったとき、もうすぐ退職する他の同僚の話になりました。その同僚のことは上司もかなり高く評価していましたが、そのコメントに思わず耳を疑いました。「彼は才能あふれた、とても素晴らしい人だったよね・・・エコル・ド・コメース出身だっていうのに」エンジニアの私の上司からすると、エコル・ド・コメース出身で頭のいい人など存在しない(!)のです。
びっくりですね。とりあえず、「フランス語は数を数えられない」と言った政治家には反省してもらいたいですね。

フランスでエンジニアの社会的地位が高い理由

フランスでエンジニアの社会的地位が高い理由としては、フランスが農業国から工業国への転換を図った時期に、エリートエンジニアたちの貢献が大きかった点が広く知られているからという説明があります。TGV、エアバス、コンコルド、原子力、アリアンロケットなど、鉄道、航空、宇宙、エネルギー産業での技術的成功はエンジニアによるリーダーシップによるところが多いのです。

でも、それでは工業でやってる日本との違いが説明できません。やはり、エンジニアの社会的地位の違いは、社会の構造の違いによるんだと思います。フランスでは大部分の人は気ままに暮らし、一部のエリートがすべてにおいてリーダーシップを発揮します。そうすると自然にリーダーが全てを決定し、庶民はリーダーの指示通りに働くことになります。そういった場合、実際の業務を把握する実学志向のリーダーが求められます。反対に日本では、フランスと比べると全員の能力が均一で、庶民が猛烈に働きます。自然にリーダーが全てを決定して指示を出す重要性が低くなります。よって日本では、業務の全てを仕切る能力を持つリーダーではなく、いわゆる徳のあるリーダーが求められる傾向があります。

エントリと関係する感想:
(軍隊で例えると、フランスは「優秀で全てを取り仕切る指揮官と士気の低い兵隊」と例えられ、日本は「細かい指示を出さない徳のある指揮官と士気の高い兵隊」と例えられます。フランスの優秀な指揮官が日本の士気の高い兵隊を率いると凄いパフォーマンスをたたき出して、逆に日本の徳しか無い指揮官がフランスの士気の低い兵隊を率いると悲劇的な組織になりそうです。前者はゴーン氏が倒産寸前だった日産を立て直した例で、後者の例は幸運なことにまだ無いのかな...?それと、優秀な指揮官と優秀な兵隊の両方を自前で用意できる(連れてこれる)国をアメリカって呼ぶのかなと思います。)
Read More ...

10 comments


Avignon, France
このブログの初心は留学のための情報を提供することでした。しかし留学の意義は人の状況・考え方よって千差万別です。理系/文系、男性/女性、学力、語学力、異文化への適応能力、将来就きたい仕事、プライベートなどなどいろいろな要素が絡み合って、一様にベストな答えが導かれることはありえません。このエントリでは、僕が考える海外留学の意味を紹介して参考になればと思って書きます。

研究員の流動性

まず、フランスの研究所では、研究員の流動性(mobilité de rechercheur)が重視されます。研究員がひとつの研究所に留まる期間を短くして、幅広い知識と経験をつけさせるのが狙いです。ひとつのところに留まっていると、自分の得意とする問題の考え方や、問題を解決するアプローチが最も正しい唯一の方法だと思い込んでしまう危険性があるからです。例えば、研究者の流動性に関する規定として、フランスの国立研究所では博士で採用された研究員は、ポスドクで採用しないという規定があります。

また、研究員の方も一つのところに留まっているよりも、複数の場所で研究を行った経験がある方が高く評価されます。しかもその場合、一つの国よりも複数の国で研究を行った経験があるがある方が、望ましいのです。フランスで博士の学位を受けたフランス人学生は、他の国で研究を続けることが強く推奨されています。この点は日本と大きく違うように感じます。例えば、以下のような経歴を持つ人を見るとどう感じるでしょうか?〇〇には同一の大学名、××には同一の学部名が入ります。
〇〇大学 ××学部卒業
〇〇大学 ××修士修了
〇〇大学 ××博士取得
〇〇大学 ××学部 助手
〇〇大学 ××学部 准教授
〇〇大学 ××学部 教授
仮に〇〇大学が著名な大学であった場合、日本では、かなり優秀な人なんだなという感想を持つと思います。なぜなら、そういう人に優秀な人が多いのを経験的に知っているからです。逆に大学がコロコロ変わっている人には「学歴ロンダリング」とか、居場所をコロコロ変える人という疑いのまなざしが向けられることすらあります。

でもフランスの場合はそうは思われません。上に挙げた同一組織でしか研究をしたことが無い人のほうが胡散臭く見られるのです。周りの状況を知らず、正しくないことを正しいと思い込んでしまう危険性を避けられないように感じるからです。下のリンクでは「自分の研究室から出た人は採用しないルール」が欧米では一般的だと書かれています。
「東大までの人」と「東大からの人」 〔受験生必読〕入ってみるとよくわかる | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
東大を始めとして、研究環境がまずおかしい。欧米では博士も、自分の研究室から出た人は採用しないのがルール。いつまでたっても、自立した研究者になれないからです。

そもそも大学は、研究を通して次世代の人材を育てるところ。ハーバードやMIT、中国の清華大学などが世界で評価される理由は、いい人材を輩出する大学だからです。博士を外に出せば、人材が世界に広がってゆき、評判が作られる。でも、日本は教授のクローンを作っているだけで、評判も生まれない。
1つ以上の国で研究を行った経験は高く評価されることが多いのことは注目です。

各研究室には得意技がある

研究所では研究者の流動性が議論の争点となり、研究者としては複数の国を渡り歩いた方が良いのは、各研究室には固有の得意技があるからだと思います。各研究室を統率する教授の得意とするアプローチや、日本的なアプローチ、フランス的な考え方というのが確かにあるように感じます。問題を解決するために複数のアプローチがあり、自分の得意とするアプローチが優れているのかは周りを見てみないとわかりません。この前提が、「研究者の流動性」の必要性を生んでいると思われます。

研究の得意技と言うのはストリートファイターでいうと、波動拳と昇竜拳みたいなものです。相手が遠距離の時は波動拳、近距離の時は昇竜拳と使い分けるために、または得意技の長所短所を知るために、両方をマスターした方が良いのです。なので、日本の研究室とフランスの研究室のどちらがレベルが高いの?という問いには、いつも答えに詰まってしまいます。それは、波動拳と昇竜拳のどちらが強いか比較するようなものだからです。どちらが有効かは、状況によるとしか言えないのです。

問題を解決するアプローチとして、自分の中に複数の引き出しを持っておいた方が良いと言うのが、研究員の流動性の要点だと思います。

学部、修士、博士、ポスドク、いつ留学するか

いつ留学するのかと言う点については、以上の観点から、研究室の得意技をある程度マスターしてからが良いと言えます。波動拳という武器を持ってから、昇竜拳をマスターしに行きましょう。海外であなたを迎える研究室としても、違う得意技を持った学生と一緒に仕事が出来ることは歓迎すべきことです。海外に昇竜拳をマスターしに行くとしても、状況によっては日本の研究室で学んだ波動拳も有効です。その時は、海外の学生にも波動拳を教えてあげるぐらいの気概で行きましょう。

海外に留学した方が良い学生は、その研究室の得意技はそこそこマスターしたけども、世界の中で卓越した研究成果を出すほどではない人です。逆にいうと、日本の研究室に所属し、世界でも卓越した研究成果を出せるトップ研究者はわざわざ留学する必要も無いと思います。そういう人は、たまにインターンシップや訪問研究員などをして海外視察するぐらいでいいのではないかと思います。また、その日本の研究室の得意技を学びきれていない人は、海外に来るのは早いと思います。外国語で学んだ方が習得が早いなんてことはありえません。

羽生さんの言葉として、「ITとインターネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています(参照)」と紹介されていますが、母国語で学ぶことができる環境は、間違いなく高速道路です。母国語で高等教育を学べない国はかなり多いです。日本で高等教育の高速道路を整備してくれた先人に感謝して、活用しましょう。

なるべく早く海外に出た方が良いというアドバイスもあるみたいですが、以上のように海外と日本の両方の利点を考えてみることをおすすめします。

15歳の君たちに告ぐ、海外へ脱出せよ - Rails で行こう! 15歳の君たちに告ぐ、海外へ脱出せよ - Rails で行こう!
On Off and Beyond: 海外で勉強して働こう On Off and Beyond: 海外で勉強して働こう
世界級ライフスタイルのつくり方 - 留学するなら大学? 大学院? 世界級ライフスタイルのつくり方 - 留学するなら大学? 大学院?
海外脱出アドバイスのダメなところ » 経済学101 海外脱出アドバイスのダメなところ »  経済学101

「フランスの日々」の関連:フランス留学のススメ
Read More ...

2 comments


Parc de Sceaux, France
1月は1エントリを投稿してアクセスは約49300PVでした。

今年最初の月に一ヶ月間の過去最低更新回数を更新してしまいました。それでも延び延びになっていたフランスに来てからぼんやりと感じていたようなことをまとめた「怠け者同盟」の話をいちおう完結できたのは、よかったです。年末年始を日本で過ごした後、フランスに帰ってきてからは2年間関わってきたEUプロジェクトが完了するということで、休日返上で働いてしまいました。これはフランスに来てから2年半で2回目のことでした。

書きたかったブログネタもあったのですが、やっぱり書きたいその時に書いた方が勢いがあって良いような気がします。その時に書かなかったブログネタは自分の無意識の中に潜ってもっと面白くなって戻ってくることと信じています。

以下が1月の人気エントリです。1月唯一のエントリが首位でした。今後ともこのブログをよろしくお願いします。
  1. 怠け者同盟の社会の中で輝きを取り戻す日本
  2. もうそろそろ日本はもうダメだと言わなくてもよい
  3. フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(2/2)
  4. 海外でもリアルタイムに日本のテレビを見る方法(無料)
  5. 第10回 Japan Expo Paris 2009行ってきました
  6. 日本をもっとダメな国だと思い危機感を煽りましょう
  7. 怠け者同盟の社会は人類の未来
  8. 日本色の付いた技術ではもう世界で勝てない
  9. フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(1/2)
  10. フランスの移民政策は成功しつつあるという認識
Read More ...

1 comments


Avignon, France
昨年末に色々なブログで「輝きのある日本へ」、「輝きを取り戻すために」というキーワードが上がっていたのでなんだろうかと思っていたら、元ネタは年末に閣議決定され公開された「新成長戦略(基本方針)〜輝きのある日本へ〜」だったようです。これを読んでいたら本ブログで「怠け者同盟の社会」とかを書いていたときに書き残していたエントリを思い出しました。「怠け者同盟の社会の中の日本」というタイトルで書こうと思っていたのですが、想像する日本の未来のイメージを上手く伝えられるか自信がなくて延び延びになってしまっていました。

「新成長戦略」は33ページにまとまっていて、読みやすく意味はわかりやすいのですが、日本の未来のイメージが伝わってきません。本物のリーダーですらそうなのですから、このブログで多少伝わりにくくてもしょうがないと思った次第。怠け者同盟の社会が到来した日本の姿を想像で書いていこうと思います。一応、「怠け者同盟の社会」の完結編です。

怠け者同盟の社会は新時代の常識になる

時間が経ってしまったので、あらすじをおさらいしようと思います。怠け者同盟の社会とは、エネルギー資源、人的資源、労働時間などの資源を投入して経済的利益を上げる競争を抑制して、節約した資源を本当に社会と個人を「幸福」にする要素に振り分ける社会です(1章)。この社会がグローバル社会で敗北しないために取っている戦略が、1.怠け者同盟の拡大と2.同盟の論理の構築でした(2章)。3章、4章ではそれぞれ、フランスと日本が取っている(取るべき)戦略についても分析しています。

第1章 怠け者同盟の社会は人類の未来
第2章 怠け者同盟の社会が働き者の社会に対抗する手段
第3章 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中のフランス
第4章 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中の日本

日本人はまず、そうは言っても覇権を握るアメリカや台頭する中国、インド、中南米が反対すればそんな社会は出来ないと考えがちです。でもこれはそういった話ではないのです。2章で対抗する手段として述べた、怠け者同盟の拡大と同盟の論理の構築は、この怠け者同盟の社会を新時代の常識にする試みです。要は、「強い者が弱い者を殴って金を奪ってはいけない」とか、「強い国が弱い国を銃で脅して土地を奪ってはいけない」といった皆で共有されるコンセンサスに、「働きすぎて無用な競争を創りだすのは人類を不幸にする悪である」という命題を加えるようなものです。そういった新時代の常識ができれば、例え大国や台頭する国でも従わなければなりません。そうでなければ非道徳として非難されます(世の中には強いものが殴らなくともお金を奪う方法や、強い国が銃を使わなくても収奪できる方法もあって悩ましいですが)。

本ブログの結論は、将来的には日本もこの怠け者同盟の社会に合流するのが吉だというものです。以下は、そのときに日本がどんな感じになるか想像します。

新ルールを理解し迅速に転換する日本

4章の「実利重視の日本、思想から自由な日本」で「日本は思想から自由なために、一度コンセンサスを得れば、その時代のルールに則って実利本位で自由に社会を改革することが可能な強みがあります」と書きましたが、ルールを理解して大転換ののち、優秀なプレイヤーとして戻ってくるシナリオです。戦前の植民地獲得競争ルール、戦後の自由主義的な市場経済ルールと、当初は下位から始まり大転換ののち優秀なプレイヤーになったようになると想像します。

先の植民地獲得競争ルールと、自由主義的な市場経済ルールは日本人の勤勉さは何よりの武器でした。しかし、今度の怠け者同盟の社会という新ルールではその勤勉さが封じられます。「勤勉は悪」の世界で、日本はどのような未来を描けばいいのでしょうか?日本はおそらく新ルールを理解し自分自身を変えるのではないかと思います。仕事上の勤勉さは封印し、同じ性格が仕事後の趣味に対するコダワリや凝り性に転化するのではないでしょうか。そしてそれが、新時代での日本の成功を約束すると考えます。もちろんここで言う「成功」は現在の日本人が想像するような、しゃかりきに働きながらアメリカに追いつき、台頭する中国、インド、南米の追い上げを封じ込めるようなことではありません。怠け者同盟の社会とはそういった競争がもたらす害悪を除く試みなのですから。以下そのあたりを解説していこうと思います。

余暇が増えれば日本人の想像力と創造力がさらに解放される

フランスが思う日本像といえば、経済の不調、少子高齢化、新興国の台頭などの問題に有効な対策が打てない衰退途中にある国というものの他にも、肯定的な見方もあります。それは、伝統や文化を重んじる反面、ロボットや通信などの最新テクノロジーをいち早く取り入れ、マンガやアニメ、ゲーム、カラオケなどの楽しい娯楽が満載な国というイメージです。こういったイメージも単にフランス人の幻想などではなく、日本の一面を表していると思います([まとめ] フランスと海外のマンガ人気)。

自分が楽しいと思うものを、なんと言われようと貪欲に楽しむ力と言えるかもしれません。それが存在しないなら自分で作ったり、周りに理解されなくとも自分なりのこだわりを持って収集したりする性格も感じます。フランスで人気のある娯楽として、サッカー、サイクリング、スキー、園芸、料理、ワイン、チーズなどなど権威が確立していたり、周りの理解を得られるものが趣味として選択される傾向とは違うように思われるのです。なんの役にも立たなくとも、自分が面白いと思うものにとことん想像力と創造力を投入していく様子は独特の感覚なのではないでしょうか。手間の割に大して儲かるわけでもないのに、コミケに自作のコミックを出展するのは、書きたい、見てもらいたい、楽しんでもらいたいという自分の中の楽しさを追求した結果のように思われます。

同じようなことは、ニコニコ動画や2ちゃんねるの「才能の無駄使い」を見ていても感じます。右の図は「みんながもってるエロ画像でこれ再現できないかな?? あんか〜びっぷ」から持ってきたのですが、「これで面白いもの出来ないかな」と発想して、報酬も手柄も無いのにただ面白いと言うだけで、皆でよってたかって、すごく面白いものが出来ることに感動します。

次の写真は説明不要の有名な画像で「歴史的な画像を貼ってゆくスレ 無題のドキュメント」から取ってきました。第二次世界大戦が終わったときの歴史的な写真です。戦勝国のフランスでも学校の社会の時間などで、よく見せられる写真なのではないでしょうか。戦争の忌まわしい記憶と終戦の喜びが混じった空気が流れることと思います。しかし、2ちゃんねるでは誰かがこの写真を見て、数秒後に「左の人がブラジャーかぶっているようにしか見えない」と言います。これを授業中に指摘すれば、間違いなくクラスの人気者になれると思いますw。

怠け者同盟の社会が本格的に到来し、日本人の余暇が増えれば何が起こるでしょうか?午後五時に帰宅後、今の日本からすれば有り余るほどの時間が手に入ります。マンガを消費する人口、ゲームを消費する人口、ニコニコ動画、2ちゃんねるを閲覧する人口は間違いなく増えるでしょう。娯楽を消費する人口の裾野が広がれば、制作する側のモチベーションも上がります。閲覧する人口のうち何割かは自分で製作しようと考えるかもしれません。労働の拘束時間が長い今の日本で、こんなに面白いものが生まれるならば、フランス人のように毎日午後5時、6時に帰れて長期のバカンスが取れたらどんなにトンデモナイ面白いものが生まれるでしょうか、想像しないわけにはいきません。

まとめ

怠け者同盟の社会の中の日本を想像したときに、頭に浮かんできた光景は、社会の競争の抑制によって、体力、時間の資源の消耗を節約した日本人が、それらの資源を使ってどんどん幸せになっている光景でした。仕事は定時で帰って、家族団らんし、著名な文学作品を読んで感性を養い、楽しいことに夢中になっている姿でした。世界ではユニークな想像力と創造力を投入して制作したコンテンツが、それに受け取った世界の人々の中で評判になり、作り手も受け取り側も楽しく幸福になっている姿です。

ここまで読んだ方は、このエントリがなかなか書けなかった理由もわかったのではないでしょうか。楽観的すぎてノーテンキで馬鹿だと思われそうというのもあります。現状認識とかけ離れすぎて、荒唐無稽だと思われそうというのもあります。この辺りは、「もうそろそろ日本はもうダメだと言わなくてもよい」の最後で書いていたことと同じです。子供の頃に未来だった21世紀も最初の10年が終わりました。そして来世紀は22世紀からやってくるドラえもんの世界です。次の10年の始まりに、もう少し突拍子も無いことを想像しても良いのではないかと思った次第です。

関連:
  1. 怠け者同盟の社会のまとめ
  2. 怠け者同盟の社会は人類の未来
  3. 怠け者同盟の社会が働き者の社会に対抗する手段
  4. 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中のフランス
  5. 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中の日本
  6. 怠け者同盟の社会の中で輝きを取り戻す日本(本エントリ)
  7. 自由のスパイラルから脱出を目指す怠け者同盟
  8. 労働に対する社会の仕組みを試験に例える
  9. ベーシック・インカムよりも怠け者同盟の社会 このエントリーを含むはてなブックマーク
Read More ...

14 comments

RSS登録

←登録すると「フランスの日々」の記事が自動配信されます


←BLOGOSにも参加してます



最近のエントリ

Twitterのコメント

はてなブックマークのコメント