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Santorini, Greece
日本への移民は2010年時点では時期尚早 このエントリーを含むはてなブックマーク」と「日本が移民を受け入れられるようになるための条件と提案 このエントリーを含むはてなブックマーク」では、移民の賛成の立場から、現状で移民を受け入れるための問題について書いてきました。移民は経済的理由で他にしようがなく入れるのではなくて、より良い日本社会を作るために必要なものだと思っています。しかし、今の日本人たちに、移民を自分たちと同格の日本人として認める覚悟と度量があるとは思えないために、拙速な移民に反対してきました。

過去のエントリのコメントを見ると、移民反対の意見として、現状のように列島由来の日本人だけで日本を形作り、外国由来の日本人を極力排除した形の社会が最上のものだという意見がありました。僕は、列島由来の日本人と外国由来の日本人が調和し、他文化を許容しあって異端に寛容な日本は、現状よりもいいものだと思っているので、このエントリでは、もう一度良さを説明し、そうなるためには日本人がどのように変わらなければいけないのか考えます。
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St-Germain-en-Laye,
France
日本への移民は2010年時点では時期尚早 このエントリーを含むはてなブックマーク」では、移民賛成の立場から、移民と現在日本に住む日本人が融合しながら生む社会の素晴らしさを書いてきました。しかし、現時点での移民受け入れは失敗の可能性が高いという理由で時期尚早だと書いてきました。

このエントリでは、日本が移民を受け入れられるようになるための条件提案を書いていこうと思います。提案は、移民を成功させるためのシンプルかつ、 時間はかかるけど着実な方法だと思います。

移民賛成派にヴィジョンがない

前エントリでは、移民賛成派の意見が不甲斐ないことも指摘してきました。1) 危機感を煽って解決方法は移民しかないと力説する論調、2) 経済的効能を強調し、移民によって引き起こされる諸問題(人種差別、治安、宗教問題)を見せない、議論しない、通り過ぎたい、あとで考えるという論調、3)自分にとって都合がいいことを語っているように思えるポジショントーク的論調など、賛成派の僕でもウサン臭く感じるほどです。そこには肝心かなめの、外国由来の日本人と列島由来の日本人が融合して創りだす社会に対するヴィジョンがないのです。

いつの時代にも移民に徹底反対な人はいるので全員が賛成することは無理ですが、ヴィジョンなくして過半数の賛成は不可能です。賛成派はこれを見せないことには始まらないのです。前エントリでは「移民成功後の多文化を許容しあって異端に寛容な日本」として個人的なヴィジョンを書きました。理想主義だと考える人が多そうですが、僕は最も確度の高い日本の未来であると考えています。賛成派が半数を超えれば移民を受け入れつつ、移民に徹底反対な人はその後、外国由来の日本人と列島由来の日本人が融合する社会で「走りながら考え」て行くことになります。このエントリでは、賛成派が半数を超えるための戦略について書いていこうと思います。
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Versailles, France
最近、日本への移民に関する政策議論を立て続けに見て、すごく違和感のある移民賛成の立場を見たので少し書いていこうと思います。僕は将来的には移民には大賛成なのですが、現状では問題が多すぎてやめたほうがいいと思っています。

このエントリでは、移民を受け入れる目的を間違って賛成している論調を批判した後、「移民成功後の多文化を許容しあって異端に寛容な日本」と、「移民失敗後の列島/外国由来の二分された日本人が対立する日本」を想像して書いていこうと思います。
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Vancenne, France
僕がフランスに来てから来月で3年ですが、その間に4人の内閣総理大臣が日本の指導者を務めています。3年前は日本の首相は安部氏でした。それから半年後、福田氏が首相になり、そしてその1年後に麻生氏が引き継ぎ、去年、「友愛」を掲げる鳩山首相の政権が誕生しました。現在、日本では友愛とはどういう概念なのかという議論があることと思います。

フランスはフランス革命以来、220年にわたって「自由、平等、友愛(Liberté, égalité, fraternité)」を国家のモットーとして掲げています。自由平等は当時、革命的な概念だったのだと思われますが、現在はフランスを飛び出し、多くの人が理解する普遍的、常識的な概念として捉えられています。その一方、最後の友愛については常識的な概念には成りきれていません。それでも、当時のフランス人達が革命のドタバタの中で自由と平等だけでは足りないと感じ、友愛という概念を追加したのは聡明だったといわざるを得ません。現在日本で注目度が上昇中のキーワードである友愛については、フランス人たちの理解を知ってみる価値があると思います。

220年経っても達成されない超難易度「友愛」という概念

辞書で友愛を引くと、1)兄弟の間の情愛、2)友人に対する親愛の情。友情。と出てきます。他人のことを他人事と思わず、兄弟のように困ったときは一緒に困ってあげて、兄弟が喜んだら一緒に喜ぶような心持ちのようです。また、ジャック・アタリ氏はそのままズバリ、「友愛(Fraternité)」という本の中で以下のように書いています。偉く聡明な人が定義し、説明しなければならないということは、まだ普遍的な概念となりきれていないことを示しています。
Fraternité - Wikipédia
友愛とは各々が本当の兄弟に対するように他者に親愛の情を感じる社会的秩序と定義することができる。(略)友愛は、自然状態ではなく、文明のひとつの目標である。
« On peut essayer de définir la fraternité comme un ordre social, dans lequel chacun aimerait l'autre comme son propre frère. [...] La fraternité est un but de civilisation, pas un état de nature.»
人類はミトコンドリア・イブと呼ばれる共通の祖先を持っています。彼女の産んだ子どもたちは兄弟の間の情愛である友愛(Fraternité)を自然に持っていたでしょう。その次の世代も持っていたかも知れません。それから何世代もたった現在、人類は他者に対して自然に友愛を持つことはできなくなってしまいました。それどころか、自らに最も近い隣人に対して最も友愛から遠い関係を作ってしまいます。メロドラマ的な親族の争い、隣家との争い、隣町との争い、隣国との争いなどなど。この理由はハッキリしています。最も近い隣人とは、最も利害が対立するからです。自分と利害が対立する他者に対して、友愛なんて抱けないというのが根本的な問題です。

フランスではフランス革命当時、「自由、平等、友愛(Liberté, égalité, fraternité)」の標語が誕生して220年、10世代もの親から子供へ友愛の概念の説明が行われてきたにも関わらず、統一見解は得られていません。そう考えると、極東の島国で、お偉いさんが突然「友愛」を唱えても、長くて4年間の任期でそれを達成できるなんてことは、ありえません。荒唐無稽です。

現在のフランスでよく使われる「連帯(Solidalité)」

フランスでも達成できてない友愛へ向かって、現状を少しでも変える努力がなされています。それが「連帯(Solidalité)」です。連帯は市民が手と手を取り合って困難を乗り越える意味合いで使われます。例えば、強大な国王と一人ひとりの弱い市民では革命は起こせません。市民が手をとってことに当たる必要があります。これが連帯です。また、フランス名物のストライキも、資本家の従業員支配に対して、連帯して抵抗する意味合いがあり、これもSolidalitéの発露だと解釈されています。また、最近ではハイチの地震への義援金募集の標語にも「連帯」が使われていました。強大な自然の脅威に対して、一人ひとりが手をとって困難に当たらなければならないのです。Solidalitéには困ったときはお互いさま、協力しましょうといったニュアンスもあります。

「連帯」は2つの点で「友愛」よりも行動に移しやすい概念だと言えます。まず一つ目としては、具体的な脅威が設定されているために、各人が連帯の価値を理解しやすい点にあります。上の例では国王、資本家、地震となります。二つ目としては、具体的な脅威が明確なために、具体的な行動を伴いやすいことです。国王に投獄された人を支援したり、ストライキで従業員の要求を通したり、義援金を募集したりという行動が、「連帯」の発露として認識されます。逆に友愛とは具体的な脅威を設定ぜずとも、他者に親愛の情を持つことなので、難しいのです。さらに、他者に対して親愛の情を持った具体的行動というものも明確なものは無いので、難しいのです。「友愛」とは、具体的脅威を設定せずとも行われる「連帯」と言えるかも知れません。

(EUはアメリカ超大国の誕生とアジア諸国の台頭に危機感を覚えたヨーロッパの「連帯」とも言えるかも知れません。最終的には友愛を目指しているのかも知れませんが、現在は連帯どまりでしょう。)

日本の伝統的価値観「和を以て貴しと為す」

日本には、「友愛」と意味合いの近い価値観として、日本初の憲法にもうたわれた「和を以て貴しと為す」という価値観があります。これには、フランスで唱えられている「連帯(Solidalité)」には無い優れた特徴があります。それは、調和を重んじる心には、具体的な脅威を設定する必要がないという点です。「和を以て貴しと為す」という価値観は、なにか目的のために、争いをやめることではなく調和そのものを目的とする点が「連帯」とは違います。

それでは、「和を以て貴しと為す」という価値観を進めていけば、「友愛」に到達できるのかというと、そうではありません。「友愛」は他者に対する親愛の情ですが、「和を以て貴しと為す」は情愛とは無関係だからです。「和を以て貴しと為す」だと、「うーん、あいつ嫌いだから叩いてやりたいけど、調和が貴いから感情を抑えて、取り繕わなければならない」という事も有り得ます。「友愛」とは他者に対する親愛の情という人類の気持ちの持ちようを対象にしている点でずっと難しいものなのです。

まとめ

このエントリでは友愛に関係して、フランスでよく聞く「連帯」と日本の伝統的価値観である「調和」を絡めて考えてみました。まとめると友愛というのは、連帯と調和のはるか先にある概念で、達成するのはものすごく難しいということです。

友愛=他者に対する親愛の情
連帯=手と手を取り合りあうこと(脅威を必要とする友愛)
調和=争いの無い状態(親愛の情のない友愛)
現状の世界を覆う価値観で考える限り、達成する見込みのない概念だと言えるかも知れません。たかだか後50年ぐらいしか生きられない僕はおそらく、友愛が達成された世界を見ることはないと思われます。現状の世界を覆う価値観が完全にひっくり返る何かが起こらなければ、無理でしょう。核戦争で人類が15人になっちゃったとか、インターネットを越える通信技術で各人の感情が接続される世界が到来したとか...

それでも、隣国の中国・韓国にも自然に親愛の情が湧いてくる日本、アフリカで飢餓で死にゆく人々に親族のように親身になれる世界、というのを想像することには意味があると思います。つまり、友愛とは掲げることに意味があります。友愛とは方角を告げる北極星のような存在なのです。北極星がどのような星なのかは誰も知りませんが、そちらの方角が北だということは誰でも知っています。友愛を掲げておけば、我々がどの方角へ行こうとしているかということに関して、皆の意識を統一できます。

関連で、友愛をどう訳すか - Chikirinの日記
友愛をどう訳すか - Chikirinの日記を読んだ感想。
  • 友愛を「LOVE & PEACE」と訳すのはいいアイデアかと思いました。
  • 友愛を示すFraternityは、英語では心象の弱い言葉だそうです。米英(アングロ・サクソン)を見ている限り、友愛とは程遠いようなので、さもありなんという感じがします。フランス語ではFraternitéは国家のスローガンになるほど、心象の強い言葉です。米英と欧州大陸は意識の面でもかなりの差があります。
  • 米英に近いオーストラリア人はともかく大陸のイタリア人は勉強が足りていないように感じました...。隣国の標語ぐらいは意識しておいて欲しいですね。
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Paris, France
フランスの移民政策は成功しつつあるという認識 このエントリーを含むはてなブックマーク」では、紀元前から異文化との交流が会ったフランスでは移民に対する理解が進んでおり、成功を収めつつあると書いてきました。日仏の移民に対する抵抗の違いの大きな理由として、国籍というものに対する考え方の違いがあるのだと思います。日本人は大昔から代々日本列島に住んでいた人たちが日本人であると簡単に思い込めますが、フランスではそうではありません。今のフランス地域は、ローマ帝国の一部としてもっと広い範囲の国だったこともあり、もっと小さく分かれていたこともあります。代々フランス地域に住んでいた人をフランス人と無邪気に思い込むことはできません。何を持って国家を成立させる根拠とするか興味深い話があったので紹介します。

国の形についての議論

去年、200人ほどが亡くなり、1500人ほどが逮捕されたと言われているウイグルの衝突(2009年ウイグル騒乱 - Wikipedia)のニュースがあったころに、昼食で中国の国の形が話題になりました。中国は人口の90%を占める漢族と55の少数民族から成っています。議論の対象はやはり、漢族が少数民族を支配していて、少数民族の中には今の中国の形を支持していない人もいるから、暴動が起こるのではないかというものです。中国人はもちろん、それは違うといいます。中国の経済的成功を快く思わない外国の勢力が民衆を扇動して、無法者が暴れているというふうに言います。

ここではたと、正しい国の形ってなんだろうという話になります。日本人だとパスポートに書かれている国籍が正しい国の形を反映しているのか問うことは有りません。日本のパスポートを持っていることが自分が日本人であることを証明していて、その根拠について問うことは有りません。国籍の根拠なんて問うことができるとは思わず、思考停止していたのですが、その後の5秒ほどの会話の中で、大陸の人たち(フランス人と中国人)の国籍に対する理解の敏感さに感心しました。

フランス人と中国人の国籍に対する考え方

どのように中国の今の形が正しいかどうかを問うのか、そのときのフランス人の質問が冴えてました。
フランス人の質問「じゃ、例えば中国の一番北の人と一番南の人が、ブラジルで出会ったら親近感を抱くと思うか?」
と問いました。つまり、国というものの存在に正当性を持たせうる根拠を親近感と定義したのです。日本政府がパスポートに記載した国籍以外のもので、国籍と言うものを正当化させるものとして、人の感情を持ってきたのです。日本で言うと北海道と沖縄の人がブラジルで出会えば安心するのはほぼ間違いないと思われます。国家が決めた国籍以外のもので、国籍の根拠を求めるには、なかなかの案だと思いました。

僕がほおと感心していた一瞬後、中国人の切り返しがまた冴えていました。
中国人の答え「たとえ中国人とブラジルで出会っても信用しない。その人の人となりを見て信用する。」
これもまた、国籍が人に信用を与えるわけではないという本質的な答えです。他国の人でも信用に足る人はたくさんいるし、日本人同士でも警戒すべき人はいます。考えてみると当たり前で、納得できることなのですが、やはりフランス人と中国人の国家というものの理解の鋭さが会話の瞬発力につながっていると思われる例でした。

国籍は心の持ちようだということ

フランス人は国籍の根拠を親近感という人間の心情に求め、中国人は人と人との関係は国籍で決まるものではないと言っています。フランス人と中国人のどちらにも共通するのは、国籍というものを気持ちの持ちようと考えていることです。人、モノ、情報の絶え間ない交流が続いてきた大陸の人は、日本とは違う考え方をするんだなと思いました。でも考えてみると、日本の方がかなり特殊な例です。大抵の国は大陸にあって分割された土地に住んでいるので、国家の決めた国籍を安易には信じ込めません。アイヌと琉球の人とかも含めて、特に理屈なく日本人だと信じることが出来ている方が珍しいはずです。イギリスは地形は似ていますが国際語を母国語としていますし、状況がかなり違います。オーストラリアとニュージーランドもそうです。自明な「なんとか人」がいて、それを元に国籍が定義されていると無邪気に思い込めるのは、日本と戦後の韓国ぐらいかも知れません。

18〜19世紀に市民革命の結果として誕生した、国民国家というコンセプト(幻想?)に、日本は幸か不幸か違和感なくハマった国のような気がします。移民の議論とかに、このかなり特殊な国家感を説明できないまでも意識化しておいた方が良いでしょう。そうでないと、日本に来る人に意味不明な疎外感を与えるような事になってしまいそうだからです。

続き:
関連:
人は平等であるはずの世界において現実は平等でない
[まとめ] 将来の日本と中国との関係について考える
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Antony, France
堀江さんからまた返信が来ていました。

フランスブログが逆切れしてる。面白い。|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba

前回のエントリの最後の一文を冗談と取らなかったようですね。今日は、友人とSalon International de l'Agriculture 2010に行って、美味しいワインとチーズを探す予定があったのですが、友人にはごめんさいして、堀江さんへの返答を書いておこうと思います。

最後の一文を冗談だととらない人は「フランスの日々」の管理人は堀江さんが嫌いなんでしょ、って思ってるかもしれないので、まず少し堀江さんについて書こうと思います。それから現在、堀江さんが抱える問題点を指摘してから、もう一度彼に提言したいと思います。

堀江さんとは

堀江さんは、まだインターネットがどこの馬の骨とも分からなかった、黎明期にその潜在能力を見抜くなど、将来に対する正確なヴィジョンを持っています。そして1995年から始まったインターネット市場の爆発的な膨張のなかで、10年以上常に最前線にいた人物で、日本を代表するインターネット・カンパニーを創始しました。その間、適切な判断を下し続けたことは、誰もが納得するでしょう。これは、彼が持つ将来に対するヴィジョンの確かさと、判断の確かさを証明してます。先の見えない時代の日本には、確かに必要とされているリーダーだと考えます。

検察に逮捕されたことは、陰謀だと言っている人もいます→“検察が逮捕したい人”一覧 - Chikirinの日記 “検察が逮捕したい人”一覧 - Chikirinの日記。同意はしないけれども、僕もありうる話だとは思います。検察がシステムの破壊者を好まない傾向は指摘できるかと思います。日本ではGoogle、Facebook、Amazon、eBay、Twitter、Youtubeなどの新興企業は検察に潰されていたかも知れません。とにかく、世界の動きや技術の動きを読み、的確に判断をくだせる彼の頭脳には、インターネットの一研究者として敬意を表したい思います。

対話が欠如している堀江さん

意外に思われるかも知れませんが、僕がたどり着いた結論は、堀江さんと結構一緒なのです。例えば、ベーシック・インカムと移民の話では、結論が堀江さんのものと一緒でした。どちらの話も両者が賛成です。しかし、どちらの議論でも堀江さんは、言い方がまずいのです。ベーシック・インカムの話では、何がまずいかは、「Re: 堀江貴文オフィシャルブログ」に書きました。ベーシック・インカムの議論が盛り上がることが、堀江さんにとって都合がいいと受け取られる可能性があります。

移民の話では、「積極移民やってみればいいじゃん、と私は思いますけど。やってみないとどうなるかわからんし。やる前から色々最悪ケースのことばかり考えてたら何も進まないよ。引用)」と言っています。これがまずい理由も以前書きました。受け取る方は「それは君が低賃金の移民を使う方だからでしょ。移民と賃金競争しなければならない庶民はどうなるの?」と考えます。どちらの話でも堀江さんは受け取り手がどのように受け取るか想定していないために、ベーシックインカムでも移民の話でも不安を与えてしまうのです。

堀江さんは将来に対する明確なヴィジョンを持ち、メディアを通じた強大な影響力を持ちながら(現時点でブログのGoogle readerでの購読数13629、twitterフォローワー約40万、それとテレビ出演)、受け取り手を不安にすることしかできていません。本来の実力からすると、あまりに不本意な結果と言わざるを得ません。自分が運営する会社だったら将来に対するヴィジョンが正しく、結論が正しかったらそれで十分だったでしょう。会社であれば、堀江さんを信奉する信者に対して正しい結論を伝えるだけで十分です。それは成功しても失敗しても自分で責任が取れるからです。しかし、日本の将来についてヴィジョンを語る場合にはそれだけでは不十分です。
俺は純粋に社会システムで皆が幸せになる仕組みを考えている思考実験をしてるだけだ。
堀江さんは、日本についても会社と同じように、信者に対して正しい結論を与え続けて、活動を加熱し続けていけば、変わると信じているかのようです。しかし実際はそうではありません。結論さえ正しければ説明なんて必要ないとばかりに、堀江さんが結論だけを信者に伝えている間に、世の中は不安になり、堀江さんの結論とする世界から遠ざかっているのです。もっとはっきり言えば、社会に害を及ぼしているのです。具体的には、上の二つの発言は、僕にはベーシック・インカムの実現も、移民の実現も遠ざけたように感じられます。

受け取り手を意識した論理展開ができず、結論だけを主張していても、堀江さんを完璧に信頼している信者にしか影響を及ぼせません。信者以外は不安になるだけです。これが、「Re: 堀江貴文オフィシャルブログ」で、僭越ながら1) 子供や孫にそのような世界を与えたいのかどうか議論する、と提案させていただいた理由です。

(日本国民全員を信者にすれば正しい結論を実行できるじゃないかと思う人がいるかも知れませんが、それは民主主義を生み出そうと王侯貴族を虐殺して、逆にナポレオン皇帝を生み出したフランス革命の失敗みたいなものです。社会自体としては成熟していません。)

「ホリエモン+対話=最強」説

私見を述べさせてもらえれば、あなたは「お金で買えないものはない」とテレビに華々しく登場した数年前からもずっと、ものすごい勢いで成長しているように見えます。検察に逮捕された挫折を含め、成長が加速しているのでしょう。受け取り手を意識した論理展開ができれば、最強です。出獄後、堀江さんを見守ってくれた信者は有り難かったことだろうと想像しますが、信者だけを対象にした言説は堀江さんをそこまでの人にしてしまいます。そこはあなたが活躍する場所ではないと気づいてください。

敗軍の将、兵を語る:「勝ってたら首相も見えた」、堀江貴文氏 - ニュース - nikkei BPnet
僕が見たところ、堀江さんが選挙に負けたのは相手の組織票が原因じゃないと思います。受け手を意識した発言ができてないだけです。「だって選挙は面倒くさいもん。」、「本当に政治家ってバカだな」。これが受け手にどのように伝わるか理解して、少し修正すれば、亀井さんにだってきっと勝てます。
みんな適当にdisるコメントつけてるだけだ。特に意味はない。ポジショントークなど高等なことは考えてないぞ。...(略)...それだけの人間なんだよ。君も僕も。
確かに堀江さんがブログで何をしようが自由です。でも堀江さんが学んだ国立東京大学は、国民の税金で運営されていて、日本最高峰の教授陣の給与も税金でまかなわれています。うちの家族・親戚は何世代も税金を払ってきたし、税金を払う日本人としてその頭脳に期待する権利はあります。なので最後に言わせてもらいます。

「私たちが堀江さんに期待するのは自由だ」

と。

このエントリに賛同して、堀江さんにTwitterでメッセージを伝えたい人は↓をクリックしてください。
このエントリについてホリエモンにつぶやく
.@takapon_jp 堀江さん期待してます RT @Sophie525 フランスの日々:ホリエモン進化論 http://mesetudesenfrance.blogspot.com/2010/02/blog-post_28.html」とつぶやかれます。

最後に

最後に、受け取り手の気持ちを考えないで発言してうまく行かないことは、頭のイイ人ですから堀江さんはよくわかってることだと思います。だからこそ、その部分には反論がなかったんだと思います。でも、立ち読みコーナー | 書籍案内 | 草思社で堀江さんの境遇を知りましたが、「受け取り手の気持ちを考えないで発言するから、嫁さんが逃げるんだよ」はさすがに笑って流せませんよね。この場を借りて謝罪します。ごめんなさい。
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Saint-Malo, France
ベーシック・インカムよりも怠け者同盟の社会 このエントリーを含むはてなブックマーク」のエントリに対して、堀江さんのブログで反論が来ていました。

ベーシックインカムについて批評してる面白いサイトを見つけたので突っ込んでみる。|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba

再反論はこの2日間でアップロードした以下のエントリで十分だと思うのですが、両方読むのも大変だと思うので、ざっと概要をまとめておこうと思います。おそらくは堀江さんはこの二つのエントリを読まずに、反論を書いたのだと思うのですが、僕の方では下の二つのエントリを堀江さんを念頭に書いていました。

ベーシック・インカムの議論が見えなくさせるもの

まず、堀江さんが高福祉・高負担の社会の議論を逸らすためにベーシック・インカムの議論を使っているのではないかとの疑念です。お金持ちなどで税金が重くなるのが嫌いな人は、大衆の注目を惹きつける革命的アイデアであるベーシック・インカムの議論が盛り上がってくれる方が望ましいのです。つまり、実現不可能かもしくは、実現に時間がかかる目標をデコイとして使って注目を集め、結局増税の話もうやむやにできるからです。さらに、ベーシック・インカムに賛成することで、自分は金持ちだけれども、ニートやヒキコモリ、打ちのめされて死ぬことばっかり考えている人 の事も考えている進歩的な人だぞ!とアピールできます。

なぜこんなことを思いついたかというと、堀江さんが相反する主張を連投していたからです。彼は、全員に8万円を配るため財源の不足が問題になるベーシック・インカムに賛成する傍ら、所得税増税には反対しています(一律分配なので分配コストが削減されるという議論もありますが)。これが、「ベーシック・インカムには賛成するけども、所得税の増税には反対といった人は少しおかしなことを言っています。ベーシック・インカムをデコイとして使っていないか、眉に唾を付けて聞いた方が良いでしょう。」と書いた理由です。
ベーシック・インカムと増税を同時に達成すれば賛成とか、細かい反論はあると思いますが、問題は受け取り手がどう思うかなのです。ポジション・トークだと思われれば、ベーシック・インカムは胡散臭い話になってしまいます。僕はベーシック・インカムを面白い話だと思っているこそ、そこが心配なのです。

社会問題の議論でポジショントークを避ける二つの方法

ポジション・トークだと思われれば議論が先に進みません。ポジション・トークは受け取り手が作る出すものなので、発言側はそれを見越して発言する必要があります。社会問題の議論でポジション・トークを回避する方法として、1) 子供や孫にそのような世界を与えたいのかどうか議論する、2)学生がそういう社会に住みたいかどうか議論する、を提案します。二つの方法と書きましたが、学生でも若者でもない堀江さんに提案できるのは1つだけです。
フランスで仕事が家族、余暇に次ぐ3番目の優先順位だからそういう感じが良いみたいに言っているが、ワーカホリックな私をはじめとした多くの人々に受け入れられるはずがない。そんなものを社会全体から強制されるなんぞまっぴらごめんである。
こういうふうに言ってしまうと、能力のある堀江さんがその世界で上層に行けることを確信しているからこそできる発言だと思われてしまいます。つまり、ポジション・トークと受け取られてしまうのです。1)で提案したように、子供や孫の世界を想定して語ってみてください。堀江さんほど優秀ではないかも知れない、ワーカホリックではないかも知れない、まだ未知数の子供や孫にもその世界が素晴らしいと言えるでしょうか?

自分が愛する子供や孫にも、そういう世界で生きてもらいたい!と、そういう論理展開だったら、納得する人も増えると思うのです。堀江さんには受け手側の気持ちをもう少し汲んで発言してもらいたいと願います。

最後に

このブログの作者はちょっとフランスかぶれ?らしくフランス礼賛的ニュアンスがいちいち気になる
ヨーロッパやアメリカでブログを書いている人は、その国にかぶれていると受け取られないように細心の注意を払っています。そうしないとかぶれていると決めつけられてしまうからです。そういった意味では、根拠なく主観でブログの印象を植え付けられる上の文言は、相手の主張の妥当性を弱められる効果的な文言だと感心します。これまではできるだけ論理的に書くようにしていましたが、こちらからもひとつだけ、主観で根拠なく印象を語ることが許されると思いますので、一言だけ言わせてもらいます。

「受け取り手の気持ちを考えないで発言するから、嫁さんが逃げるんだよ」

と。

最後に(バージョン2)

このブログの作者はちょっとフランスかぶれ?らしくフランス礼賛的ニュアンスがいちいち気になる
反論のエントリは、議論とは何の関係もない、根拠のない主観の先入観の植え付けから、文章がスタートしているのが残念ですね。そんなことをすれば、堀江さんを尊敬している読者は、どんなフランスかぶれしたやつが、どんな気持ち悪いことを書いているんだろうと言う先入観を持ってこのブログを見に来ることでしょう。より良い日本の社会を考えるために議論するのに、有害でしかない先入観の植え付けが有効だと分かれば、この先も堀江さんは弱小ブログに先入観を植え付けるために、この卑怯な手法を利用し続けるかも知れません。反撃のためにも同じぐらいナンセンスな根拠のない主観の例を挙げないといけませんね。なにか議論に全く関係ない卑怯でナンセンスな文言はないかな...wikipediaを調べて、っと、よし、これだ!

「受け取り手の気持ちを考えないで発言するから、嫁さんが逃げるんだよ」

っと。

追記
再反論をアップデートしました。
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Rennes, France
ベーシック・インカムよりも怠け者同盟の社会 このエントリーを含むはてなブックマーク」と「ベーシック・インカムの議論が見えなくさせるもの このエントリーを含むはてなブックマーク」と書いてきましたが、結局はみんなが自分の立場を良くするためにポジション・トークをしてるだけだと結論されそうなので、それを回避する方法を考えようと思います。

ニコニコ動画で行われたベーシック・インカムについての討論の参加者は、金持ち、社長、教授などでした。なので、「ベーシック・インカムの議論が見えなくさせるもの」で書いたように、金持ちが不可能なシステムを議論して大衆の目をそらさせているだけという解釈も可能になってしまいます。彼らが彼らの社会的地位を有利にするように、しゃべっているように聞こえてしまうからです。逆に、社会に打ちのめされて働く気力も無い人がどんなに悲惨な状況であるのか、訴えてくれればその方がベーシック・インカムに説得力を持たせられるでしょうか?そうは行かないでしょう。彼もまた自分が有利になるように、しゃべっているように見られてしまうからです。

税収の分配が金持ちから貧乏人に行われることを考えると、全員が合理的に発言してしまうと、「払う側の人は少なく払いたい、もらう側の方は多く貰いたい」という決まりきった結論しか出なくなってしまいます。例を挙げると、「ベーシック・インカムの議論が見えなくさせるもの」の論理を持ち出して、金持ちにベーシック・インカムを語る資格はないと言い切ってしまうのもフェアではないのです。なのでこのエントリでは、ポジション・トークの仕組みを分析して、それを回避する二つの方法を紹介しようと思います。

ポジション・トークは受け手が作り出すもの

ポジション・トークとは株式・為替・金利先物市場で、あるポジションを取っている投資家が自分を有利にするために発言することという語源なので、発言する側が作り出していると思われがちです。でも大抵の場合、社会問題の議論では発言する側があまりポジションを気にしていなくとも、受け取る側がポジションを気にします。

ベーシック・インカム以外の例で、例えば、ホリエモンの「積極移民やってみればいいじゃん、と私は思いますけど。やってみないとどうなるかわからんし。やる前から色々最悪ケースのことばかり考えてたら何も進まないよ。引用)」です。発言する側は色々考えて現状の打開策として提案しているかも知れません。しかし、受け取る方は「それは君が移民を使う方だからでしょ。移民と賃金競争しなければならない庶民はどうなるの?」と考えます。ちなみに、これは実際にフランスで起きたことです。高学歴のエリートは賃金を圧縮できる移民を歓迎し、大衆は低賃金の移民との競争による賃金の低下を恐れました。メディアでは「ポーランドから低賃金の配管工が来る」というようにセンセーショナルに報道されました(屈辱を受けたポーランドの反撃とかが面白いので、興味がある人はこちら→[書評] 大欧州の時代—ブリュッセルからの報告)。

もうひとつの例は、「恐慌が起こったら楽しそうだな」と言ったり、自身を混乱ラバーのと呼ぶChikirinさんです。普通の庶民は「大恐慌とか起こったら楽しそうだな〜なんて言えるのは、彼女が米国MBA帰りの外資コンサルタントできるぐらいの能力の持ち主だからでしょ」と思ってしまいます。でも彼女のブログを注意深く見ていると、明治維新の時に「戦が足り申さん」と言った西郷隆盛のように焦土の中から新生日本が立ち上がってくるヴィジョンを持っていたりするかも知れないのです。例えばこれとか→日本が次のステージに進めないワケ - Chikirinの日記 日本が次のステージに進めないワケ - Chikirinの日記

まとめると、ホリエモンやChikirinさんはポジションを意識して発言しているわけではなくて、受け取る側がポジション・トークと受け取っているという側面があります。

将来の息子・娘の視点に立って発言する

ポジション・トークを回避するには、発言者側が受け取り側に、自分のポジションによらず主張しているように見せなければなりません。そのための最初の提案は、自分の子供達や孫たちが生きる世界を想定することです。上の例では、「移民入れてみたら」とか「大恐慌楽しそう」とか言えるのは、彼らの能力ならばどんな社会でも上層に行けると思うから、皆がそれをポジション・トークだと思うわけです。これを自分の子供達もその社会で生きさせてあげたいという論理展開になっていたら違った受け取り方になると思うのです。

子供は親の能力を完璧に受け継ぐわけではありません。産んでみてもその子がかなり育つまで、その能力が未知数です。孫の場合にはさらにそうでしょう。上の例では、「自分の孫には移民がたくさんいる国にませてあげたい」、「大恐慌で世界が大混乱に陥っている時を楽しませてあげたい」というような論理展開だったら多くの人が納得できると思うのです。

若者・学生の立場で発言する

もう一つの提案は、手前味噌なのですが、若者が発言することです。学生のうちに発言しておくことです。若者は社会に出てから30年〜40年働きます。高級クラブでドン・ペリニヨンを飲みまくる夢を持っているかも知れません。大金持ちとなった自分が多額の税金を納め、弱者に施しをするのは嫌だと考えるかも知れません。ただ一方で、失職して生きる希望を失ってしまう不安も持っているかも知れません。立場の固まっていない若者は、最も公平な立場で発言できる立場だという印象を受け取り手に与えられます。

ポジション・トークを回避する議論でポジション・トークをするのもあれなので、詳しく書きませんが、社会問題の議論には、若者が参加すべきだと思います。

まとめ

ベーシック・インカムの議論に立ち戻ると、1) 大人は現在の地位を離れて子供や孫にそのような世界を与えたいのかどうか議論するか、2)学生がそういう社会に住みたいかどうかを発言して行けば良いことになります。

関連『フランスの移民政策について』:
関連『フランスのエリートと大衆について』:
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Quiberon, France
ベーシック・インカムよりも怠け者同盟の社会 このエントリーを含むはてなブックマーク」では、ベーシック・インカム論に対する違和感について書きました。理由は、1)最も現在の日本から遠い理論で極端に走っている気がする 2)ヨーロッパにおいて長い歴史を持つのになぜ実現されないか疑問、の二つでした。

それでも有名人がベーシック・インカムについて話し合う機会があるのはいいことだと思ってます。議論することによって現状の社会はやっぱりおかしいよねっていう問題点が明らかになるからです。討論では、まず参加者に賛成と反対を聞いていましたが、思考実験に参加することは良いことなので、当然みんな賛成でした。そんな会があったら僕だって賛成するかも知れません。でも、盛り上がりすぎた議論は積極的に反対しておいた方が良いかなと思うので、その辺について書いていこうと思います。

ベーシック・インカムの議論が盛り上がる方が望ましい人たち

ベーシック・インカムの議論は現状の問題を浮き彫りにします。しかし、その問題はベーシック・インカムでしか解決できないものでしょうか?全く新しい概念で社会を作り変えようとするアイデアなどではなく、信頼ある既存手法ではダメなのでしょうか。ヨーロッパなどに参考はありませんか。この点に関してベーシック・インカムの議論は問題があります。革命的な新しいアイデアで社会を変えるという花火が打ち上げられれば、誰でも目がそちらに行きます。つまり着実に効果がある既存手法が気に入らない人は、この花火を打ち上げることで大衆の目を逸らすことができます。皆がベーシック・インカムの議論に熱中すれば、目新しくも無い既存手法は忘れ去られるでしょう。ベーシック・インカムが大衆の目を逸らすデコイ(囮)に使われる可能性を考えなければなりません。

社会がお金を分配するときには、大きく分けて二つの方針があります。「政府がたくさんお金を徴収してたくさんお金を分配する方法(大きな政府)」と「政府は少しお金を集めて少なく分配する方法(小さな政府)」です。ベーシック・インカムはどちらかと言えば前者です(一律分配なので分配コストが削減されるという議論もありますが)。こういうふうに考えて行けば、ベーシック・インカムには賛成するけども、所得税の増税には反対といった人は少しおかしなことを言っています。ベーシック・インカムをデコイとして使っていないか、眉に唾を付けて聞いた方が良いでしょう。

つまり、お金持ちなどで税金が重くなる大きな政府が嫌いな人は、普通にやれば到達できない夢のシステム、ベーシック・インカムの議論が盛り上がってくれる方が望ましいのです。さらに、ベーシック・インカムに賛成することで、自分は金持ちだけれども、ニートやヒキコモリ、打ちのめされて死ぬことばっかり考えている人の事も考えている進歩的な人だぞ!とアピールできます。討論を見た感じこんなように腹黒く考えているように見える人はいませんでしたが、頭のイイ人はこれぐらいの計算を無意識下に行って、行動するぐらい効率の良い頭を持ってるかも知れませんからね。注意が必要です。

議論すること賛成、議論のしすぎに反対

無人島に行って肉を焼かなければいけないときに、まだ誰もチャレンジした事の無い未知の手法で火を起こそうとする人はいないでしょう。もうすでに先人が発見した方法を試すはずです。それと一緒で、未知の革命的アイデアにこだわる必要の無い局面だってあります。前のエントリでも、このエントリでも、「分配コスト削減、景気対策、ベンチャーの促進、労働者のモチベーションの変化」などなどベーシック・インカムの細かな利点・欠点については意図的に触れてきませんでした。それは、今日本がやらないければいけないことは、未知の手法の開発ではないからです。いわば大方針としてその方向じゃないと思ったからです。

ベーシック・インカムは面白い話だと思っています。だからベーシック・インカムに反対したいわけじゃないんです。だからベーシック・インカムの欠点や批判しませんし、実現可能性を攻撃たりしません。大方針を決めるならそっちじゃないと言っているだけなんです。大方針は、「過剰な競争をやめてみませんか」っていう方針を取りたいです→怠け者同盟の社会の中で輝きを取り戻す日本 このエントリーを含むはてなブックマーク

追記:
コメントにもありますが、ベーシック・インカムって小さな政府だと思っている人もいますね。確かに税収を管理する政府機能は小さくなりますが、税の徴収は大きくなりますよね。小さな政府=低福祉・低負担大きな政府=高福祉・高負担だとするとベーシック・インカムは大きな政府って事になると思うのですが、どちらなんでしょう。とにかく論旨は変わりませんが、わかりにくい人は太字のように読み替えてください(参考wikipedia:小さな政府大きな政府)。

追記2:
ポジション・トークだよねって思われそうなので、それを避ける方法を考えてみました→社会問題の議論でポジショントークを避ける二つの方法 このエントリーを含むはてなブックマーク
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Loire, France
ベーシック・インカムについての討論がニコニコ動画で開催され、深夜から始めたにもかかわらず、47,972人の視聴者があったそうです。僕自身は、「労働に対する社会の仕組みを試験に例える」に書いた通り、ベーシック・インカムを「正直、考えるだけ無駄か、思考実験ぐらいの代物だ」と思っているので、少し書いていきます。討論の方は時間がなくて最初の30分ぐらいしか見れなかったので、いろいろ抜けてるかも知れません。

ベーシックインカムは、政府が全ての国民に対して毎月最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金(5万円~8万円程度)を無条件で支給するという構想(wikipedia)です。解決する問題としては、貧困対策、少子化対策、地方の活性化、社会保障制度の簡素化、行政コストの削減、景気回復、余暇の充実、非正規雇用問題の緩和などがありますが、もっとも大きな論点は労働の価値を再評価する部分だと思います。労働の価値に絞って考えていきます。僕がベーシック・インカムが日本で盛り上がっていることに対する違和感は、まずベーシック・インカムが最も現在の日本から遠い理論のように思われるというものと、ヨーロッパにおいて長い歴史を持つベーシック・インカムが、なぜ実現されていないかという疑問から来ています。

「労働は最重要」と「労働は無価値」の両極端

僕が見ていた最初の30分では出演者がそもそも労働が尊いものだという価値観が問題であると述べていました。それでも、労働に価値があると思い込んでいるのは幻想だというのは言いすぎな気がするのです。確かに今の日本は労働の美徳が強すぎて苦しんでいる人が多いのは感じます。新卒で手に入れた職を手放してしまえば、レールをはずれ普通の生活すらできないような状況は問題です。家族や自由時間を犠牲にしても仕事を完遂することが最優先という価値観が、労働は無価値という価値観に取って代わられるのは極端です。

フランスはその点なかなかいい塩梅です。人によると思いますが、だいたい労働は家族、趣味に次ぐ3番目といったところです。駅の改札は壊れていれば担当者がやる気になるまで2,3日は直りませんし、エスカレータもしょっちゅう止まっています。修復の担当者が家族より趣味より仕事を優先していないことの証左でしょう(そしてそれが認められていることも)。僕がフランスに来たのは24歳のときで、同年代のフランス人は失業している人がたくさんいても普通でした(25%ぐらい)。仕事がないのは社会の問題で、個人的な問題じゃないと考えているのです。パーティでビールを飲みながら、失業保険ももらえてるし、仕事が見つかるまで日本語も勉強しているとか言ってました。

日本の場合は「労働は最重要」から「労働は無価値」へとワープするのではなく、労働の価値を少し下げるところから始めたほうがいいのではないでしょうか。一応それでやってるヨーロッパの例があるのですし。日本でベーシック・インカム論が盛り上がっているのを見ると極端に走っているような気がしてしまいます。

ヨーロッパは参考になる

かぶれていると思われるかもしれませんが、僕はフランスの人たちが一生懸命考えて出した答えを信頼しています。「センター入試とバカロレアに見る日仏の違い このエントリーを含むはてなブックマーク」でも書きましたが、彼らは答えのない問題に対して、執拗にねちっこく思考力を回転させます。フランスの宗教問題や、ストライキの問題、結婚に対する考え方などなど、彼らが出した回答は日本から見るとへんてこなものに見えますが、背景を知るとなかなか妥当なものだと感じます。同じ人間が苦しみながら考え抜いた答えは、多くの場合日本の状況に対しても参考になるのです。

なので、少なくともヨーロッパにおいて200年もの歴史のあるベーシック・インカムが実現されていない事実は重く受け止める必要があると思うのです。日本が世界に先駆けてベーシック・インカムを導入するなら、ヨーロッパで実現されないのは何がネックになっていて、それが日本ではどのように解決されるのか、しっかりした理論が必要だと思います。それと合わせて、実現するにあたって、世界に先駆けてベーシック・インカムを成功させた国は、後に続く国々のためにしっかりした理念を構築する必要もあるはずです。世界に先駆けて王政をを打ち倒して民主主義を成功させたフランスは、自由・平等・友愛からなる理念を構築し、民主主義を世界に波及させました。ベーシック・インカムでも「やってみたらできました」では追従する国は少ないでしょう。

ベーシック・インカムは思考実験用

討論では出演者がベーシック・インカムに対して賛成か反対かを表明するところから始まりました。討論の出演者の全てが賛成だったのも、ベーシック・インカムが思考実験用であることを表しているように思います。つまり、ベーシック・インカムは先進国では実現された例がなく、やってみないと成功するかわかりません。全く新しい概念で社会を作り変えようとするアイデアなので、反対するにしても実現可能性が低いとか、嫌なことが起こりそうとかいった反対では意味がありません。むしろ思考してみて、現在の問題点をあぶり出すように使うのが良いと思います。そうすると以下のように面白いアイデアがどんどん出てきます。これぞ、思考実験のための上手い問いという感じです。
ベーシック・インカムは問い自体に意味があるのであって、実行はむしろどうでも良いと思います。反論するなら実現可能性や副作用を攻撃するのではなく、対案を出すのがいいのではないでしょうか。個人的にはこっちのほうがいいかなと思ったり→怠け者同盟の社会の中で輝きを取り戻す日本 このエントリーを含むはてなブックマーク

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このエントリのフォローアップです。実はホリエモンを想定して書きました→ベーシック・インカムの議論が見えなくさせるもの このエントリーを含むはてなブックマーク
さらにフォローです。ホリエモンの例も出してます→社会問題の議論でポジショントークを避ける二つの方法 このエントリーを含むはてなブックマーク
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追記:ホリエモンへの返答を書きました。
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Paris, France
フランスで将来リーダーになる運命を感じて成長する人たち このエントリーを含むはてなブックマーク」に書いたように、上位のグランゼコールに入学すると将来のリーダー候補になり、それ以外の人は、お気楽な人生を歩むことになります。必然的にその区別は厳格なものになります。これがフランスの憲法前文に定められたモットーである「自由、平等、友愛」と相反するのではないかという疑問もあると思います(フランス憲法前文に「本共和国のモットーは自由、平等、友愛である(La devise de la République est « Liberté, Égalité, Fraternité »)」と定められていま。)。

努力してもエリートと同じ道を歩めない大衆、共和国の定める平等の理念との対立など、どのように折り合いを付けているのか長い間疑問でしたが、エリート主導型社会は大衆に支持されて維持されていることがわかってきたので、紹介します。

平等を求めるフランス

まず、フランスの理想とは国民が平等であることです。憲法の前文の第一言目には「フランスとは〜」とフランスを定義するところから始まります。議論好きのフランス人が定義するだけあって、この2文はかなりの包括的にフランスを定義しています。本ブログのおすすめの書「[書評] 日本とフランス 二つの民主主義」では、憲法の第一言目に平等を謳っているフランスでは、平等自由に優越していると結論しています。例を挙げると、小学校で宗教的シンボルを身につける自由よりも、それを禁止して生徒を平等なフランス市民として教育することを選びます。また、経済では資本家がより自由に活動して経済的利益を上げることよりも、ストライキによる従業員の要求の方が重要視されます。資本家も従業員もどちらも市民であるという、市民の平等を求めているわけです。
Constitution de la République française
(フランス共和国憲法 前文第一条)

La France est une République indivisible, laïque, démocratique et sociale. Elle assure l’égalité devant la loi de tous les citoyens sans distinction d’origine, de race ou de religion.
フランスは、非宗教的、民主的、社会的な、分割し得ない共和国である。フランスは、生まれ、人種、宗教の区別なしに、すべての市民に対して法の下での平等を保障する。

エリート教育に対する批判

フランスで教育改革が話題になるときに、必ず槍玉に上げられるのはグランゼコールです。批判対象としては、卒業生の質に対する批判、教育内容に関する批判、入学試験に対する批判などいろいろあります。まず、エリート意識に対する批判です。
パリ郊外の暴動のこと - パリからはてな日記
グランゼコール出身じゃない人は、グランゼコールと聞いただけで、一様に、ガリ勉で偉そうでプライドが高くてと批判する。
また、批判精神の旺盛な(悪口の得意な)フランス人のこと、いろいろな言われようです。人工知能学会誌に投稿された「理科系の国フランス : INRIA滞在記(グローバル・アイ)」では以下のようにあります。
フランス人はおしなべて口が悪いので, たいていの場合「プレパが終わると勉強なんてしやしない」だとか,「将来マネージャになるのにマネジメントの勉強がなくて数学ばかりしている」だとか,卒業生までが一緒になって(自嘲も含めて)批判の大合唱となり,なかなか旗色が悪い.
いろいろな批判の中でも、一番大きな批判は、はやりエリートと庶民の格差に対する批判でしょう。エリートの養成に教育資源(予算、先生)をつぎ込めば、それ以外の教育の質が低下するのは、明白です。フランス人による記事「報道されないフランスの真実(1)」では以下のように書かれています。
フランスにおける教育制度の現状は ...(略)... 徹底的に競争主義を採用しているグランゼコール(高等専門教育機関)という<勝ち組>と、ボロい施設ばかりの(特に文系)大学という<負け組>という図式からなっています。
また、報道されないフランスの真実(2)では、フランス憲法の標語は嘘っぱちとすら述べられています。
少し大げさだが、15歳からちゃんと勉強しないと、負け組になるということである。こうした教育の実情を知れば、フランスの標語である「自由、平等、友愛」など大嘘であるようにしか思えない。
2007年のフランス大統領選挙で非グランゼコール出身のサルコジ氏が、グランゼコール出身のロワイヤル氏を破った事例も、この文脈の中で説明されるケースも有ります。

エリートは大衆の投資の上に成り立つ

それでは、ここまで批判を集めるグランゼコールの教育がなくならない理由はなんでしょうか?まず思いつく答えは、グランゼコールのエリートが権力を握るからグランゼコールのエリート教育が無くならないという理由です。内田樹の研究室: la nuit violente en Franceでも「「文化資本」と「家柄」によって構築された「強者たちのネットワーク」が権力、情報、財貨の占有を可能にしている」と言っています。

これは当たっているとは思いますが、一方で選挙でエリートが当選し、サルコジ氏以外の大統領もグランゼコール出身ばかりだという点を説明しにくいと思います。そもそも、フランス共和国は王侯貴族をギロチンで大量処刑にして誕生した国です。大衆によってエリートが不必要であるとみなされれば、現在ではギロチンは持ち出さないでしょうが、エリート達を社会的に抹殺するぐらいのことはやりかねません。エリート主導型社会の維持には大衆の支持が欠かせないのです。

大衆の支持を説明するには大衆の願いを知る必要があります。フランスにおいては大衆の願いとは「気ままに暮らしたい」というものではないでしょうか。ただし皆が気ままに暮らしてしまうと、フランス産業の国際的競争力は低下し、フランスが貧しくなってしまいます。ここで、気ままな大衆を強力に牽引するエリートが必要になってきます。フランスのエンジニアは社会的地位が高い このエントリーを含むはてなブックマークでは
  • フランスではリーダーが全てを決定し、庶民はリーダーの指示通りに働く
  • 日本ではフランスと比べると全員の能力が均一で、庶民が猛烈に働く
と書きましたが、同じ文脈で、新幹線と世界最速を競うフランス高速鉄道のTGVの設計思想は非常に示唆的です。TGVは先頭車両に動力が積まれ、それ以外の非動力車を牽引します(動力集中方式 - Wikipedia)。反対に新幹線は全ての車両が動力を持つことで、高速運行を可能にしているそうです(動力分散方式 - Wikipedia)。エリートに資源を集中させて気ままな大衆を牽引する方式と、全員が懸命に働く方式は採用されている国の形態を表しているようの思われるのです。

フランスの教育においてエリート養成により多くの資源を割くという選択が、大衆の願いによって選択されているのです。大衆はエリート養成に投資し、その投資利益として気ままな人生を享受することができます。この方式がフランスの平等の理念と矛盾しているかどうかは、終わらない議論なんだと思います。どんな社会でも人間が作る社会で理想と現実が一致することは稀なことだからです。

エントリと関連する補足
エリート教育が大衆の投資だとする観点からすれば、エリートが知識と知恵を大衆のために使わず、自身の栄達のためだけに使うことは許しがたいことです。これがノブレス・オブリージュ(貴族の義務)と呼ばれるものです(詳細は→[書評] エリートのつくり方―グランド・ゼコールの社会学)。

エントリと関連する感想
気ままに暮らしたいと思う大衆が、「自分が怠けたいから他国も怠けてくれないかな〜」と願い、作り出した論理の結晶が怠け者同盟の社会は人類の未来で述べた「エネルギー資源、人的資源、労働時間などの資源を投入して経済的利益を上げる競争を抑制して、節約した資源を本当に社会と個人を「幸福」にする要素に振り分ける社会」という論理です。個人的な願いを否定し難い人類普遍の論理へと高めるフランスはすごいなーと感じます(色んな意味で)。

関連
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Avignon, France
昨年末に色々なブログで「輝きのある日本へ」、「輝きを取り戻すために」というキーワードが上がっていたのでなんだろうかと思っていたら、元ネタは年末に閣議決定され公開された新成長戦略(基本方針)〜輝きのある日本へ〜」だったようです。これを読んでいたら本ブログで「怠け者同盟の社会」とかを書いていたときに書き残していたエントリを思い出しました。「怠け者同盟の社会の中の日本」というタイトルで書こうと思っていたのですが、想像する日本の未来のイメージを上手く伝えられるか自信がなくて延び延びになってしまっていました。

「新成長戦略」は33ページにまとまっていて、読みやすく意味はわかりやすいのですが、日本の未来のイメージが伝わってきません。本物のリーダーですらそうなのですから、このブログで多少伝わりにくくてもしょうがないと思った次第。怠け者同盟の社会が到来した日本の姿を想像で書いていこうと思います。一応、「怠け者同盟の社会」の完結編です。

怠け者同盟の社会は新時代の常識になる

時間が経ってしまったので、あらすじをおさらいしようと思います。怠け者同盟の社会とは、エネルギー資源、人的資源、労働時間などの資源を投入して経済的利益を上げる競争を抑制して、節約した資源を本当に社会と個人を「幸福」にする要素に振り分ける社会です(1章)。この社会がグローバル社会で敗北しないために取っている戦略が、1.怠け者同盟の拡大と2.同盟の論理の構築でした(2章)。3章、4章ではそれぞれ、フランスと日本が取っている(取るべき)戦略についても分析しています。

第1章 怠け者同盟の社会は人類の未来
第2章 怠け者同盟の社会が働き者の社会に対抗する手段
第3章 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中のフランス
第4章 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中の日本

日本人はまず、そうは言っても覇権を握るアメリカや台頭する中国、インド、中南米が反対すればそんな社会は出来ないと考えがちです。でもこれはそういった話ではないのです。2章で対抗する手段として述べた、怠け者同盟の拡大と同盟の論理の構築は、この怠け者同盟の社会を新時代の常識にする試みです。要は、「強い者が弱い者を殴って金を奪ってはいけない」とか、「強い国が弱い国を銃で脅して土地を奪ってはいけない」といった皆で共有されるコンセンサスに、「働きすぎて無用な競争を創りだすのは人類を不幸にする悪である」という命題を加えるようなものです。そういった新時代の常識ができれば、例え大国や台頭する国でも従わなければなりません。そうでなければ非道徳として非難されます(世の中には強いものが殴らなくともお金を奪う方法や、強い国が銃を使わなくても収奪できる方法もあって悩ましいですが)。

本ブログの結論は、将来的には日本もこの怠け者同盟の社会に合流するのが吉だというものです。以下は、そのときに日本がどんな感じになるか想像します。

新ルールを理解し迅速に転換する日本

4章の「実利重視の日本、思想から自由な日本」で「日本は思想から自由なために、一度コンセンサスを得れば、その時代のルールに則って実利本位で自由に社会を改革することが可能な強みがあります」と書きましたが、ルールを理解して大転換ののち、優秀なプレイヤーとして戻ってくるシナリオです。戦前の植民地獲得競争ルール、戦後の自由主義的な市場経済ルールと、当初は下位から始まり大転換ののち優秀なプレイヤーになったようになると想像します。

先の植民地獲得競争ルールと、自由主義的な市場経済ルールは日本人の勤勉さは何よりの武器でした。しかし、今度の怠け者同盟の社会という新ルールではその勤勉さが封じられます。「勤勉は悪」の世界で、日本はどのような未来を描けばいいのでしょうか?日本はおそらく新ルールを理解し自分自身を変えるのではないかと思います。仕事上の勤勉さは封印し、同じ性格が仕事後の趣味に対するコダワリ凝り性に転化するのではないでしょうか。そしてそれが、新時代での日本の成功を約束すると考えます。もちろんここで言う「成功」は現在の日本人が想像するような、しゃかりきに働きながらアメリカに追いつき、台頭する中国、インド、南米の追い上げを封じ込めるようなことではありません。怠け者同盟の社会とはそういった競争がもたらす害悪を除く試みなのですから。以下そのあたりを解説していこうと思います。

余暇が増えれば日本人の想像力と創造力がさらに解放される

フランスが思う日本像といえば、経済の不調、少子高齢化、新興国の台頭などの問題に有効な対策が打てない衰退途中にある国というものの他にも、肯定的な見方もあります。それは、伝統や文化を重んじる反面、ロボットや通信などの最新テクノロジーをいち早く取り入れ、マンガやアニメ、ゲーム、カラオケなどの楽しい娯楽が満載な国というイメージです。こういったイメージも単にフランス人の幻想などではなく、日本の一面を表していると思います([まとめ] フランスと海外のマンガ人気)。

自分が楽しいと思うものを、なんと言われようと貪欲に楽しむ力と言えるかもしれません。それが存在しないなら自分で作ったり、周りに理解されなくとも自分なりのこだわりを持って収集したりする性格も感じます。フランスで人気のある娯楽として、サッカー、サイクリング、スキー、園芸、料理、ワイン、チーズなどなど権威が確立していたり、周りの理解を得られるものが趣味として選択される傾向とは違うように思われるのです。なんの役にも立たなくとも、自分が面白いと思うものにとことん想像力創造力を投入していく様子は独特の感覚なのではないでしょうか。手間の割に大して儲かるわけでもないのに、コミケに自作のコミックを出展するのは、書きたい、見てもらいたい、楽しんでもらいたいという自分の中の楽しさを追求した結果のように思われます。

同じようなことは、ニコニコ動画や2ちゃんねるの「才能の無駄使い」を見ていても感じます。右の図は「みんながもってるエロ画像でこれ再現できないかな?? あんか〜びっぷ」から持ってきたのですが、「これで面白いもの出来ないかな」と発想して、報酬も手柄も無いのにただ面白いと言うだけで、皆でよってたかって、すごく面白いものが出来ることに感動します。

次の写真は説明不要の有名な画像で「歴史的な画像を貼ってゆくスレ 無題のドキュメント」から取ってきました。第二次世界大戦が終わったときの歴史的な写真です。戦勝国のフランスでも学校の社会の時間などで、よく見せられる写真なのではないでしょうか。戦争の忌まわしい記憶と終戦の喜びが混じった空気が流れることと思います。しかし、2ちゃんねるでは誰かがこの写真を見て、数秒後に「左の人がブラジャーかぶっているようにしか見えない」と言います。これを授業中に指摘すれば、間違いなくクラスの人気者になれると思いますw。

怠け者同盟の社会が本格的に到来し、日本人の余暇が増えれば何が起こるでしょうか?午後五時に帰宅後、今の日本からすれば有り余るほどの時間が手に入ります。マンガを消費する人口、ゲームを消費する人口、ニコニコ動画、2ちゃんねるを閲覧する人口は間違いなく増えるでしょう。娯楽を消費する人口の裾野が広がれば、制作する側のモチベーションも上がります。閲覧する人口のうち何割かは自分で製作しようと考えるかもしれません。労働の拘束時間が長い今の日本で、こんなに面白いものが生まれるならば、フランス人のように毎日午後5時、6時に帰れて長期のバカンスが取れたらどんなにトンデモナイ面白いものが生まれるでしょうか、想像しないわけにはいきません。

まとめ

怠け者同盟の社会の中の日本を想像したときに、頭に浮かんできた光景は、社会の競争の抑制によって、体力、時間の資源の消耗を節約した日本人が、それらの資源を使ってどんどん幸せになっている光景でした。仕事は定時で帰って、家族団らんし、著名な文学作品を読んで感性を養い、楽しいことに夢中になっている姿でした。世界ではユニークな想像力と創造力を投入して制作したコンテンツが、それに受け取った世界の人々の中で評判になり、作り手も受け取り側も楽しく幸福になっている姿です。

ここまで読んだ方は、このエントリがなかなか書けなかった理由もわかったのではないでしょうか。楽観的すぎてノーテンキで馬鹿だと思われそうというのもあります。現状認識とかけ離れすぎて、荒唐無稽だと思われそうというのもあります。この辺りは、「もうそろそろ日本はもうダメだと言わなくてもよい」の最後で書いていたことと同じです。子供の頃に未来だった21世紀も最初の10年が終わりました。そして来世紀は22世紀からやってくるドラえもんの世界です。次の10年の始まりに、もう少し突拍子も無いことを想像しても良いのではないかと思った次第です。

関連:
  1. 怠け者同盟の社会のまとめ
  2. 怠け者同盟の社会は人類の未来
  3. 怠け者同盟の社会が働き者の社会に対抗する手段
  4. 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中のフランス
  5. 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中の日本
  6. 怠け者同盟の社会の中で輝きを取り戻す日本(本エントリ)
  7. 自由のスパイラルから脱出を目指す怠け者同盟
  8. 労働に対する社会の仕組みを試験に例える
  9. ベーシック・インカムよりも怠け者同盟の社会 このエントリーを含むはてなブックマーク
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Provins, France
フランスの移民政策は失敗だったと結論づけられることがあります。夜間外出禁止令が発令された2005年パリ郊外暴動事件など移民関係の問題が山積しているからです。僕も渡仏するまでは、フランス人は自国に誇りを持ってそうだし、プライド高そうだし、他文化を許容することができないのかな、なんて考えてました。それは、まったく違っていて、フランス人は他文化にかなり寛容なことが分かってきました。

フランス人の中には、白人の他にも黒人、アラブ系、アジア系、南米系など様々な人たちがいます。職場では彼らと留学生が混じり合って仕事をしていますが、フランス人とそれ以外を隔てる壁を感じることは少ないです。フランスは人種や文化の交流がうまくいっている国だと感じます。いろいろな肌の色や髪の色の子が、物心ついた頃から学校や公園で一緒に遊んでいるのを見ると次世代はもっとうまくいくんだろうと、想像できます。

日本の移民問題で、フランスの移民政策の失敗を教訓に日本は移民をやめた方が良いという論調もありますが、これは全く違います。日本とフランスの置かれている状態が全く違うからです。日本がフランスのように移民政策をとったら、フランスの成功(失敗?)レベルまで達しないは明白です。

他国のニュースは深いところまで伝わらない

実際に暮らしてみた感想とニュースで伝わるフランスの姿が一致しないのには、他国のニュースが深いところまで伝わらないことが挙げられます。実際にフランスで暮らしていると、フランスの移民政策は成功しそうだという感触が伝わってきます。しかし日本のニュースでは全く違った印象で伝えられました。例えば、下の書では2005年パリ郊外暴動事件の発生した現場を見物に行った著者が以下のように書いています。
[書評] 日本とフランス 二つの民主主義
実際、危険も恐怖も何もなかった。私自身はごく普通に過ごしていたし、当のフランス人たちもまた、少なくともそのほとんどは、ごく普通に生活していたと思われる。しかし、日本の家族や友人からの電話やメールに、私は大いに驚かされた。日本での報道を見た人々は、フランス全土がまるで混迷するイラク顔負けの内戦状態にでも陥っているかのような印象を受けたらしいのだ。(p. 180)
このときは1が月半ぐらい続き、車はたくさん燃えたらしいのですが、人への攻撃はなかったそうです(老人が群衆に巻き込まれてなくなったそうですが)。事件が移民政策の現状を表しているのは確かなので、社会学者は詳細に分析するでしょうが、多くの一般人には大したことじゃないというのが、感想だと思います。

また、日本の大したことがないニュースが拡大されてフランスに伝わることがあります。2006年の大雪では転落事故などで1ヶ月で50人が亡くなりました(ニュース)。このときフランスでは除雪作業のための自衛隊派遣など検討することが伝わり、日本にいるフランス人の家族からは心配の連絡が入ったそうです。実際には関東にはうっすらと雪が積もるくらいで危険も恐怖もなかったのです。

文化が混ざり合ってできた国、フランス

フランスが他文化に寛容なのは、フランスは欧州大陸の中央部にあり、昔から文化の交流が盛んだったからでしょう。紀元前から、ローマ人、ガリア人、ゲルマン人との混血が進んできました。「ローマ帝国の支配に組み込まれたガリア諸部族はローマへの同化が進み(ガロ・ローマ文化)、やがてゲルマン人とも混血が進んで、後のフランク王国・フランスを形成していった。wikipedia)」。また、フランス共和国という国民国家が成立したときにも、ほとんどイタリアだったニースや、ほとんどドイツのようなアルザス、独立していたブルターニュなどを版図に組み込んでいます。それぞれが別の言語(パトワ、方言みたいなもの)でしゃべっていたため、時には標準フランス語をしゃべるように強制されたりしました。なんと、この100年で5分の4の人が言語をフランス語に変えたそうです。
[書評] フランス三昧
フランスはヨーロッパで、いやおそらくは世界で唯一の、この一〇〇年以来人口の五分の四が言語を変えた国である。(P.163)
植民地との文化の混ざり合いなど、異文化交流には日本の状況では考えられないほどの量と期間が費やされています。フランス、あるいは多くの欧州では、ある日突然、生まれも育ちも考え方も違う隣人が来るという場面が繰り返されてきたのです。こういった交流の中から醸成された他文化と共生する空気は移民に心地良い物だと考えられます。

移民問題は試行錯誤の連続

移民問題は成功したらそれでおしまい、失敗したらそれでおしまい、ではありません。長い努力の上に少しずつ良い形を作っていくような物です。そう言った意味では、他国の移民政策を成功・失敗と言い切ってしまうのは移民問題をよく分かっていないと思います。

移民は違う人種、背景、宗教、考え方の人間が同じ場所で生活することになります。人間で例えるなら移民問題は結婚のような物ではないかと思います。どちらも「育ってきた環境が違うから〜好き嫌いは否めない〜」と言うように、誰もが順調じゃないことを予想して、それでもお互いに理解し合いたいというように考えます。結婚を死別や離婚などの結果が出る前の過程の状態で、成功だった、失敗だったと結論することに意味はありません。喧嘩して上手くいってないように見えても、理解し合うための過程であるかも知れないのです。同じように移民政策でも、問題が表面化しても、それが上手くいくための過程であることもあるのです。

まとめ

日本ではフランスの移民政策は失敗と位置づけられますが、住んだ感想でフランスの移民政策は成功しつつあると確信しています。確かに問題はたくさんありますが、成功するまでの過程に過ぎないと感じます。フランス人だったら必ず解決できるに違いありません。フランスには紀元前からの文化交流の歴史があり、不和や対立を経て醸成されてきた他文化理解の空気が存在します。この点は日本とは全く違うところです。「フランスのように失敗するから」日本は移民をやめた方がいいのではなくて、「フランスほど上手くできないから」とした方が実情にあうと思います。

(日本の移民についてはまたの機会に)
追加
書きました。

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Paris, France
フランスは18歳の時の入学試験で優秀な成績を収めたグランゼコール出身のエリートが社会を主導しています。対する日本は社会に出てからもほぼ平等な立場でリーダーの地位を目指して競争します。これに関して、日本は誰もが競争を降りることなく、希望を持って上位を目指せる環境があるから、全員が辛くなってしまうという趣旨のエントリがありました。

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しかし一定の年齢で、たとえばイギリスやフランスに生まれていれば小学校の終わりくらいで、「自分にはオックスブリッジやグランゼコールにいって、エリートキャリアを手に入れて、高給が約束された職業を得るのは無理だ」とわかる。
確かにフランスは18歳で上位のグランゼコールに入学すると将来のリーダー候補になり、それ以外の人は、お気楽な人生を歩むことになります。つまり、このシステムは18歳以降の順位を固定し、大器晩成を否定するシステムです。このようなシステムが日本でも受け入られるとは思いませんが、希望を持って上位を目指せる環境が全員を辛くしているというのは、あるような気がします。

このエントリでは、一般のフランス人がどんなにお気楽に幸せに過ごしているかではなく、フランスのシステムが作るエリート達について日本と比べてみていこうと思います。

人を統率することだけに特化して成長する人たち

多くの人が早めに人生を諦めることになるフランスのシステムはリーダーの資質を高めることに寄与します。18歳で上位のグランゼコールに入学すると将来リーダーになることが保証され、会社などでもリーダーになることに関係しない面倒な仕事は彼らに与えられることはありません。彼らは短期の仕事に煩わされることなく、一般の人たちよりもより遠くの未来を見通すことを自らの使命とします。彼らは将来、未来に対するビジョンを持ったリーダーになることを目的に据えて成長していきます。そして、それを周りの人からも求められているのです。

日本ではリーダーとなる人物に未来に対するビジョンが欠けていると嘆かれています。日本のシステムでは、皆が平等に競争を行うため、将来リーダーになる人にも平等に仕事を与えられます。将来リーダーになる人も平等に短期の仕事に煩わされることになるのです。そして人の抜きに出る業績で社長のイスまでたどり着いたあとに、初めて人よりも遠くの未来を見通すことを求められてしまいます。これでは、未来に対するビジョンに欠けているのも頷けます。

フランスと日本のリーダーの違いは、20歳の頃から遠く未来を見通すことだけを使命として成長してきた者と、短期の仕事をやっつけることに血道を上げてきてリーダーになった瞬間に初めてビジョンを語ることを余儀なくされる者の違いです。

グランゼコール出身者

大衆を教育するための大学とは違い、グランゼコールは少数精鋭の教育方針でリーダーとなる者を教育します(例えば、ポリテクニークは一学年フランス人400人、外国人100人ほど)。よって、ほとんどのリーダーはグランゼコール出身となります。日仏経済情報によると”フランスの上位200社の大企業では、社長の50%はENAと ポリテクニークの出身者で、エコール・デ・ミーヌや ポン・エ・ショセなどを含めると実に3分の2の企業経営のトップがこれらの官僚の出身者で占められている”そうです。

ビジョンを示すリーダーとして日本でも有名なカルロス・ゴーン氏やジャック・アタリ氏もグランゼコール出身です。ゴーン氏はミシュラン入社から3年目(27歳)で工場長、入社7年目(31歳)でブラジル・ミシュランの社長、入社11年目(35歳)で北米子会社の社長とCEOという出世をしています。まさに人を統べるためだけのキャリアといえます。

アタリ氏がミッテラン大統領の大統領補佐官になったときは38歳でした。「[書評] 21世紀の歴史——未来の人類から見た世界」を読めばわかりますが、未来への洞察力をひたすら磨いてきた人だと言うことがわかります。

(たいていの口の悪いフランス人にとってはグランゼコール出身者は悪口の対象となります。入学したら勉強なんてしないよとか、高級官僚の天下りのことをPantoufles(上履き)などと揶揄したりします。汚い地面に足をつけずに心地よい上履きのイメージでしょうか。)

彼らはとても人当たりが良い

人を統率するためだけの教育を受けてきた人に接するのは難しそうだと思いがちが、そうではないと感じています。僕がお世話になっている先生達の中には、まさにこういったキャリアを歩んできている人たちがいますが、彼らは例外なく誰に対しても快く接することができる人物だと感じます。

ミーティングなどでは、論理的に自然に議論を主導していきます。また、工学の先生なのに歴史や文化への造詣が深く、雑談の折に触れて若い学生にも基礎から語ってくれたりします。うちのチームは学生から教授まで全て、親しい者に対する「あなた」を意味するtuを使って会話していますが(普通は目上の者に対する「あなた」はvous)、工学の議論でもいつでも対等な立場で議論しているような印象を与えています。

出張でこの教授と長く2人の時間があったときは、事前にそれなりに緊張していましたが、実際はすごく楽しい時間を過ごせました。日本とフランスの比較などで僕の意見を熱心に聞いてくれたり、自説を披露したりしてくれただけでなく、家族構成や家族の歴史なども話し合うことができ、親しい感じの印象を与えてくれます。また、わからないことがあったり、確信が持てないことがあったりすると、自然な感じで僕の意見を求めてくれたりします。

理念をもって、誰よりも遠い未来への洞察を求めて、人の上に立つ運命を感じながら成長して、余裕がある人物がこういう風になるんだなという風に感じています。
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