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戦争で読む「ローマ帝国史」 建国から滅亡に至る63の戦い (PHP文庫)小さな羊飼いの集落から、地中海世界を制覇する古代の超大国にのし上がっていったローマ帝国の歴史を戦争を通じて解説している本です。”ローマ期とは神話時代である紀元前八世紀から、西ローマ帝国の滅亡する起源五世紀までの1200年余りにかけて(p.3)”のことです。友人に「塩野七生『ローマ人の物語』|単行本|新潮社」を勧められたのですが、時間が無くて読めず、一冊で完結する本書を購入しました。「ハンニバル」、「カエサル」、「クレオパトラ」といった歴史上の人物が織り成す物語を再確認できたのは、楽しかったです。

現在のEU各国のうち、ドイツの一部を除いてほとんどがローマの版図に組み入れられていました。そればかりか、トルコや地中海を挟んだ北アフリカも版図に組み入れています。ヨーロッパ諸国がある程度、文化と歴史を共有する元となりました。120年時点のローマ帝国の版図が最大になった時の地図を張っておきます。この頃の皇帝は、五賢帝と呼ばれています。
読んでみて、ローマは最強の帝国だった時でもちょくちょく戦争に負けていたんだな、と知りました。対戦相手の戦象のあまりの大きさに慌てふためいて、何度もやられたり、皇帝自らが戦いで敗死したり、とらわれて相手側のリーダーの奴隷にされたりと順風満帆ではありません。それでも総合的に見ればローマ帝国はその時代に一番強かったため、どんどん版図を拡大していきます。カルタゴのハンニバルに苦しめられてから、3度にわたるポエニ戦争に勝利してカルタゴを滅ぼします。
カルタゴはハンニバルがローマを今一歩まで追い詰めた第二次ポエニ戦争後、生殺与奪をローマに握られた恰好で存在した。しかしながらその商業力は抜群で、軍事でなく商業で地中海の覇権を握った。(p.106)
カルタゴ元老院はローマに屈服していたから、貴族の子弟300人を人質としローマに送る、との要求を呑んでしまう。次いでローマは兵器や装備の引き渡しを要求したので、これまたローマ軍に従った。そうしたところ今度は海岸より離れ、奥地へ10マイル移れという無理難題を吹っかけられた。流石にこれはカルタゴ元老院も、自殺行為だと反発を見せた。つまり丸裸にされてから本当の狙いを突きつけられたのである。(p.106)
カルタゴは軍隊が負けた後も、ローマに賠償金を払いつつ繁栄を続けます。それを危険視したローマはカルタゴに、いちゃもんをつけて滅ぼしてしまいます。強いものが勝つという歴史の常を再確認するようです。本書は、序盤で、すこしローマに肩入れしすぎているような印象を持ちました。例えば、カルタゴは以下のように描かれています。つねに勝者によって語られる歴史で、敗者の印象は後から付けられた部分もあるでしょう。本来は、戦火を交えた、どちらの勢力に善悪は無いはずです。本書にはそのあたりを慎重に描いてほしいように感じました。
カルタゴは歴史的にみても、極めて人間性の悪い国家である。敗北した軍司令官は処刑し、国民相互間の不信感も根強い。その上に嫉妬心はどの民族より激しかった。古来から「カルタゴ」という言葉は、裏切りを意味すると言われたほどだ。(p.81)
この本では目次の情報は探しても見つからなかったのですが、代わりにGoogle Book Searchで始めから85ページまで読めるようになっていました。下のウィンドウで⇒のボタンをクリックしていくと目次のページも読めます。
戦争で読む「ローマ帝国史」 建国から滅亡に至る63の戦い (PHP文庫)
柘植 久慶 (著)

ローマの歴史は“戦争の歴史”である——。ティベリス河畔の小さな羊飼いの集落から、地中海世界を制覇する古代の超大国にのし上がっていった事実は、まさにそれを裏付けていると言える。本書は、神話時代に遡る「建国当時の戦い」から、西ローマ帝国が滅亡する「ヴァンダル人のローマ征服」まで、ローマ帝国1200年余りの歴史を戦争の視点から解説していく。国家崩壊の危機に直面したハンニバルの侵攻(「第二次ポエニ戦争」)、三頭政治から後の帝政時代へと道を開いた「カエサル対ポンペイウス」、五賢帝の一人としてローマの版図拡大に力を注いだトラヤヌス帝(「第二次ダキア遠征」)、帝国の4分割による「帝位争奪の内戦」など、取り上げる主な戦争は63に及ぶ。また、その間に起こった戦術の変化や武器の進歩、軍団の改革についても、戦場経験をもつ著者独自の視点から紹介。ローマの命運を決した戦いの数々がここにある。▼ 文庫書き下ろし。(セブンアンドワイ ヤフー店 - Yahoo!ショッピング)
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高校生が感動した「論語」 (祥伝社新書)このブログでは佐久先生の書評第三弾です→[書評] ビジネスマンが泣いた「唐詩」一〇〇選[書評] これが中国人だ!―日本人が勘違いしている「中国人の思想」。古典は本来、時代や個人に即した解釈が許されるはずであるのに、論語は聖典とされるあまり、教条的に扱われすぎてきたので、あえて分かりやすい構成で書かれている本です。論語が高校生につまらないといわれる原因を調べ、それに対する対策として本書の構成がとられています。
そこで、私は生徒が何につまづくのか調べてみた。その結果、判明したのが以下の三点である。
一 弟子の言葉が偉そうで「ウザッタイ」
二 人物評や政治抗争や宮廷儀礼を述べた箇所が「ジャマクサイ」
三 口語訳だけでは意味が分からず、注を読まないと理解できないので「カッタルイ」
そこで私は、孔子の言葉だけを、あたかも自分が孔子であり、生徒が弟子であるかのごとく講読してみた。(p.3)
この構成で本書を読むと、偉い先生が自分に諭したり、気づきを与えてくれているような感覚で読めます。また、大まかにトピックに分かれているために、そのトピックに対する孔子の考え方が推測できる点も良いです。

高校教師時代の著者は、完全に放任主義でした。興味を引く話をしてくれることはありましたが、聞かない生徒を無理やり聞かせるようなことは全くありませんでした。以下の引用からヒントを得ていたのでしょうか。
学びたいという自発性のない状態では進歩発展させることはできないし、自分で答えが半分出来上がっているくらいでないと教えたって身につきゃしないもんだよ。四角なものの一隅を説明したら、残りの三隅は自分で類推する意欲がなければ、教えてもまずムダだね。つまりだ、真の教育は教わる者の自発性を高めることに力を注ぐべきなんだ。自発性さえ芽生えれば、誰もが自学自得するようになるよ。ムリやり知識を押しつけて教育したつもりになっているのは、とんだ思い違いさ。(p.43)
教育は知識を詰め込むのではなく、生徒の学びたいという自発性に重きを置いた考え方です。2500年前の孔子の言葉は長きに渡って読み継がれてきたことを考えると、多くの人が正しいと考えてきたことなのでしょう。批判されることの多い「ゆとり教育」も、知識のつめこみよりも自発性に重きを置いた点では一定の正しさがあるんだと思います。
他人が自分を認めてくれないと嘆くものは多いが、自分が周りにいる他人の才能や長所に気づかないことを嘆くのが先だろう。他人の才能に気づく能力を身につけてみなよ、そんな人物を世間がほうっておくと思うかね。(p.102)
自分の才能を認めてもらえないと嘆くのではなく、他人の才能を見抜けるように努力しなさいと言うのは、たしかにそうだと感じました。実際にこういわれると、胡散臭い感情が芽生えますが、2500年前の偉人がそう言っていたといわれると不思議と素直に受け止められるのが、古典の良いところかもしれません。
どれほどの大軍に護られている大将でも奪い取ろうと思えば奪い取れないことはないよ。しかしだ、人間の意志は、たった一人の者の意志であろうと、それを外から大勢で奪い取ろうとしたって奪い取れるもんじゃないさ。人間の意志というのは、それほど絶大な力を秘めたものなんだよ。(p.137)
人がどんな考えをするかは、その人の自由で他人が強制することはできない、と言っています。だから他人の遺志を強制的に変えさせようとするなと取るのか、だから他人に影響されず自分の意志を持てと持つのか。古典は読む人の自由な解釈が許される面白い読み物です。
高校生が感動した「論語」 (祥伝社新書)
佐久 協 (著)

孔子の生涯と『論語』
読む前に知っておきたい十項目
第1部 孔子のことば
第1章 人生の目標
第2章 家庭生活
第3章 教育と学問
第4章 道徳の力
第5章 能力と努力
第6章 社会参加
第7章 心と言葉と言動
第8章 人間の品位
第9章 国民と政治
第10章 老病死と祈り
第2部 孔子プロファイリング
第3部 弟子たちのことば

論語は二千年の長きにわたり、日本人の精神と道徳の根幹でありつづけてきた。日本人は論語というたった一冊の書物を通して、人とのつきあい方、正しい生き方を知らず識らずのうちに学んできたのだ。大人になって社会に出、人と人との間で揉まれ苦しむとき、真に役に立つのが論語である。だが、誰もが高校の授業で一度は触れた論語を、年を重ねて読み返したりはしない。三十有余年、慶応高校で論語を講じてきた著者は、「こんなにもったいないことはない」と力説する。孔子は五十代に入ってから名を成した。論語が苦労人ならではの処世術に満ちている所以である。共感できる章句が一つでもあれば、必ずや読む者の助けとなるはずだ。
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Versailles, France
今日は天安門事件が起こった日から20年目の記念日です。特に気にしていたワケではないのですが、昨日「日経ビジネス」を見ていたら最近だけで3つも特集が組まれていたので、思い出したのでした。日本ではそこそこ取り上げられていることが分かります。それらによると、やはり天安門事件は中国共産党の失敗だったという見方が大半です。天安門事件から始まる20年間で中国が発展したことは事実ですが、それによって共産党による武力鎮圧が肯定される論調は日本には見当たりません。
これらの特集によると、今時の中国の大学生は、天安門事件に無関心であるということが分かります。また、中国のメディアは天安門事件に関する報道を禁止されていることが分かりました。
「六・四」——キャンパスに流れる“平穏”:日経ビジネスオンライン
20周年を機に、日頃から密につき合っている北京大学の学生および北京在住の記者たちと「六・四」について内密に議論してみた。彼ら・彼女らとのコミュニケーションを通じて、2つの違和感を覚えた。  1つ目に、現在の学生(学部生、院生を含めて)が当時の事件に極めて無関心で、場合によっては存在すら知らないということである。
...(略)...
家庭・学校・社会という3つの教育現場を通じて語り継がれていないこと、「六・四」に関して何か特別な言動を起こすことで、将来のキャリアが冒されること、の2点が北京大生が「六・四」について知らない、あるいは無関心の原因になっている。
...(略)...
中国メディアの記者たちが「六・四」に関する一切の取材を禁止されていることである。状況を考えれば、当局による報道規制は想像に難くない。
今日会った中国人に「今日は中国に特別な日じゃない?」と質問してみました。思った通り反応は薄く、少し考えないと分からないぐらいの間がありました。報道も無いそうなので、当然なのかもしれません。しかし、続く意見は日本ではまるで聞いたことも無い意見だったのです。

曰く、1)天安門事件のデモを起こした学生は、すべての学生ではないが、米ソ冷戦下の状況でアメリカの工作員に煽動されていた学生がたくさんいた。2)人民に攻撃を加えたことは残念なことだけど、あの状況下では他に方法が無かったこと。そして、3)現在は中国共産党も少しは反省している、とのことでした。あの時にもっとひどい混乱が起こっていたら、もっと大変なことになっていたというのが、共通見解であるようです。

日本における報道とあまりの違いにあぜんとしつつも、「じゃあ、今日は別に特別な日じゃないんだね?」と聞いたら、全く普通の日と同じだと言ってました。"「六・四」が歴史の1ページに刻まれるには、もう少し時間が必要なのかもしれない。"と結論されている「六・四」——キャンパスに流れる“平穏”と完全に一致します。さらに加えて、ちょうど一か月前の「五四運動(反日、反帝国主義を掲げる大衆運動)」は中国にとってものすごく特別な日だと教えてくれました。こちらも今年は90周年の記念にあたります。日本では関心の薄かった(?)五四運動と関心の高い天安門事件。中国共産党が評価する五四運動と中国では報道が禁止されている天安門事件。日本人と中国人の認識の違いはすごく大きいと感じます。

(ちなみに、話をしてくれた中国人は、中国人が中国共産党へ対する3タイプの考え方で紹介した分類で言うと、「3. 中国共産党を容認」に近いかなと感じました。)

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Versailles, France
今日は天安門事件が起こった日から20年目の記念日です。特に気にしていたワケではないのですが、昨日「日経ビジネス」を見ていたら最近だけで3つも特集が組まれていたので、思い出したのでした。日本ではそこそこ取り上げられていることが分かります。それらによると、やはり天安門事件は中国共産党の失敗だったという見方が大半です。天安門事件から始まる20年間で中国が発展したことは事実ですが、それによって共産党による武力鎮圧が肯定される論調は日本には見当たりません。
これらの特集によると、今時の中国の大学生は、天安門事件に無関心であるということが分かります。また、中国のメディアは天安門事件に関する報道を禁止されていることが分かりました。
「六・四」——キャンパスに流れる“平穏”:日経ビジネスオンライン
20周年を機に、日頃から密につき合っている北京大学の学生および北京在住の記者たちと「六・四」について内密に議論してみた。彼ら・彼女らとのコミュニケーションを通じて、2つの違和感を覚えた。  1つ目に、現在の学生(学部生、院生を含めて)が当時の事件に極めて無関心で、場合によっては存在すら知らないということである。
...(略)...
家庭・学校・社会という3つの教育現場を通じて語り継がれていないこと、「六・四」に関して何か特別な言動を起こすことで、将来のキャリアが冒されること、の2点が北京大生が「六・四」について知らない、あるいは無関心の原因になっている。
...(略)...
中国メディアの記者たちが「六・四」に関する一切の取材を禁止されていることである。状況を考えれば、当局による報道規制は想像に難くない。
今日会った中国人に「今日は中国に特別な日じゃない?」と質問してみました。思った通り反応は薄く、少し考えないと分からないぐらいの間がありました。報道も無いそうなので、当然なのかもしれません。しかし、続く意見は日本ではまるで聞いたことも無い意見だったのです。

曰く、1)天安門事件のデモを起こした学生は、すべての学生ではないが、米ソ冷戦下の状況でアメリカの工作員に煽動されていた学生がたくさんいた。2)人民に攻撃を加えたことは残念なことだけど、あの状況下では他に方法が無かったこと。そして、3)現在は中国共産党も少しは反省している、とのことでした。あの時にもっとひどい混乱が起こっていたら、もっと大変なことになっていたというのが、共通見解であるようです。

日本における報道とあまりの違いにあぜんとしつつも、「じゃあ、今日は別に特別な日じゃないんだね?」と聞いたら、全く普通の日と同じだと言ってました。"「六・四」が歴史の1ページに刻まれるには、もう少し時間が必要なのかもしれない。"と結論されている「六・四」——キャンパスに流れる“平穏”と完全に一致します。さらに加えて、ちょうど一か月前の「五四運動(反日、反帝国主義を掲げる大衆運動)」は中国にとってものすごく特別な日だと教えてくれました。こちらも今年は90周年の記念にあたります。日本では関心の薄かった(?)五四運動と関心の高い天安門事件。中国共産党が評価する五四運動と中国では報道が禁止されている天安門事件。日本人と中国人の認識の違いはすごく大きいと感じます。

(ちなみに、話をしてくれた中国人は、中国人が中国共産党へ対する3タイプの考え方で紹介した分類で言うと、「3. 中国共産党を容認」に近いかなと感じました。)

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名将たちの戦争学 (文春新書)
過去と現在の著名な軍人の名言から戦争を説明した本でした。著者は防衛大学卒で軍人としてのキャリアを歩んだことも会って、軍人の視点から物事を考えているという感じがしました。具体的には、「5章、法を破って戦争に勝った英国の提督たち(p. 129)」や、「おわりに、強いことはいいことだ (p. 203)」といったところです。法を破って戦争に勝つことの意味や、すべての国が強いこと求め続けた結果、何が起こるのかということの想像力が、欠けているように感じてしまいます。もちろん、そういった視点を持つことは軍人の職務には必要なく、戦争に必要な知識を豊富に持っている著者がその考えを著してくれたことには意味を感じます。著者は戦争には詳しくても、より高次の視点が欠けているように感じたのは、前回書評した「[書評] 新・戦争学」でも一緒でした。政治家が戦争に口出すとろくなことが無く軍人が判断すべきと書かれており、それに対する自分の意見を述べさせていただきました。

なので、こっちの書評では、同じような反論は省略します。この本で面白いのは、普通は知ることの無い戦場での風景が少し想像できるところです。戦場での勝敗は決定的な物で、将棋や囲碁のように誰でもが形勢を判断できる物だと思っていたのですが、実際には勝敗は当事者にも戦闘中にまったく分からないそうです。太字は全て原文通りです。

「戦争では、霧のような偶然、無秩序な混乱、偶発事件の発生は常態である。少なくとも遅延、誇張、誤解、突発事態、不合理は予期しておかなければならない。」(p.26)
「戦争では、全ての行動は、霧の中や、月光の下のような薄暗がりで行われているように見える。それは異様で、しばしば実際の大きさより巨大に映るのだ。」(『戦争論』馬込建之助)(p.26)
「戦争は不確実性の世界である。作戦や戦闘行動にかかわる要素の四分の三は多かれ少なかれ不確実性の霧に覆われている。...(略)...(クラウゼヴィッツ)
「状況不明は戦争の常であるー(中略)ー世界中の軍隊は状況不明の真っただ中で宿営し、更新している」(p.117)
とにかく、「指揮官は二五パーセントの情報を手にすれば『おんの字』で決断せよ!」という格言が成り立つわけである。(p.118)
その他、戦場では混乱がつきまとい、戦闘に完勝した方の軍隊も戦っている間は、勝っているか負けているかまったく分からなかったりする様子が描かれていました。また、双方が敗北したと勘違いし退却した戦闘もあるそうです。司馬遼太郎の『坂の上の雲』でも、海戦では互いに互いの砲弾があたった上に、味方のダメージが間近に見え、相手のダメージが遠目に見えるために、双方が負け気味だと錯覚するというようなことが書かれていたように覚えています。日本海軍が完勝した日本海海戦ですら、日本艦の砲弾があたって火の海になり死体が散乱しているところを見れば、負けているようにしか見えなかったそうです。『坂の上の雲』にそのような記述があったことを記憶しています。(日露戦争と言えば、このフラッシュはかなり面白いと思います。大日本帝国の最期という太平洋戦争版もあります。)

ビジネスマンが読むことを想定しているのか、この本では戦争や戦闘をビジネスに置き換えた記述がよく見られます。この当事者の誰もが正確な形勢判断を出来ないというのは、現実世界でもよくあることのように思えます。例えば、傍目からは成功しているように見えるプロジェクトも、内部の人から見ると、問題が多発しているように見え、失敗寸前のように感じているかもしれません。逆に、うまく動いているとは思えないプロジェクトや、問題ばかりが目につくプロジェクトで自分の目には失敗しているとしか思えないようなプロジェクトでも、傍目から見れば成功している部類のプロジェクトと見えるかもしれません。特にビジネスなどでは、競合他社の状況や、顧客の思考、未来の経済状況など不確定な要素が多すぎて、25パーセントぐらい分かったぐらいで、思い切って行動する必要があるのかもしれません。

勉強しても上達していかないように見える自分の能力も、実は傍目からは上達しているように見えたり、このままじゃダメだと悲観的になることがあっても傍目からは順調に見えたりするのかもしれません。自分が分かっている範囲は25パーセントぐらいで、その他はまったく知覚すら出来ていないのかもしれません。戦闘でも悪い部分がよく見えるそうなので、実世界でも見える部分から少しポジティブに見えない部分を補正して考えるぐらいでちょうどいいのかも知れないと、思います。

名将たちの戦争学 (文春新書)

松村 劭 (著)

第1章 戦争はなぜ起きるのか
第2章 勝敗の判定
第3章 戦いの原則
第4章 戦略の極意
第5章 戦術の極意
第6章 教育と訓練
第7章 指導者・将校・兵士
第8章 作戦・命令・戦闘

ナポレオンやクラウゼヴィッツ、パットンやロンメル、毛沢東など、古代ギリシャから湾岸戦争の現代に至るまで歴戦の名将たちが実戦を踏まえて残した格言を 軸に、戦略・戦術の神髄とその実際的効用をやさしく説き明かす。自衛隊の元作戦幕僚が語る「戦争学」の極意は、戦いの原則や勝敗の判定、作戦・命令・戦闘 から教育・訓練に及び、経営戦略や実人生とも深く関わっていて味わい深い。
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名将たちの戦争学 (文春新書)
過去と現在の著名な軍人の名言から戦争を説明した本でした。著者は防衛大学卒で軍人としてのキャリアを歩んだことも会って、軍人の視点から物事を考えているという感じがしました。具体的には、「5章、法を破って戦争に勝った英国の提督たち(p. 129)」や、「おわりに、強いことはいいことだ (p. 203)」といったところです。法を破って戦争に勝つことの意味や、すべての国が強いこと求め続けた結果、何が起こるのかということの想像力が、欠けているように感じてしまいます。もちろん、そういった視点を持つことは軍人の職務には必要なく、戦争に必要な知識を豊富に持っている著者がその考えを著してくれたことには意味を感じます。著者は戦争には詳しくても、より高次の視点が欠けているように感じたのは、前回書評した「[書評] 新・戦争学」でも一緒でした。政治家が戦争に口出すとろくなことが無く軍人が判断すべきと書かれており、それに対する自分の意見を述べさせていただきました。

なので、こっちの書評では、同じような反論は省略します。この本で面白いのは、普通は知ることの無い戦場での風景が少し想像できるところです。戦場での勝敗は決定的な物で、将棋や囲碁のように誰でもが形勢を判断できる物だと思っていたのですが、実際には勝敗は当事者にも戦闘中にまったく分からないそうです。太字は全て原文通りです。
「戦争では、霧のような偶然、無秩序な混乱、偶発事件の発生は常態である。少なくとも遅延、誇張、誤解、突発事態、不合理は予期しておかなければならない。」(p.26)
「戦争では、全ての行動は、霧の中や、月光の下のような薄暗がりで行われているように見える。それは異様で、しばしば実際の大きさより巨大に映るのだ。」(『戦争論』馬込建之助)(p.26)
「戦争は不確実性の世界である。作戦や戦闘行動にかかわる要素の四分の三は多かれ少なかれ不確実性の霧に覆われている。...(略)...(クラウゼヴィッツ)
「状況不明は戦争の常であるー(中略)ー世界中の軍隊は状況不明の真っただ中で宿営し、更新している」(p.117)
とにかく、「指揮官は二五パーセントの情報を手にすれば『おんの字』で決断せよ!」という格言が成り立つわけである。(p.118)
その他、戦場では混乱がつきまとい、戦闘に完勝した方の軍隊も戦っている間は、勝っているか負けているかまったく分からなかったりする様子が描かれていました。また、双方が敗北したと勘違いし退却した戦闘もあるそうです。司馬遼太郎の『坂の上の雲』でも、海戦では互いに互いの砲弾があたった上に、味方のダメージが間近に見え、相手のダメージが遠目に見えるために、双方が負け気味だと錯覚するというようなことが書かれていたように覚えています。日本海軍が完勝した日本海海戦ですら、日本艦の砲弾があたって火の海になり死体が散乱しているところを見れば、負けているようにしか見えなかったそうです。『坂の上の雲』にそのような記述があったことを記憶しています。(日露戦争と言えば、このフラッシュはかなり面白いと思います。大日本帝国の最期という太平洋戦争版もあります。)

ビジネスマンが読むことを想定しているのか、この本では戦争や戦闘をビジネスに置き換えた記述がよく見られます。この当事者の誰もが正確な形勢判断を出来ないというのは、現実世界でもよくあることのように思えます。例えば、傍目からは成功しているように見えるプロジェクトも、内部の人から見ると、問題が多発しているように見え、失敗寸前のように感じているかもしれません。逆に、うまく動いているとは思えないプロジェクトや、問題ばかりが目につくプロジェクトで自分の目には失敗しているとしか思えないようなプロジェクトでも、傍目から見れば成功している部類のプロジェクトと見えるかもしれません。特にビジネスなどでは、競合他社の状況や、顧客の思考、未来の経済状況など不確定な要素が多すぎて、25パーセントぐらい分かったぐらいで、思い切って行動する必要があるのかもしれません。

勉強しても上達していかないように見える自分の能力も、実は傍目からは上達しているように見えたり、このままじゃダメだと悲観的になることがあっても傍目からは順調に見えたりするのかもしれません。自分が分かっている範囲は25パーセントぐらいで、その他はまったく知覚すら出来ていないのかもしれません。戦闘でも悪い部分がよく見えるそうなので、実世界でも見える部分から少しポジティブに見えない部分を補正して考えるぐらいでちょうどいいのかも知れないと、思います。
名将たちの戦争学 (文春新書)

松村 劭 (著)

第1章 戦争はなぜ起きるのか
第2章 勝敗の判定
第3章 戦いの原則
第4章 戦略の極意
第5章 戦術の極意
第6章 教育と訓練
第7章 指導者・将校・兵士
第8章 作戦・命令・戦闘

ナポレオンやクラウゼヴィッツ、パットンやロンメル、毛沢東など、古代ギリシャから湾岸戦争の現代に至るまで歴戦の名将たちが実戦を踏まえて残した格言を 軸に、戦略・戦術の神髄とその実際的効用をやさしく説き明かす。自衛隊の元作戦幕僚が語る「戦争学」の極意は、戦いの原則や勝敗の判定、作戦・命令・戦闘 から教育・訓練に及び、経営戦略や実人生とも深く関わっていて味わい深い。
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三国志の英傑たち (時代小説文庫)
1996年から2年ほどかけて著者が大長編小説『三国志』を書いたときに考えたことをつづっている本でした。著者の小説『三国志』の長いあとがきとのような内容でした。著者の小説『三国志』は、中国の正当な歴史書である「正史」と、中国民衆の間で親しまれていた物語の「三国志演義」をもとに著者自身が想像を膨らませて書いたものです。

正史は事実を並べているだけで記述はそっけないものが多く、演義は物語であるため誇張が多いという問題点を踏まえ、著者が登場人物の境遇や状況から人物の感情まで現実的に想像しています。三国志演義に出てくる大げさな挿話を廃し、正史のそっけなさを補うために、著者の小説ではオリジナルの挿話も含まれています。そういった挿話も著者自身による三国志を現実的に想像した産物です。

反董卓の戦いのときの曹操はこのように書かれています。
ぼくの『三国志』では、徐栄に大敗して帰った曹操にこんな台詞を言わせている。「私は戦って負けた。そして諸君は戦わずして負けたのだ。私は、戦わずして負けた諸君に、決別を告げる」自分は私利私欲のためでなく、戦うべきときに戦う。お前たちとは違う。曹操の諸侯に対する独立宣言だった。(p.54)
三国志のゲームをプレイするときは劉備でやることが多いので、曹操は敵だったのですが、やっぱり曹操は英雄としてかっこいいなと思います。陽月秘話: 中国人の好きなタイプによると、中国では曹操の人気はないそうです。この辺りの解説としては、『正史』を書いた陳寿の蜀へのシンパシーが曹操を乱世の奸雄に仕立てたと解釈されていました。
『正史』を書いた陳寿は、はじめ蜀に仕えた文官だった。...(略)... 蜀へのシンパシーが目立たないように『正史』の中に隠されていたのだ。つまり『正史』における歴史的正当性は当然のように曹操、魏の側に置かれているのだが、その裏に曹操を「乱世の奸雄」に仕向けてしまうようなスパイスも盛り込まれていたのである。(p.25)
他には、諸葛亮公明が劉備に「三顧の礼」で迎えられる場面は、劉備が諸葛亮に仕官を頼み込んだというように言われますが、著者は諸葛亮公明にも大きな野心があったと想像します。
『演義』には、「私は長年、農耕生活を楽しみ、世間に出るのは億劫ですので、ご命令に従うことはできません」と劉備の誘いを断る場面もあるが、ぼくが思うに、いかに時代や文化が違うとはいえ、若くして素質もある人間が、世の中から隠遁したままじっとしていられるはずがない。...(略)...曹操や孫権への士官も視野に入れていただろう。同時に、曹操にも孫権にもすでに優秀な幕僚がいることもわかっている。曹操が天下を取ろうと、孫権がそれを押しとどめようと、結局は自分は出来上がりかけた容器の中で歯車として働くしかない。(p.133)
諸葛亮公明は自分の能力を試せる、劉備の勢力についたという見方でした。劇的な三顧の礼よりも現実味のある想像だと思います。

三国志の英傑たち (時代小説文庫)
北方 謙三 (著)

序章 ぼくが『三国志』を書いた理由
1章 劉備・関羽・張飛—男の出会いとは
2章 曹操—覇道を歩む孤高の英雄
3章 呂布—時代を駆け抜けた戦人
4章 孫堅・孫策—志と非業の死
5章 孫権—赤壁の戦いへ一世一代の決断
6章 孔明—夢と現実を交錯させた戦略家
7章 三国時代の文化—英雄に不可欠な資質とは
8章 その後の三国志—四つのキーワード

三国志は、紀元二世紀末から三世紀にかけて、後漢の末期から晋王朝ができるまでの約百年間を舞台に、そこに群雄割拠した実在の英傑たちの歴史であり、同時 に歴史物語である。幾多の男たちが、それぞれの夢を追い求め、やがて死んでいく滅びの物語にファンは多い。この本では、乱世を生きた英傑たちの姿や魅力 を、ぼくなりの見方を加えながら語っていきたい—。北方謙三が語る『三国志』の醍醐味を纏めた待望の一冊。
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三国志の英傑たち (時代小説文庫)
1996年から2年ほどかけて著者が大長編小説『三国志』を書いたときに考えたことをつづっている本でした。著者の小説『三国志』の長いあとがきとのような内容でした。著者の小説『三国志』は、中国の正当な歴史書である「正史」と、中国民衆の間で親しまれていた物語の「三国志演義」をもとに著者自身が想像を膨らませて書いたものです。

正史は事実を並べているだけで記述はそっけないものが多く、演義は物語であるため誇張が多いという問題点を踏まえ、著者が登場人物の境遇や状況から人物の感情まで現実的に想像しています。三国志演義に出てくる大げさな挿話を廃し、正史のそっけなさを補うために、著者の小説ではオリジナルの挿話も含まれています。そういった挿話も著者自身による三国志を現実的に想像した産物です。

反董卓の戦いのときの曹操はこのように書かれています。
ぼくの『三国志』では、徐栄に大敗して帰った曹操にこんな台詞を言わせている。「私は戦って負けた。そして諸君は戦わずして負けたのだ。私は、戦わずして負けた諸君に、決別を告げる」自分は私利私欲のためでなく、戦うべきときに戦う。お前たちとは違う。曹操の諸侯に対する独立宣言だった。(p.54)
三国志のゲームをプレイするときは劉備でやることが多いので、曹操は敵だったのですが、やっぱり曹操は英雄としてかっこいいなと思います。陽月秘話: 中国人の好きなタイプによると、中国では曹操の人気はないそうです。この辺りの解説としては、『正史』を書いた陳寿の蜀へのシンパシーが曹操を乱世の奸雄に仕立てたと解釈されていました。
『正史』を書いた陳寿は、はじめ蜀に仕えた文官だった。...(略)... 蜀へのシンパシーが目立たないように『正史』の中に隠されていたのだ。つまり『正史』における歴史的正当性は当然のように曹操、魏の側に置かれているのだが、その裏に曹操を「乱世の奸雄」に仕向けてしまうようなスパイスも盛り込まれていたのである。(p.25)
他には、諸葛亮公明が劉備に「三顧の礼」で迎えられる場面は、劉備が諸葛亮に仕官を頼み込んだというように言われますが、著者は諸葛亮公明にも大きな野心があったと想像します。
『演義』には、「私は長年、農耕生活を楽しみ、世間に出るのは億劫ですので、ご命令に従うことはできません」と劉備の誘いを断る場面もあるが、ぼくが思うに、いかに時代や文化が違うとはいえ、若くして素質もある人間が、世の中から隠遁したままじっとしていられるはずがない。...(略)...曹操や孫権への士官も視野に入れていただろう。同時に、曹操にも孫権にもすでに優秀な幕僚がいることもわかっている。曹操が天下を取ろうと、孫権がそれを押しとどめようと、結局は自分は出来上がりかけた容器の中で歯車として働くしかない。(p.133)
諸葛亮公明は自分の能力を試せる、劉備の勢力についたという見方でした。劇的な三顧の礼よりも現実味のある想像だと思います。
三国志の英傑たち (時代小説文庫)
北方 謙三 (著)

序章 ぼくが『三国志』を書いた理由
1章 劉備・関羽・張飛—男の出会いとは
2章 曹操—覇道を歩む孤高の英雄
3章 呂布—時代を駆け抜けた戦人
4章 孫堅・孫策—志と非業の死
5章 孫権—赤壁の戦いへ一世一代の決断
6章 孔明—夢と現実を交錯させた戦略家
7章 三国時代の文化—英雄に不可欠な資質とは
8章 その後の三国志—四つのキーワード

三国志は、紀元二世紀末から三世紀にかけて、後漢の末期から晋王朝ができるまでの約百年間を舞台に、そこに群雄割拠した実在の英傑たちの歴史であり、同時 に歴史物語である。幾多の男たちが、それぞれの夢を追い求め、やがて死んでいく滅びの物語にファンは多い。この本では、乱世を生きた英傑たちの姿や魅力 を、ぼくなりの見方を加えながら語っていきたい—。北方謙三が語る『三国志』の醍醐味を纏めた待望の一冊。
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これが中国人だ!―日本人が勘違いしている「中国人の思想」 (祥伝社新書 113)
中国のイデオロギーの歴史について書かれた本です。著者が高校の漢文の先生だったこともあり、興味を持って「[書評] ビジネスマンが泣いた「唐詩」一〇〇選」の次に手に取ってみました。本書では、まず中国の3大イデオロギーについて時代背景や思想の概要などが述べられています。3大イデオロギーの誕生からその後の展開までを順を追って説明しているのがすごくわかりやすいです。
さて、これでようやく「儒教」、「道教」、「仏教」の三大イデオロギーが勢揃いしました。孔子による儒家の誕生から前漢の武帝によって儒教が誕生するまでおよそ三五〇年、儒教の誕生から寇謙之による道教の確立まで六〇〇年、それから智者太師が中国仏教を確立するまで一五〇年かかったわけです。...(略)... これ以降の中国は出そろった三大イデオロギーがその時々の支配的イデオロギーとなって清王朝の滅亡までの一三〇〇年年間を彩ることになるのです。(p.98)


また、中国の歴史を研究することから、生まれる知見はなかなか示唆に富んでいて興味深いです。例えば、中国がもっとも栄えていた盛唐のころからの没落のところでは以下のように述べられています。こういった知見は現代においても正しいこともありそうです。
大国というのは、国民や指導者が大国であると意識していないことが肝心であって、無意識のうちに示される大らかさこそが大国を大国たらしめているのです。盛唐はまさにそうした時代でした。自国が大国であると意識し出すということは、すでに大国の座から滑り落ちている証拠であり、さらに没落が進むと大国であることを力説する主張が出現するのです。(P.115)
また、大国から没落した中国(漢民族)が異民族に蹂躙され、支配される時期が訪れ、中国人のトラウマのルーツになっていると説きます。そしてそのトラウマに日本人が無知すぎることが指摘されています。漢民族が初めて異民族に支配された「靖康の変」は(偶然にも?)靖国神社と同じ頭文字であることは知りませんでした。
北宋がほろんでから1949年に中華人民共和国が誕生するまでの約 700年のうち400年間は異民族に支配されたり蹂躙されています(p.138)
中国の歴史というと、唐代くらいしか思い浮かばない日本人には宋代の中国の受難と屈辱の歴史はピンときません。その受難が民族的なトラウマとなって現在の中国人にまで及んでいることに気づこうとすらしません。...(略)...少なくとも靖国神社参拝を強行する政治家は、「靖国神社」と「靖康の変」が同じ頭文字を持っていることくらいは認識しておくとよいでしょう。(p.138)
最終章の「第8章 まとめと予測—真の大国になれば全人類の利益になる」では、著者の考えは僕の考えと相当近いと感じました→「[まとめ] 将来の日本と中国との関係について考える」。ただし、著者の中国に対する知識と知見は、僕とは比べ物にならないので、説得力は段違いです。このブログの中国関連のエントリーに興味を持った方は、この本はかなりのオススメです。
残された20年たらずの期間をどれほど懸命に利用したにせよ、中国の政治的かつ社会的混乱は避けられないでしょう。問題は、混乱をいかに最小・最短に抑えるかです。そのために日本がなすべきことは、中国の混乱につけ込んで内政干渉をしたり火事場泥棒的な振る舞いをしないことです。(p.224)
最後に、この本を読んで先生の高校での授業をたくさん思い出しましたが、中でも一番思い出した話を書いておこうと思います。それは、宦官に関するところです。
①宦官・②科挙・③纏足を俗に中国の三大奇習といいますが、三者とも始まったのは唐代ではありませんが社会にしっかりと根を下ろしたのは唐の時代です。(p.114)
宦官は男性がきん玉を取って、後宮に使える風習のことです。最初はナイフで切り取るだけだった手術も後になって発達してきたと教わったと記憶しています。まず、縦にに切れ目の入った竹の棒2本で玉袋をきつく縛り付けます。そしてカミソリを縦の切れ込みに入れると血が出ずに切断できるそうです。あとは、傷が塞がるまで竹の棒を縛ったままにしておくと安全に切除出来るそうです。切除した袋は日干しにして持ち歩いたり、保存したりするそうです。この話は、生意気盛りの男子校の生徒を縮み上がらせていたことを思い出しました。10年経っても覚えているので相当インパクトがあったんだと思います。著者プロフィールにある「同校生徒のアンケートで最も人気のある授業をする先生として親しまれてきた。」は伊達じゃないです。
これが中国人だ!―日本人が勘違いしている「中国人の思想」 (祥伝社新書 113)
佐久 協 (著)

第1章 春秋・戦国時代のイデオロギー
—人治主義のDNAがしっかりと組み込まれた;
第2章 秦・漢時代のイデオロギー
—永続する一つの国であるという認識が生まれた;
第3章 三国・晋・南北朝・隋時代のイデオロギー
—儒教、道教、仏教の三大イデオロギーが揃った;
第4章 唐時代のイデオロギー
—美意識と亭楽主義が定着し平等意識も誕生した;
第5章 宋・元時代のイデオロギー
—民族意識の強固さはモンゴル支配の屈辱が原因;
第6章 明・清時代のイデオロギー
—近代的な国家意識が芽生えて孫文が登場した;
第7章 中華民国と中華人民共和国のイデオロギー
—〓(とう)小平の改革開放と先富論が国を覆った;
第8章 まとめと予測
—真の大国になれば全人類の利益になる

いったい中国人とは何者なのか。彼らは何を考え、何を信じているのだろうか。同じ漢字を使うからといって、中国人は身近な存在ではありません。漢民族には宗教も神もなく、道徳すらも定着しませんでした。儒教は韓国に、仏教は日本に、道教は香港や台湾に逃げ出してしまい、中国は真空状態。絶えず道徳を唱えているのは、道徳が根づいていない証拠です。古代から現代までの中国思想を楽に読み通すために、本書は書かれました。たびかさなる戦乱を生き延びる知恵を、いかに身に付けたのか。その知恵とはいったい何か。一筋縄ではいかない謎の民族・中国人の発想が明かされていきます。日本人の知らない中国人がここに。
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これが中国人だ!―日本人が勘違いしている「中国人の思想」 (祥伝社新書 113)
中国のイデオロギーの歴史について書かれた本です。著者が高校の漢文の先生だったこともあり、興味を持って「[書評] ビジネスマンが泣いた「唐詩」一〇〇選」の次に手に取ってみました。本書では、まず中国の3大イデオロギーについて時代背景や思想の概要などが述べられています。3大イデオロギーの誕生からその後の展開までを順を追って説明しているのがすごくわかりやすいです。
さて、これでようやく「儒教」、「道教」、「仏教」の三大イデオロギーが勢揃いしました。孔子による儒家の誕生から前漢の武帝によって儒教が誕生するまでおよそ三五〇年、儒教の誕生から寇謙之による道教の確立まで六〇〇年、それから智者太師が中国仏教を確立するまで一五〇年かかったわけです。...(略)... これ以降の中国は出そろった三大イデオロギーがその時々の支配的イデオロギーとなって清王朝の滅亡までの一三〇〇年年間を彩ることになるのです。(p.98)
また、中国の歴史を研究することから、生まれる知見はなかなか示唆に富んでいて興味深いです。例えば、中国がもっとも栄えていた盛唐のころからの没落のところでは以下のように述べられています。こういった知見は現代においても正しいこともありそうです。
大国というのは、国民や指導者が大国であると意識していないことが肝心であって、無意識のうちに示される大らかさこそが大国を大国たらしめているのです。盛唐はまさにそうした時代でした。自国が大国であると意識し出すということは、すでに大国の座から滑り落ちている証拠であり、さらに没落が進むと大国であることを力説する主張が出現するのです。(P.115)
また、大国から没落した中国(漢民族)が異民族に蹂躙され、支配される時期が訪れ、中国人のトラウマのルーツになっていると説きます。そしてそのトラウマに日本人が無知すぎることが指摘されています。漢民族が初めて異民族に支配された「靖康の変」は(偶然にも?)靖国神社と同じ頭文字であることは知りませんでした。
北宋がほろんでから1949年に中華人民共和国が誕生するまでの約 700年のうち400年間は異民族に支配されたり蹂躙されています(p.138)
中国の歴史というと、唐代くらいしか思い浮かばない日本人には宋代の中国の受難と屈辱の歴史はピンときません。その受難が民族的なトラウマとなって現在の中国人にまで及んでいることに気づこうとすらしません。...(略)...少なくとも靖国神社参拝を強行する政治家は、「靖国神社」と「靖康の変」が同じ頭文字を持っていることくらいは認識しておくとよいでしょう。(p.138)
最終章の「第8章 まとめと予測—真の大国になれば全人類の利益になる」では、著者の考えは僕の考えと相当近いと感じました→「[まとめ] 将来の日本と中国との関係について考える」。ただし、著者の中国に対する知識と知見は、僕とは比べ物にならないので、説得力は段違いです。このブログの中国関連のエントリーに興味を持った方は、この本はかなりのオススメです。
残された20年たらずの期間をどれほど懸命に利用したにせよ、中国の政治的かつ社会的混乱は避けられないでしょう。問題は、混乱をいかに最小・最短に抑えるかです。そのために日本がなすべきことは、中国の混乱につけ込んで内政干渉をしたり火事場泥棒的な振る舞いをしないことです。(p.224)
最後に、この本を読んで先生の高校での授業をたくさん思い出しましたが、中でも一番思い出した話を書いておこうと思います。それは、宦官に関するところです。
①宦官・②科挙・③纏足を俗に中国の三大奇習といいますが、三者とも始まったのは唐代ではありませんが社会にしっかりと根を下ろしたのは唐の時代です。(p.114)
宦官は男性がきん玉を取って、後宮に使える風習のことです。最初はナイフで切り取るだけだった手術も後になって発達してきたと教わったと記憶しています。まず、縦にに切れ目の入った竹の棒2本で玉袋をきつく縛り付けます。そしてカミソリを縦の切れ込みに入れると血が出ずに切断できるそうです。あとは、傷が塞がるまで竹の棒を縛ったままにしておくと安全に切除出来るそうです。切除した袋は日干しにして持ち歩いたり、保存したりするそうです。この話は、生意気盛りの男子校の生徒を縮み上がらせていたことを思い出しました。10年経っても覚えているので相当インパクトがあったんだと思います。著者プロフィールにある「同校生徒のアンケートで最も人気のある授業をする先生として親しまれてきた。」は伊達じゃないです。
これが中国人だ!―日本人が勘違いしている「中国人の思想」 (祥伝社新書 113)
佐久 協 (著)

第1章 春秋・戦国時代のイデオロギー
    —人治主義のDNAがしっかりと組み込まれた;
第2章 秦・漢時代のイデオロギー
    —永続する一つの国であるという認識が生まれた;
第3章 三国・晋・南北朝・隋時代のイデオロギー
    —儒教、道教、仏教の三大イデオロギーが揃った;
第4章 唐時代のイデオロギー
    —美意識と亭楽主義が定着し平等意識も誕生した;
第5章 宋・元時代のイデオロギー
    —民族意識の強固さはモンゴル支配の屈辱が原因;
第6章 明・清時代のイデオロギー
    —近代的な国家意識が芽生えて孫文が登場した;
第7章 中華民国と中華人民共和国のイデオロギー
    —〓(とう)小平の改革開放と先富論が国を覆った;
第8章 まとめと予測
    —真の大国になれば全人類の利益になる

いったい中国人とは何者なのか。彼らは何を考え、何を信じているのだろうか。同じ漢字を使うからといって、中国人は身近な存在ではありません。漢民族には宗教も神もなく、道徳すらも定着しませんでした。儒教は韓国に、仏教は日本に、道教は香港や台湾に逃げ出してしまい、中国は真空状態。絶えず道徳を唱えているのは、道徳が根づいていない証拠です。古代から現代までの中国思想を楽に読み通すために、本書は書かれました。たびかさなる戦乱を生き延びる知恵を、いかに身に付けたのか。その知恵とはいったい何か。一筋縄ではいかない謎の民族・中国人の発想が明かされていきます。日本人の知らない中国人がここに。
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日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記 (新潮新書)
ロシアとの戦争には国家予算の6倍以上の戦費が必要でそのうち四割、つまり国家予算2.5年分のお金を貸してくれた人物がシフという人物です。この本はシフの生涯について書かれているものではなく、第一章にシフと日本の関わり、第二章に原題「Our Journey to Japan」を翻訳したものが収められています。

日露戦争においてシフが日本に肩入れした理由は、ユダヤの同胞を苦しめるロシアを牽制するためだと言われています。しかし、投資家としてのシフはもちろん投資の採算も計算に入れていたことでしょう。
全米ユダヤ人協会会長も務めるシフという人物が、ユダヤ同胞に圧政を敷くロシアに打撃を与えたいと考え、日本を支援したことには疑いを入れない。しかし、フランクフルトからアメリカに来たドイツ系アメリカ人でありながらアメリカ金融界の頂点にた取り付いた男が、日本に肩入れすることにビジネス・チャンスを見いだしたとしても矛盾しない。(p.44)
つまりシフは、ユダヤ人として反ロシアの姿勢をとったことと、日本に対して投資対象としての魅力を感じていたことのどちらもがあったと考えられます。シフの中でどちらの考え方が優勢であったかは興味深いです。種明かしのようで心苦しいですが、あとがきに、ある教授の分析として、投資対象の日本という考えが60パーセントを占めていたとの意見が提示されています。
二〇〇五年五月に小村寿太郎の生地・宮崎県飫肥(現・日南市)で開催された「日露戦争・ポーツマス条約締結百周年記念国際シンポジウム」で、パネリストからシフの動機を問われた高橋是清研究科のリチャード・スメサースト(米ピッツバーグ大学教授)が「[経済的動機が]六〇パーセント」と答えたのが印象的だった。(p.212)
日本を投資対象としての見ている割合が60パーセントというのは、どう感じますか。その時代で最も名高く有能な投資家が日本の国家予算の倍以上の資金を運用するのに40パーセントも運用益以外の検討事項が入るというのは、相当高い割合だと感じました。

シフの日本滞在の印象は非常に良好です。また、日本人がシフに対する態度は国が始まって以来最大の敬意を示すような対応です。だれもが日露戦争中のシフの好意に対し感謝を示し、代金を受け取らない日本人も書かれています(シフは無理矢理払いますが)。即興で日本画を描く催しで、シフは感動します。
こういった日本流のもてなし方は、実に素晴らしい。またもその好例を見せてもらったわけだ。しかし、駐日アメリカ代理公使のウィルソン氏がこの席で語ったところによると、日本滞在が長い人でも、来日して一ヶ月足らずの我々が味わっているこのような機会を持ったことがない人が多いという。(p.144)
また、日記のいろいろな部分から日本に対して好感を持っていることが分かります。
裁縫教室やいろいろな学科ものぞいてみたが、あらゆることに真剣かつ几帳面な態度で取り組むのには感動した。少女達の慎み深さ、機転、礼儀正しさは際立っていたが、庶民さえも例外なく、親切で謙虚で行儀の良い日本人という従来の印象が深まるだけのことだった。(p.160)
この日記は毎日詳細に書かれいるのは、何故なんだろうと不思議に思いながら読み進んでいきますが、最後にこの日記の意図が明らかになります。シフは「急激に変貌する文明や今後の歴史で重要な役割を演ずる国々への興味」を書きとめておくことを動機としていたようです。
この旅は生涯最大の出来事で、この後も長年にわたって回顧することを許されたい。おそらくこの楽しい旅行記が、われわれの死後も孫や子に対し、急激に変貌する文明や今後の歴史で重要な役割を演ずる国々への興味を刺激してくれることだろう。(p.210)
日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記 (新潮新書)
田畑 則重 (著)

第1章 ウォール街の巨人ジェイコブ・シフ高橋是清への指令
  • 開戦前夜の「困難」
  • ロンドンでの邂逅
  • 戦場以外の地道な戦略 ほか
第2章 シフ滞日記—Our Journey to Japan
  • ニューヨークから大陸横断鉄道の旅(一九〇六年二月二二日~三月七日)
  • マンチュリア号でハワイを経て横浜へ(三月八日~二四日)
  • ミカドの謁見。すばらしい午餐会(三月二五日~二八日)
  • ミカドの都。上野、増上寺、招魂社(三月二九日~四月一日) ほか
ジェイコブ・シフ、ドイツ系ユダヤ人でウォール街を代表する投資銀行家—。この男の助けがなければ、日本は日露戦争に勝てなかった。国家予算の六倍以上の 戦費をつぎ込み、継戦不可能というギリギリで掴んだ戦勝。その戦費の約四割を調達したのがシフだ。なぜ彼は極東の新興国日本を支援したのか?その生涯、対 日支援の動機とともに、叙勲のために招待された際の「滞日記」を、日本にはじめて紹介する。
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日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記 (新潮新書)
ロシアとの戦争には国家予算の6倍以上の戦費が必要でそのうち四割、つまり国家予算2.5年分のお金を貸してくれた人物がシフという人物です。この本はシフの生涯について書かれているものではなく、第一章にシフと日本の関わり、第二章に原題「Our Journey to Japan」を翻訳したものが収められています。

日露戦争においてシフが日本に肩入れした理由は、ユダヤの同胞を苦しめるロシアを牽制するためだと言われています。しかし、投資家としてのシフはもちろん投資の採算も計算に入れていたことでしょう。
全米ユダヤ人協会会長も務めるシフという人物が、ユダヤ同胞に圧政を敷くロシアに打撃を与えたいと考え、日本を支援したことには疑いを入れない。しかし、フランクフルトからアメリカに来たドイツ系アメリカ人でありながらアメリカ金融界の頂点にた取り付いた男が、日本に肩入れすることにビジネス・チャンスを見いだしたとしても矛盾しない。(p.44)
つまりシフは、ユダヤ人として反ロシアの姿勢をとったことと、日本に対して投資対象としての魅力を感じていたことのどちらもがあったと考えられます。シフの中でどちらの考え方が優勢であったかは興味深いです。種明かしのようで心苦しいですが、あとがきに、ある教授の分析として、投資対象の日本という考えが60パーセントを占めていたとの意見が提示されています。
二〇〇五年五月に小村寿太郎の生地・宮崎県飫肥(現・日南市)で開催された「日露戦争・ポーツマス条約締結百周年記念国際シンポジウム」で、パネリストからシフの動機を問われた高橋是清研究科のリチャード・スメサースト(米ピッツバーグ大学教授)が「[経済的動機が]六〇パーセント」と答えたのが印象的だった。(p.212)
日本を投資対象としての見ている割合が60パーセントというのは、どう感じますか。その時代で最も名高く有能な投資家が日本の国家予算の倍以上の資金を運用するのに40パーセントも運用益以外の検討事項が入るというのは、相当高い割合だと感じました。

シフの日本滞在の印象は非常に良好です。また、日本人がシフに対する態度は国が始まって以来最大の敬意を示すような対応です。だれもが日露戦争中のシフの好意に対し感謝を示し、代金を受け取らない日本人も書かれています(シフは無理矢理払いますが)。即興で日本画を描く催しで、シフは感動します。
こういった日本流のもてなし方は、実に素晴らしい。またもその好例を見せてもらったわけだ。しかし、駐日アメリカ代理公使のウィルソン氏がこの席で語ったところによると、日本滞在が長い人でも、来日して一ヶ月足らずの我々が味わっているこのような機会を持ったことがない人が多いという。(p.144)
また、日記のいろいろな部分から日本に対して好感を持っていることが分かります。
裁縫教室やいろいろな学科ものぞいてみたが、あらゆることに真剣かつ几帳面な態度で取り組むのには感動した。少女達の慎み深さ、機転、礼儀正しさは際立っていたが、庶民さえも例外なく、親切で謙虚で行儀の良い日本人という従来の印象が深まるだけのことだった。(p.160)
この日記は毎日詳細に書かれいるのは、何故なんだろうと不思議に思いながら読み進んでいきますが、最後にこの日記の意図が明らかになります。シフは「急激に変貌する文明や今後の歴史で重要な役割を演ずる国々への興味」を書きとめておくことを動機としていたようです。
この旅は生涯最大の出来事で、この後も長年にわたって回顧することを許されたい。おそらくこの楽しい旅行記が、われわれの死後も孫や子に対し、急激に変貌する文明や今後の歴史で重要な役割を演ずる国々への興味を刺激してくれることだろう。(p.210)
日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記 (新潮新書)
田畑 則重 (著)

第1章 ウォール街の巨人ジェイコブ・シフ高橋是清への指令
  • 開戦前夜の「困難」
  • ロンドンでの邂逅
  • 戦場以外の地道な戦略 ほか
第2章 シフ滞日記—Our Journey to Japan
  • ニューヨークから大陸横断鉄道の旅(一九〇六年二月二二日~三月七日)
  • マンチュリア号でハワイを経て横浜へ(三月八日~二四日)
  • ミカドの謁見。すばらしい午餐会(三月二五日~二八日)
  • ミカドの都。上野、増上寺、招魂社(三月二九日~四月一日) ほか
ジェイコブ・シフ、ドイツ系ユダヤ人でウォール街を代表する投資銀行家—。この男の助けがなければ、日本は日露戦争に勝てなかった。国家予算の六倍以上の 戦費をつぎ込み、継戦不可能というギリギリで掴んだ戦勝。その戦費の約四割を調達したのがシフだ。なぜ彼は極東の新興国日本を支援したのか?その生涯、対 日支援の動機とともに、叙勲のために招待された際の「滞日記」を、日本にはじめて紹介する。
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特攻とは何か (文春新書)特攻作戦を指揮した側の記録が丹念に描かれている本(全342ページ)です。同じ著者の『敷島隊の五人―海軍大尉関行男の生涯(上下)』では特攻に選ばれた側の記録が留められているそうです。全編を通して特攻の生みの親として語られることの多い、大西瀧治郎を中心として描かれています。

自爆体当たり攻撃の目的は三段階に分かれていたそうです。
大西長官の体当たり攻撃は、次の三つの段階に集約することができる。第一はレイテ沖海戦での栗田艦隊突入を援護する戦術的作戦、第二は「....これで何とかなる」とつぶやいた航空機による全力特攻への移行、第三は軍令部次長に転じてからの徹底抗戦、一億総特攻への戦略的転換の時期である。(p.281)
まず最初の神風部隊の運用は戦術的なものでした。日本軍の圧倒的な航空兵力の劣位の中、最後の反攻作戦を成功するために、米空母の航空甲板を使用不能にするために編成されました。
巨大戦艦大和、武蔵以下の第一遊撃部隊がサンベルナルジノ海峡を通ってレイテ湾口に殺到するという、日本にとっての最後の連合艦隊決戦である。...(略)...かれらを米軍機の航空攻撃から護るために、一時期米空母の飛行甲板を破壊し、発着不能にするというのが体当たり攻撃の主旨なのだ。(P.73)
次に、特攻が圧倒的な不利な情勢でも戦果をあげられる作戦だということが分かりました。大西長官はこの作戦を拡大運用し、劣勢をすこしでも挽回しようとしていきます。
敷島隊の戦果ーーいや、菊水隊の戦果も加えて、明らかに大西長官の心情に変化が起こった。「これでどうにかなる」の一言は、当初水上部隊のレイテ湾突入にそなえて米空母の飛行甲板を一時使用不能にする、という作戦目的から大きく飛躍して、在比海軍航空兵力の全力特攻化へと目的を大きく拡大したことを意味する。(p.147)
この頃になると日本人特有の前例主義によって作戦を指示しやすくなったのか、周りの参謀も特攻に慣れ始めます。命じる方も、命じられる方も通常の作戦のように特殊な作戦だと思わなくなっていくそうです。そして、最終段階として一億総特攻という考え方が出てきます。
国民全部が特攻隊となる。そして戦い抜くのだ。いくら物量のあるアメリカでも日本国民を根絶してしまうことはできない。勝敗は最後にある。九十九回敗れても最後に一勝すればそれが勝ちだ。攻めあぐめばアメリカもここらで日本と和平しようと考えてくる。戦争はドロンゲームとなる。(p.305-6)
ここまで来ると、そこまでして引き分けに持ち込んだ後に何を得られるのか考える必要があるでしょう。実際に本土決戦は避けられました。大西は特攻を会津藩の白虎隊に例えたことも言っていたそうです。ここまで来ると一人ひとりの美学の問題になってきます。
「昔、明治維新のときだが、会津藩が敗れたとき、白虎隊が出ただろう。一つの藩の最期ですらそうだった。まして、今は日本が滅びようとしているのだ。祖国の滅亡にさいし青年の総決起があってもいいじゃあないか。...(略)...」(p.302)
現在の日本では「特攻なんてバカなことをやった」と言うように語られることが多いですが、特攻はその他の有効な手段が奪われているという前提の前に成立しています。通常の攻撃を仕掛ければ、より多大な損害を被り、より少ない損害を与えることしか出来ない状態で、他に手がなかったのかも知れません。アメリカ側にも特攻を効率的だと見ていた大将がいました。
米戦史家トーマス・B・ブュエルは、はじめて日本の特攻攻撃を知った時のスプルーアンス大将の反応をこう記している。「スポルーアンスはこのような神風部隊の使用を『健全にして経済的な戦法であり、しかも日本人の気質に特に合致した方法である』とみていた。...(略)...」(p.225)
特攻とは何か (文春新書)
森 史朗 (著)

遺書の碑
日米レイテ決戦場へ
誰が特攻を決めたのか
特攻隊員の群像
特攻作戦の拡大
第二特別攻撃隊編成へ
特攻と日本人
米側の反応
生きていた軍神
特攻に反対した指揮官
大西長官、比島より転進へ
最後の一日

日本人以外に、特攻作戦を実施した国民はいない。なぜ、こんな非道な戦法を採ったのか? 敗戦直後、割腹自決した「特攻隊の生みの親」大西滝治郎海軍中将たちの苦悩と葛藤を描き、命じた者の立場から初めて特攻を検証する。
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特攻とは何か (文春新書)特攻作戦を指揮した側の記録が丹念に描かれている本(全342ページ)です。同じ著者の『敷島隊の五人―海軍大尉関行男の生涯(上下)』では特攻に選ばれた側の記録が留められているそうです。全編を通して特攻の生みの親として語られることの多い、大西瀧治郎を中心として描かれています。

自爆体当たり攻撃の目的は三段階に分かれていたそうです。
大西長官の体当たり攻撃は、次の三つの段階に集約することができる。第一はレイテ沖海戦での栗田艦隊突入を援護する戦術的作戦、第二は「....これで何とかなる」とつぶやいた航空機による全力特攻への移行、第三は軍令部次長に転じてからの徹底抗戦、一億総特攻への戦略的転換の時期である。(p.281)
まず最初の神風部隊の運用は戦術的なものでした。日本軍の圧倒的な航空兵力の劣位の中、最後の反攻作戦を成功するために、米空母の航空甲板を使用不能にするために編成されました。
巨大戦艦大和、武蔵以下の第一遊撃部隊がサンベルナルジノ海峡を通ってレイテ湾口に殺到するという、日本にとっての最後の連合艦隊決戦である。...(略)...かれらを米軍機の航空攻撃から護るために、一時期米空母の飛行甲板を破壊し、発着不能にするというのが体当たり攻撃の主旨なのだ。(P.73)
次に、特攻が圧倒的な不利な情勢でも戦果をあげられる作戦だということが分かりました。大西長官はこの作戦を拡大運用し、劣勢をすこしでも挽回しようとしていきます。
敷島隊の戦果ーーいや、菊水隊の戦果も加えて、明らかに大西長官の心情に変化が起こった。「これでどうにかなる」の一言は、当初水上部隊のレイテ湾突入にそなえて米空母の飛行甲板を一時使用不能にする、という作戦目的から大きく飛躍して、在比海軍航空兵力の全力特攻化へと目的を大きく拡大したことを意味する。(p.147)
この頃になると日本人特有の前例主義によって作戦を指示しやすくなったのか、周りの参謀も特攻に慣れ始めます。命じる方も、命じられる方も通常の作戦のように特殊な作戦だと思わなくなっていくそうです。そして、最終段階として一億総特攻という考え方が出てきます。
国民全部が特攻隊となる。そして戦い抜くのだ。いくら物量のあるアメリカでも日本国民を根絶してしまうことはできない。勝敗は最後にある。九十九回敗れても最後に一勝すればそれが勝ちだ。攻めあぐめばアメリカもここらで日本と和平しようと考えてくる。戦争はドロンゲームとなる。(p.305-6)
ここまで来ると、そこまでして引き分けに持ち込んだ後に何を得られるのか考える必要があるでしょう。実際に本土決戦は避けられました。大西は特攻を会津藩の白虎隊に例えたことも言っていたそうです。ここまで来ると一人ひとりの美学の問題になってきます。
「昔、明治維新のときだが、会津藩が敗れたとき、白虎隊が出ただろう。一つの藩の最期ですらそうだった。まして、今は日本が滅びようとしているのだ。祖国の滅亡にさいし青年の総決起があってもいいじゃあないか。...(略)...」(p.302)
現在の日本では「特攻なんてバカなことをやった」と言うように語られることが多いですが、特攻はその他の有効な手段が奪われているという前提の前に成立しています。通常の攻撃を仕掛ければ、より多大な損害を被り、より少ない損害を与えることしか出来ない状態で、他に手がなかったのかも知れません。アメリカ側にも特攻を効率的だと見ていた大将がいました。
米戦史家トーマス・B・ブュエルは、はじめて日本の特攻攻撃を知った時のスプルーアンス大将の反応をこう記している。「スポルーアンスはこのような神風部隊の使用を『健全にして経済的な戦法であり、しかも日本人の気質に特に合致した方法である』とみていた。...(略)...」(p.225)
特攻とは何か (文春新書)
森 史朗 (著)

遺書の碑
日米レイテ決戦場へ
誰が特攻を決めたのか
特攻隊員の群像
特攻作戦の拡大
第二特別攻撃隊編成へ
特攻と日本人
米側の反応
生きていた軍神
特攻に反対した指揮官
大西長官、比島より転進へ
最後の一日

日本人以外に、特攻作戦を実施した国民はいない。なぜ、こんな非道な戦法を採ったのか? 敗戦直後、割腹自決した「特攻隊の生みの親」大西滝治郎海軍中将たちの苦悩と葛藤を描き、命じた者の立場から初めて特攻を検証する。
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知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 (平凡社新書)
福沢諭吉の功罪について分析していこうという内容の本です。このブログでは、福沢諭吉についての本を書評するのは、「[書評] 福沢諭吉の真実」についで二度目です。本エントリの本にも『福沢諭吉の真実』について触れられています。「平山洋氏の『福沢諭吉の真実』(文春新書、2004)である。...(略)...これが究極の福沢擁護論であることだけは間違いない。(p.228)」です。福沢諭吉の不都合な記事は別人が書いた可能性があると指摘した『福沢諭吉の真実』を究極の福沢擁護論と位置づけています。対する本書は、「本書『知られざる福沢諭吉』などは、その内容はともかくとしても、「福沢惚れ」でない著者による福沢論であるところに希少価値があると自負している。(p.228)」というように、福沢擁護論ではないところに価値を置いています。

本書では、福沢が分かりやすい文章と論理をもって大衆に当時の外国と日本の状況について説明し、開国に向かう大衆の意識を変えたことについての評価をしつつ、福沢の品格、節操のなさを焦点としています。福沢の品格を問うのは、日本の品格を問うのに必須であり、このブログでも書評した「[書評] 国家の品格」でも述べられるべきであったと書かれています。

福沢の節操のなさはいろいろな出来事を元に解説されていますが、最も端的なところは明治維新前後の福沢の変わり身の早さでしょう。以下は、『福翁自伝』中の一節を著者が解説のために、まとめたものです。福沢の思想として三つの点が挙げられています。
1. 幕府は叩き潰してしまうがよい(倒幕思想)。
2. 幕府に雇われているからといって、批判を控える必要はない。洋学者は幕府に横文字を読む技術を提供しているだけで、雪駄直しと変わるところがない(洋学者=賤民説)。
3. 自分たちは、幕府を倒す先棒になるつもりはない(傍観主義)。(p.99)
幕府に勤めているにもかかわらず、幕府は不必要といい、幕府を批判し、その上、倒幕運動をする危険は冒さないという、ずる賢さがあります。これが一個人だったら、頭の良い器用人ということになるのかもしれませんが、最高額の紙幣に印刷される人物となれば、その妥当性について功績や品格などを含めた「紙幣に載る資格」についても議論される必要があるでしょう。

攘夷支持の頑固なおばあさんを口説き落として開国に転向させようとしている友人を見て、自分も開国の意義を世の中に説明しようと思い立ちます。著者は、これが思想家/啓蒙家・福沢諭吉の始まりだと見ています。
こうして福沢は、『唐人往来』を書き上げた。「一本の筆を振り廻して江戸中の爺婆を開国に口説き落とさん」。このスタンスは、幕臣としての立場に抵触しない。また塾経営者としての立場とも矛盾しない。啓蒙家・福沢諭吉は、まさにこの瞬間に誕生したと言ってよいだろう。(P.176)
この判断でも、福沢は幕臣の立場、塾経営者の立場としての自分の利害について鋭く考えがまわっています。こういった冷静な判断は器用でもあり、利害を超えた情熱を美談とする状況では、ずる賢くも思える行動なのだと思います。この点を端的に切り込んだ『学商福沢諭吉』の一節が紹介されています。
「強者に屈するを以て.....自ら智者なり先見者なりと信ず」。福沢諭吉の本質についてずばり論評したこの数行は、『学商福沢諭吉』一巻の中で最も精彩を放っている部分かも知れない。(p.220)
福沢は、自分の利害について鋭い感覚を持っているがために、強者にへつらう傾向があるという指摘です。たしかに一理あります。自分の利害に敏感になれば、その傾向は避けられないでしょう。日本の将来を考え、自分が死罪にならず、自分の能力を最大に活かす道を冷静に探し求めたとも言えるし、私利私欲を求め権力に迎合したとも言える、生き方なのかもしれません。

最後に、上に紹介した『唐人往来』のなかで福沢が開国への説得を試みているところが面白いです。
その内九十七人は睦まじく付き合い往来するところへ、三人は天から降りたるもののように気高く構え、別に仲間を結んで三人の他は一切交わりを絶ち分からぬ理屈を言いながら、自分たちの風に合わぬとて九十七人の者を畜生同様に取り扱わんとせば、それにて済むべきや。まず世の中の笑われ者になるべし。(p.182)
攘夷をしていると、日本は世界ののけ者にされるという説得です。世間ののけ者になることを何より恐れる日本人、とくに攘夷支持の爺婆を説得するのには、最も効果がありそうです。今も昔も日本人の特質として変わらないのでしょうか。

その頃の世の中には、日本以外の全ての国々で往来があった訳ではもちろんなく、また、それまで鎖国していた日本がのけ者にされても実害は少ないと言えたかも知れません。もちろん福沢もそのことを承知で、最も日本人に効果的な方法を用いて説得を試みたのでしょう。目的を達するには効果的ですが、当時の日本人の無知につけ込んだずる賢い説得と言えるかも知れません。
知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 (平凡社新書)
礫川 全次 (著)

序章 福沢諭吉の知られざる一面
第1章 ペル氏築城書盗写事件
第2章 下級武士・福沢諭吉
第3章 苦学と逸話
第4章 慶応三年の謹慎事件
第5章 明治維新と慶応義塾
第6章 学商・福沢諭吉
第7章 商業立国とマンモニズム
第8章 脱亜の代償
終章 福沢諭吉論のために

近代日本をリードした啓蒙思想家であり、今でも「偉人」として評価される福沢諭吉。同時に、彼は拝金主義者、ほら吹き、変節漢といった人格的批判も多く受けた人物だった。下級武士から幕臣、啓蒙思想家へと異例の出世をした福沢の真の姿はいかなるものだったのか。福沢に対する人格的批判の当否を検証し、「成り上がり者」福沢諭吉の心性を探る。
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知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 (平凡社新書)
福沢諭吉の功罪について分析していこうという内容の本です。このブログでは、福沢諭吉についての本を書評するのは、「[書評] 福沢諭吉の真実」についで二度目です。本エントリの本にも『福沢諭吉の真実』について触れられています。「平山洋氏の『福沢諭吉の真実』(文春新書、2004)である。...(略)...これが究極の福沢擁護論であることだけは間違いない。(p.228)」です。福沢諭吉の不都合な記事は別人が書いた可能性があると指摘した『福沢諭吉の真実』を究極の福沢擁護論と位置づけています。対する本書は、「本書『知られざる福沢諭吉』などは、その内容はともかくとしても、「福沢惚れ」でない著者による福沢論であるところに希少価値があると自負している。(p.228)」というように、福沢擁護論ではないところに価値を置いています。

本書では、福沢が分かりやすい文章と論理をもって大衆に当時の外国と日本の状況について説明し、開国に向かう大衆の意識を変えたことについての評価をしつつ、福沢の品格、節操のなさを焦点としています。福沢の品格を問うのは、日本の品格を問うのに必須であり、このブログでも書評した「[書評] 国家の品格」でも述べられるべきであったと書かれています。

福沢の節操のなさはいろいろな出来事を元に解説されていますが、最も端的なところは明治維新前後の福沢の変わり身の早さでしょう。以下は、『福翁自伝』中の一節を著者が解説のために、まとめたものです。福沢の思想として三つの点が挙げられています。
1. 幕府は叩き潰してしまうがよい(倒幕思想)。
2. 幕府に雇われているからといって、批判を控える必要はない。洋学者は幕府に横文字を読む技術を提供しているだけで、雪駄直しと変わるところがない(洋学者=賤民説)。
3. 自分たちは、幕府を倒す先棒になるつもりはない(傍観主義)。(p.99)
幕府に勤めているにもかかわらず、幕府は不必要といい、幕府を批判し、その上、倒幕運動をする危険は冒さないという、ずる賢さがあります。これが一個人だったら、頭の良い器用人ということになるのかもしれませんが、最高額の紙幣に印刷される人物となれば、その妥当性について功績や品格などを含めた「紙幣に載る資格」についても議論される必要があるでしょう。

攘夷支持の頑固なおばあさんを口説き落として開国に転向させようとしている友人を見て、自分も開国の意義を世の中に説明しようと思い立ちます。著者は、これが思想家/啓蒙家・福沢諭吉の始まりだと見ています。
こうして福沢は、『唐人往来』を書き上げた。「一本の筆を振り廻して江戸中の爺婆を開国に口説き落とさん」。このスタンスは、幕臣としての立場に抵触しない。また塾経営者としての立場とも矛盾しない。啓蒙家・福沢諭吉は、まさにこの瞬間に誕生したと言ってよいだろう。(P.176)
この判断でも、福沢は幕臣の立場、塾経営者の立場としての自分の利害について鋭く考えがまわっています。こういった冷静な判断は器用でもあり、利害を超えた情熱を美談とする状況では、ずる賢くも思える行動なのだと思います。この点を端的に切り込んだ『学商福沢諭吉』の一節が紹介されています。
「強者に屈するを以て.....自ら智者なり先見者なりと信ず」。福沢諭吉の本質についてずばり論評したこの数行は、『学商福沢諭吉』一巻の中で最も精彩を放っている部分かも知れない。(p.220)
福沢は、自分の利害について鋭い感覚を持っているがために、強者にへつらう傾向があるという指摘です。たしかに一理あります。自分の利害に敏感になれば、その傾向は避けられないでしょう。日本の将来を考え、自分が死罪にならず、自分の能力を最大に活かす道を冷静に探し求めたとも言えるし、私利私欲を求め権力に迎合したとも言える、生き方なのかもしれません。

最後に、上に紹介した『唐人往来』のなかで福沢が開国への説得を試みているところが面白いです。
その内九十七人は睦まじく付き合い往来するところへ、三人は天から降りたるもののように気高く構え、別に仲間を結んで三人の他は一切交わりを絶ち分からぬ理屈を言いながら、自分たちの風に合わぬとて九十七人の者を畜生同様に取り扱わんとせば、それにて済むべきや。まず世の中の笑われ者になるべし。(p.182)
攘夷をしていると、日本は世界ののけ者にされるという説得です。世間ののけ者になることを何より恐れる日本人、とくに攘夷支持の爺婆を説得するのには、最も効果がありそうです。今も昔も日本人の特質として変わらないのでしょうか。

その頃の世の中には、日本以外の全ての国々で往来があった訳ではもちろんなく、また、それまで鎖国していた日本がのけ者にされても実害は少ないと言えたかも知れません。もちろん福沢もそのことを承知で、最も日本人に効果的な方法を用いて説得を試みたのでしょう。目的を達するには効果的ですが、当時の日本人の無知につけ込んだずる賢い説得と言えるかも知れません。
知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 (平凡社新書)
礫川 全次 (著)

序章 福沢諭吉の知られざる一面
第1章 ペル氏築城書盗写事件
第2章 下級武士・福沢諭吉
第3章 苦学と逸話
第4章 慶応三年の謹慎事件
第5章 明治維新と慶応義塾
第6章 学商・福沢諭吉
第7章 商業立国とマンモニズム
第8章 脱亜の代償
終章 福沢諭吉論のために

近代日本をリードした啓蒙思想家であり、今でも「偉人」として評価される福沢諭吉。同時に、彼は拝金主義者、ほら吹き、変節漢といった人格的批判も多く受けた人物だった。下級武士から幕臣、啓蒙思想家へと異例の出世をした福沢の真の姿はいかなるものだったのか。福沢に対する人格的批判の当否を検証し、「成り上がり者」福沢諭吉の心性を探る。
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大東亜会議の真実 アジアの解放と独立を目指して PHP新書 (PHP新書)実は本書を読むのは2回目です。日本で一度読み本は手放したのですが、パリのブックオフで見つけ書評を書いてみたく思い再購入しました。本書は「[書評] 福沢諭吉の真実」と同様に、一般的にいわれる内容と別の角度から見る本です。あの戦争を多面的に見つめるには、「戦争犯罪人が日本をめちゃくちゃにし、アジアを侵略して迷惑をかけた」という以外の別の見方を考察する必要があります。

この本はタイトルから受ける印象の、単なる”大東亜戦争”の肯定で終わっていません。欧米に支配されていたアジアの国々の指導者がどのように独立を成し遂げ、そのためにどのように日本と関わるか考えていたことが、多数の証言と共に紹介されます。日本の支配を批判する証言や、日本を利用し独立の闘争を加速する証言などです。日本の敗戦当時の1945年には、アジアには多数の植民地が残されていました。

1945年時点の植民地(wikipedia
戦後、フィリピン(1946)、インド(1947)、パキスタン(1947)、スリランカ(1948)、ビルマ(1948)、インドネシア(1949)と次々と独立していきます。



本書のサブタイトルである「アジアの解放と独立を目指して」というのは、戦争において日本が劣勢に立たされてから具体化して来たそうです。日本が戦う理由は、当初は「自存自衛」でした。戦争から2年近く経過した1943年4月、重光葵が「アジア解放」の理念を戦争目的に導入しました。
「大戦争を戦う日本には、戦う目的について堂々たる主張が無ければならぬ。自存自衛のために戦うというのは、戦う気分の問題で、主張の問題ではない」『重光葵著作集・1 昭和の動乱』(P.47)
開戦当初の2年間も戦争目的なしに戦争していたのは驚きです。「アジアの解放」が出て来た背景には、敗戦後をにらんだ構想があったそうです。
重光の本音は、日本の敗戦を予想し、日本が戦後のアジアに生きるためには、アジアの開放と独立という投資を行っておかなければならない、という点にあった。アジア諸国において、開放と独立が達成されるならば、たとえ日本が敗戦の憂き目に遭おうとも、アジア諸国は暗黙のうちに、日本の戦争の歴史的意味とアジアにおける日本の存在理由とを認めてくれるであろう、と考えたのである。(P. 47)
本書は、アジアの指導者が日本と共に戦った経緯が、証言と共に紹介されています。バー・モウ(ビルマ)、ホセ・ラウレル(フィリピン)、スバス・チャンドラ・ボース(インド)、スカルノ(インドネシア)、ハッタ(インドネシア)、アウン・サン(ビルマ)などです。僕が一番印象的だったのは、インドのボースでした。かれの証言は、日本の長所・短所を冷静に見つめ、どんなに情熱的にインド独立に身を捧げたかが伝わってくるからです。2つ引用します。
「枢軸国が戦争に勝つとしても、敗れるとしても、いずれにしてもイギリスはインドから駆逐されるであろう。もしもインドが他国の慈悲によって自由になったとすれば、われわれは間もなくその自由を喪失するに違いない。これがインド自由軍に対し、かれら自身の血を流すことを決意せしめた所以である」(『チャンドラ・ボースの生涯』)(P.151)
一方、国塚一乗はこう証言する。「日本訪問から帰って、ボースがいったことはね、日本という国が偉いことは認める。良い兵隊が要るし、良い技術者もいて、万事結構である。ただし日本には良き政治家(グッド・ステーツマン)がいない。これは致命的かもしれぬ、といっていたね」(P. 161)
最後に、外国人と太平洋戦争を話し合う時の注意すべきことを指摘しておきたいと思います。それは、この本に書いてあるように「日本はアジアの解放と独立を目的に戦ったんだ」と言わないことです。たとえそれが日本の戦争目的に書いてあり、その目的のために戦った日本軍人がいたとしても、各国の独立には各国の独立の英雄がいます。日本が各国を独立させたなどと言うことはは、各国の英雄の役割を軽視していると見られます。むしろ、各国の独立の英雄が日本と共に戦ってくれた、もしくは、他国の英雄が日本を独立の契機として利用した、と言うのが良いと思います。
大東亜会議の真実 アジアの解放と独立を目指して PHP新書 (PHP新書)
深田 祐介 (著)

昭和18年11月、大東亜会議開催さる
東条英機首相の代表演説
英国、オランダのアジア統治
裏切られ続けた一中国人の悲劇
全アジアの満州国化
策士の内なる理想主義
大東亜共同宣言
ジョヨボヨ伝説と日本軍
チャンドラ・ボースの進軍
東条内閣総辞職
ラウレル亡命
日本降伏
民族独立の夢
東亜解放のための戦争
大東亜共栄圏は日本の財産だ—福田和也との対話

昭和十八年十一月、戦時下の東京にタイ、ビルマ、インド、フィリピン、中国、満州国の六首脳が集まり、大東亜会議が開催された。史上初めて一堂に会したア ジア諸国の代表が「白人支配からの解放」を高らかに謳いあげた時、日本の戦争は、欧米帝国主義を模倣して権益を追求する侵略戦争から、アジア民族解放の大 義ある戦争へと大きく性質を変えたのであった—。“東京裁判史観の虚偽”を正し、大東亜会議が「アジアの傀儡を集めた茶番劇」ではけっしてなかったことを 明らかにする画期的労作。
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大東亜会議の真実 アジアの解放と独立を目指して PHP新書 (PHP新書)実は本書を読むのは2回目です。日本で一度読み本は手放したのですが、パリのブックオフで見つけ書評を書いてみたく思い再購入しました。本書は「[書評] 福沢諭吉の真実」と同様に、一般的にいわれる内容と別の角度から見る本です。あの戦争を多面的に見つめるには、「戦争犯罪人が日本をめちゃくちゃにし、アジアを侵略して迷惑をかけた」という以外の別の見方を考察する必要があります。

この本はタイトルから受ける印象の、単なる”大東亜戦争”の肯定で終わっていません。欧米に支配されていたアジアの国々の指導者がどのように独立を成し遂げ、そのためにどのように日本と関わるか考えていたことが、多数の証言と共に紹介されます。日本の支配を批判する証言や、日本を利用し独立の闘争を加速する証言などです。日本の敗戦当時の1945年には、アジアには多数の植民地が残されていました。

1945年時点の植民地(wikipedia
戦後、フィリピン(1946)、インド(1947)、パキスタン(1947)、スリランカ(1948)、ビルマ(1948)、インドネシア(1949)と次々と独立していきます。



本書のサブタイトルである「アジアの解放と独立を目指して」というのは、戦争において日本が劣勢に立たされてから具体化して来たそうです。日本が戦う理由は、当初は「自存自衛」でした。戦争から2年近く経過した1943年4月、重光葵が「アジア解放」の理念を戦争目的に導入しました。
「大戦争を戦う日本には、戦う目的について堂々たる主張が無ければならぬ。自存自衛のために戦うというのは、戦う気分の問題で、主張の問題ではない」『重光葵著作集・1 昭和の動乱』(P.47)
開戦当初の2年間も戦争目的なしに戦争していたのは驚きです。「アジアの解放」が出て来た背景には、敗戦後をにらんだ構想があったそうです。
重光の本音は、日本の敗戦を予想し、日本が戦後のアジアに生きるためには、アジアの開放と独立という投資を行っておかなければならない、という点にあった。アジア諸国において、開放と独立が達成されるならば、たとえ日本が敗戦の憂き目に遭おうとも、アジア諸国は暗黙のうちに、日本の戦争の歴史的意味とアジアにおける日本の存在理由とを認めてくれるであろう、と考えたのである。(P. 47)
本書は、アジアの指導者が日本と共に戦った経緯が、証言と共に紹介されています。バー・モウ(ビルマ)、ホセ・ラウレル(フィリピン)、スバス・チャンドラ・ボース(インド)、スカルノ(インドネシア)、ハッタ(インドネシア)、アウン・サン(ビルマ)などです。僕が一番印象的だったのは、インドのボースでした。かれの証言は、日本の長所・短所を冷静に見つめ、どんなに情熱的にインド独立に身を捧げたかが伝わってくるからです。2つ引用します。
「枢軸国が戦争に勝つとしても、敗れるとしても、いずれにしてもイギリスはインドから駆逐されるであろう。もしもインドが他国の慈悲によって自由になったとすれば、われわれは間もなくその自由を喪失するに違いない。これがインド自由軍に対し、かれら自身の血を流すことを決意せしめた所以である」(『チャンドラ・ボースの生涯』)(P.151)
一方、国塚一乗はこう証言する。「日本訪問から帰って、ボースがいったことはね、日本という国が偉いことは認める。良い兵隊が要るし、良い技術者もいて、万事結構である。ただし日本には良き政治家(グッド・ステーツマン)がいない。これは致命的かもしれぬ、といっていたね」(P. 161)
最後に、外国人と太平洋戦争を話し合う時の注意すべきことを指摘しておきたいと思います。それは、この本に書いてあるように「日本はアジアの解放と独立を目的に戦ったんだ」と言わないことです。たとえそれが日本の戦争目的に書いてあり、その目的のために戦った日本軍人がいたとしても、各国の独立には各国の独立の英雄がいます。日本が各国を独立させたなどと言うことはは、各国の英雄の役割を軽視していると見られます。むしろ、各国の独立の英雄が日本と共に戦ってくれた、もしくは、他国の英雄が日本を独立の契機として利用した、と言うのが良いと思います。
大東亜会議の真実 アジアの解放と独立を目指して PHP新書 (PHP新書)
深田 祐介 (著)

昭和18年11月、大東亜会議開催さる
東条英機首相の代表演説
英国、オランダのアジア統治
裏切られ続けた一中国人の悲劇
全アジアの満州国化
策士の内なる理想主義
大東亜共同宣言
ジョヨボヨ伝説と日本軍
チャンドラ・ボースの進軍
東条内閣総辞職
ラウレル亡命
日本降伏
民族独立の夢
東亜解放のための戦争
大東亜共栄圏は日本の財産だ—福田和也との対話

昭和十八年十一月、戦時下の東京にタイ、ビルマ、インド、フィリピン、中国、満州国の六首脳が集まり、大東亜会議が開催された。史上初めて一堂に会したア ジア諸国の代表が「白人支配からの解放」を高らかに謳いあげた時、日本の戦争は、欧米帝国主義を模倣して権益を追求する侵略戦争から、アジア民族解放の大 義ある戦争へと大きく性質を変えたのであった—。“東京裁判史観の虚偽”を正し、大東亜会議が「アジアの傀儡を集めた茶番劇」ではけっしてなかったことを 明らかにする画期的労作。
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