Santorini, Greece |
過去のエントリのコメントを見ると、移民反対の意見として、現状のように列島由来の日本人だけで日本を形作り、外国由来の日本人を極力排除した形の社会が最上のものだという意見がありました。僕は、列島由来の日本人と外国由来の日本人が調和し、他文化を許容しあって異端に寛容な日本は、現状よりもいいものだと思っているので、このエントリでは、もう一度良さを説明し、そうなるためには日本人がどのように変わらなければいけないのか考えます。
列島由来の日本人と外国由来の日本人が調和した社会
列島由来の日本人と外国由来の日本人が調和した社会は、「移民成功後の他文化を許容しあって異端に寛容な日本」として、過去の2エントリでたくさん書いてきました。例えば、「日本に来た移民が幸せになって笑顔を生み、その笑顔を見て元から列島にいた日本人も笑顔になる未来」、「人と違うことが短所にならず、長所となって互いに尊重されるような世界」、「列島に生まれた日本文化もその他の文化も同様に尊重され、統合を強制されない寛容な社会」などです。抽象的すぎて伝わりにくいと思うので、今回は具体的に行こうと思います。将来は異文化間の連携がいろんな場面での成功に欠かせなくなります。例えば、全世界に砂糖水を売る商売を考えてみましょう。この商売で競争する二つのチームが、日本のトップ大学を出たビジネスマン10人のチームと、世界各地の無名大学を出たビジネスマン10人のチームだったとします。これではまずもって勝負にもならないでしょう。日本の優秀な大学を出た10人が、連日徹夜で各地の情報を集め必死にビジネスプランを作ったとしても、世界各地の無名大学を出た10人にあっさり負けます。
無名大学を出た10人のチームで協調すれば、スペイン語、アラビア語、中国語、ヒンディー語の情報に容易にアクセスでき、それら地域の文化、考え方、習慣という情報をチームで共有できるからです。逆に日本の10人は、ラマダン(イスラムの断食)明けの夕食や、カラカラに乾いた砂漠ににおいて砂糖水がどのような役割をはたすか想像できません。激辛料理の文化がある地域や、食器を使わず手で直接料理を食べる文化において、砂糖水がどのように受け取られているのか想像できません。文献でラマダンの知識を仕入れても、物心ついた頃から数十年断食をしてきた人と比べると理解が浅いために、有効なアイデアを出せない可能性が高いのです。日本の主産業である、自動車や電子機器といった複雑なものを売るには、さらに異文化間の連携が必要になります。異文化間の連携、他文化理解はそれだけで人間の人生を豊かにするだけでなく、その連携によっていろんな場面での成功という実益も得られます。
この例では、移民ではなくお金で現地の職員を雇えばいいという考えもあると思いますが、それでも異文化理解を可能とする異文化との接触機会が必要になることには変わりません。「日本が移民を受け入れられるようになるための条件と提案
日本人の考え方を転換する必要性と独り勝ちの愚かさ
人生を豊かに暮らし、成功という実益を得るために移民に来てもらうためには、移民を自分たちと同格の日本人として認める覚悟と度量が必要となります。これを行うためには、現在の日本で主流となっている考え方を改める必要があります。それは「自分(達)さえ良くなれば、他の人達はどうでもいい」という考え方です。これだけ見ると誰が見ても悪い考え方だと思われますが、今の日本の主流な考え方だと思います。それは、少し前にはてなで流行った、「〜〜すれば、日本は圧倒的に世界(アジア)で独り勝ちする」みたいな論調に反映されています。つまり、自分が他人より優位な立場に立てば、人生が豊かになると考えていることになります。もう少し言えば、自分より惨めな立場にいる他人が周りに存在すれば、自分が幸せだと認められるということにほかなりません。そこには、日本に敗北した外国への想像力が欠如しているのです。この日本だけがよければそれでいいという主義を改めないことには、移民は失敗します。それは、移民が列島由来の日本人と同格の立場に立つことにより自分の幸せが毀損され、彼らの立場を下げれば自分の立場が向上すると考えることと同じだからです。この考え方を、移民を幸せにすることで、自分が幸せになる可能性が上がるという考え方に転換する必要があります。これが、過去のエントリで、「日本に来た移民が幸せになって笑顔を生み、その笑顔を見て元から列島にいた日本人も笑顔になる未来」を強調した理由です。笑顔は誰かが笑えば誰かが泣くという足し算引き算ではなく、誰かの笑顔が誰かの笑顔を呼ぶという掛け算だという考え方です。
この考え方は、フランスに一日の長があります。フランスにいると、「〜〜すれば、フランスは圧倒的に世界(欧州)で独り勝ちできる」という考え方が最終的にフランスを幸せにしないということが、自然に共有されているからです。フランスでは近隣諸国を自国より惨めな状態に置くことによって、フランスが幸せになるという考え方は、先の大戦の甚大な被害の上でほぼ消え去りました。フランスはヨーロッパ各国が豊かで幸せに暮らし、ヨーロッパに調和をもたらすことがフランスの利益になることを学びました。大概のフランス人はもう、ドイツを叩くことがフランスを幸せにするとは考えていませんし、ヨーロッパの貧国を支えることにも一定の価値を見出しているのです。
これは、日本の移民に置き換えると、外国由来の日本人を列島由来の由来の日本人よりも惨めな状態に置くことで、豊かな幸せを求めるのではなく、外国由来の日本人を豊かにし、調和を通じて自身の人生を豊かにすることと同じです。こう考えると、「移民をすれば(手段)、日本は圧倒的に世界で独り勝ち(目的)できる」なんていうエントリがあれば、かなり愚かなことになります。独り勝ちという目的自体に、移民という手段を失敗させる要素を含んでしまっているため、確実な失敗が約束されています。移民を考えるときに、「日本は移民で独り勝ちできる」というように考えていないかが重要なチェックポイントになります。
参考:
- 日本の中枢部から老害を排除できたら日本は圧倒的に一人勝ちする - Rails で行こう!
- わたしたちさえまともになれば、日本は圧倒的独り勝ちに近づく。 - 情報の海の漂流者
- 金融日記:政治さえまともになれば日本は圧倒的にアジアで独り勝ちできる
- 政治さえまともになれば、どんな国でも圧倒的に世界で独り勝ちできる - Rails で行こう!
- マスメディアを殺せば日本は圧倒的に独り勝ちする - 狐の王国
日本人は他文化に寛容なのでは?
他人を幸せにすることで自分が幸せになる考え方を普及させなければ、移民は失敗すると言うことを書いてきました。他人を自分より惨めな状態に置くことを目指す競争を煽りすぎると移民は失敗し、成功には列島由来の日本人と移民の調和がより重要になってきます。果たして日本にそれができるのかというと、僕はできると思います。日本は、旅行者に安心・安全で人々は親切で優しいと思われています。また、タクシーでなくした財布も後日見つかり現金も抜かれてないと驚く外国人もいます。今後、移民がどんなに違った価値観を持って入ってきたとしても、どのように価値観が変化しようと、安心・安全・親切・正直・真面目といった要素は普遍的な価値を持ちます。こういった価値観をベースに、移民との調和を目指すのは、筋がいいと思います。
また、日本人は他文化の受け入れという点でも寛容なのではないかと思います。日本ではいろいろな文化に興味を持っている人がいます。フランスやマグレブの文化だと、ワイン、チーズからクレームブリュレ、クグロフ、タジンなどが定期的に流行ります。他の国の文化でも美味しい物や楽しいもの、いいものがあれば定期的に流行ります。いろいろな文化に興味津々な人たちがいるのです。明治維新後の文明開化においても苛烈とも言える西洋化も日本には受け入れられました。ここまで西洋文化を日本化して受け入れられた日本が、他文化を受け入れられないとは思えません。日本は意外と他文化の受け入れという点では寛容なのではないかと思います。
まとめ
「よく移民が成功した国なんてないじゃないか?」と問う人がいますが、「それはココ(日本)にあります」と答えられるようになればいいのです。日本にはそれができると思います。ただそのためには、「日本が移民を受け入れられるようになるための条件と提案関連:
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社会
移民側にも寛容であることが求められると思いますがいかがでしょうか? どちらかが不寛容であれば共存は成立しません。ヨーロッパにお住まいの割には少し考えが甘いように思います。
入ってきた文化は最終的には日本に完全に溶け込み吸収されて未来の日本文化の構成要素となるべきだと思います。
初めまして。「今の日本人たちに、移民を自分たちと同格の日本人として認める覚悟と度量があるとは思えない」との事ですが、昨今フランスの移民排除が酷い状態になっているようで、国連の委員から「ナチスまがい」とまで言われる有様です。個人的には、受け入れない事よりも受け入れてから排除する事の方が残酷で無責任ですし、受け入れる時点での覚悟や思慮が足りないと指摘されても仕方がないと思うのですが、如何でしょうか?
Sophieさんの「移民との共生には競争より調和を」という主張に賛成します。反対派の方々が論じているように、日本が移民を受け入れるという他者の存在を認めることによって痛みをともなうというのは、当然のことながら避けることはできません。それでも日本は、現代版鎖国を意味するガラパゴス化を脱却する時期を、それほど遠くない将来において迎えると予測します。
「特別永住者」という「移民の失敗例」がすでにあるのに、捏造による反日教育が施された反資本主義の世界に生きてきた人たちをわざわざ呼び寄せてまで日本に住まわせようとする意図が全くわかりません。
あと「国連人権委員会」のメンバーのほとんどが、自国で行われている人権弾圧を勧告されるのを阻止するためにメンバーになった国がほとんどです。彼らは問題と言えるほどではない程度の人権侵害を叩くことで、自国の問題をカモフラージュしているに過ぎません。だからフランスを「ナチスまがい」と言ったりするんです。自分たちがナチスそのものとも言える民族浄化などを行う国だから。
「日本で移民が成功しない理由」というタイトルで、再びエントリーをたてました。
http://wingard.upper.jp/blog/archives/2010/08/19_0149.php
それにしてもSophie様はご自身のエントリーで「経済的効能を強調し、移民によって引き起こされる諸問題(人種差別、治安、宗教問題)を見せない、議論しない」ことが問題だとおっしゃっているにも関わらず、その諸問題に関するリスクアセスメントを全く行っていないことは意図してのことなのでしょうか。それとも日本から長く離れすぎて日本の現状がわからず、私の発言を「妄想」だと思い込まれたのでしょうか。だとしたらいささか遺憾に思います。
「琉球併合に国際法上の根拠はない」 学者ら論文、06年以降20本
http://mainichi.jp/select/world/news/20100818ddm001030020000c.html
ほら、沖縄は中国の領土だと言う人たちまでいますよ。彼らが沖縄に移住すれば、あっという間に中国領土です。移民して日本国籍を得たあとで「合法的に」独立して中国に吸収合併される形をとれば、彼らは再び中国国民に戻る事にもなります。
中国は他国を侵略することも厭わない国家なのに、その中国の民度は無視して数千万単位で移民をさせようなど、日本の現実を無視しすぎじゃありませんか?このことについて反論はないんですか?
ああ、「日本が寛容になって沖縄を譲ればいい」ってことが言いたいのですか?
ああ、すみません、wingwrongというのはWingardのGoogleアカウント名です。どちらも同一人物です。
フランスが周辺者を叩かない(ドイツ)というのは、第一次大戦と第二次大戦を二つを経験したからです。
フランスは第一次大戦でドイツ人を徹底的に叩きました。ですが、当時人口増加率でも、経済規模でも、ドイツはフランスを凌駕していました。これでは、フランス一国ではドイツとの戦争に勝てません。動員できる兵士の数と生産できる兵器量は人口規模と経済力で決まるからです。
敗者に恥辱を与えても、意味が無いというのは、第二次大戦の戦勝国(ソビエトは除く)の共通認識であり、例えば、日本は戦争に負けながら、伝統的な領土をまったく喪失しておりませんし、天皇も処刑されず、皇室は現在なお存在しています。これは敗者の待遇としてはかなり寛大なものです。
話を戻しますが、フランス人は、第一次大戦の勝者であることから、フランス人はドイツ人を徹底的に叩いてしまいました。例えば、ハイパーインフレを起こすほどの賠償金とか、フランス軍のルール占領とかです。これは、ヒトラー台頭に手を貸すことになりました。
なので、移民の取り扱いとは必ずしも、結びつかないと思います。
EUは、EU域の移民を基本的には認めていません。もし、フランス人が無制限の移民を、しかもEU域外から認めるとするならば、日本も、その結果を見てやればよろしいかと思います。
日本の移民に関する議論は始まったばかり。もっと本音の議論が必要なんじゃないですか。以前のエントリーのコメントにもありましたが、日本がかつて支配した朝鮮半島からの50万人からの移民、彼らの存在をどう評価し、未来をどう展望するのか、「差別 差別」という言葉を恐れず歴史の教訓を得ねばなりません。
ブログ主も指摘しているように移民の賛成反対は「移民の存在が自分のとってメリットがあるか、デメリットがあるか、あるいは過去メリットでメリットを受けてきたか」できまる。そういう意味でも朝鮮半島の移民の議論が前提としてあるべき。
また日本はフランス領アルジェリア独立の歴史、アルジェリア移民の由来(ピエノワールの存在とかも)もよく知った方がよい。社会が寛容だから移民を受け入れたというより独立戦争前後の過酷な状況でフランスはそうせざるを得なかったのではなかったか。