Vancenne, France
僕がフランスに来てから来月で3年ですが、その間に4人の内閣総理大臣が日本の指導者を務めています。3年前は日本の首相は安部氏でした。それから半年後、福田氏が首相になり、そしてその1年後に麻生氏が引き継ぎ、去年、「友愛」を掲げる鳩山首相の政権が誕生しました。現在、日本では友愛とはどういう概念なのかという議論があることと思います。

フランスはフランス革命以来、220年にわたって「自由、平等、友愛(Liberté, égalité, fraternité)」を国家のモットーとして掲げています。自由平等は当時、革命的な概念だったのだと思われますが、現在はフランスを飛び出し、多くの人が理解する普遍的、常識的な概念として捉えられています。その一方、最後の友愛については常識的な概念には成りきれていません。それでも、当時のフランス人達が革命のドタバタの中で自由と平等だけでは足りないと感じ、友愛という概念を追加したのは聡明だったといわざるを得ません。現在日本で注目度が上昇中のキーワードである友愛については、フランス人たちの理解を知ってみる価値があると思います。

220年経っても達成されない超難易度「友愛」という概念

辞書で友愛を引くと、1)兄弟の間の情愛、2)友人に対する親愛の情。友情。と出てきます。他人のことを他人事と思わず、兄弟のように困ったときは一緒に困ってあげて、兄弟が喜んだら一緒に喜ぶような心持ちのようです。また、ジャック・アタリ氏はそのままズバリ、「友愛(Fraternité)」という本の中で以下のように書いています。偉く聡明な人が定義し、説明しなければならないということは、まだ普遍的な概念となりきれていないことを示しています。
Fraternité - Wikipédia
友愛とは各々が本当の兄弟に対するように他者に親愛の情を感じる社会的秩序と定義することができる。(略)友愛は、自然状態ではなく、文明のひとつの目標である。
« On peut essayer de définir la fraternité comme un ordre social, dans lequel chacun aimerait l'autre comme son propre frère. [...] La fraternité est un but de civilisation, pas un état de nature.»
人類はミトコンドリア・イブと呼ばれる共通の祖先を持っています。彼女の産んだ子どもたちは兄弟の間の情愛である友愛(Fraternité)を自然に持っていたでしょう。その次の世代も持っていたかも知れません。それから何世代もたった現在、人類は他者に対して自然に友愛を持つことはできなくなってしまいました。それどころか、自らに最も近い隣人に対して最も友愛から遠い関係を作ってしまいます。メロドラマ的な親族の争い、隣家との争い、隣町との争い、隣国との争いなどなど。この理由はハッキリしています。最も近い隣人とは、最も利害が対立するからです。自分と利害が対立する他者に対して、友愛なんて抱けないというのが根本的な問題です。

フランスではフランス革命当時、「自由、平等、友愛(Liberté, égalité, fraternité)」の標語が誕生して220年、10世代もの親から子供へ友愛の概念の説明が行われてきたにも関わらず、統一見解は得られていません。そう考えると、極東の島国で、お偉いさんが突然「友愛」を唱えても、長くて4年間の任期でそれを達成できるなんてことは、ありえません。荒唐無稽です。

現在のフランスでよく使われる「連帯(Solidalité)」

フランスでも達成できてない友愛へ向かって、現状を少しでも変える努力がなされています。それが「連帯(Solidalité)」です。連帯は市民が手と手を取り合って困難を乗り越える意味合いで使われます。例えば、強大な国王と一人ひとりの弱い市民では革命は起こせません。市民が手をとってことに当たる必要があります。これが連帯です。また、フランス名物のストライキも、資本家の従業員支配に対して、連帯して抵抗する意味合いがあり、これもSolidalitéの発露だと解釈されています。また、最近ではハイチの地震への義援金募集の標語にも「連帯」が使われていました。強大な自然の脅威に対して、一人ひとりが手をとって困難に当たらなければならないのです。Solidalitéには困ったときはお互いさま、協力しましょうといったニュアンスもあります。

「連帯」は2つの点で「友愛」よりも行動に移しやすい概念だと言えます。まず一つ目としては、具体的な脅威が設定されているために、各人が連帯の価値を理解しやすい点にあります。上の例では国王、資本家、地震となります。二つ目としては、具体的な脅威が明確なために、具体的な行動を伴いやすいことです。国王に投獄された人を支援したり、ストライキで従業員の要求を通したり、義援金を募集したりという行動が、「連帯」の発露として認識されます。逆に友愛とは具体的な脅威を設定ぜずとも、他者に親愛の情を持つことなので、難しいのです。さらに、他者に対して親愛の情を持った具体的行動というものも明確なものは無いので、難しいのです。「友愛」とは、具体的脅威を設定せずとも行われる「連帯」と言えるかも知れません。

(EUはアメリカ超大国の誕生とアジア諸国の台頭に危機感を覚えたヨーロッパの「連帯」とも言えるかも知れません。最終的には友愛を目指しているのかも知れませんが、現在は連帯どまりでしょう。)

日本の伝統的価値観「和を以て貴しと為す」

日本には、「友愛」と意味合いの近い価値観として、日本初の憲法にもうたわれた「和を以て貴しと為す」という価値観があります。これには、フランスで唱えられている「連帯(Solidalité)」には無い優れた特徴があります。それは、調和を重んじる心には、具体的な脅威を設定する必要がないという点です。「和を以て貴しと為す」という価値観は、なにか目的のために、争いをやめることではなく調和そのものを目的とする点が「連帯」とは違います。

それでは、「和を以て貴しと為す」という価値観を進めていけば、「友愛」に到達できるのかというと、そうではありません。「友愛」は他者に対する親愛の情ですが、「和を以て貴しと為す」は情愛とは無関係だからです。「和を以て貴しと為す」だと、「うーん、あいつ嫌いだから叩いてやりたいけど、調和が貴いから感情を抑えて、取り繕わなければならない」という事も有り得ます。「友愛」とは他者に対する親愛の情という人類の気持ちの持ちようを対象にしている点でずっと難しいものなのです。

まとめ

このエントリでは友愛に関係して、フランスでよく聞く「連帯」と日本の伝統的価値観である「調和」を絡めて考えてみました。まとめると友愛というのは、連帯と調和のはるか先にある概念で、達成するのはものすごく難しいということです。

友愛=他者に対する親愛の情
連帯=手と手を取り合りあうこと(脅威を必要とする友愛)
調和=争いの無い状態(親愛の情のない友愛)
現状の世界を覆う価値観で考える限り、達成する見込みのない概念だと言えるかも知れません。たかだか後50年ぐらいしか生きられない僕はおそらく、友愛が達成された世界を見ることはないと思われます。現状の世界を覆う価値観が完全にひっくり返る何かが起こらなければ、無理でしょう。核戦争で人類が15人になっちゃったとか、インターネットを越える通信技術で各人の感情が接続される世界が到来したとか...

それでも、隣国の中国・韓国にも自然に親愛の情が湧いてくる日本、アフリカで飢餓で死にゆく人々に親族のように親身になれる世界、というのを想像することには意味があると思います。つまり、友愛とは掲げることに意味があります。友愛とは方角を告げる北極星のような存在なのです。北極星がどのような星なのかは誰も知りませんが、そちらの方角が北だということは誰でも知っています。友愛を掲げておけば、我々がどの方角へ行こうとしているかということに関して、皆の意識を統一できます。

関連で、友愛をどう訳すか - Chikirinの日記
友愛をどう訳すか - Chikirinの日記を読んだ感想。
  • 友愛を「LOVE & PEACE」と訳すのはいいアイデアかと思いました。
  • 友愛を示すFraternityは、英語では心象の弱い言葉だそうです。米英(アングロ・サクソン)を見ている限り、友愛とは程遠いようなので、さもありなんという感じがします。フランス語ではFraternitéは国家のスローガンになるほど、心象の強い言葉です。米英と欧州大陸は意識の面でもかなりの差があります。
  • 米英に近いオーストラリア人はともかく大陸のイタリア人は勉強が足りていないように感じました...。隣国の標語ぐらいは意識しておいて欲しいですね。
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Eze, France
前エントリでは「大陸の人は国家は気持ちの持ちようだと思ってる このエントリーを含むはてなブックマーク」と書きました。人が人に感じる親近感を国家が成立していることへの根拠にしようという話でした。それでは次に、人が人に抱く親近感は何によって影響される割合が多いのかということが重要になってきます。これはフランスでは既に答えが出ています。フランス人はフランス語を喋る人に親近感を抱きます。もう少しいうと「フランス語をしゃべればフランス人として扱われる」と言えます。

日本では「日本語をしゃべれば日本人として扱う」とは言い換えられませんから、日本とはだいぶ違う感覚のように思われます。世界の多くの国は大陸の中で分割された土地にあるので、どちらかというとフランス人の感覚に近いのではないでしょうか。このエントリでは、人と人との関わりに言語が及ぼす影響について書いていきます。

フランス語をしゃべれはフランス人として扱われる

「フランス語を話せばフランス人として扱われる」というのは、完全に正しいとは言えませんが、フランスでは日本に比べるとこの傾向が強いです。なぜこういう事が起こるのかというと、フランスではフランス人同士において、人種や容姿や宗教、慣習、振る舞い方などの共通項が少ないため、言語がアイデンティティに占める割合が増えるからです。

このブログ を始めた2週間後にこういうふうに書いているので、参考にしてみてください。
フランスにおける言語の重要性 このエントリーを含むはてなブックマーク
フランス人はというと、白人、黒人、アジア人といった容姿の人が混在しているので、見た目では判断できません。また、宗教もカトリック、イスラム教などな ど広く普及しているので、普遍的な文化的な共有もありません。当然、両親や祖先の前提も何もありません。そうすると、必然的にフランス人というアイデン ティティにおける言語の割合が相対的に増えます。つまりフランス語をしゃべればフランス人という状態になります。もう少し正確に言うと、フランス語をしゃべればフランス人と見分けがつかなくなるということです。
これは、去年行われたCSA-パリジャンの調査でもハッキリしています。回答者の8割がフランスの国家アイデンティティはフランス語と答えたのでした。
Identité nationale: 60% des Français pour un débat: ParisMatch.com
(国家アイデンティティ:60%のフランス人が議論を支持)

60%のフランス人が国家アイデンティティの議論を支持しているとCSA-パリジャンの調査で示された。国家アイデンティティで最も多かったのは、回答者の80%が支持したフランス語、次いで共和国64%、次に三色旗63%、政教分離61%、公共事業60%、国家マルセイエーズ50%、移民受け入れ31%と答えた。

親近感を左右する共通言語

「フランス語をしゃべればフランス人」という感覚は、結構おかしな話です。僕はフランス語をしゃべっているときにも、フランス人になったとは思っていませんし、何語をしゃべろうとも日本人という意識は抜けません。しかしこのときでも、相手は自分の母国語をしゃべる人に対して、親近感を持つのです。もう少しぶっちゃけて言うと、この人とは分かり合えるかもしれないという思い込みがかすかに生まれる感じです。これはどんなに理屈くさい大人でも起こる普遍的な現象のように思います。というのもこれは人間の深いところに刻まれた刷り込みのようなものだからです。

例えば、知り合いの娘で4ヶ国語をしゃべる少女に合ったときの話です。ちなみに欧州ではこれぐらいはよくあることです。彼女の場合も、日本人の母とイタリア人の父の間に生まれ、家庭内の会話は英語、ベルギーに住み幼稚園ではフランス語を習います。少女は4ヶ国語をしゃべり、母親には日本語、父親にはイタリア語、幼稚園の先生にはフランス語と自然に使い分けます。僕と少女の間には3ヶ国語で意思疎通をする手段がありました。

知り合いに誘われ、その家庭には何日かおじゃまさせていただきました。少女とは散歩ぐらいはするけれども、僕が用があるのは両親なので、少女にはあまり構っていませんでした。少女のほうもいきなり家に見たことのない両親の友人が現れたら、少し警戒があるのは当然かもしれません。少女とはそれほど関わり合いがないまま、最終日を迎えました。最終日の帰る時間を待っているときに手持ち無沙汰で、少女の持っている日本語の絵本を読んであげることにしました。そして日本語で2,3冊読んだ後の彼女のなつき様は、ちょっとびっくりするぐらいでした。ひざに乗ったり、ぬいぐるみで遊んだり、さらに別れるときにはさみしくて泣かれるほどでした。

おそらくベルギーに住む彼女に日本語をしゃべりかけてくる人は母親を除くとそれほど多くないはずです。母親以外に日本語で絵本を読める人がいたのはちょっとした驚きのはずです。母親と同系統の言語を操る人の存在に安心したとか、親近感を感じたということがあるような気がするのです。

分かり合えるかもしれないという思い込み

自分が物心ついたときから母親が使っていた言語を使う人に対する親近感というのは、大人になっても一定の影響があるように思います。言い換えるなら、この人とは分かり合えるかもしれないという思い込みです。例えば日本人と日本人であれば、一言交わせば分かり合えるとか、目と目を見つめるだけで分かり合えるような気になる感覚が近いです。日本人とでは起こり、外国人とでは起こらない感覚があるなら、まさしくそれが親近感、もしくは分かり合えるかもしれないという思い込みです。これが、共通言語によっても引き起こされます。今後世界が相互理解を深めたとしても、共通言語による分かり合えるかもしれないという思い込み感覚は、最後まで残るでしょう。

大陸の人は国家は気持ちの持ちようだと思ってる」ではフランス人は親近感を国籍の根拠としていました。中国人は、誰を信用するかは国籍と関係ないとしています。どちらも、自分の中に引き起こされる気持ちを重要視していることに変わりはありません。自分の中に引き起こされる感覚が共通言語によって左右される割合が大きいとすれば、国籍や今後国籍に取って代わる概念でも、言語が重要な要素になってくるのです。

最後に、共通言語をしゃべる人間に親近感を抱かざるを得ない人間の特性を理解すれば、言語を習得するメリットがひとつわかりやすくなります→言語を習得することによるネイティブとの心理的距離の接近させる効果を書いたエントリ「留学するのにフランス語は必要か」など。

また、英語が得意な人でも母国語をしゃべる魅力にはどうしても勝てません。こう理解すれば、「他人に英語をしゃべってもらうのは大変」で述べたように、相手にいつでも英語を期待するのは心理的負担が大きいことがわかります。

関連
感想
エントリの内容と関係しないのですが、CSA-パリジャンの調査で驚くことは、フランス人の6割が国家アイデンティティの議論に賛成というところです。ということは4割は議論に不賛成なのです。おそらくこれ は、国家アイデンティティを議論した結果、国家が定めるアイデンティティの公式見解が定められた結果、それらを支持しない人々への差別を助長してしまう恐 れがあるからでしょう。フランス共和国憲法の定めるところの「フランスは、非宗教 的、民主的、社会的な、分割し得ない共和国」という原則を守るため、国家アイデンティティの議論に不賛成という立場もありえます。

もう一つびっくりするのは、「移民受け入れ」を3人に1人がフランスの国家アイデンティティと回答していることです。「フランス の移民政策は成功しつつあるという認識 このエントリーを含むはてなブックマーク」 のように文化が混じり合って共通の価値観を作り出したという自負なのかも知れません。もしくは自身が移民、親族が移民、友人が移民などなど移民の受け入れ を国家アイデンティティとする土壌があるのかも知れません。
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Loire, France
3月は1エントリを投稿して約58500PVでした。今年一月と同じ過去最低タイの投稿数となってしまいました。

今日4月2日をもって、このブログ開始から満2年になりました。2年前、このブログを始めるときも日本の友人からの新年度の所属変更の連絡とか、花見の話題とかを見ていて、新しいことを始めたいと思って始めたのがきっかけでした。フランスでは4月は新年度という意識はありませんが、僕も当時関わっていたEUプロジェクトが完了して、気分的に落ち着いていたのも理由の一つだと思います。

今年の3月も同じように、現在まで2年間関わっていたEUプロジェクトが終わり、報告書執筆に追われていました。それも一因で、3月はブログやTwitterに割く時間があまり取れませんでした。また、本ブログの「日本の失敗産業と成功産業は間もなく融合する(通信と自動車)」で書いていたような話題で、欧州におけるITSの研究開発を紹介する機会をいただき、100ページ近くの報告書にまとめました。まもなくWeb上のどこかで公開さます。結論の部分など、このブログでも触れられたらなと思います。

今月のアクセス数の上位10エントリです。これからもこのブログをよろしくお願いします。
  1. Re: ベーシックインカムについて批評してる面白いサイトを見つけたので突っ込んでみる。|堀江貴文オフィシャルブログ このエントリーを含むはてなブックマーク
  2. ベー シック・インカムよりも怠け者同盟の社会 このエントリーを含むはてなブックマーク
  3. ホ リエモン進化論 このエントリーを含むはてなブックマーク
  4. 大陸の人 は国家は気持ちの持ちようだと思ってる このエントリーを含むはてなブックマーク
  5. も うそろそろ日本はもうダメだと言わなくてもよい このエントリーを含むはてなブックマーク
  6. 怠 け者同盟の社会の中で輝きを取り戻す日本 このエントリーを含むはてなブックマーク
  7. 海 外でもリアルタイムに日本のテレビを見る方法(無料) このエントリーを含むはてなブックマーク
  8. ベー シック・インカムの議論が見えなくさせるもの このエントリーを含むはてなブックマーク
  9. 社 会問題の議論でポジショントークを避ける二つの方法 このエントリーを含むはてなブックマーク
  10. セ ンター入試とバカロレアに見る日仏の違い このエントリーを含むはてなブックマーク
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