Antony, France
堀江さんからまた返信が来ていました。

フランスブログが逆切れしてる。面白い。|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba

前回のエントリの最後の一文を冗談と取らなかったようですね。今日は、友人とSalon International de l'Agriculture 2010に行って、美味しいワインとチーズを探す予定があったのですが、友人にはごめんさいして、堀江さんへの返答を書いておこうと思います。

最後の一文を冗談だととらない人は「フランスの日々」の管理人は堀江さんが嫌いなんでしょ、って思ってるかもしれないので、まず少し堀江さんについて書こうと思います。それから現在、堀江さんが抱える問題点を指摘してから、もう一度彼に提言したいと思います。

堀江さんとは

堀江さんは、まだインターネットがどこの馬の骨とも分からなかった、黎明期にその潜在能力を見抜くなど、将来に対する正確なヴィジョンを持っています。そして1995年から始まったインターネット市場の爆発的な膨張のなかで、10年以上常に最前線にいた人物で、日本を代表するインターネット・カンパニーを創始しました。その間、適切な判断を下し続けたことは、誰もが納得するでしょう。これは、彼が持つ将来に対するヴィジョンの確かさと、判断の確かさを証明してます。先の見えない時代の日本には、確かに必要とされているリーダーだと考えます。

検察に逮捕されたことは、陰謀だと言っている人もいます→“検察が逮捕したい人”一覧 - Chikirinの日記 “検察が逮捕したい人”一覧 - Chikirinの日記。同意はしないけれども、僕もありうる話だとは思います。検察がシステムの破壊者を好まない傾向は指摘できるかと思います。日本ではGoogle、Facebook、Amazon、eBay、Twitter、Youtubeなどの新興企業は検察に潰されていたかも知れません。とにかく、世界の動きや技術の動きを読み、的確に判断をくだせる彼の頭脳には、インターネットの一研究者として敬意を表したい思います。

対話が欠如している堀江さん

意外に思われるかも知れませんが、僕がたどり着いた結論は、堀江さんと結構一緒なのです。例えば、ベーシック・インカムと移民の話では、結論が堀江さんのものと一緒でした。どちらの話も両者が賛成です。しかし、どちらの議論でも堀江さんは、言い方がまずいのです。ベーシック・インカムの話では、何がまずいかは、「Re: 堀江貴文オフィシャルブログ」に書きました。ベーシック・インカムの議論が盛り上がることが、堀江さんにとって都合がいいと受け取られる可能性があります。

移民の話では、「積極移民やってみればいいじゃん、と私は思いますけど。やってみないとどうなるかわからんし。やる前から色々最悪ケースのことばかり考えてたら何も進まないよ。引用)」と言っています。これがまずい理由も以前書きました。受け取る方は「それは君が低賃金の移民を使う方だからでしょ。移民と賃金競争しなければならない庶民はどうなるの?」と考えます。どちらの話でも堀江さんは受け取り手がどのように受け取るか想定していないために、ベーシックインカムでも移民の話でも不安を与えてしまうのです。

堀江さんは将来に対する明確なヴィジョンを持ち、メディアを通じた強大な影響力を持ちながら(現時点でブログのGoogle readerでの購読数13629、twitterフォローワー約40万、それとテレビ出演)、受け取り手を不安にすることしかできていません。本来の実力からすると、あまりに不本意な結果と言わざるを得ません。自分が運営する会社だったら将来に対するヴィジョンが正しく、結論が正しかったらそれで十分だったでしょう。会社であれば、堀江さんを信奉する信者に対して正しい結論を伝えるだけで十分です。それは成功しても失敗しても自分で責任が取れるからです。しかし、日本の将来についてヴィジョンを語る場合にはそれだけでは不十分です。
俺は純粋に社会システムで皆が幸せになる仕組みを考えている思考実験をしてるだけだ。
堀江さんは、日本についても会社と同じように、信者に対して正しい結論を与え続けて、活動を加熱し続けていけば、変わると信じているかのようです。しかし実際はそうではありません。結論さえ正しければ説明なんて必要ないとばかりに、堀江さんが結論だけを信者に伝えている間に、世の中は不安になり、堀江さんの結論とする世界から遠ざかっているのです。もっとはっきり言えば、社会に害を及ぼしているのです。具体的には、上の二つの発言は、僕にはベーシック・インカムの実現も、移民の実現も遠ざけたように感じられます。

受け取り手を意識した論理展開ができず、結論だけを主張していても、堀江さんを完璧に信頼している信者にしか影響を及ぼせません。信者以外は不安になるだけです。これが、「Re: 堀江貴文オフィシャルブログ」で、僭越ながら1) 子供や孫にそのような世界を与えたいのかどうか議論する、と提案させていただいた理由です。

(日本国民全員を信者にすれば正しい結論を実行できるじゃないかと思う人がいるかも知れませんが、それは民主主義を生み出そうと王侯貴族を虐殺して、逆にナポレオン皇帝を生み出したフランス革命の失敗みたいなものです。社会自体としては成熟していません。)

「ホリエモン+対話=最強」説

私見を述べさせてもらえれば、あなたは「お金で買えないものはない」とテレビに華々しく登場した数年前からもずっと、ものすごい勢いで成長しているように見えます。検察に逮捕された挫折を含め、成長が加速しているのでしょう。受け取り手を意識した論理展開ができれば、最強です。出獄後、堀江さんを見守ってくれた信者は有り難かったことだろうと想像しますが、信者だけを対象にした言説は堀江さんをそこまでの人にしてしまいます。そこはあなたが活躍する場所ではないと気づいてください。

敗軍の将、兵を語る:「勝ってたら首相も見えた」、堀江貴文氏 - ニュース - nikkei BPnet
僕が見たところ、堀江さんが選挙に負けたのは相手の組織票が原因じゃないと思います。受け手を意識した発言ができてないだけです。「だって選挙は面倒くさいもん。」、「本当に政治家ってバカだな」。これが受け手にどのように伝わるか理解して、少し修正すれば、亀井さんにだってきっと勝てます。
みんな適当にdisるコメントつけてるだけだ。特に意味はない。ポジショントークなど高等なことは考えてないぞ。...(略)...それだけの人間なんだよ。君も僕も。
確かに堀江さんがブログで何をしようが自由です。でも堀江さんが学んだ国立東京大学は、国民の税金で運営されていて、日本最高峰の教授陣の給与も税金でまかなわれています。うちの家族・親戚は何世代も税金を払ってきたし、税金を払う日本人としてその頭脳に期待する権利はあります。なので最後に言わせてもらいます。

「私たちが堀江さんに期待するのは自由だ」

と。

このエントリに賛同して、堀江さんにTwitterでメッセージを伝えたい人は↓をクリックしてください。
このエントリについてホリエモンにつぶやく
.@takapon_jp 堀江さん期待してます RT @Sophie525 フランスの日々:ホリエモン進化論 http://mesetudesenfrance.blogspot.com/2010/02/blog-post_28.html」とつぶやかれます。

最後に

最後に、受け取り手の気持ちを考えないで発言してうまく行かないことは、頭のイイ人ですから堀江さんはよくわかってることだと思います。だからこそ、その部分には反論がなかったんだと思います。でも、立ち読みコーナー | 書籍案内 | 草思社で堀江さんの境遇を知りましたが、「受け取り手の気持ちを考えないで発言するから、嫁さんが逃げるんだよ」はさすがに笑って流せませんよね。この場を借りて謝罪します。ごめんなさい。
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Saint-Malo, France
ベーシック・インカムよりも怠け者同盟の社会 このエントリーを含むはてなブックマーク」のエントリに対して、堀江さんのブログで反論が来ていました。

ベーシックインカムについて批評してる面白いサイトを見つけたので突っ込んでみる。|堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」by Ameba

再反論はこの2日間でアップロードした以下のエントリで十分だと思うのですが、両方読むのも大変だと思うので、ざっと概要をまとめておこうと思います。おそらくは堀江さんはこの二つのエントリを読まずに、反論を書いたのだと思うのですが、僕の方では下の二つのエントリを堀江さんを念頭に書いていました。

ベーシック・インカムの議論が見えなくさせるもの

まず、堀江さんが高福祉・高負担の社会の議論を逸らすためにベーシック・インカムの議論を使っているのではないかとの疑念です。お金持ちなどで税金が重くなるのが嫌いな人は、大衆の注目を惹きつける革命的アイデアであるベーシック・インカムの議論が盛り上がってくれる方が望ましいのです。つまり、実現不可能かもしくは、実現に時間がかかる目標をデコイとして使って注目を集め、結局増税の話もうやむやにできるからです。さらに、ベーシック・インカムに賛成することで、自分は金持ちだけれども、ニートやヒキコモリ、打ちのめされて死ぬことばっかり考えている人 の事も考えている進歩的な人だぞ!とアピールできます。

なぜこんなことを思いついたかというと、堀江さんが相反する主張を連投していたからです。彼は、全員に8万円を配るため財源の不足が問題になるベーシック・インカムに賛成する傍ら、所得税増税には反対しています(一律分配なので分配コストが削減されるという議論もありますが)。これが、「ベーシック・インカムには賛成するけども、所得税の増税には反対といった人は少しおかしなことを言っています。ベーシック・インカムをデコイとして使っていないか、眉に唾を付けて聞いた方が良いでしょう。」と書いた理由です。
ベーシック・インカムと増税を同時に達成すれば賛成とか、細かい反論はあると思いますが、問題は受け取り手がどう思うかなのです。ポジション・トークだと思われれば、ベーシック・インカムは胡散臭い話になってしまいます。僕はベーシック・インカムを面白い話だと思っているこそ、そこが心配なのです。

社会問題の議論でポジショントークを避ける二つの方法

ポジション・トークだと思われれば議論が先に進みません。ポジション・トークは受け取り手が作る出すものなので、発言側はそれを見越して発言する必要があります。社会問題の議論でポジション・トークを回避する方法として、1) 子供や孫にそのような世界を与えたいのかどうか議論する、2)学生がそういう社会に住みたいかどうか議論する、を提案します。二つの方法と書きましたが、学生でも若者でもない堀江さんに提案できるのは1つだけです。
フランスで仕事が家族、余暇に次ぐ3番目の優先順位だからそういう感じが良いみたいに言っているが、ワーカホリックな私をはじめとした多くの人々に受け入れられるはずがない。そんなものを社会全体から強制されるなんぞまっぴらごめんである。
こういうふうに言ってしまうと、能力のある堀江さんがその世界で上層に行けることを確信しているからこそできる発言だと思われてしまいます。つまり、ポジション・トークと受け取られてしまうのです。1)で提案したように、子供や孫の世界を想定して語ってみてください。堀江さんほど優秀ではないかも知れない、ワーカホリックではないかも知れない、まだ未知数の子供や孫にもその世界が素晴らしいと言えるでしょうか?

自分が愛する子供や孫にも、そういう世界で生きてもらいたい!と、そういう論理展開だったら、納得する人も増えると思うのです。堀江さんには受け手側の気持ちをもう少し汲んで発言してもらいたいと願います。

最後に

このブログの作者はちょっとフランスかぶれ?らしくフランス礼賛的ニュアンスがいちいち気になる
ヨーロッパやアメリカでブログを書いている人は、その国にかぶれていると受け取られないように細心の注意を払っています。そうしないとかぶれていると決めつけられてしまうからです。そういった意味では、根拠なく主観でブログの印象を植え付けられる上の文言は、相手の主張の妥当性を弱められる効果的な文言だと感心します。これまではできるだけ論理的に書くようにしていましたが、こちらからもひとつだけ、主観で根拠なく印象を語ることが許されると思いますので、一言だけ言わせてもらいます。

「受け取り手の気持ちを考えないで発言するから、嫁さんが逃げるんだよ」

と。

最後に(バージョン2)

このブログの作者はちょっとフランスかぶれ?らしくフランス礼賛的ニュアンスがいちいち気になる
反論のエントリは、議論とは何の関係もない、根拠のない主観の先入観の植え付けから、文章がスタートしているのが残念ですね。そんなことをすれば、堀江さんを尊敬している読者は、どんなフランスかぶれしたやつが、どんな気持ち悪いことを書いているんだろうと言う先入観を持ってこのブログを見に来ることでしょう。より良い日本の社会を考えるために議論するのに、有害でしかない先入観の植え付けが有効だと分かれば、この先も堀江さんは弱小ブログに先入観を植え付けるために、この卑怯な手法を利用し続けるかも知れません。反撃のためにも同じぐらいナンセンスな根拠のない主観の例を挙げないといけませんね。なにか議論に全く関係ない卑怯でナンセンスな文言はないかな...wikipediaを調べて、っと、よし、これだ!

「受け取り手の気持ちを考えないで発言するから、嫁さんが逃げるんだよ」

っと。

追記
再反論をアップデートしました。
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Rennes, France
ベーシック・インカムよりも怠け者同盟の社会 このエントリーを含むはてなブックマーク」と「ベーシック・インカムの議論が見えなくさせるもの このエントリーを含むはてなブックマーク」と書いてきましたが、結局はみんなが自分の立場を良くするためにポジション・トークをしてるだけだと結論されそうなので、それを回避する方法を考えようと思います。

ニコニコ動画で行われたベーシック・インカムについての討論の参加者は、金持ち、社長、教授などでした。なので、「ベーシック・インカムの議論が見えなくさせるもの」で書いたように、金持ちが不可能なシステムを議論して大衆の目をそらさせているだけという解釈も可能になってしまいます。彼らが彼らの社会的地位を有利にするように、しゃべっているように聞こえてしまうからです。逆に、社会に打ちのめされて働く気力も無い人がどんなに悲惨な状況であるのか、訴えてくれればその方がベーシック・インカムに説得力を持たせられるでしょうか?そうは行かないでしょう。彼もまた自分が有利になるように、しゃべっているように見られてしまうからです。

税収の分配が金持ちから貧乏人に行われることを考えると、全員が合理的に発言してしまうと、「払う側の人は少なく払いたい、もらう側の方は多く貰いたい」という決まりきった結論しか出なくなってしまいます。例を挙げると、「ベーシック・インカムの議論が見えなくさせるもの」の論理を持ち出して、金持ちにベーシック・インカムを語る資格はないと言い切ってしまうのもフェアではないのです。なのでこのエントリでは、ポジション・トークの仕組みを分析して、それを回避する二つの方法を紹介しようと思います。

ポジション・トークは受け手が作り出すもの

ポジション・トークとは株式・為替・金利先物市場で、あるポジションを取っている投資家が自分を有利にするために発言することという語源なので、発言する側が作り出していると思われがちです。でも大抵の場合、社会問題の議論では発言する側があまりポジションを気にしていなくとも、受け取る側がポジションを気にします。

ベーシック・インカム以外の例で、例えば、ホリエモンの「積極移民やってみればいいじゃん、と私は思いますけど。やってみないとどうなるかわからんし。やる前から色々最悪ケースのことばかり考えてたら何も進まないよ。引用)」です。発言する側は色々考えて現状の打開策として提案しているかも知れません。しかし、受け取る方は「それは君が移民を使う方だからでしょ。移民と賃金競争しなければならない庶民はどうなるの?」と考えます。ちなみに、これは実際にフランスで起きたことです。高学歴のエリートは賃金を圧縮できる移民を歓迎し、大衆は低賃金の移民との競争による賃金の低下を恐れました。メディアでは「ポーランドから低賃金の配管工が来る」というようにセンセーショナルに報道されました(屈辱を受けたポーランドの反撃とかが面白いので、興味がある人はこちら→[書評] 大欧州の時代—ブリュッセルからの報告)。

もうひとつの例は、「恐慌が起こったら楽しそうだな」と言ったり、自身を混乱ラバーのと呼ぶChikirinさんです。普通の庶民は「大恐慌とか起こったら楽しそうだな〜なんて言えるのは、彼女が米国MBA帰りの外資コンサルタントできるぐらいの能力の持ち主だからでしょ」と思ってしまいます。でも彼女のブログを注意深く見ていると、明治維新の時に「戦が足り申さん」と言った西郷隆盛のように焦土の中から新生日本が立ち上がってくるヴィジョンを持っていたりするかも知れないのです。例えばこれとか→日本が次のステージに進めないワケ - Chikirinの日記 日本が次のステージに進めないワケ - Chikirinの日記

まとめると、ホリエモンやChikirinさんはポジションを意識して発言しているわけではなくて、受け取る側がポジション・トークと受け取っているという側面があります。

将来の息子・娘の視点に立って発言する

ポジション・トークを回避するには、発言者側が受け取り側に、自分のポジションによらず主張しているように見せなければなりません。そのための最初の提案は、自分の子供達や孫たちが生きる世界を想定することです。上の例では、「移民入れてみたら」とか「大恐慌楽しそう」とか言えるのは、彼らの能力ならばどんな社会でも上層に行けると思うから、皆がそれをポジション・トークだと思うわけです。これを自分の子供達もその社会で生きさせてあげたいという論理展開になっていたら違った受け取り方になると思うのです。

子供は親の能力を完璧に受け継ぐわけではありません。産んでみてもその子がかなり育つまで、その能力が未知数です。孫の場合にはさらにそうでしょう。上の例では、「自分の孫には移民がたくさんいる国にませてあげたい」、「大恐慌で世界が大混乱に陥っている時を楽しませてあげたい」というような論理展開だったら多くの人が納得できると思うのです。

若者・学生の立場で発言する

もう一つの提案は、手前味噌なのですが、若者が発言することです。学生のうちに発言しておくことです。若者は社会に出てから30年〜40年働きます。高級クラブでドン・ペリニヨンを飲みまくる夢を持っているかも知れません。大金持ちとなった自分が多額の税金を納め、弱者に施しをするのは嫌だと考えるかも知れません。ただ一方で、失職して生きる希望を失ってしまう不安も持っているかも知れません。立場の固まっていない若者は、最も公平な立場で発言できる立場だという印象を受け取り手に与えられます。

ポジション・トークを回避する議論でポジション・トークをするのもあれなので、詳しく書きませんが、社会問題の議論には、若者が参加すべきだと思います。

まとめ

ベーシック・インカムの議論に立ち戻ると、1) 大人は現在の地位を離れて子供や孫にそのような世界を与えたいのかどうか議論するか、2)学生がそういう社会に住みたいかどうかを発言して行けば良いことになります。

関連『フランスの移民政策について』:
関連『フランスのエリートと大衆について』:
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Quiberon, France
ベーシック・インカムよりも怠け者同盟の社会 このエントリーを含むはてなブックマーク」では、ベーシック・インカム論に対する違和感について書きました。理由は、1)最も現在の日本から遠い理論で極端に走っている気がする 2)ヨーロッパにおいて長い歴史を持つのになぜ実現されないか疑問、の二つでした。

それでも有名人がベーシック・インカムについて話し合う機会があるのはいいことだと思ってます。議論することによって現状の社会はやっぱりおかしいよねっていう問題点が明らかになるからです。討論では、まず参加者に賛成と反対を聞いていましたが、思考実験に参加することは良いことなので、当然みんな賛成でした。そんな会があったら僕だって賛成するかも知れません。でも、盛り上がりすぎた議論は積極的に反対しておいた方が良いかなと思うので、その辺について書いていこうと思います。

ベーシック・インカムの議論が盛り上がる方が望ましい人たち

ベーシック・インカムの議論は現状の問題を浮き彫りにします。しかし、その問題はベーシック・インカムでしか解決できないものでしょうか?全く新しい概念で社会を作り変えようとするアイデアなどではなく、信頼ある既存手法ではダメなのでしょうか。ヨーロッパなどに参考はありませんか。この点に関してベーシック・インカムの議論は問題があります。革命的な新しいアイデアで社会を変えるという花火が打ち上げられれば、誰でも目がそちらに行きます。つまり着実に効果がある既存手法が気に入らない人は、この花火を打ち上げることで大衆の目を逸らすことができます。皆がベーシック・インカムの議論に熱中すれば、目新しくも無い既存手法は忘れ去られるでしょう。ベーシック・インカムが大衆の目を逸らすデコイ(囮)に使われる可能性を考えなければなりません。

社会がお金を分配するときには、大きく分けて二つの方針があります。「政府がたくさんお金を徴収してたくさんお金を分配する方法(大きな政府)」と「政府は少しお金を集めて少なく分配する方法(小さな政府)」です。ベーシック・インカムはどちらかと言えば前者です(一律分配なので分配コストが削減されるという議論もありますが)。こういうふうに考えて行けば、ベーシック・インカムには賛成するけども、所得税の増税には反対といった人は少しおかしなことを言っています。ベーシック・インカムをデコイとして使っていないか、眉に唾を付けて聞いた方が良いでしょう。

つまり、お金持ちなどで税金が重くなる大きな政府が嫌いな人は、普通にやれば到達できない夢のシステム、ベーシック・インカムの議論が盛り上がってくれる方が望ましいのです。さらに、ベーシック・インカムに賛成することで、自分は金持ちだけれども、ニートやヒキコモリ、打ちのめされて死ぬことばっかり考えている人の事も考えている進歩的な人だぞ!とアピールできます。討論を見た感じこんなように腹黒く考えているように見える人はいませんでしたが、頭のイイ人はこれぐらいの計算を無意識下に行って、行動するぐらい効率の良い頭を持ってるかも知れませんからね。注意が必要です。

議論すること賛成、議論のしすぎに反対

無人島に行って肉を焼かなければいけないときに、まだ誰もチャレンジした事の無い未知の手法で火を起こそうとする人はいないでしょう。もうすでに先人が発見した方法を試すはずです。それと一緒で、未知の革命的アイデアにこだわる必要の無い局面だってあります。前のエントリでも、このエントリでも、「分配コスト削減、景気対策、ベンチャーの促進、労働者のモチベーションの変化」などなどベーシック・インカムの細かな利点・欠点については意図的に触れてきませんでした。それは、今日本がやらないければいけないことは、未知の手法の開発ではないからです。いわば大方針としてその方向じゃないと思ったからです。

ベーシック・インカムは面白い話だと思っています。だからベーシック・インカムに反対したいわけじゃないんです。だからベーシック・インカムの欠点や批判しませんし、実現可能性を攻撃たりしません。大方針を決めるならそっちじゃないと言っているだけなんです。大方針は、「過剰な競争をやめてみませんか」っていう方針を取りたいです→怠け者同盟の社会の中で輝きを取り戻す日本 このエントリーを含むはてなブックマーク

追記:
コメントにもありますが、ベーシック・インカムって小さな政府だと思っている人もいますね。確かに税収を管理する政府機能は小さくなりますが、税の徴収は大きくなりますよね。小さな政府=低福祉・低負担大きな政府=高福祉・高負担だとするとベーシック・インカムは大きな政府って事になると思うのですが、どちらなんでしょう。とにかく論旨は変わりませんが、わかりにくい人は太字のように読み替えてください(参考wikipedia:小さな政府大きな政府)。

追記2:
ポジション・トークだよねって思われそうなので、それを避ける方法を考えてみました→社会問題の議論でポジショントークを避ける二つの方法 このエントリーを含むはてなブックマーク
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Loire, France
ベーシック・インカムについての討論がニコニコ動画で開催され、深夜から始めたにもかかわらず、47,972人の視聴者があったそうです。僕自身は、「労働に対する社会の仕組みを試験に例える」に書いた通り、ベーシック・インカムを「正直、考えるだけ無駄か、思考実験ぐらいの代物だ」と思っているので、少し書いていきます。討論の方は時間がなくて最初の30分ぐらいしか見れなかったので、いろいろ抜けてるかも知れません。

ベーシックインカムは、政府が全ての国民に対して毎月最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金(5万円~8万円程度)を無条件で支給するという構想(wikipedia)です。解決する問題としては、貧困対策、少子化対策、地方の活性化、社会保障制度の簡素化、行政コストの削減、景気回復、余暇の充実、非正規雇用問題の緩和などがありますが、もっとも大きな論点は労働の価値を再評価する部分だと思います。労働の価値に絞って考えていきます。僕がベーシック・インカムが日本で盛り上がっていることに対する違和感は、まずベーシック・インカムが最も現在の日本から遠い理論のように思われるというものと、ヨーロッパにおいて長い歴史を持つベーシック・インカムが、なぜ実現されていないかという疑問から来ています。

「労働は最重要」と「労働は無価値」の両極端

僕が見ていた最初の30分では出演者がそもそも労働が尊いものだという価値観が問題であると述べていました。それでも、労働に価値があると思い込んでいるのは幻想だというのは言いすぎな気がするのです。確かに今の日本は労働の美徳が強すぎて苦しんでいる人が多いのは感じます。新卒で手に入れた職を手放してしまえば、レールをはずれ普通の生活すらできないような状況は問題です。家族や自由時間を犠牲にしても仕事を完遂することが最優先という価値観が、労働は無価値という価値観に取って代わられるのは極端です。

フランスはその点なかなかいい塩梅です。人によると思いますが、だいたい労働は家族、趣味に次ぐ3番目といったところです。駅の改札は壊れていれば担当者がやる気になるまで2,3日は直りませんし、エスカレータもしょっちゅう止まっています。修復の担当者が家族より趣味より仕事を優先していないことの証左でしょう(そしてそれが認められていることも)。僕がフランスに来たのは24歳のときで、同年代のフランス人は失業している人がたくさんいても普通でした(25%ぐらい)。仕事がないのは社会の問題で、個人的な問題じゃないと考えているのです。パーティでビールを飲みながら、失業保険ももらえてるし、仕事が見つかるまで日本語も勉強しているとか言ってました。

日本の場合は「労働は最重要」から「労働は無価値」へとワープするのではなく、労働の価値を少し下げるところから始めたほうがいいのではないでしょうか。一応それでやってるヨーロッパの例があるのですし。日本でベーシック・インカム論が盛り上がっているのを見ると極端に走っているような気がしてしまいます。

ヨーロッパは参考になる

かぶれていると思われるかもしれませんが、僕はフランスの人たちが一生懸命考えて出した答えを信頼しています。「センター入試とバカロレアに見る日仏の違い このエントリーを含むはてなブックマーク」でも書きましたが、彼らは答えのない問題に対して、執拗にねちっこく思考力を回転させます。フランスの宗教問題や、ストライキの問題、結婚に対する考え方などなど、彼らが出した回答は日本から見るとへんてこなものに見えますが、背景を知るとなかなか妥当なものだと感じます。同じ人間が苦しみながら考え抜いた答えは、多くの場合日本の状況に対しても参考になるのです。

なので、少なくともヨーロッパにおいて200年もの歴史のあるベーシック・インカムが実現されていない事実は重く受け止める必要があると思うのです。日本が世界に先駆けてベーシック・インカムを導入するなら、ヨーロッパで実現されないのは何がネックになっていて、それが日本ではどのように解決されるのか、しっかりした理論が必要だと思います。それと合わせて、実現するにあたって、世界に先駆けてベーシック・インカムを成功させた国は、後に続く国々のためにしっかりした理念を構築する必要もあるはずです。世界に先駆けて王政をを打ち倒して民主主義を成功させたフランスは、自由・平等・友愛からなる理念を構築し、民主主義を世界に波及させました。ベーシック・インカムでも「やってみたらできました」では追従する国は少ないでしょう。

ベーシック・インカムは思考実験用

討論では出演者がベーシック・インカムに対して賛成か反対かを表明するところから始まりました。討論の出演者の全てが賛成だったのも、ベーシック・インカムが思考実験用であることを表しているように思います。つまり、ベーシック・インカムは先進国では実現された例がなく、やってみないと成功するかわかりません。全く新しい概念で社会を作り変えようとするアイデアなので、反対するにしても実現可能性が低いとか、嫌なことが起こりそうとかいった反対では意味がありません。むしろ思考してみて、現在の問題点をあぶり出すように使うのが良いと思います。そうすると以下のように面白いアイデアがどんどん出てきます。これぞ、思考実験のための上手い問いという感じです。
ベーシック・インカムは問い自体に意味があるのであって、実行はむしろどうでも良いと思います。反論するなら実現可能性や副作用を攻撃するのではなく、対案を出すのがいいのではないでしょうか。個人的にはこっちのほうがいいかなと思ったり→怠け者同盟の社会の中で輝きを取り戻す日本 このエントリーを含むはてなブックマーク

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このエントリのフォローアップです。実はホリエモンを想定して書きました→ベーシック・インカムの議論が見えなくさせるもの このエントリーを含むはてなブックマーク
さらにフォローです。ホリエモンの例も出してます→社会問題の議論でポジショントークを避ける二つの方法 このエントリーを含むはてなブックマーク
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追記:ホリエモンへの返答を書きました。
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Paris, France
フランスで将来リーダーになる運命を感じて成長する人たち このエントリーを含むはてなブックマーク」に書いたように、上位のグランゼコールに入学すると将来のリーダー候補になり、それ以外の人は、お気楽な人生を歩むことになります。必然的にその区別は厳格なものになります。これがフランスの憲法前文に定められたモットーである「自由、平等、友愛」と相反するのではないかという疑問もあると思います(フランス憲法前文に「本共和国のモットーは自由、平等、友愛である(La devise de la République est « Liberté, Égalité, Fraternité »)」と定められていま。)。

努力してもエリートと同じ道を歩めない大衆、共和国の定める平等の理念との対立など、どのように折り合いを付けているのか長い間疑問でしたが、エリート主導型社会は大衆に支持されて維持されていることがわかってきたので、紹介します。

平等を求めるフランス

まず、フランスの理想とは国民が平等であることです。憲法の前文の第一言目には「フランスとは〜」とフランスを定義するところから始まります。議論好きのフランス人が定義するだけあって、この2文はかなりの包括的にフランスを定義しています。本ブログのおすすめの書「[書評] 日本とフランス 二つの民主主義」では、憲法の第一言目に平等を謳っているフランスでは、平等自由に優越していると結論しています。例を挙げると、小学校で宗教的シンボルを身につける自由よりも、それを禁止して生徒を平等なフランス市民として教育することを選びます。また、経済では資本家がより自由に活動して経済的利益を上げることよりも、ストライキによる従業員の要求の方が重要視されます。資本家も従業員もどちらも市民であるという、市民の平等を求めているわけです。
Constitution de la République française
(フランス共和国憲法 前文第一条)

La France est une République indivisible, laïque, démocratique et sociale. Elle assure l’égalité devant la loi de tous les citoyens sans distinction d’origine, de race ou de religion.
フランスは、非宗教的、民主的、社会的な、分割し得ない共和国である。フランスは、生まれ、人種、宗教の区別なしに、すべての市民に対して法の下での平等を保障する。

エリート教育に対する批判

フランスで教育改革が話題になるときに、必ず槍玉に上げられるのはグランゼコールです。批判対象としては、卒業生の質に対する批判、教育内容に関する批判、入学試験に対する批判などいろいろあります。まず、エリート意識に対する批判です。
パリ郊外の暴動のこと - パリからはてな日記
グランゼコール出身じゃない人は、グランゼコールと聞いただけで、一様に、ガリ勉で偉そうでプライドが高くてと批判する。
また、批判精神の旺盛な(悪口の得意な)フランス人のこと、いろいろな言われようです。人工知能学会誌に投稿された「理科系の国フランス : INRIA滞在記(グローバル・アイ)」では以下のようにあります。
フランス人はおしなべて口が悪いので, たいていの場合「プレパが終わると勉強なんてしやしない」だとか,「将来マネージャになるのにマネジメントの勉強がなくて数学ばかりしている」だとか,卒業生までが一緒になって(自嘲も含めて)批判の大合唱となり,なかなか旗色が悪い.
いろいろな批判の中でも、一番大きな批判は、はやりエリートと庶民の格差に対する批判でしょう。エリートの養成に教育資源(予算、先生)をつぎ込めば、それ以外の教育の質が低下するのは、明白です。フランス人による記事「報道されないフランスの真実(1)」では以下のように書かれています。
フランスにおける教育制度の現状は ...(略)... 徹底的に競争主義を採用しているグランゼコール(高等専門教育機関)という<勝ち組>と、ボロい施設ばかりの(特に文系)大学という<負け組>という図式からなっています。
また、報道されないフランスの真実(2)では、フランス憲法の標語は嘘っぱちとすら述べられています。
少し大げさだが、15歳からちゃんと勉強しないと、負け組になるということである。こうした教育の実情を知れば、フランスの標語である「自由、平等、友愛」など大嘘であるようにしか思えない。
2007年のフランス大統領選挙で非グランゼコール出身のサルコジ氏が、グランゼコール出身のロワイヤル氏を破った事例も、この文脈の中で説明されるケースも有ります。

エリートは大衆の投資の上に成り立つ

それでは、ここまで批判を集めるグランゼコールの教育がなくならない理由はなんでしょうか?まず思いつく答えは、グランゼコールのエリートが権力を握るからグランゼコールのエリート教育が無くならないという理由です。内田樹の研究室: la nuit violente en Franceでも「「文化資本」と「家柄」によって構築された「強者たちのネットワーク」が権力、情報、財貨の占有を可能にしている」と言っています。

これは当たっているとは思いますが、一方で選挙でエリートが当選し、サルコジ氏以外の大統領もグランゼコール出身ばかりだという点を説明しにくいと思います。そもそも、フランス共和国は王侯貴族をギロチンで大量処刑にして誕生した国です。大衆によってエリートが不必要であるとみなされれば、現在ではギロチンは持ち出さないでしょうが、エリート達を社会的に抹殺するぐらいのことはやりかねません。エリート主導型社会の維持には大衆の支持が欠かせないのです。

大衆の支持を説明するには大衆の願いを知る必要があります。フランスにおいては大衆の願いとは「気ままに暮らしたい」というものではないでしょうか。ただし皆が気ままに暮らしてしまうと、フランス産業の国際的競争力は低下し、フランスが貧しくなってしまいます。ここで、気ままな大衆を強力に牽引するエリートが必要になってきます。フランスのエンジニアは社会的地位が高い このエントリーを含むはてなブックマークでは
  • フランスではリーダーが全てを決定し、庶民はリーダーの指示通りに働く
  • 日本ではフランスと比べると全員の能力が均一で、庶民が猛烈に働く
と書きましたが、同じ文脈で、新幹線と世界最速を競うフランス高速鉄道のTGVの設計思想は非常に示唆的です。TGVは先頭車両に動力が積まれ、それ以外の非動力車を牽引します(動力集中方式 - Wikipedia)。反対に新幹線は全ての車両が動力を持つことで、高速運行を可能にしているそうです(動力分散方式 - Wikipedia)。エリートに資源を集中させて気ままな大衆を牽引する方式と、全員が懸命に働く方式は採用されている国の形態を表しているようの思われるのです。

フランスの教育においてエリート養成により多くの資源を割くという選択が、大衆の願いによって選択されているのです。大衆はエリート養成に投資し、その投資利益として気ままな人生を享受することができます。この方式がフランスの平等の理念と矛盾しているかどうかは、終わらない議論なんだと思います。どんな社会でも人間が作る社会で理想と現実が一致することは稀なことだからです。

エントリと関連する補足
エリート教育が大衆の投資だとする観点からすれば、エリートが知識と知恵を大衆のために使わず、自身の栄達のためだけに使うことは許しがたいことです。これがノブレス・オブリージュ(貴族の義務)と呼ばれるものです(詳細は→[書評] エリートのつくり方―グランド・ゼコールの社会学)。

エントリと関連する感想
気ままに暮らしたいと思う大衆が、「自分が怠けたいから他国も怠けてくれないかな〜」と願い、作り出した論理の結晶が怠け者同盟の社会は人類の未来で述べた「エネルギー資源、人的資源、労働時間などの資源を投入して経済的利益を上げる競争を抑制して、節約した資源を本当に社会と個人を「幸福」にする要素に振り分ける社会」という論理です。個人的な願いを否定し難い人類普遍の論理へと高めるフランスはすごいなーと感じます(色んな意味で)。

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Gordes, France
フランスはエリートと庶民が日本よりもはっきりと分かれている国です→「フランスで将来リーダーになる運命を感じて成長する人たち このエントリーを含むはてなブックマーク」。このエリートはほとんど全てがエンジニアです。エンジニアではないエリートとしては、医学・法学・神学の分野にはグランゼコールが存在しないため、医師や弁護士、聖職者が含まれます。

エンジニアの養成には、グランゼコールと呼ばれる特別な学校が用意されています。グラン(大きな)エコール(学校)という名前ですが、大衆教育を目的とする大学とは全く違うシステムになっています。トップのグランゼコールは、学生2人につき教授が1人つくというような超少数精鋭のシステムです。本ブログではLe pointという雑誌のグランゼコールランキングを技術系→技術系のグランゼコールと商業系→商業系(MBA)のグランゼコールにわけて紹介してあります。

フランスのエリートは数学重視

フランスで将来リーダーになる運命を感じて成長する人たち」でも述べましたが、フランスでは20歳で上位のグランゼコールに入学すると将来のリーダー候補になり、それ以外の人は、お気楽な人生を歩むことになります。20歳で決定した順位付けがその人の人生の大部分を決するシステムです。そして、その順位付けの大きな部分を占めるのが、数学なのです。人工知能学会誌に投稿された「理科系の国フランス : INRIA滞在記(グローバル・アイ)」という記事には、日本では文系に分類される学科でも数学が必要であると書かれています。
実は「数物重視」の風潮は現在でも連綿と続いており、大学入学資格であるバカロレアではカテゴリ「数学・物理」が最難関すなわち評価が高いとされている。これはエリート校に入るには数物が必須であるということで、日本では文科系に分類される政治・経済の分野においても、政治家や経営者の卵が学ぶ「高度商業 学習校 Hautes Etudes Commerciales」に入るには数物のバカロレアが必要だという。
フランスでは数学ができないとエリートになれないと言っても過言ではありません。

例えば、カルロス・ゴーン氏は20歳で最上位のグランゼコールに入学し、その後ミシュラン入社から3年目(27歳)で工場長、入社7年目(31歳)でブラジル・ミシュランの社長、入社11年目(35歳)で北米子会社の社長とCEOという出世をしています。彼が絶え間ない努力で人より優れた能力を獲得したことは間違いありませんが、彼の出世ももとを正せば20歳の頃に誰よりも数学ができたことによるとも言えます。彼の著作にも数学に優れていたことが書かれていました→[書評] カルロス・ゴーン経営を語る

エンジニア天国、フランス

エリート・エンジニアを養成するグランゼコールの地位が高いので、当然エンジニアの社会的地位も高いのです。上で紹介した「理科系の国フランス」には、シンプルに以下のように書かれています。
ともかく「エンジニア」様になるというのはこれはたいへんな栄誉であって、企業の重役への階段をのぼるためには最低エンジニアが必要といったところである。
フランスの状況は、企業のトップの殆どが文系である日本とは大きく違って興味深いのではないでしょうか。以下の記事では、エンジニアを頂点とする序列と、頭の良いやつはエンジニアに成るはずだと言う思い込みが描かれています。僕には経験がありませんが、有り得そうな感じかも知れません。
パリに行って幸せになる方法:学歴社会フランス

フランスの大企業の社長の85%以上は、グランゼコールのエンジニア達によって占められています。

普通の会社員になる為には大学卒では明らかに学歴不足です。一般の会社では1.エンジニア、2.エコル・ド・コメース、3.大学というピラミッドが出来上がっています。
...(略)...
ある日、会議で(エンジニア出身の)その上司と二人っきりになったとき、もうすぐ退職する他の同僚の話になりました。その同僚のことは上司もかなり高く評価していましたが、そのコメントに思わず耳を疑いました。「彼は才能あふれた、とても素晴らしい人だったよね・・・エコル・ド・コメース出身だっていうのに」エンジニアの私の上司からすると、エコル・ド・コメース出身で頭のいい人など存在しない(!)のです。
びっくりですね。とりあえず、「フランス語は数を数えられない」と言った政治家には反省してもらいたいですね。

フランスでエンジニアの社会的地位が高い理由

フランスでエンジニアの社会的地位が高い理由としては、フランスが農業国から工業国への転換を図った時期に、エリートエンジニアたちの貢献が大きかった点が広く知られているからという説明があります。TGV、エアバス、コンコルド、原子力、アリアンロケットなど、鉄道、航空、宇宙、エネルギー産業での技術的成功はエンジニアによるリーダーシップによるところが多いのです。

でも、それでは工業でやってる日本との違いが説明できません。やはり、エンジニアの社会的地位の違いは、社会の構造の違いによるんだと思います。フランスでは大部分の人は気ままに暮らし、一部のエリートがすべてにおいてリーダーシップを発揮します。そうすると自然にリーダーが全てを決定し、庶民はリーダーの指示通りに働くことになります。そういった場合、実際の業務を把握する実学志向のリーダーが求められます。反対に日本では、フランスと比べると全員の能力が均一で、庶民が猛烈に働きます。自然にリーダーが全てを決定して指示を出す重要性が低くなります。よって日本では、業務の全てを仕切る能力を持つリーダーではなく、いわゆる徳のあるリーダーが求められる傾向があります。

エントリと関係する感想:
(軍隊で例えると、フランスは「優秀で全てを取り仕切る指揮官と士気の低い兵隊」と例えられ、日本は「細かい指示を出さない徳のある指揮官と士気の高い兵隊」と例えられます。フランスの優秀な指揮官が日本の士気の高い兵隊を率いると凄いパフォーマンスをたたき出して、逆に日本の徳しか無い指揮官がフランスの士気の低い兵隊を率いると悲劇的な組織になりそうです。前者はゴーン氏が倒産寸前だった日産を立て直した例で、後者の例は幸運なことにまだ無いのかな...?それと、優秀な指揮官と優秀な兵隊の両方を自前で用意できる(連れてこれる)国をアメリカって呼ぶのかなと思います。)
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Avignon, France
このブログの初心は留学のための情報を提供することでした。しかし留学の意義は人の状況・考え方よって千差万別です。理系/文系、男性/女性、学力、語学力、異文化への適応能力、将来就きたい仕事、プライベートなどなどいろいろな要素が絡み合って、一様にベストな答えが導かれることはありえません。このエントリでは、僕が考える海外留学の意味を紹介して参考になればと思って書きます。

研究員の流動性

まず、フランスの研究所では、研究員の流動性(mobilité de rechercheur)が重視されます。研究員がひとつの研究所に留まる期間を短くして、幅広い知識と経験をつけさせるのが狙いです。ひとつのところに留まっていると、自分の得意とする問題の考え方や、問題を解決するアプローチが最も正しい唯一の方法だと思い込んでしまう危険性があるからです。例えば、研究者の流動性に関する規定として、フランスの国立研究所では博士で採用された研究員は、ポスドクで採用しないという規定があります。

また、研究員の方も一つのところに留まっているよりも、複数の場所で研究を行った経験がある方が高く評価されます。しかもその場合、一つの国よりも複数の国で研究を行った経験があるがある方が、望ましいのです。フランスで博士の学位を受けたフランス人学生は、他の国で研究を続けることが強く推奨されています。この点は日本と大きく違うように感じます。例えば、以下のような経歴を持つ人を見るとどう感じるでしょうか?〇〇には同一の大学名、××には同一の学部名が入ります。
〇〇大学 ××学部卒業
〇〇大学 ××修士修了
〇〇大学 ××博士取得
〇〇大学 ××学部 助手
〇〇大学 ××学部 准教授
〇〇大学 ××学部 教授
仮に〇〇大学が著名な大学であった場合、日本では、かなり優秀な人なんだなという感想を持つと思います。なぜなら、そういう人に優秀な人が多いのを経験的に知っているからです。逆に大学がコロコロ変わっている人には「学歴ロンダリング」とか、居場所をコロコロ変える人という疑いのまなざしが向けられることすらあります。

でもフランスの場合はそうは思われません。上に挙げた同一組織でしか研究をしたことが無い人のほうが胡散臭く見られるのです。周りの状況を知らず、正しくないことを正しいと思い込んでしまう危険性を避けられないように感じるからです。下のリンクでは「自分の研究室から出た人は採用しないルール」が欧米では一般的だと書かれています。
「東大までの人」と「東大からの人」 〔受験生必読〕入ってみるとよくわかる | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
東大を始めとして、研究環境がまずおかしい。欧米では博士も、自分の研究室から出た人は採用しないのがルール。いつまでたっても、自立した研究者になれないからです。

そもそも大学は、研究を通して次世代の人材を育てるところ。ハーバードやMIT、中国の清華大学などが世界で評価される理由は、いい人材を輩出する大学だからです。博士を外に出せば、人材が世界に広がってゆき、評判が作られる。でも、日本は教授のクローンを作っているだけで、評判も生まれない。
1つ以上の国で研究を行った経験は高く評価されることが多いのことは注目です。

各研究室には得意技がある

研究所では研究者の流動性が議論の争点となり、研究者としては複数の国を渡り歩いた方が良いのは、各研究室には固有の得意技があるからだと思います。各研究室を統率する教授の得意とするアプローチや、日本的なアプローチ、フランス的な考え方というのが確かにあるように感じます。問題を解決するために複数のアプローチがあり、自分の得意とするアプローチが優れているのかは周りを見てみないとわかりません。この前提が、「研究者の流動性」の必要性を生んでいると思われます。

研究の得意技と言うのはストリートファイターでいうと、波動拳と昇竜拳みたいなものです。相手が遠距離の時は波動拳、近距離の時は昇竜拳と使い分けるために、または得意技の長所短所を知るために、両方をマスターした方が良いのです。なので、日本の研究室とフランスの研究室のどちらがレベルが高いの?という問いには、いつも答えに詰まってしまいます。それは、波動拳と昇竜拳のどちらが強いか比較するようなものだからです。どちらが有効かは、状況によるとしか言えないのです。

問題を解決するアプローチとして、自分の中に複数の引き出しを持っておいた方が良いと言うのが、研究員の流動性の要点だと思います。

学部、修士、博士、ポスドク、いつ留学するか

いつ留学するのかと言う点については、以上の観点から、研究室の得意技をある程度マスターしてからが良いと言えます。波動拳という武器を持ってから、昇竜拳をマスターしに行きましょう。海外であなたを迎える研究室としても、違う得意技を持った学生と一緒に仕事が出来ることは歓迎すべきことです。海外に昇竜拳をマスターしに行くとしても、状況によっては日本の研究室で学んだ波動拳も有効です。その時は、海外の学生にも波動拳を教えてあげるぐらいの気概で行きましょう。

海外に留学した方が良い学生は、その研究室の得意技はそこそこマスターしたけども、世界の中で卓越した研究成果を出すほどではない人です。逆にいうと、日本の研究室に所属し、世界でも卓越した研究成果を出せるトップ研究者はわざわざ留学する必要も無いと思います。そういう人は、たまにインターンシップや訪問研究員などをして海外視察するぐらいでいいのではないかと思います。また、その日本の研究室の得意技を学びきれていない人は、海外に来るのは早いと思います。外国語で学んだ方が習得が早いなんてことはありえません。

羽生さんの言葉として、「ITとインターネットの進化によって将棋の世界に起きた最大の変化は、将棋が強くなるための高速道路が一気に敷かれたということです。でも高速道路を走り抜けた先では大渋滞が起きています参照)」と紹介されていますが、母国語で学ぶことができる環境は、間違いなく高速道路です。母国語で高等教育を学べない国はかなり多いです。日本で高等教育の高速道路を整備してくれた先人に感謝して、活用しましょう。

なるべく早く海外に出た方が良いというアドバイスもあるみたいですが、以上のように海外と日本の両方の利点を考えてみることをおすすめします。

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Parc de Sceaux, France
1月は1エントリを投稿してアクセスは約49300PVでした。

今年最初の月に一ヶ月間の過去最低更新回数を更新してしまいました。それでも延び延びになっていたフランスに来てからぼんやりと感じていたようなことをまとめた「怠け者同盟」の話をいちおう完結できたのは、よかったです。年末年始を日本で過ごした後、フランスに帰ってきてからは2年間関わってきたEUプロジェクトが完了するということで、休日返上で働いてしまいました。これはフランスに来てから2年半で2回目のことでした。

書きたかったブログネタもあったのですが、やっぱり書きたいその時に書いた方が勢いがあって良いような気がします。その時に書かなかったブログネタは自分の無意識の中に潜ってもっと面白くなって戻ってくることと信じています。

以下が1月の人気エントリです。1月唯一のエントリが首位でした。今後ともこのブログをよろしくお願いします。
  1. 怠け者同盟の社会の中で輝きを取り戻す日本
  2. もうそろそろ日本はもうダメだと言わなくてもよい
  3. フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(2/2)
  4. 海外でもリアルタイムに日本のテレビを見る方法(無料)
  5. 第10回 Japan Expo Paris 2009行ってきました
  6. 日本をもっとダメな国だと思い危機感を煽りましょう
  7. 怠け者同盟の社会は人類の未来
  8. 日本色の付いた技術ではもう世界で勝てない
  9. フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(1/2)
  10. フランスの移民政策は成功しつつあるという認識
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