昨年末に色々なブログで「輝きのある日本へ」、「輝きを取り戻すために」というキーワードが上がっていたのでなんだろうかと思っていたら、元ネタは年末に閣議決定され公開された「新成長戦略(基本方針)〜輝きのある日本へ〜」だったようです。これを読んでいたら本ブログで「怠け者同盟の社会」とかを書いていたときに書き残していたエントリを思い出しました。「怠け者同盟の社会の中の日本」というタイトルで書こうと思っていたのですが、想像する日本の未来のイメージを上手く伝えられるか自信がなくて延び延びになってしまっていました。
「新成長戦略」は33ページにまとまっていて、読みやすく意味はわかりやすいのですが、日本の未来のイメージが伝わってきません。本物のリーダーですらそうなのですから、このブログで多少伝わりにくくてもしょうがないと思った次第。怠け者同盟の社会が到来した日本の姿を想像で書いていこうと思います。一応、「怠け者同盟の社会」の完結編です。
第1章 怠け者同盟の社会は人類の未来
第2章 怠け者同盟の社会が働き者の社会に対抗する手段
第3章 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中のフランス
第4章 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中の日本
日本人はまず、そうは言っても覇権を握るアメリカや台頭する中国、インド、中南米が反対すればそんな社会は出来ないと考えがちです。でもこれはそういった話ではないのです。2章で対抗する手段として述べた、怠け者同盟の拡大と同盟の論理の構築は、この怠け者同盟の社会を新時代の常識にする試みです。要は、「強い者が弱い者を殴って金を奪ってはいけない」とか、「強い国が弱い国を銃で脅して土地を奪ってはいけない」といった皆で共有されるコンセンサスに、「働きすぎて無用な競争を創りだすのは人類を不幸にする悪である」という命題を加えるようなものです。そういった新時代の常識ができれば、例え大国や台頭する国でも従わなければなりません。そうでなければ非道徳として非難されます(世の中には強いものが殴らなくともお金を奪う方法や、強い国が銃を使わなくても収奪できる方法もあって悩ましいですが)。
本ブログの結論は、将来的には日本もこの怠け者同盟の社会に合流するのが吉だというものです。以下は、そのときに日本がどんな感じになるか想像します。
先の植民地獲得競争ルールと、自由主義的な市場経済ルールは日本人の勤勉さは何よりの武器でした。しかし、今度の怠け者同盟の社会という新ルールではその勤勉さが封じられます。「勤勉は悪」の世界で、日本はどのような未来を描けばいいのでしょうか?日本はおそらく新ルールを理解し自分自身を変えるのではないかと思います。仕事上の勤勉さは封印し、同じ性格が仕事後の趣味に対するコダワリや凝り性に転化するのではないでしょうか。そしてそれが、新時代での日本の成功を約束すると考えます。もちろんここで言う「成功」は現在の日本人が想像するような、しゃかりきに働きながらアメリカに追いつき、台頭する中国、インド、南米の追い上げを封じ込めるようなことではありません。怠け者同盟の社会とはそういった競争がもたらす害悪を除く試みなのですから。以下そのあたりを解説していこうと思います。
自分が楽しいと思うものを、なんと言われようと貪欲に楽しむ力と言えるかもしれません。それが存在しないなら自分で作ったり、周りに理解されなくとも自分なりのこだわりを持って収集したりする性格も感じます。フランスで人気のある娯楽として、サッカー、サイクリング、スキー、園芸、料理、ワイン、チーズなどなど権威が確立していたり、周りの理解を得られるものが趣味として選択される傾向とは違うように思われるのです。なんの役にも立たなくとも、自分が面白いと思うものにとことん想像力と創造力を投入していく様子は独特の感覚なのではないでしょうか。手間の割に大して儲かるわけでもないのに、コミケに自作のコミックを出展するのは、書きたい、見てもらいたい、楽しんでもらいたいという自分の中の楽しさを追求した結果のように思われます。
同じようなことは、ニコニコ動画や2ちゃんねるの「才能の無駄使い」を見ていても感じます。右の図は「みんながもってるエロ画像でこれ再現できないかな?? あんか〜びっぷ」から持ってきたのですが、「これで面白いもの出来ないかな」と発想して、報酬も手柄も無いのにただ面白いと言うだけで、皆でよってたかって、すごく面白いものが出来ることに感動します。
次の写真は説明不要の有名な画像で「歴史的な画像を貼ってゆくスレ 無題のドキュメント」から取ってきました。第二次世界大戦が終わったときの歴史的な写真です。戦勝国のフランスでも学校の社会の時間などで、よく見せられる写真なのではないでしょうか。戦争の忌まわしい記憶と終戦の喜びが混じった空気が流れることと思います。しかし、2ちゃんねるでは誰かがこの写真を見て、数秒後に「左の人がブラジャーかぶっているようにしか見えない」と言います。これを授業中に指摘すれば、間違いなくクラスの人気者になれると思いますw。
怠け者同盟の社会が本格的に到来し、日本人の余暇が増えれば何が起こるでしょうか?午後五時に帰宅後、今の日本からすれば有り余るほどの時間が手に入ります。マンガを消費する人口、ゲームを消費する人口、ニコニコ動画、2ちゃんねるを閲覧する人口は間違いなく増えるでしょう。娯楽を消費する人口の裾野が広がれば、制作する側のモチベーションも上がります。閲覧する人口のうち何割かは自分で製作しようと考えるかもしれません。労働の拘束時間が長い今の日本で、こんなに面白いものが生まれるならば、フランス人のように毎日午後5時、6時に帰れて長期のバカンスが取れたらどんなにトンデモナイ面白いものが生まれるでしょうか、想像しないわけにはいきません。
ここまで読んだ方は、このエントリがなかなか書けなかった理由もわかったのではないでしょうか。楽観的すぎてノーテンキで馬鹿だと思われそうというのもあります。現状認識とかけ離れすぎて、荒唐無稽だと思われそうというのもあります。この辺りは、「もうそろそろ日本はもうダメだと言わなくてもよい」の最後で書いていたことと同じです。子供の頃に未来だった21世紀も最初の10年が終わりました。そして来世紀は22世紀からやってくるドラえもんの世界です。次の10年の始まりに、もう少し突拍子も無いことを想像しても良いのではないかと思った次第です。
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「新成長戦略」は33ページにまとまっていて、読みやすく意味はわかりやすいのですが、日本の未来のイメージが伝わってきません。本物のリーダーですらそうなのですから、このブログで多少伝わりにくくてもしょうがないと思った次第。怠け者同盟の社会が到来した日本の姿を想像で書いていこうと思います。一応、「怠け者同盟の社会」の完結編です。
怠け者同盟の社会は新時代の常識になる
時間が経ってしまったので、あらすじをおさらいしようと思います。怠け者同盟の社会とは、エネルギー資源、人的資源、労働時間などの資源を投入して経済的利益を上げる競争を抑制して、節約した資源を本当に社会と個人を「幸福」にする要素に振り分ける社会です(1章)。この社会がグローバル社会で敗北しないために取っている戦略が、1.怠け者同盟の拡大と2.同盟の論理の構築でした(2章)。3章、4章ではそれぞれ、フランスと日本が取っている(取るべき)戦略についても分析しています。第1章 怠け者同盟の社会は人類の未来
第2章 怠け者同盟の社会が働き者の社会に対抗する手段
第3章 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中のフランス
第4章 怠け者同盟の社会と働き者の社会の間の競争の中の日本
日本人はまず、そうは言っても覇権を握るアメリカや台頭する中国、インド、中南米が反対すればそんな社会は出来ないと考えがちです。でもこれはそういった話ではないのです。2章で対抗する手段として述べた、怠け者同盟の拡大と同盟の論理の構築は、この怠け者同盟の社会を新時代の常識にする試みです。要は、「強い者が弱い者を殴って金を奪ってはいけない」とか、「強い国が弱い国を銃で脅して土地を奪ってはいけない」といった皆で共有されるコンセンサスに、「働きすぎて無用な競争を創りだすのは人類を不幸にする悪である」という命題を加えるようなものです。そういった新時代の常識ができれば、例え大国や台頭する国でも従わなければなりません。そうでなければ非道徳として非難されます(世の中には強いものが殴らなくともお金を奪う方法や、強い国が銃を使わなくても収奪できる方法もあって悩ましいですが)。
本ブログの結論は、将来的には日本もこの怠け者同盟の社会に合流するのが吉だというものです。以下は、そのときに日本がどんな感じになるか想像します。
新ルールを理解し迅速に転換する日本
4章の「実利重視の日本、思想から自由な日本」で「日本は思想から自由なために、一度コンセンサスを得れば、その時代のルールに則って実利本位で自由に社会を改革することが可能な強みがあります」と書きましたが、ルールを理解して大転換ののち、優秀なプレイヤーとして戻ってくるシナリオです。戦前の植民地獲得競争ルール、戦後の自由主義的な市場経済ルールと、当初は下位から始まり大転換ののち優秀なプレイヤーになったようになると想像します。先の植民地獲得競争ルールと、自由主義的な市場経済ルールは日本人の勤勉さは何よりの武器でした。しかし、今度の怠け者同盟の社会という新ルールではその勤勉さが封じられます。「勤勉は悪」の世界で、日本はどのような未来を描けばいいのでしょうか?日本はおそらく新ルールを理解し自分自身を変えるのではないかと思います。仕事上の勤勉さは封印し、同じ性格が仕事後の趣味に対するコダワリや凝り性に転化するのではないでしょうか。そしてそれが、新時代での日本の成功を約束すると考えます。もちろんここで言う「成功」は現在の日本人が想像するような、しゃかりきに働きながらアメリカに追いつき、台頭する中国、インド、南米の追い上げを封じ込めるようなことではありません。怠け者同盟の社会とはそういった競争がもたらす害悪を除く試みなのですから。以下そのあたりを解説していこうと思います。
余暇が増えれば日本人の想像力と創造力がさらに解放される
フランスが思う日本像といえば、経済の不調、少子高齢化、新興国の台頭などの問題に有効な対策が打てない衰退途中にある国というものの他にも、肯定的な見方もあります。それは、伝統や文化を重んじる反面、ロボットや通信などの最新テクノロジーをいち早く取り入れ、マンガやアニメ、ゲーム、カラオケなどの楽しい娯楽が満載な国というイメージです。こういったイメージも単にフランス人の幻想などではなく、日本の一面を表していると思います([まとめ] フランスと海外のマンガ人気)。自分が楽しいと思うものを、なんと言われようと貪欲に楽しむ力と言えるかもしれません。それが存在しないなら自分で作ったり、周りに理解されなくとも自分なりのこだわりを持って収集したりする性格も感じます。フランスで人気のある娯楽として、サッカー、サイクリング、スキー、園芸、料理、ワイン、チーズなどなど権威が確立していたり、周りの理解を得られるものが趣味として選択される傾向とは違うように思われるのです。なんの役にも立たなくとも、自分が面白いと思うものにとことん想像力と創造力を投入していく様子は独特の感覚なのではないでしょうか。手間の割に大して儲かるわけでもないのに、コミケに自作のコミックを出展するのは、書きたい、見てもらいたい、楽しんでもらいたいという自分の中の楽しさを追求した結果のように思われます。


怠け者同盟の社会が本格的に到来し、日本人の余暇が増えれば何が起こるでしょうか?午後五時に帰宅後、今の日本からすれば有り余るほどの時間が手に入ります。マンガを消費する人口、ゲームを消費する人口、ニコニコ動画、2ちゃんねるを閲覧する人口は間違いなく増えるでしょう。娯楽を消費する人口の裾野が広がれば、制作する側のモチベーションも上がります。閲覧する人口のうち何割かは自分で製作しようと考えるかもしれません。労働の拘束時間が長い今の日本で、こんなに面白いものが生まれるならば、フランス人のように毎日午後5時、6時に帰れて長期のバカンスが取れたらどんなにトンデモナイ面白いものが生まれるでしょうか、想像しないわけにはいきません。
まとめ
怠け者同盟の社会の中の日本を想像したときに、頭に浮かんできた光景は、社会の競争の抑制によって、体力、時間の資源の消耗を節約した日本人が、それらの資源を使ってどんどん幸せになっている光景でした。仕事は定時で帰って、家族団らんし、著名な文学作品を読んで感性を養い、楽しいことに夢中になっている姿でした。世界ではユニークな想像力と創造力を投入して制作したコンテンツが、それに受け取った世界の人々の中で評判になり、作り手も受け取り側も楽しく幸福になっている姿です。ここまで読んだ方は、このエントリがなかなか書けなかった理由もわかったのではないでしょうか。楽観的すぎてノーテンキで馬鹿だと思われそうというのもあります。現状認識とかけ離れすぎて、荒唐無稽だと思われそうというのもあります。この辺りは、「もうそろそろ日本はもうダメだと言わなくてもよい」の最後で書いていたことと同じです。子供の頃に未来だった21世紀も最初の10年が終わりました。そして来世紀は22世紀からやってくるドラえもんの世界です。次の10年の始まりに、もう少し突拍子も無いことを想像しても良いのではないかと思った次第です。
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