Deauville, France
最近、立て続けに日本はもうダメだというエントリを見ました。特にすごかったのが、これです。

On Off and Beyond: 海外で勉強して働こう

これまでずっとなるべく言わないようにしていたのだが、もう平たく/明快に言うことにしました。
1)日本はもう立ち直れないと思う。
だから、
2)海外で勉強してそのまま海外で働く道を真剣に考えてみて欲しい。

これまでは、1)は言わずに、2)だけ言ってきた。
つまり日本はもうダメだから日本脱出が最良の道と言う主張です。悲観論を求めるのは日本人の特性なのかなと思うので(→「日本人はなぜ悲観論が好きか」)、またかと思いましたが、この上記のエントリは同じく海外在住の著者の意見なのでこのエントリで扱ってみようと思います。

フランス人がとらえる日本というのは、もうダメな国と言うニュアンスではないです。確かに経済の不調、少子高齢化、新興国の台頭などの問題に有効な対策が打てない病気の国というような話は伝わっています。それでも、ロボットや通信などの最新テクノロジーをいち早く取り入れ、マンガやゲーム、カラオケなどの楽しい娯楽が満載な国というイメージも付いて回ります。渋谷の映像などが面白く取り上げられていたりして、活気がある国だと思われることも多いです→フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(2/2)。フランス人は基本的には日本のことを良く知らないので、問題も深刻に伝わってないのだと思います。逆にフランス人はフランスの抱える問題について熟知しているため、日本の方が楽しい国だと想像する人もいます。

紹介したエントリでは逆にフランス型がベストケースとして取り上げられています。フランスの問題を身近に深刻に伝わらないために、理想化してしまうのかもしれません。フランスでも、移民問題、宗教問題、失業問題、人種問題などなど目白押しの問題があります。
今の私が考える、日本の20年後ぐらいの将来はこんな感じだ。
  • ベストケース:一世を風靡した時代の力は面影もなく、国内経済に活力はないが、飯うま・割と多くの人がそれなりの生活を送れ、海外からの観光客は喜んで来る(フランス型)
  • ベースケース:貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす(アルゼンチン 型。あの国も19世紀終わり頃には「新たな世界の中核を担うのはアメリカかアルゼンチンか、と言われたほどだったんですけど・・・・)
  • ワーストケース:閉塞感と絶望と貧困に苛まされる層が増加、右傾化・極端で独りよがりな国粋主義の台頭を促す。
この予測はどれもあり得無さ過ぎて冗談かと思います(実際、海外での活躍を推奨する著者が意図的に極論を書いているんだと思いますが)。簡単に反論しておくと、ベストケースでは日本はフランスみたいにはなれないです。EUの様に連合での主導的立場を貫き、EUの影響力をバックにアメリカと対等な立場に立とうと企て、国連常任理事国に名を連ね国際問題に嘴を突っ込み、フランス語圏の影響力を使って国際的地位を有利するような戦略を日本が出来るはずもありません(そして核兵器を保有したり)。ベースケースでは、金持ちは誘拐を恐れて暮らすとありますが、そんな国はめったに無いんじゃないでしょうか。2009年現在一人当たりの収入ではかなり金持ちの国が、たった20年で収入が中位ぐらいの国(フィリピン、ハンガリー、チュニジアなど)になることが想像できないだけでなく、それらの国でも誘拐が深刻な問題なのかどうかはよくわかりません。ワーストケースは、第一次世界大戦の賠償金でハイパーインフレに陥ったあげくに、ヒトラーのナチスの台頭を許した事例(ドイツのインフレ - wikipedia)を言っているのかもしれませんが、率直に言って7桁もインフレになるような破滅的事態はそうそう起こらないでしょう。やっぱり全て極論か冗談なんだと思います。

僕が想像する日本の未来は、日本人全体が危機認識を共有したときに日本が立ち直るという未来です。例えば、150年前に開国した時のように、中国、インド、フィリピン、ベトナム、インドネシアが植民地化され、日本自体が植民地化の危機に立たされた時のように危機を脱出する方向に全員が行動するイメージです。明治維新では西郷隆盛、坂本龍馬のような優秀な人材が大量に出現しました。結果、開国からたった37年で日清/日露戦争に勝利を収めるまでになりました。また、日本中が焼け野原になり0からの出発となった日本は、戦後約25年で国内総生産(GDP)で世界第二位になった後、ずっとその地位を守っています。このときにも、戦後の舵取りを誤らなかった吉田茂や池田勇人などの優秀な人材が出ています。

日本では危機になると優秀な人材が出てくるように見えるほどです。これに対する僕の仮説は、「日本では常時優秀な人材が実はウヨウヨいるけど、平時には親の七光りやお調子者が幅を利かせていてなかなか表に出て来れないが、全員が危機を認識すると優秀な人材に指揮権が委譲されるのではないか」というものです。危機になると偶然優秀な人材が湧いてくると考えるよりも自然だと思います。

ここで、最初に紹介したエントリに戻ると、1の日本は立ち直れないというのは間違いで、2の個人が海外進出を考えるべきというのは賛成です。平時に親の七光りやお調子者に隠れて能力を発揮できない優秀な人々は海外に出て正当な評価を求めるのも手な気がしています。そして、日本人が危機を認識すれば、日本でも本当に優秀な人にお鉢が回ってくる社会が出現すると思います。その時は、一度日本を出た優秀人々も日本のために役立ってあげてほしいものです。最後に、最近見た悲観的な観測で広く読まれているエントリです→希望を捨てる勇気 - 池田信夫 blog

追記2:
楽観論をちょっと修正したフォローアップ記事を書きました→日本をもっとダメな国だと思い危機感を煽りましょう

追記:
上記のエントリはたくさんのブログで引用されているようです。どれも面白いので、興味のある方はどうぞ。
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Deauville, France
最近、立て続けに日本はもうダメだというエントリを見ました。特にすごかったのが、これです。
On Off and Beyond: 海外で勉強して働こう

これまでずっとなるべく言わないようにしていたのだが、もう平たく/明快に言うことにしました。
1)日本はもう立ち直れないと思う。
だから、
2)海外で勉強してそのまま海外で働く道を真剣に考えてみて欲しい。

これまでは、1)は言わずに、2)だけ言ってきた。
つまり日本はもうダメだから日本脱出が最良の道と言う主張です。悲観論を求めるのは日本人の特性なのかなと思うので(→「日本人はなぜ悲観論が好きか」)、またかと思いましたが、この上記のエントリは同じく海外在住の著者の意見なのでこのエントリで扱ってみようと思います。

フランス人がとらえる日本というのは、もうダメな国と言うニュアンスではないです。確かに経済の不調、少子高齢化、新興国の台頭などの問題に有効な対策が打てない病気の国というような話は伝わっています。それでも、ロボットや通信などの最新テクノロジーをいち早く取り入れ、マンガやゲーム、カラオケなどの楽しい娯楽が満載な国というイメージも付いて回ります。渋谷の映像などが面白く取り上げられていたりして、活気がある国だと思われることも多いです→フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(2/2)。フランス人は基本的には日本のことを良く知らないので、問題も深刻に伝わってないのだと思います。逆にフランス人はフランスの抱える問題について熟知しているため、日本の方が楽しい国だと想像する人もいます。

紹介したエントリでは逆にフランス型がベストケースとして取り上げられています。フランスの問題を身近に深刻に伝わらないために、理想化してしまうのかもしれません。フランスでも、移民問題、宗教問題、失業問題、人種問題などなど目白押しの問題があります。
今の私が考える、日本の20年後ぐらいの将来はこんな感じだ。
  • ベストケース:一世を風靡した時代の力は面影もなく、国内経済に活力はないが、飯うま・割と多くの人がそれなりの生活を送れ、海外からの観光客は喜んで来る(フランス型)
  • ベースケース:貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす(アルゼンチン 型。あの国も19世紀終わり頃には「新たな世界の中核を担うのはアメリカかアルゼンチンか、と言われたほどだったんですけど・・・・)
  • ワーストケース:閉塞感と絶望と貧困に苛まされる層が増加、右傾化・極端で独りよがりな国粋主義の台頭を促す。
この予測はどれもあり得無さ過ぎて冗談かと思います(実際、海外での活躍を推奨する著者が意図的に極論を書いているんだと思いますが)。簡単に反論しておくと、ベストケースでは日本はフランスみたいにはなれないです。EUの様に連合での主導的立場を貫き、EUの影響力をバックにアメリカと対等な立場に立とうと企て、国連常任理事国に名を連ね国際問題に嘴を突っ込み、フランス語圏の影響力を使って国際的地位を有利するような戦略を日本が出来るはずもありません(そして核兵器を保有したり)。ベースケースでは、金持ちは誘拐を恐れて暮らすとありますが、そんな国はめったに無いんじゃないでしょうか。2009年現在一人当たりの収入ではかなり金持ちの国が、たった20年で収入が中位ぐらいの国(フィリピン、ハンガリー、チュニジアなど)になることが想像できないだけでなく、それらの国でも誘拐が深刻な問題なのかどうかはよくわかりません。ワーストケースは、第一次世界大戦の賠償金でハイパーインフレに陥ったあげくに、ヒトラーのナチスの台頭を許した事例(ドイツのインフレ - wikipedia)を言っているのかもしれませんが、率直に言って7桁もインフレになるような破滅的事態はそうそう起こらないでしょう。やっぱり全て極論か冗談なんだと思います。

僕が想像する日本の未来は、日本人全体が危機認識を共有したときに日本が立ち直るという未来です。例えば、150年前に開国した時のように、中国、インド、フィリピン、ベトナム、インドネシアが植民地化され、日本自体が植民地化の危機に立たされた時のように危機を脱出する方向に全員が行動するイメージです。明治維新では西郷隆盛、坂本龍馬のような優秀な人材が大量に出現しました。結果、開国からたった37年で日清/日露戦争に勝利を収めるまでになりました。また、日本中が焼け野原になり0からの出発となった日本は、戦後約25年で国内総生産(GDP)で世界第二位になった後、ずっとその地位を守っています。このときにも、戦後の舵取りを誤らなかった吉田茂や池田勇人などの優秀な人材が出ています。

日本では危機になると優秀な人材が出てくるように見えるほどです。これに対する僕の仮説は、「日本では常時優秀な人材が実はウヨウヨいるけど、平時には親の七光りやお調子者が幅を利かせていてなかなか表に出て来れないが、全員が危機を認識すると優秀な人材に指揮権が委譲されるのではないか」というものです。危機になると偶然優秀な人材が湧いてくると考えるよりも自然だと思います。

ここで、最初に紹介したエントリに戻ると、1の日本は立ち直れないというのは間違いで、2の個人が海外進出を考えるべきというのは賛成です。平時に親の七光りやお調子者に隠れて能力を発揮できない優秀な人々は海外に出て正当な評価を求めるのも手な気がしています。そして、日本人が危機を認識すれば、日本でも本当に優秀な人にお鉢が回ってくる社会が出現すると思います。その時は、一度日本を出た優秀人々も日本のために役立ってあげてほしいものです。最後に、最近見た悲観的な観測で広く読まれているエントリです→希望を捨てる勇気 - 池田信夫 blog

追記2:
楽観論をちょっと修正したフォローアップ記事を書きました→日本をもっとダメな国だと思い危機感を煽りましょう

追記:
上記のエントリはたくさんのブログで引用されているようです。どれも面白いので、興味のある方はどうぞ。
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名将たちの戦争学 (文春新書)
過去と現在の著名な軍人の名言から戦争を説明した本でした。著者は防衛大学卒で軍人としてのキャリアを歩んだことも会って、軍人の視点から物事を考えているという感じがしました。具体的には、「5章、法を破って戦争に勝った英国の提督たち(p. 129)」や、「おわりに、強いことはいいことだ (p. 203)」といったところです。法を破って戦争に勝つことの意味や、すべての国が強いこと求め続けた結果、何が起こるのかということの想像力が、欠けているように感じてしまいます。もちろん、そういった視点を持つことは軍人の職務には必要なく、戦争に必要な知識を豊富に持っている著者がその考えを著してくれたことには意味を感じます。著者は戦争には詳しくても、より高次の視点が欠けているように感じたのは、前回書評した「[書評] 新・戦争学」でも一緒でした。政治家が戦争に口出すとろくなことが無く軍人が判断すべきと書かれており、それに対する自分の意見を述べさせていただきました。

なので、こっちの書評では、同じような反論は省略します。この本で面白いのは、普通は知ることの無い戦場での風景が少し想像できるところです。戦場での勝敗は決定的な物で、将棋や囲碁のように誰でもが形勢を判断できる物だと思っていたのですが、実際には勝敗は当事者にも戦闘中にまったく分からないそうです。太字は全て原文通りです。

「戦争では、霧のような偶然、無秩序な混乱、偶発事件の発生は常態である。少なくとも遅延、誇張、誤解、突発事態、不合理は予期しておかなければならない。」(p.26)
「戦争では、全ての行動は、霧の中や、月光の下のような薄暗がりで行われているように見える。それは異様で、しばしば実際の大きさより巨大に映るのだ。」(『戦争論』馬込建之助)(p.26)
「戦争は不確実性の世界である。作戦や戦闘行動にかかわる要素の四分の三は多かれ少なかれ不確実性の霧に覆われている。...(略)...(クラウゼヴィッツ)
「状況不明は戦争の常であるー(中略)ー世界中の軍隊は状況不明の真っただ中で宿営し、更新している」(p.117)
とにかく、「指揮官は二五パーセントの情報を手にすれば『おんの字』で決断せよ!」という格言が成り立つわけである。(p.118)
その他、戦場では混乱がつきまとい、戦闘に完勝した方の軍隊も戦っている間は、勝っているか負けているかまったく分からなかったりする様子が描かれていました。また、双方が敗北したと勘違いし退却した戦闘もあるそうです。司馬遼太郎の『坂の上の雲』でも、海戦では互いに互いの砲弾があたった上に、味方のダメージが間近に見え、相手のダメージが遠目に見えるために、双方が負け気味だと錯覚するというようなことが書かれていたように覚えています。日本海軍が完勝した日本海海戦ですら、日本艦の砲弾があたって火の海になり死体が散乱しているところを見れば、負けているようにしか見えなかったそうです。『坂の上の雲』にそのような記述があったことを記憶しています。(日露戦争と言えば、このフラッシュはかなり面白いと思います。大日本帝国の最期という太平洋戦争版もあります。)

ビジネスマンが読むことを想定しているのか、この本では戦争や戦闘をビジネスに置き換えた記述がよく見られます。この当事者の誰もが正確な形勢判断を出来ないというのは、現実世界でもよくあることのように思えます。例えば、傍目からは成功しているように見えるプロジェクトも、内部の人から見ると、問題が多発しているように見え、失敗寸前のように感じているかもしれません。逆に、うまく動いているとは思えないプロジェクトや、問題ばかりが目につくプロジェクトで自分の目には失敗しているとしか思えないようなプロジェクトでも、傍目から見れば成功している部類のプロジェクトと見えるかもしれません。特にビジネスなどでは、競合他社の状況や、顧客の思考、未来の経済状況など不確定な要素が多すぎて、25パーセントぐらい分かったぐらいで、思い切って行動する必要があるのかもしれません。

勉強しても上達していかないように見える自分の能力も、実は傍目からは上達しているように見えたり、このままじゃダメだと悲観的になることがあっても傍目からは順調に見えたりするのかもしれません。自分が分かっている範囲は25パーセントぐらいで、その他はまったく知覚すら出来ていないのかもしれません。戦闘でも悪い部分がよく見えるそうなので、実世界でも見える部分から少しポジティブに見えない部分を補正して考えるぐらいでちょうどいいのかも知れないと、思います。

名将たちの戦争学 (文春新書)

松村 劭 (著)

第1章 戦争はなぜ起きるのか
第2章 勝敗の判定
第3章 戦いの原則
第4章 戦略の極意
第5章 戦術の極意
第6章 教育と訓練
第7章 指導者・将校・兵士
第8章 作戦・命令・戦闘

ナポレオンやクラウゼヴィッツ、パットンやロンメル、毛沢東など、古代ギリシャから湾岸戦争の現代に至るまで歴戦の名将たちが実戦を踏まえて残した格言を 軸に、戦略・戦術の神髄とその実際的効用をやさしく説き明かす。自衛隊の元作戦幕僚が語る「戦争学」の極意は、戦いの原則や勝敗の判定、作戦・命令・戦闘 から教育・訓練に及び、経営戦略や実人生とも深く関わっていて味わい深い。
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名将たちの戦争学 (文春新書)
過去と現在の著名な軍人の名言から戦争を説明した本でした。著者は防衛大学卒で軍人としてのキャリアを歩んだことも会って、軍人の視点から物事を考えているという感じがしました。具体的には、「5章、法を破って戦争に勝った英国の提督たち(p. 129)」や、「おわりに、強いことはいいことだ (p. 203)」といったところです。法を破って戦争に勝つことの意味や、すべての国が強いこと求め続けた結果、何が起こるのかということの想像力が、欠けているように感じてしまいます。もちろん、そういった視点を持つことは軍人の職務には必要なく、戦争に必要な知識を豊富に持っている著者がその考えを著してくれたことには意味を感じます。著者は戦争には詳しくても、より高次の視点が欠けているように感じたのは、前回書評した「[書評] 新・戦争学」でも一緒でした。政治家が戦争に口出すとろくなことが無く軍人が判断すべきと書かれており、それに対する自分の意見を述べさせていただきました。

なので、こっちの書評では、同じような反論は省略します。この本で面白いのは、普通は知ることの無い戦場での風景が少し想像できるところです。戦場での勝敗は決定的な物で、将棋や囲碁のように誰でもが形勢を判断できる物だと思っていたのですが、実際には勝敗は当事者にも戦闘中にまったく分からないそうです。太字は全て原文通りです。
「戦争では、霧のような偶然、無秩序な混乱、偶発事件の発生は常態である。少なくとも遅延、誇張、誤解、突発事態、不合理は予期しておかなければならない。」(p.26)
「戦争では、全ての行動は、霧の中や、月光の下のような薄暗がりで行われているように見える。それは異様で、しばしば実際の大きさより巨大に映るのだ。」(『戦争論』馬込建之助)(p.26)
「戦争は不確実性の世界である。作戦や戦闘行動にかかわる要素の四分の三は多かれ少なかれ不確実性の霧に覆われている。...(略)...(クラウゼヴィッツ)
「状況不明は戦争の常であるー(中略)ー世界中の軍隊は状況不明の真っただ中で宿営し、更新している」(p.117)
とにかく、「指揮官は二五パーセントの情報を手にすれば『おんの字』で決断せよ!」という格言が成り立つわけである。(p.118)
その他、戦場では混乱がつきまとい、戦闘に完勝した方の軍隊も戦っている間は、勝っているか負けているかまったく分からなかったりする様子が描かれていました。また、双方が敗北したと勘違いし退却した戦闘もあるそうです。司馬遼太郎の『坂の上の雲』でも、海戦では互いに互いの砲弾があたった上に、味方のダメージが間近に見え、相手のダメージが遠目に見えるために、双方が負け気味だと錯覚するというようなことが書かれていたように覚えています。日本海軍が完勝した日本海海戦ですら、日本艦の砲弾があたって火の海になり死体が散乱しているところを見れば、負けているようにしか見えなかったそうです。『坂の上の雲』にそのような記述があったことを記憶しています。(日露戦争と言えば、このフラッシュはかなり面白いと思います。大日本帝国の最期という太平洋戦争版もあります。)

ビジネスマンが読むことを想定しているのか、この本では戦争や戦闘をビジネスに置き換えた記述がよく見られます。この当事者の誰もが正確な形勢判断を出来ないというのは、現実世界でもよくあることのように思えます。例えば、傍目からは成功しているように見えるプロジェクトも、内部の人から見ると、問題が多発しているように見え、失敗寸前のように感じているかもしれません。逆に、うまく動いているとは思えないプロジェクトや、問題ばかりが目につくプロジェクトで自分の目には失敗しているとしか思えないようなプロジェクトでも、傍目から見れば成功している部類のプロジェクトと見えるかもしれません。特にビジネスなどでは、競合他社の状況や、顧客の思考、未来の経済状況など不確定な要素が多すぎて、25パーセントぐらい分かったぐらいで、思い切って行動する必要があるのかもしれません。

勉強しても上達していかないように見える自分の能力も、実は傍目からは上達しているように見えたり、このままじゃダメだと悲観的になることがあっても傍目からは順調に見えたりするのかもしれません。自分が分かっている範囲は25パーセントぐらいで、その他はまったく知覚すら出来ていないのかもしれません。戦闘でも悪い部分がよく見えるそうなので、実世界でも見える部分から少しポジティブに見えない部分を補正して考えるぐらいでちょうどいいのかも知れないと、思います。
名将たちの戦争学 (文春新書)

松村 劭 (著)

第1章 戦争はなぜ起きるのか
第2章 勝敗の判定
第3章 戦いの原則
第4章 戦略の極意
第5章 戦術の極意
第6章 教育と訓練
第7章 指導者・将校・兵士
第8章 作戦・命令・戦闘

ナポレオンやクラウゼヴィッツ、パットンやロンメル、毛沢東など、古代ギリシャから湾岸戦争の現代に至るまで歴戦の名将たちが実戦を踏まえて残した格言を 軸に、戦略・戦術の神髄とその実際的効用をやさしく説き明かす。自衛隊の元作戦幕僚が語る「戦争学」の極意は、戦いの原則や勝敗の判定、作戦・命令・戦闘 から教育・訓練に及び、経営戦略や実人生とも深く関わっていて味わい深い。
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苛立つ中国 (文春文庫)中国に蔓延する反日の全体図が分かる本でした。反日の激しさや原因の多さと複雑さ、全てにおいて解決困難を思わせる詳細さは、読んでいる間に気分が沈んでくるほどです。西安留学生寸劇事件尖閣諸島領有権問題東シナ海ガス田問題歴史教科書問題靖国神社問題アジアカップの暴動など様々な話題にジャーナリストとしての取材を通じて得られた情報と、分析を行っている内容です。事実の羅列だけでなく、新鮮な著者の分析もちりばめられているので、この話題に興味があれば、読んでおくべき本といえると思います。

たくさんのトピックがあるなかで、印象に残った1)中国共産党との付き合い方に関する問題と2)靖国問題について紹介します。まず、日本は中国に進出している企業などのためにも中国で反日デモは起こってほしくないと思っています。それを抑える手段が日本には無く、中国共産党が反日デモを抑制するように働きかけて、中国共産党がデモを抑えてくれることを期待するしかありません。この状況では、日本と中国共産党は民衆のデモを抑制するという点においては共闘関係にあり、日本は中国の民主化を阻む側だと捉えられる危険性があると説かれています。
民間人の政治参加、発言の欲求を「民主化」と呼ぶならば、反日デモが認められるか否かは、民主化が認められるか否かとも重なる問題なのだ。反日デモが認められないとしたら、民主化を阻んだ者は日本であると混同されかねない。その場合、現在の中国人は日本を抑圧勢力と見なすだろう。...(略)... 反日感情の発露を当局が力で排除することは、一時的に日本への追い風とも見えるのだが、長期的に見れば問題をより複雑で根深いものにしてしまいかねない要素を含んでいるのだ。(p.55)
デモの抑制などに、中国共産党の力を頼りすぎると、中国共産党が倒れる日が来たときに日本も民主化を阻んだ敵と認識されるかもしれないということです。著者の意見は下の引用のように民主化と日本のイメージを重ねる戦略ですが、あまり深くは書かれていませんでした。もう少し論を聞いてみたかった気がします。
一旦「自由」や「人権」に絡む問題が持ち上がれば、中国がいかなる圧力をかけようとも支持し、亡命者も受け入れる。そうすることで日本の新しい「価値観」を「中国」でなく「中国人」に向かって発信するのである。こうした発信を辛抱強く続けていくことによって、中国人の頭の中で「民主化」と「日本」のイメージが重なれば、中国に起こる新たな動きは日本を受け入れるかもしれない。(p.258)
次に靖国問題についての話は面白かったです。靖国問題は存在してくれたほうが、日中双方にとって都合が良いという解釈です。そして、これは早急に解決せずに問題として残しておいたほうが良いというのです。領土問題や資源問題は双方が絶対に譲歩できない反面、先祖の供養の方法が文化的に違うというのはお互いに理解できる可能性があるからです。一番対立の激しい問題が前面に出るより、靖国問題があったほうが日中問題が和らいでいるかもしれないそうです。
日中間に横たわるのは靖国神社への参拝問題だけではない。短期的に見ても、東シナ海ガス田の開発問題もあれば、尖閣諸島の問題もある。日中間に火種は尽きないのだ。中国社会に不満のガスが充満している以上、靖国問題の解決一つで爆発は避けられると考えるのは誤りである。しかも、靖国参拝問題に比べてこうした問題は、バッファー(緩衝器)がない分、きわめて扱いにくい。...(略)... 靖国問題にケリをつけて、バッファーのない問題をやみくもに前線に引き出してしまうことが得策なのかどうか。経済界は、そのところをもっとよく考えてみるべきではないだろうか。...(略)... 逆説的にいえば、靖国問題というバッファーは存続した方が両国に取っては都合がいいともいえるのである。(p.206)
これは、確かにそのとおりかなと思います。2006年8月15日に小泉首相が靖国神社に参拝した日、僕はインターンシップでフランスに滞在して中国人の同僚と働いていて、議論になったことがあります。領土問題や歴史問題に比べて、議論しやすかった覚えがあります。中国人に不快な気持ちを与えるのは残念だけど、国や家族を守ろうと思って戦争で死んだ人を弔うのは当然のことで、弔い方にはさまざまな文化があることを説明しました。つまり、日本人は戦争を肯定しようと思って死者を弔ってるのではなく、戦いが終われば敵味方を問わず死者を弔うのが日本人の感性なんだと説明しました。例えば、原爆投下の決定を下したトルーマンの眠るアーリントン墓地をアメリカ人がどのように参拝しても気にしないし、日本人が墓地に観光に行って、敵方だった人々の墓地を参拝しても何の問題も無いことなど説明しました。彼は中国では日本人が戦争を反省していないから靖国参拝するとしか聞いていなかったので新鮮な様でした。

ちなみに僕は、中国との関係に配慮して公人の靖国参拝を取りやめるのも一つの選択かと思います。その場合にもその決定は弔う人がするべきで、他人に言われてやめるのは筋が違うと思います。

最後に、著者は日中関係について書くことの難しさをこう書いています。このエントリもしかりです。
ジャーナリストとして中国と接する時、「反日」などの日中摩擦問題に嘴を突っ込むのは利口な選択ではない。万人を納得させる百パーセントの回答などあるはずがなく、必ず誰かの恨みを買うことになるからだ。(p.283)
苛立つ中国 (文春文庫)
富坂 聰 (著)
第1章 膨張する反日エネルギー
第2章 西安の日本人狩り
第3章 反日運動の「七勇士」
第4章 迷走する香港
第5章 靖国神社参拝の是非
第6章 中国人を味方にできない日本企業
西安の日本人狩り、尖閣諸島への不法上陸、そしてサッカー・アジアカップの暴動。相次いで起きた中国の反日運動は、2005年4月の反日デモで頂点に達す る。過激な運動を煽ったのは一体誰なのか?中国共産党か、民間の反日活動家か、それとも—。徹底した現地取材で、台頭する中国のナショナリズムの核心に 迫った意欲作。
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苛立つ中国 (文春文庫)中国に蔓延する反日の全体図が分かる本でした。反日の激しさや原因の多さと複雑さ、全てにおいて解決困難を思わせる詳細さは、読んでいる間に気分が沈んでくるほどです。西安留学生寸劇事件尖閣諸島領有権問題東シナ海ガス田問題歴史教科書問題靖国神社問題アジアカップの暴動など様々な話題にジャーナリストとしての取材を通じて得られた情報と、分析を行っている内容です。事実の羅列だけでなく、新鮮な著者の分析もちりばめられているので、この話題に興味があれば、読んでおくべき本といえると思います。

たくさんのトピックがあるなかで、印象に残った1)中国共産党との付き合い方に関する問題と2)靖国問題について紹介します。まず、日本は中国に進出している企業などのためにも中国で反日デモは起こってほしくないと思っています。それを抑える手段が日本には無く、中国共産党が反日デモを抑制するように働きかけて、中国共産党がデモを抑えてくれることを期待するしかありません。この状況では、日本と中国共産党は民衆のデモを抑制するという点においては共闘関係にあり、日本は中国の民主化を阻む側だと捉えられる危険性があると説かれています。
民間人の政治参加、発言の欲求を「民主化」と呼ぶならば、反日デモが認められるか否かは、民主化が認められるか否かとも重なる問題なのだ。反日デモが認められないとしたら、民主化を阻んだ者は日本であると混同されかねない。その場合、現在の中国人は日本を抑圧勢力と見なすだろう。...(略)... 反日感情の発露を当局が力で排除することは、一時的に日本への追い風とも見えるのだが、長期的に見れば問題をより複雑で根深いものにしてしまいかねない要素を含んでいるのだ。(p.55)
デモの抑制などに、中国共産党の力を頼りすぎると、中国共産党が倒れる日が来たときに日本も民主化を阻んだ敵と認識されるかもしれないということです。著者の意見は下の引用のように民主化と日本のイメージを重ねる戦略ですが、あまり深くは書かれていませんでした。もう少し論を聞いてみたかった気がします。
一旦「自由」や「人権」に絡む問題が持ち上がれば、中国がいかなる圧力をかけようとも支持し、亡命者も受け入れる。そうすることで日本の新しい「価値観」を「中国」でなく「中国人」に向かって発信するのである。こうした発信を辛抱強く続けていくことによって、中国人の頭の中で「民主化」と「日本」のイメージが重なれば、中国に起こる新たな動きは日本を受け入れるかもしれない。(p.258)
次に靖国問題についての話は面白かったです。靖国問題は存在してくれたほうが、日中双方にとって都合が良いという解釈です。そして、これは早急に解決せずに問題として残しておいたほうが良いというのです。領土問題や資源問題は双方が絶対に譲歩できない反面、先祖の供養の方法が文化的に違うというのはお互いに理解できる可能性があるからです。一番対立の激しい問題が前面に出るより、靖国問題があったほうが日中問題が和らいでいるかもしれないそうです。
日中間に横たわるのは靖国神社への参拝問題だけではない。短期的に見ても、東シナ海ガス田の開発問題もあれば、尖閣諸島の問題もある。日中間に火種は尽きないのだ。中国社会に不満のガスが充満している以上、靖国問題の解決一つで爆発は避けられると考えるのは誤りである。しかも、靖国参拝問題に比べてこうした問題は、バッファー(緩衝器)がない分、きわめて扱いにくい。...(略)... 靖国問題にケリをつけて、バッファーのない問題をやみくもに前線に引き出してしまうことが得策なのかどうか。経済界は、そのところをもっとよく考えてみるべきではないだろうか。...(略)... 逆説的にいえば、靖国問題というバッファーは存続した方が両国に取っては都合がいいともいえるのである。(p.206)
これは、確かにそのとおりかなと思います。2006年8月15日に小泉首相が靖国神社に参拝した日、僕はインターンシップでフランスに滞在して中国人の同僚と働いていて、議論になったことがあります。領土問題や歴史問題に比べて、議論しやすかった覚えがあります。中国人に不快な気持ちを与えるのは残念だけど、国や家族を守ろうと思って戦争で死んだ人を弔うのは当然のことで、弔い方にはさまざまな文化があることを説明しました。つまり、日本人は戦争を肯定しようと思って死者を弔ってるのではなく、戦いが終われば敵味方を問わず死者を弔うのが日本人の感性なんだと説明しました。例えば、原爆投下の決定を下したトルーマンの眠るアーリントン墓地をアメリカ人がどのように参拝しても気にしないし、日本人が墓地に観光に行って、敵方だった人々の墓地を参拝しても何の問題も無いことなど説明しました。彼は中国では日本人が戦争を反省していないから靖国参拝するとしか聞いていなかったので新鮮な様でした。

ちなみに僕は、中国との関係に配慮して公人の靖国参拝を取りやめるのも一つの選択かと思います。その場合にもその決定は弔う人がするべきで、他人に言われてやめるのは筋が違うと思います。

最後に、著者は日中関係について書くことの難しさをこう書いています。このエントリもしかりです。
ジャーナリストとして中国と接する時、「反日」などの日中摩擦問題に嘴を突っ込むのは利口な選択ではない。万人を納得させる百パーセントの回答などあるはずがなく、必ず誰かの恨みを買うことになるからだ。(p.283)
苛立つ中国 (文春文庫)
富坂 聰 (著)

第1章 膨張する反日エネルギー
第2章 西安の日本人狩り
第3章 反日運動の「七勇士」
第4章 迷走する香港
第5章 靖国神社参拝の是非
第6章 中国人を味方にできない日本企業

西安の日本人狩り、尖閣諸島への不法上陸、そしてサッカー・アジアカップの暴動。相次いで起きた中国の反日運動は、2005年4月の反日デモで頂点に達す る。過激な運動を煽ったのは一体誰なのか?中国共産党か、民間の反日活動家か、それとも—。徹底した現地取材で、台頭する中国のナショナリズムの核心に 迫った意欲作。
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Paris, France
通信分野の日本人研究者とフランス人研究者が関わりあう中で、多くの場合会話は英語です。発表される論文は英語で書かれ、英語がスタンダードとなっている研究分野では当然だと思います。英語さえできれば、共同作業は簡単だと思われがちですが、そうではありませんでした。日本で3年間、フランスで2年間、フランス人の研究者と共に働いてきた経験から、他人の話す言語を変えるのは大変だったということを書いていこうと思います。

留学するのにフランス語は必要か」では、研究にはフランス語は必要なくて、生活にフランス語が必要だと書いてきました。仕事だけの人はいないので、フランスに来れば必ずフランス語に触れる機会があります。例えば、みんなで昼食に行ったときには、彼らがどれほど英語をしゃべる能力があっても、自然と会話はフランス語になります。まったく意味のわからない会話が繰り広げられていて、たまに笑いが巻き起こっても自分には何の話で盛り上がっているかさっぱりわかりません。彼らにとっては、自分を会話から排除する意思は微塵も無いのですが、だんだんこんな感情が湧き上がってきます。「僕がフランス語しゃべれないの知ってるだろう~。みんな英語はしゃべれるんだから英語で会話をしてくれ!」と。

幸いにも僕は日本では、逆に日本語をしゃべれないフランス人がいるのにも関わらず、ついつい日本語をしゃべってしまったり、しゃべってしまう同僚を見てきたので、日本人が英語をしゃべらないことに悪意が無いことは良く知っていました。そして、会話が日本語になってしまったことで、日本語をしゃべらないフランス人が会話に取り残されていることに気づき、彼らに悪く思ったりしていました。

双方が英語をしゃべれるなら、英語をしゃべればいいと思われるかもしれませんが、日本人とフランス人の比率が偏っている場合(例えば10対1とか、1対5とか)には、日本語かフランス語になる傾向があります。例えば、「昨日、おまえが探していた本を見つけたぞ。」とか、その場にいる全員を対象としない会話が呼び水となって、すべての会話が日本語になって行ったりします。こういった場合には、その言語をしゃべれない人が、会話から排除された感覚を覚えて恨みがましく思ったり、会話に入れない外国人を見つけて悪く思い気まずい時間をすごしたりします。

もちろん、全員が英語をしゃべることが一番正しい解決方法であることは明らかです。通信分野の研究者は英語の能力を向上させることも仕事のうちで、英語は全員がしゃべることを前提としてよい唯一の言語です。とはいえ、久しぶりに会った友人に近況を聞きたい場合や、仕事で疲れてリラックスしてしゃべりたい場面、いろいろな場面で母国語をしゃべりたい欲求は自然です。多くの人は、すべての場面で英語をしゃべるという正しい解決方法をどこでも実現できるわけではありません。

相手に英語でしゃべってもらえず、恨みがましい感情がわいてくるのも、反対に自分が母国語をしゃべってしまいしゃべれない人に気の毒な思いをさせてしまうのもつらいものです。”恨みがましい感情”と”気の毒な思い”は重大な問題ではないですが、蓄積すると日々の精神的な負担が大きいです。エントリのタイトルの通り、”他人に英語をしゃべってもらうのは大変”なので、僕が一番いいと思う解決方法は、その国の言語で日常会話レベルまでは出来るようにしておくことです。そうすれば、自分は悪気無くその言語をしゃべっている人に恨みがましく思ったりしなくてすみ、相手には、言語のせいで会話に取り残されていると思わせて気の毒に思われなくてすみます。そのレベルに達するまでが大変だと思われるかもしれませんが、上記の”恨みがましい感情”と”気の毒な思い”を解決できる利点の方が大きいと思うのです。フランス人に英語をしゃべってもらうように相手に期待するのはやめた方が精神的に楽だと思います。

関連:フランス語の勉強の仕方(まとめ)
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Paris, France
通信分野の日本人研究者とフランス人研究者が関わりあう中で、多くの場合会話は英語です。発表される論文は英語で書かれ、英語がスタンダードとなっている研究分野では当然だと思います。英語さえできれば、共同作業は簡単だと思われがちですが、そうではありませんでした。日本で3年間、フランスで2年間、フランス人の研究者と共に働いてきた経験から、他人の話す言語を変えるのは大変だったということを書いていこうと思います。

留学するのにフランス語は必要か」では、研究にはフランス語は必要なくて、生活にフランス語が必要だと書いてきました。仕事だけの人はいないので、フランスに来れば必ずフランス語に触れる機会があります。例えば、みんなで昼食に行ったときには、彼らがどれほど英語をしゃべる能力があっても、自然と会話はフランス語になります。まったく意味のわからない会話が繰り広げられていて、たまに笑いが巻き起こっても自分には何の話で盛り上がっているかさっぱりわかりません。彼らにとっては、自分を会話から排除する意思は微塵も無いのですが、だんだんこんな感情が湧き上がってきます。「僕がフランス語しゃべれないの知ってるだろう~。みんな英語はしゃべれるんだから英語で会話をしてくれ!」と。

幸いにも僕は日本では、逆に日本語をしゃべれないフランス人がいるのにも関わらず、ついつい日本語をしゃべってしまったり、しゃべってしまう同僚を見てきたので、日本人が英語をしゃべらないことに悪意が無いことは良く知っていました。そして、会話が日本語になってしまったことで、日本語をしゃべらないフランス人が会話に取り残されていることに気づき、彼らに悪く思ったりしていました。

双方が英語をしゃべれるなら、英語をしゃべればいいと思われるかもしれませんが、日本人とフランス人の比率が偏っている場合(例えば10対1とか、1対5とか)には、日本語かフランス語になる傾向があります。例えば、「昨日、おまえが探していた本を見つけたぞ。」とか、その場にいる全員を対象としない会話が呼び水となって、すべての会話が日本語になって行ったりします。こういった場合には、その言語をしゃべれない人が、会話から排除された感覚を覚えて恨みがましく思ったり、会話に入れない外国人を見つけて悪く思い気まずい時間をすごしたりします。

もちろん、全員が英語をしゃべることが一番正しい解決方法であることは明らかです。通信分野の研究者は英語の能力を向上させることも仕事のうちで、英語は全員がしゃべることを前提としてよい唯一の言語です。とはいえ、久しぶりに会った友人に近況を聞きたい場合や、仕事で疲れてリラックスしてしゃべりたい場面、いろいろな場面で母国語をしゃべりたい欲求は自然です。多くの人は、すべての場面で英語をしゃべるという正しい解決方法をどこでも実現できるわけではありません。

相手に英語でしゃべってもらえず、恨みがましい感情がわいてくるのも、反対に自分が母国語をしゃべってしまいしゃべれない人に気の毒な思いをさせてしまうのもつらいものです。”恨みがましい感情”と”気の毒な思い”は重大な問題ではないですが、蓄積すると日々の精神的な負担が大きいです。エントリのタイトルの通り、”他人に英語をしゃべってもらうのは大変”なので、僕が一番いいと思う解決方法は、その国の言語で日常会話レベルまでは出来るようにしておくことです。そうすれば、自分は悪気無くその言語をしゃべっている人に恨みがましく思ったりしなくてすみ、相手には、言語のせいで会話に取り残されていると思わせて気の毒に思われなくてすみます。そのレベルに達するまでが大変だと思われるかもしれませんが、上記の”恨みがましい感情”と”気の毒な思い”を解決できる利点の方が大きいと思うのです。フランス人に英語をしゃべってもらうように相手に期待するのはやめた方が精神的に楽だと思います。

関連:フランス語の勉強の仕方(まとめ)
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Lyon, France
フランスから来るニュースを見て、「フランス人ってバカでナマケモノだな〜」と思っている人はいませんか?そう思うかはともかくとして、日本から見るとそういうように見えることがあると思います。例えば、26歳以下の労働者を理由無く解雇できるようにして、雇用を促進し、若者の失業の柱にしようとした初期雇用計画(CPE)から発展した暴動の時のことです。”フランスの失業率は現在約10%であり、特に若年層の失業率はその倍の20%を上回る。(参照)”という状況で、当時の政府は非常の手段をもって失業対策にあたるつもりでこの法律を制定したのでした。そして、それを暴れ狂う学生たちに潰されました。
JIIA -日本国際問題研究所-
フランスで2006年3月9日、CPE(Contrat Premiere Embauche:初期雇用計画)という制度を盛り込んだ「機会均等法(La loi sur l’egalite des chances)」が議会で成立した。これに反発するデモやストライキがフランス全土に拡大し、シラク大統領とドビルパン首相は4月10日、ついに同法第 8条、即ちCPEの事実上の撤回を決定した。今回のデモの発端となったCPEとは、企業が26歳未満の労働者を雇用する場合に2年間の「試用期間」を置くことを認め、その期間内であれば理由なしの解雇を認めるという内容のものであった。その目的はフランスの特に若年層を中心とする失業問題の改善にあった。


これを見て、フランス人は試用期間に一生懸命働かされるのが嫌な怠け者とか、若者の5人に1人が失業している状態を改善する案をヒステリックに拒否しているとか、いう感想が多かった気がします。実際に僕もそうでした。また、フランスと比べ経済規模が倍ほどの日本でも新興国の追い上げを食らって大変な時期なのに、現状を打開する改革を拒んでいるようでは、フランスは先進国から脱落していくんだろうと、冷笑を含んで冷ややかに見ていたような気がします。

最近では政府の大学改革を拒むために、学校封鎖や、先生による集団授業ボイコットなどで、生徒はほとんど授業を受けることが出来ません。日本にいた頃の僕の考えを思い出してみても、多くの日本人の感想は下のリンクのようになるような気がしています。
フランスの大学のストライキ|...in Paris (パリ大学留学記)
フランスでは現在、政府の大学改革案に反対する大学関係者(主に教員と学生)が大規模なストライキを起こしている。論点は三つ。1) 大学の雇用を削減する、2) 大学に自治権を与える、3)修士課程を終了しないと教職免許を取れないことにする。...(略)... 結論:自分たちの既得権益に固執する組合はあまりにもわがまま。
フランス人は改革によって職場が競争にさらされるのを嫌うナマケモノで、一人の日本人が簡単に答えが出せるような問題の本質も理解できないバカで、ごね得を狙っている傲慢な人たち、といった感じでしょうか。

でも今は、フランス人たちが騒いでいるときは、互いの陣営に簡単に判断できない問題が横たわっていることが分かってきました。この2年間、食後の30分ぐらいのコーヒータイムに付き合ってきて、分かるようになりました。彼らは日本人より特別にバカというわけではありません。かなりの議論好きです。政治の議論が始まると、ある程度の興味を持っていると思っている僕ですら、聞き役になってしまうほどです。母国語でない分、議論は不利な風を装っていますが、実は日本語でも彼らと同じぐらいのクオリティを持った意見を、論理的に説明する自信はないくらいです。草の根の議論ですらこのクオリティなので、議論によって選抜された政治家やオピニオンリーダーが展開する意見と論理のクオリティは想像できます。

もちろん、ナマケモノでごね得を狙った傲慢な”抵抗勢力”や、改革によって手柄を立てようとする権力者がいるのは当然です。しかし彼らですら、自らの展開する意見がどのようにフランスを良くするのかというヴィジョンを示さなければ周りに理解されず、フランスでは戦えません。当然、両陣営とも徹底的に鍛え上げた理論の結晶をもって戦いに臨むことになります。フランスで起こっているバトルは他国からちょっと来て結論が出せるほど、容易な物ではなく、その議論の本質はみるべき物があると思います。フランスかぶれだと思われるでしょうが、彼らの展開する議論は一見の価値があります。

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フランスから来るニュースを見て、「フランス人ってバカでナマケモノだな〜」と思っている人はいませんか?そう思うかはともかくとして、日本から見るとそういうように見えることがあると思います。例えば、26歳以下の労働者を理由無く解雇できるようにして、雇用を促進し、若者の失業の柱にしようとした初期雇用計画(CPE)から発展した暴動の時のことです。”フランスの失業率は現在約10%であり、特に若年層の失業率はその倍の20%を上回る。(参照)”という状況で、当時の政府は非常の手段をもって失業対策にあたるつもりでこの法律を制定したのでした。そして、それを暴れ狂う学生たちに潰されました。
JIIA -日本国際問題研究所-
フランスで2006年3月9日、CPE(Contrat Premiere Embauche:初期雇用計画)という制度を盛り込んだ「機会均等法(La loi sur l’egalite des chances)」が議会で成立した。これに反発するデモやストライキがフランス全土に拡大し、シラク大統領とドビルパン首相は4月10日、ついに同法第 8条、即ちCPEの事実上の撤回を決定した。今回のデモの発端となったCPEとは、企業が26歳未満の労働者を雇用する場合に2年間の「試用期間」を置くことを認め、その期間内であれば理由なしの解雇を認めるという内容のものであった。その目的はフランスの特に若年層を中心とする失業問題の改善にあった。

これを見て、フランス人は試用期間に一生懸命働かされるのが嫌な怠け者とか、若者の5人に1人が失業している状態を改善する案をヒステリックに拒否しているとか、いう感想が多かった気がします。実際に僕もそうでした。また、フランスと比べ経済規模が倍ほどの日本でも新興国の追い上げを食らって大変な時期なのに、現状を打開する改革を拒んでいるようでは、フランスは先進国から脱落していくんだろうと、冷笑を含んで冷ややかに見ていたような気がします。

最近では政府の大学改革を拒むために、学校封鎖や、先生による集団授業ボイコットなどで、生徒はほとんど授業を受けることが出来ません。日本にいた頃の僕の考えを思い出してみても、多くの日本人の感想は下のリンクのようになるような気がしています。
フランスの大学のストライキ|...in Paris (パリ大学留学記)
フランスでは現在、政府の大学改革案に反対する大学関係者(主に教員と学生)が大規模なストライキを起こしている。論点は三つ。1) 大学の雇用を削減する、2) 大学に自治権を与える、3)修士課程を終了しないと教職免許を取れないことにする。...(略)... 結論:自分たちの既得権益に固執する組合はあまりにもわがまま。
フランス人は改革によって職場が競争にさらされるのを嫌うナマケモノで、一人の日本人が簡単に答えが出せるような問題の本質も理解できないバカで、ごね得を狙っている傲慢な人たち、といった感じでしょうか。

でも今は、フランス人たちが騒いでいるときは、互いの陣営に簡単に判断できない問題が横たわっていることが分かってきました。この2年間、食後の30分ぐらいのコーヒータイムに付き合ってきて、分かるようになりました。彼らは日本人より特別にバカというわけではありません。かなりの議論好きです。政治の議論が始まると、ある程度の興味を持っていると思っている僕ですら、聞き役になってしまうほどです。母国語でない分、議論は不利な風を装っていますが、実は日本語でも彼らと同じぐらいのクオリティを持った意見を、論理的に説明する自信はないくらいです。草の根の議論ですらこのクオリティなので、議論によって選抜された政治家やオピニオンリーダーが展開する意見と論理のクオリティは想像できます。

もちろん、ナマケモノでごね得を狙った傲慢な”抵抗勢力”や、改革によって手柄を立てようとする権力者がいるのは当然です。しかし彼らですら、自らの展開する意見がどのようにフランスを良くするのかというヴィジョンを示さなければ周りに理解されず、フランスでは戦えません。当然、両陣営とも徹底的に鍛え上げた理論の結晶をもって戦いに臨むことになります。フランスで起こっているバトルは他国からちょっと来て結論が出せるほど、容易な物ではなく、その議論の本質はみるべき物があると思います。フランスかぶれだと思われるでしょうが、彼らの展開する議論は一見の価値があります。

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Nice, France
ブログを初めて今日で1周年です。ブログのエントリ数は200を突破したということで、2日に1回以上は書いていた計算になります。また、一番多いエントリは書評で50エントリになりました。とはいえ、3月は本業の学業の方で2回の山場があって、トップエントリの紹介を含めて過去最低を更新する4エントリだけとなりました。

それでも、アクセスの方は意外にも約27000PVと過去最高を更新しました。アクセスが特別に多かった1日(2800PV)でのあったためです。また、フランスでの漫画の人気を紹介したエントリがアクセスの多いサイトに紹介されたこともアクセスが増えた理由のようです。
今月のアクセス数の上位10のエントリです。コメントをいただいた方、見てくれている方、ありがとうございました。これからも、このブログをよろしくお願いします。
  1. [まとめ] フランスと海外のマンガ人気
  2. フランス語の勉強の仕方(まとめ)
  3. 外国人に受ける日本の動画
  4. 世界にいい影響を与える国:ニッポン
  5. フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(1/2)
  6. フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(2/2)
  7. 日本文化エロネタに対するフランス人の反応
  8. フランスのマンガ人気
  9. フランスにいる日本人と中国人
  10. 日本人はなぜ悲観論が好きか
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ブログを初めて今日で1周年です。ブログのエントリ数は200を突破したということで、2日に1回以上は書いていた計算になります。また、一番多いエントリは書評で50エントリになりました。とはいえ、3月は本業の学業の方で2回の山場があって、トップエントリの紹介を含めて過去最低を更新する4エントリだけとなりました。

それでも、アクセスの方は意外にも約27000PVと過去最高を更新しました。アクセスが特別に多かった1日(2800PV)でのあったためです。また、フランスでの漫画の人気を紹介したエントリがアクセスの多いサイトに紹介されたこともアクセスが増えた理由のようです。
今月のアクセス数の上位10のエントリです。コメントをいただいた方、見てくれている方、ありがとうございました。これからも、このブログをよろしくお願いします。
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