日本に帰ってフランス語をしゃべっているというと、「1年半ぐらいフランスに住むとフランス語がしゃべれるようになるんだね」と言われたのですが、そんなことはもちろんありません。フランス語をなんとかしゃべれているのは、毎日コツコツと勉強しているからです。そして、そういった勉強は、「フランス語の勉強の仕方(まとめ)」にも書いてありますが、日本にいても不自由なくできることばかりです。
[書評] 外国語上達法には外国語を学ぶために重要な物は、「第一にいい教科書、第二にいい教師で、第三にいい辞書」と述べられていていますが、言語学者でない普通の人には、学習するモチベーションが断トツで重要です。モチベーションの重要さと比べれば、上で挙げられている重要な物は誤差のように小さなことだと思います。要はモチベーションがあって、毎日、単語を覚えて、文法を勉強して、本を読み、ipodを聞いて、発音する練習すれば、程度の差はあれ言語は上達します。これは、日本にいてもその言語が話されている外国に住んでいてもほとんど変わらないはずです。
その言語が話されている外国に住むことには、言語の上達に決定的に重要な具体的なメリットはほとんどありません。つまり、外国に住めばその国の言語をしゃべれるようになるというのは、幻想や迷信に近いことだと言えます(その言語を聞く機会と、口に出す機会は増えますが、それは工夫次第でどこにいても作れる機会です)。それにも関わらず、外国に住めばその国の言語の能力が伸びるような気がするのは、毎日勉強するモチベーションを補充できるからにすぎないです。「もっとしゃべれるようになりたい、もっと聞けるようになりたい、もっと単語量が必要だ」と、日々痛感できるところが外国に住むメリットで、それ以上のメリットはそれほどないです。言語の習得に最も必要なモチベーションを補強できるのはこの上ない大きなメリットなのですが、モチベーションとは要は気の持ちようなので、逆に何処にいようとも、モチベーションの維持さえ出来れば、言語は上達するということです。
下のリンクではアメリカに住めば、英語が上達すると思っていた筆者が、それは間違いだと気づいた様子が書かれているのは興味深かったです。
関連:フランス語の勉強の仕方(まとめ)
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[書評] 外国語上達法には外国語を学ぶために重要な物は、「第一にいい教科書、第二にいい教師で、第三にいい辞書」と述べられていていますが、言語学者でない普通の人には、学習するモチベーションが断トツで重要です。モチベーションの重要さと比べれば、上で挙げられている重要な物は誤差のように小さなことだと思います。要はモチベーションがあって、毎日、単語を覚えて、文法を勉強して、本を読み、ipodを聞いて、発音する練習すれば、程度の差はあれ言語は上達します。これは、日本にいてもその言語が話されている外国に住んでいてもほとんど変わらないはずです。
その言語が話されている外国に住むことには、言語の上達に決定的に重要な具体的なメリットはほとんどありません。つまり、外国に住めばその国の言語をしゃべれるようになるというのは、幻想や迷信に近いことだと言えます(その言語を聞く機会と、口に出す機会は増えますが、それは工夫次第でどこにいても作れる機会です)。それにも関わらず、外国に住めばその国の言語の能力が伸びるような気がするのは、毎日勉強するモチベーションを補充できるからにすぎないです。「もっとしゃべれるようになりたい、もっと聞けるようになりたい、もっと単語量が必要だ」と、日々痛感できるところが外国に住むメリットで、それ以上のメリットはそれほどないです。言語の習得に最も必要なモチベーションを補強できるのはこの上ない大きなメリットなのですが、モチベーションとは要は気の持ちようなので、逆に何処にいようとも、モチベーションの維持さえ出来れば、言語は上達するということです。
下のリンクではアメリカに住めば、英語が上達すると思っていた筆者が、それは間違いだと気づいた様子が書かれているのは興味深かったです。
英語の世紀に生きる苦悩:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japanジョークや反論など、程よい間と程よいタイミングで繰り出さなければならないフレーズは、会話の文脈を外してたらどうしようと考えている間に、1テンポ遅れてタイミングを逃してしまうとか、あるあるって感じます。
いよいよ永住権でも申請してアメリカに根を下ろそうかと考えている今でも、英語ペラペラの見通しについては年々悲観的になっていく。アメリカに暮らすだけ で英語がグングン上達するに違いないという当初の無邪気な期待はしゅるしゅるとしぼみ、このまま永遠に英語ペラペラの日はこないのではないか、というどす 黒い不安ばかりが鬱積されていく。
そのようなことを一番実感するのは、パーティに招待されたときだ。とくに若くて頭のいい子たちが集まるスノッブなパーティはことさら苦痛だ。このあ たりのアメリカ人は英語の不自由な外国人に慣れているから、真剣に話せばじっくり聞こうとしてはくれるのだけれど、自分たちが話すときには暗喩的なレト リックを多用しながらマシンガンのように言葉を発し、どんどん話題を切り替えていくから、聞いてるこっちは今何について言及しているのかよくわからなくな る。そうなると、気の利いたジョークのひとつでも挟もうにも、文脈がよく見えてないのでハズしてたらどうしよう、などとモタモタしているうちに口に出すタ イミングを逃してしまう。そうやって、ああ、相手の心に刺さるようなことが言えていないな、自分の存在を認定してもらえてないな、というのがすぐにわかっ てしまう。ハイエクやアリストテレスの言ったことを引用しようにも、彼らの名前をどう発音するのかすらわからない。フランスの場合は、「フランス語を少ししゃべれるだけでエラいだろう。英語のレベルは同じぐらいだ。君は日本語しゃべれないだろう」と心の中で開き直ったり、心の中で溜飲を下げたりできる(?)ので少し気が楽かもしれません。そのせいか僕の場合、パーティ招待された場合は苦痛ではなくて、ひたすら楽しみなのですが。言語の勉強にもなるので、予定が空いてる限り必ず参加します。
関連:フランス語の勉強の仕方(まとめ)