「マンガは低俗か」では、権威あるマスメディアがマンガ・アニメ・ゲームに対して悪くいうのは、商売敵を貶める面があり、そのまま信じるのは不当だということを書いてきました。また、報道に影響されるのか、教養ある日本文化は、源氏物語であり、黒沢映画であって、マンガなどと言う低俗な文化ではないと主張する人もいることを見てきました。メディアに利害関係を持たず、メディアを鵜呑みにしない人でもマンガを軽視する人はいます。結局、マンガを見下す人はマンガを読まないし、読む予定もないということは言えると思います。であるからこそ、そんなものが教養の一部になってしまうことが許せないのでしょう。
まず、僕自身はマンガは読みますが、一部のマンガに対する教養ある人達のように、一片の台詞を聞いただけで、マンガのタイトルと作者とキャラクターの名前を暗唱できるようなマンガ教養の持ち主ではありません。それでも、マンガは海外での認知度を通じて、日本人の文化を世界に知らしめる貢献をしていることを認識しているので重要性は理解できます。
例えば、石造りの家に住んでいるフランス人が、日本家屋の畳や障子、襖を知っていて、ドラえもんが押し入れで就寝するのを知っているのはマンガの影響でしょう。また、部屋の中でも靴で歩くフランス人が、日本の高校では下駄箱で上履きに履き替えることを知っており、その下駄箱は女の子が意中の男の子にラブレターを入れるのに使われることを知っているのは、間違いなくマンガ・アニメの影響です。そういうアニメを見る外国人は、日本人が意中の人を前に顔を赤らめて、遠くから眺める心性を知っていたりします(フランスではちょっと好きになったらその日のうちにデートに誘うと言ってました)。日本人の生活様式や考え方は着実に浸透していると言えます。とにかく生け花や茶道、相撲や剣道を通じて日本人と日本文化を知ってもらうのと比べると、マンガの浸透圧は圧倒的と言えます。
マンガの圧倒的な浸透圧を認めることが出来ず、源氏物語と黒沢映画だけを教養ある日本文化と捉えると硬直した考えは時代に適さなくなってきています。黒澤監督が活躍していた時代には、高精細画面、コンピュータグラフィックス、インタラクティブに楽しめるゲームが普及していたら、彼はどのような映像を作ったのでしょうか。マンガ・アニメ・ゲームを軽視し触れることをしない人は、これらの手段で創作する作家の中には、映画の巨匠に匹敵する巨匠がいないと考えているのだと思いますが、疑う余地のない明らかという事実ではありません。疑う余地のある固定観念にとらわれているだけだと思います。
マンガをまじめな文化だと認めない天木さんも、「人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事」だと書いています。
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まず、僕自身はマンガは読みますが、一部のマンガに対する教養ある人達のように、一片の台詞を聞いただけで、マンガのタイトルと作者とキャラクターの名前を暗唱できるようなマンガ教養の持ち主ではありません。それでも、マンガは海外での認知度を通じて、日本人の文化を世界に知らしめる貢献をしていることを認識しているので重要性は理解できます。
例えば、石造りの家に住んでいるフランス人が、日本家屋の畳や障子、襖を知っていて、ドラえもんが押し入れで就寝するのを知っているのはマンガの影響でしょう。また、部屋の中でも靴で歩くフランス人が、日本の高校では下駄箱で上履きに履き替えることを知っており、その下駄箱は女の子が意中の男の子にラブレターを入れるのに使われることを知っているのは、間違いなくマンガ・アニメの影響です。そういうアニメを見る外国人は、日本人が意中の人を前に顔を赤らめて、遠くから眺める心性を知っていたりします(フランスではちょっと好きになったらその日のうちにデートに誘うと言ってました)。日本人の生活様式や考え方は着実に浸透していると言えます。とにかく生け花や茶道、相撲や剣道を通じて日本人と日本文化を知ってもらうのと比べると、マンガの浸透圧は圧倒的と言えます。
マンガの圧倒的な浸透圧を認めることが出来ず、源氏物語と黒沢映画だけを教養ある日本文化と捉えると硬直した考えは時代に適さなくなってきています。黒澤監督が活躍していた時代には、高精細画面、コンピュータグラフィックス、インタラクティブに楽しめるゲームが普及していたら、彼はどのような映像を作ったのでしょうか。マンガ・アニメ・ゲームを軽視し触れることをしない人は、これらの手段で創作する作家の中には、映画の巨匠に匹敵する巨匠がいないと考えているのだと思いますが、疑う余地のない明らかという事実ではありません。疑う余地のある固定観念にとらわれているだけだと思います。
マンガをまじめな文化だと認めない天木さんも、「人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事」だと書いています。
[2008.11.27] 人を見下す事はいけない事だ | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログこの主張をマンガには適応しない理由はないはずです。自分はマンガ作家とマンガを読む人を根拠なく見下してはいないか、もう一度考えるのが謙虚な態度だと思います。「人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事」とすれば、日本語をフランスで翻訳される言語の第二位に押し上げたマンガの価値を認めない訳にはいけません。上のブログの結論は以下のようなものです。
人を見下す事も間違いだけれど、事実認識としても誤りだ。その大学教授がどの作家をさして自分より頭が悪いと言っているのか知らないが、人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事なのだ。価値がある事なのだ。頭が悪くてはできない。
自分こそ頭がいいと思いこんでいる頭の悪い連中が、つるんでこの国を動かしている、その現実こそ、国民を不幸にしていると思う。そこを変えなければこの国は変わらない。