Paris, France
マンガは低俗か」では、権威あるマスメディアがマンガ・アニメ・ゲームに対して悪くいうのは、商売敵を貶める面があり、そのまま信じるのは不当だということを書いてきました。また、報道に影響されるのか、教養ある日本文化は、源氏物語であり、黒沢映画であって、マンガなどと言う低俗な文化ではないと主張する人もいることを見てきました。メディアに利害関係を持たず、メディアを鵜呑みにしない人でもマンガを軽視する人はいます。結局、マンガを見下す人はマンガを読まないし、読む予定もないということは言えると思います。であるからこそ、そんなものが教養の一部になってしまうことが許せないのでしょう。

まず、僕自身はマンガは読みますが、一部のマンガに対する教養ある人達のように、一片の台詞を聞いただけで、マンガのタイトルと作者とキャラクターの名前を暗唱できるようなマンガ教養の持ち主ではありません。それでも、マンガは海外での認知度を通じて、日本人の文化を世界に知らしめる貢献をしていることを認識しているので重要性は理解できます。

例えば、石造りの家に住んでいるフランス人が、日本家屋の畳や障子、襖を知っていて、ドラえもんが押し入れで就寝するのを知っているのはマンガの影響でしょう。また、部屋の中でも靴で歩くフランス人が、日本の高校では下駄箱で上履きに履き替えることを知っており、その下駄箱は女の子が意中の男の子にラブレターを入れるのに使われることを知っているのは、間違いなくマンガ・アニメの影響です。そういうアニメを見る外国人は、日本人が意中の人を前に顔を赤らめて、遠くから眺める心性を知っていたりします(フランスではちょっと好きになったらその日のうちにデートに誘うと言ってました)。日本人の生活様式や考え方は着実に浸透していると言えます。とにかく生け花や茶道、相撲や剣道を通じて日本人と日本文化を知ってもらうのと比べると、マンガの浸透圧は圧倒的と言えます。

マンガの圧倒的な浸透圧を認めることが出来ず、源氏物語と黒沢映画だけを教養ある日本文化と捉えると硬直した考えは時代に適さなくなってきています。黒澤監督が活躍していた時代には、高精細画面、コンピュータグラフィックス、インタラクティブに楽しめるゲームが普及していたら、彼はどのような映像を作ったのでしょうか。マンガ・アニメ・ゲームを軽視し触れることをしない人は、これらの手段で創作する作家の中には、映画の巨匠に匹敵する巨匠がいないと考えているのだと思いますが、疑う余地のない明らかという事実ではありません。疑う余地のある固定観念にとらわれているだけだと思います。

マンガをまじめな文化だと認めない天木さんも、「人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事」だと書いています。
[2008.11.27] 人を見下す事はいけない事だ | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ
人を見下す事も間違いだけれど、事実認識としても誤りだ。その大学教授がどの作家をさして自分より頭が悪いと言っているのか知らないが、人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事なのだ。価値がある事なのだ。頭が悪くてはできない。
この主張をマンガには適応しない理由はないはずです。自分はマンガ作家とマンガを読む人を根拠なく見下してはいないか、もう一度考えるのが謙虚な態度だと思います。「人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事」とすれば、日本語をフランスで翻訳される言語の第二位に押し上げたマンガの価値を認めない訳にはいけません。上のブログの結論は以下のようなものです。
自分こそ頭がいいと思いこんでいる頭の悪い連中が、つるんでこの国を動かしている、その現実こそ、国民を不幸にしていると思う。そこを変えなければこの国は変わらない。
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Paris, France
マンガは低俗か」では、権威あるマスメディアがマンガ・アニメ・ゲームに対して悪くいうのは、商売敵を貶める面があり、そのまま信じるのは不当だということを書いてきました。また、報道に影響されるのか、教養ある日本文化は、源氏物語であり、黒沢映画であって、マンガなどと言う低俗な文化ではないと主張する人もいることを見てきました。メディアに利害関係を持たず、メディアを鵜呑みにしない人でもマンガを軽視する人はいます。結局、マンガを見下す人はマンガを読まないし、読む予定もないということは言えると思います。であるからこそ、そんなものが教養の一部になってしまうことが許せないのでしょう。

まず、僕自身はマンガは読みますが、一部のマンガに対する教養ある人達のように、一片の台詞を聞いただけで、マンガのタイトルと作者とキャラクターの名前を暗唱できるようなマンガ教養の持ち主ではありません。それでも、マンガは海外での認知度を通じて、日本人の文化を世界に知らしめる貢献をしていることを認識しているので重要性は理解できます。

例えば、石造りの家に住んでいるフランス人が、日本家屋の畳や障子、襖を知っていて、ドラえもんが押し入れで就寝するのを知っているのはマンガの影響でしょう。また、部屋の中でも靴で歩くフランス人が、日本の高校では下駄箱で上履きに履き替えることを知っており、その下駄箱は女の子が意中の男の子にラブレターを入れるのに使われることを知っているのは、間違いなくマンガ・アニメの影響です。そういうアニメを見る外国人は、日本人が意中の人を前に顔を赤らめて、遠くから眺める心性を知っていたりします(フランスではちょっと好きになったらその日のうちにデートに誘うと言ってました)。日本人の生活様式や考え方は着実に浸透していると言えます。とにかく生け花や茶道、相撲や剣道を通じて日本人と日本文化を知ってもらうのと比べると、マンガの浸透圧は圧倒的と言えます。

マンガの圧倒的な浸透圧を認めることが出来ず、源氏物語と黒沢映画だけを教養ある日本文化と捉えると硬直した考えは時代に適さなくなってきています。黒澤監督が活躍していた時代には、高精細画面、コンピュータグラフィックス、インタラクティブに楽しめるゲームが普及していたら、彼はどのような映像を作ったのでしょうか。マンガ・アニメ・ゲームを軽視し触れることをしない人は、これらの手段で創作する作家の中には、映画の巨匠に匹敵する巨匠がいないと考えているのだと思いますが、疑う余地のない明らかという事実ではありません。疑う余地のある固定観念にとらわれているだけだと思います。

マンガをまじめな文化だと認めない天木さんも、「人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事」だと書いています。
[2008.11.27] 人を見下す事はいけない事だ | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ
 人を見下す事も間違いだけれど、事実認識としても誤りだ。その大学教授がどの作家をさして自分より頭が悪いと言っているのか知らないが、人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事なのだ。価値がある事なのだ。頭が悪くてはできない。
この主張をマンガには適応しない理由はないはずです。自分はマンガ作家とマンガを読む人を根拠なく見下してはいないか、もう一度考えるのが謙虚な態度だと思います。「人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事」とすれば、日本語をフランスで翻訳される言語の第二位に押し上げたマンガの価値を認めない訳にはいけません。上のブログの結論は以下のようなものです。
 自分こそ頭がいいと思いこんでいる頭の悪い連中が、つるんでこの国を動かしている、その現実こそ、国民を不幸にしていると思う。そこを変えなければこの国は変わらない。
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Paris, France
フランスはつくづく左派が強い国だと感じます。一度、フランス人に「日本人はカルロス・ゴーンのことをどう思っている?」と聞かれたときのことです。日本のビジネス雑誌にはゴーン氏の特集をやっていたり、テレビにも呼ばれたりしています(いました)。いろいろな見方はあると思いますが、一言「まあ、簡単にいうとヒーローじゃないかな」と答えました。日本でのフランス人の活躍ということで少し満足そうにしていましたが、「フランスでもそうなんじゃないの?」と聞いたら、きっぱり「あり得ない」と答えていました。曰く、「経営者と労働者(大衆)は対立しているから、ヒーローにはなれない。右の資本家に対する左の大衆の人気は得られない」と言っていました。経営者と資本家がヒーローになれない国だそうです。とはいえ、ゴーン氏は出身学校では著名な有名人の筆頭の挙げられているのを知っているので、実力は大衆にも認められているのですが。

フランスでは、右派と言えども日本のどの政党よりも左に位置していると言えます。反対にアメリカの左派も日本をはじめとする多くの国より右側に位置しています。左派=平等右派=自由を国ごとに並べると以下のようになると思います。
平等←フランス左、フランス右、日本左、日本右、アメリカ左、アメリカ右 →自由
そもそもフランスは、ブルジョワが通商の自由を求め、最初に市民革命を起こした国です。それまで、全ての権限を握っていた国王を始めとして、多くの貴族の首を飛ばしました。これまでの秩序と常識を吹き飛ばす、国民の発狂状態から新しい体制を築いてきました。それまで、最も教養深い国王が国の指針を決めていた体制から、市民の中で一番教養深いと思われている人が選ばれ、国の進路を決めることになりました。この情勢では王権側が右翼で、自由を求める勢力が左派だったので、この頃からフランスでは当時世界で一番、左派的(革新的)な勢力が強かったことが分かります。

時代は下り、現在は行き過ぎた自由を制限する平等が左派の思想になっても、フランスは左派の先鋒を務めています。フランスでは日曜日には原則として店が開いていません。また、24時間営業の店もありません。これは、日曜日の営業が許可制になっているためで、一番の繁華街、シャンゼリーゼ通りの店も日曜日の営業許可は持っておらず、日曜日は閉まります。資本家が大衆の資源(時間、体力、気力)を吸い取りながら、ひたすら利益を挙げる商業主義的、自由主義的な風潮は抑制されています。

思えば、自由という概念を最初に導入したフランスは、すでに先頭を切って自由の抑制(=平等)の段階に入っていると言えます。行き過ぎた自由資本主義の弊害を最初に打破するのは、市民革命を最初に成し遂げたように、またもやフランスになるのではないかと思います。少なくとも、日本よりもその可能性に近いと考えます。それは、日本の左派政党の能力が劣るといった実際的な物ではなく、フランス人と日本人が持つ1)考え方の違いと2)立場の違いだと思います。

まず第一に考え方の違いとして、フランス人は不当だと感じ、我に論理がある時には必ず主張します。例えばワーキングプアの問題があったら、どんなに小さいことでも、デモ、ストライキといった手段に出るために自身の論理を固め、仲間を集めます。逆に日本だと、どんなにつらくともみんな同じ状況で文句を言わずにがんばっているから、その状況で上手くやる方法を考えます。これには、理屈ばっかり言って不平を言い続けているフランス人と、多少の問題は自分でなんとかして黙々と作業を進める日本人という逆の面もあります。現状に常に不満を抱いているフランス人の方が新しい体制を作る可能性が高いと思うのです。

第二に、立場の違いがあります。資本家の横暴を抑制するという名目で、自由資本主義を制限してしまうと商業的な競争力は落ちます。毎日20時に閉まって日曜日営業しない店と、毎日24時間営業のコンビニでは、商業的利益では太刀打ちできるはずもありません。つまり、左派のいう平等(=自由の抑制)を一国で進めてしまうと、一国だけ貧しくなってしまう面があります。つまり、ここがフランスの立場が有利な面です。フランスはEU27ヶ国のリーダーを自認し、EUにおける、さまざまな政策の指導的立場にあります。また、各国にNoといわせないような論理の作り方が巧みです。対する日本は、他国に同じ方向を向かせるための手段を持っていません。フランスが、他国を巻き込みながら新しい世界の方向性を示せるのに対し、日本では一国だけ貧しくなってしまうような政策をとるのは不可能に近いと考えられます。

こう言ったことから、世界の新しい秩序を打ち立てる能力を持つのは、やはり(日本と比べると)フランスだと言わざるを得ません。対する日本は作られた秩序の中で優位な立場に立つ能力は非常に高いと思います。市民革命から始まる自由主義的な世界の中で一定の地位を築いていることを第一の証拠と出来るでしょう。過去を見えると、国民国家と徴兵制いう概念をフランスに次いで世界代2番目に導入したのは日本だそうです。日本は、フランスの作った新秩序の論理と先見性を認め、それらを導入する変わり身の早さも誇れるかも知れません。
[書評] フランス三昧
「国民国家」と「徴兵制」こそ、フランス大革命の発明であり、以後にに統一を実現した国家が採用する近代化の原理となる。なんと、世界でフランスに次いで に番目に「国民国家」を実現したのは、明治の日本であった。...(略)...日本の国民国家成立はイタリア王国、ドイツ帝国の成立に鼻の差で先んじてい る...(略)... (P.94-95)
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Paris, France
フランスはつくづく左派が強い国だと感じます。一度、フランス人に「日本人はカルロス・ゴーンのことをどう思っている?」と聞かれたときのことです。日本のビジネス雑誌にはゴーン氏の特集をやっていたり、テレビにも呼ばれたりしています(いました)。いろいろな見方はあると思いますが、一言「まあ、簡単にいうとヒーローじゃないかな」と答えました。日本でのフランス人の活躍ということで少し満足そうにしていましたが、「フランスでもそうなんじゃないの?」と聞いたら、きっぱり「あり得ない」と答えていました。曰く、「経営者と労働者(大衆)は対立しているから、ヒーローにはなれない。右の資本家に対する左の大衆の人気は得られない」と言っていました。経営者と資本家がヒーローになれない国だそうです。とはいえ、ゴーン氏は出身学校では著名な有名人の筆頭の挙げられているのを知っているので、実力は大衆にも認められているのですが。

フランスでは、右派と言えども日本のどの政党よりも左に位置していると言えます。反対にアメリカの左派も日本をはじめとする多くの国より右側に位置しています。左派=平等右派=自由を国ごとに並べると以下のようになると思います。
平等←フランス左、フランス右、日本左、日本右、アメリカ左、アメリカ右 →自由
そもそもフランスは、ブルジョワが通商の自由を求め、最初に市民革命を起こした国です。それまで、全ての権限を握っていた国王を始めとして、多くの貴族の首を飛ばしました。これまでの秩序と常識を吹き飛ばす、国民の発狂状態から新しい体制を築いてきました。それまで、最も教養深い国王が国の指針を決めていた体制から、市民の中で一番教養深いと思われている人が選ばれ、国の進路を決めることになりました。この情勢では王権側が右翼で、自由を求める勢力が左派だったので、この頃からフランスでは当時世界で一番、左派的(革新的)な勢力が強かったことが分かります。

時代は下り、現在は行き過ぎた自由を制限する平等が左派の思想になっても、フランスは左派の先鋒を務めています。フランスでは日曜日には原則として店が開いていません。また、24時間営業の店もありません。これは、日曜日の営業が許可制になっているためで、一番の繁華街、シャンゼリーゼ通りの店も日曜日の営業許可は持っておらず、日曜日は閉まります。資本家が大衆の資源(時間、体力、気力)を吸い取りながら、ひたすら利益を挙げる商業主義的、自由主義的な風潮は抑制されています。

思えば、自由という概念を最初に導入したフランスは、すでに先頭を切って自由の抑制(=平等)の段階に入っていると言えます。行き過ぎた自由資本主義の弊害を最初に打破するのは、市民革命を最初に成し遂げたように、またもやフランスになるのではないかと思います。少なくとも、日本よりもその可能性に近いと考えます。それは、日本の左派政党の能力が劣るといった実際的な物ではなく、フランス人と日本人が持つ1)考え方の違いと2)立場の違いだと思います。

まず第一に考え方の違いとして、フランス人は不当だと感じ、我に論理がある時には必ず主張します。例えばワーキングプアの問題があったら、どんなに小さいことでも、デモ、ストライキといった手段に出るために自身の論理を固め、仲間を集めます。逆に日本だと、どんなにつらくともみんな同じ状況で文句を言わずにがんばっているから、その状況で上手くやる方法を考えます。これには、理屈ばっかり言って不平を言い続けているフランス人と、多少の問題は自分でなんとかして黙々と作業を進める日本人という逆の面もあります。現状に常に不満を抱いているフランス人の方が新しい体制を作る可能性が高いと思うのです。

第二に、立場の違いがあります。資本家の横暴を抑制するという名目で、自由資本主義を制限してしまうと商業的な競争力は落ちます。毎日20時に閉まって日曜日営業しない店と、毎日24時間営業のコンビニでは、商業的利益では太刀打ちできるはずもありません。つまり、左派のいう平等(=自由の抑制)を一国で進めてしまうと、一国だけ貧しくなってしまう面があります。つまり、ここがフランスの立場が有利な面です。フランスはEU27ヶ国のリーダーを自認し、EUにおける、さまざまな政策の指導的立場にあります。また、各国にNoといわせないような論理の作り方が巧みです。対する日本は、他国に同じ方向を向かせるための手段を持っていません。フランスが、他国を巻き込みながら新しい世界の方向性を示せるのに対し、日本では一国だけ貧しくなってしまうような政策をとるのは不可能に近いと考えられます。

こう言ったことから、世界の新しい秩序を打ち立てる能力を持つのは、やはり(日本と比べると)フランスだと言わざるを得ません。対する日本は作られた秩序の中で優位な立場に立つ能力は非常に高いと思います。市民革命から始まる自由主義的な世界の中で一定の地位を築いていることを第一の証拠と出来るでしょう。過去を見えると、国民国家と徴兵制いう概念をフランスに次いで世界代2番目に導入したのは日本だそうです。日本は、フランスの作った新秩序の論理と先見性を認め、それらを導入する変わり身の早さも誇れるかも知れません。
[書評] フランス三昧
「国民国家」と「徴兵制」こそ、フランス大革命の発明であり、以後にに統一を実現した国家が採用する近代化の原理となる。なんと、世界でフランスに次いで に番目に「国民国家」を実現したのは、明治の日本であった。...(略)...日本の国民国家成立はイタリア王国、ドイツ帝国の成立に鼻の差で先んじてい る...(略)... (P.94-95)
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Paris, France
マンガというとどんなどんなイメージを持ちますか。漠然とメディアで紹介されるように、マンガの読者はネクラで、キモくて、ダサくて、クサいとうイメージを抱いている人も多いと思います。大抵は漫画なんて読んでないで教養をつけろとか、働けと思われています。テレビゲームを含めても良いかも知れません。また、似たようなイメージで、インターネットのヘビーユーザも同じように、ネクラで、ネット犯罪を犯して、実世界でも犯罪者予備軍のように扱われることもあります。多くの人は、こういったイメージを構成する十分なサンブルを持っている訳ではないのに、こういったイメージがつくのはどうしてなのでしょう。

まず第一に考えられるのがテレビや新聞と言った権威ある古参メディアの吹聴があると思います。これまでの信用と権威を失いたくない、新しいメディアに主導権を奪われたくないと言う側面があり、新しいものを批判する動機が生まれます。テレビや新聞でいわれている、マンガやゲーム、インターネットの問題性については妥当な面も多いとは思いますが、これらの古参メディアの間には競争関係があるために、古参メディアの言い分を批判なく受け入れるのは不当です。さらにいえば、インターネットにアクセスする時間とテレビゲームをする時間が増えれば、テレビを見る時間は減ってしまいますし、マンガを読めば、新聞を読む時間が減ってしまいます。両者は客の取り合いという隠然たるライバル関係にあります。

現実と仮想空間の区別がつかないゲーム脳、マンガを読んでいる時間と低学歴は相関がある、レースゲームをする人は事故率が高い、などなどもっともらしく紹介されることも良くあります。ゲーム脳に関しては、脳力トレーニング(Nintendo DS)の川嶋教授などは「テレビゲームで遊ぶことで脳が壊れてしまうことは100%ない」と言っていますし、ゲーム脳は証明された訳でもありません。また、マンガと低学歴、レースゲームと事故率の相関関係を発見したところで、因果関係の説明にはなりません。どういうことかと言うと、相関だけでは、「マンガファンが勉強ができなくなっていく」のか、「勉強ができずにやる気もなくて時間があまり、漫画を読む」かが分かりません。レースゲームでも「レースゲームをすると現実でもスピードを出したくなる」のか「スピードを出したい人がレースゲームに引き寄せられる」のか原因を特定したことにはならないからです。「相関関係は原因を特定しない」という統計の基礎を知らんぷりして、したり顔で批判しているマスメディアは商売敵を貶めようとしているようにしか見えません。

そもそも、テレビや古典文学でさえも現在の権威を最初っから持っていた訳ではありません。テレビも映画も当初は教育への悪影響が懸念されていました。また、古典でも平安時代では、平仮名で書かれた物は漢文で書かれた物より低く見られたため、源氏物語を読んでいた人はおそらく、「そんな物読んでないで、漢文の素養を深めなさい」と言われていたの違いありません。定年間際だった高校の漢文の先生は冗談で、「我々の頃は、小説なんて読んでないで古典を読めと言われたけど、今はマンガなんて読んでないで小説を読めと言っている、君たちの子供はXXX(漫画より悪い物)よりマンガを読みなさい、といわれることになるだろう。嘆かわしい。」と言っていました。つまり、権威ある娯楽と言うのは移り変わっていっているということが分かります。

とはいえ、ポルノや暴力の表現をはじめ、マンガやゲームの問題点も理解できるため、手放しで賛成できる物でもありません。でもそれは、文学の世界でも存在することです。古典の源氏物語は過激な恋愛ものですし、モンテ・クリスト伯は復讐物として人気を博してきました。マンガも、文学も、要は内容を伝える表現の手段であって、問題はその表現の手段にある訳ではありません。つまり、文学、テレビ、マンガ、ゲーム、アニメと表現手段は違っても伝える内容が素晴らしければ、それは素晴らしい物であると考える方が自然です。長い期間人々に愛されてきたものの中にはいい物が多いことは確かですが、表現の手段にたいして教養深いとか低俗と差別するのはナンセンスだと思います。

現状では古典が教養で、マンガは低俗と区別されています。例えば、下のサイトでは、アメリカが日本の古典を学ばなくなり、マンガを読むようになったことが、日本軽視にあたると結論づけられています。
[2008.11.20] ここにもあらわれてきた米国の日本軽視ー日本の伝統文化に興味を示さなくなった米国 | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ
米国の若者は黒沢映画のかわりにアニメを見るようになり、大学のなかには源氏物語や安倍公のかわりに漫画を読ませるところもでてきた・・・米国での日本に関する焦点がポップカルチャーになったという事は、米国人が日本の社会、経済、政治といったまじめな事項について話さなくなった事を意味する。
日本軽視うんぬんのまえに、やはりマンガは軽視されていますね。このブログにはいろいろマンガのエントリがありますが、フランスでは日本人=マンガという図式を持っている人が多く、尋ねられることも多いです。もしもこのようにマンガを軽視していたら、どのように答えるのでしょうか。「僕は漫画なんて低俗な物は読まない!あの低俗な物を日本人全てが読んでいるとは思わないでくれ。日本文化には、武士道、空手、歌舞伎、相撲、柔道、浮世絵、書道、華道、茶道、クロサワ、オズ、キタノなどがあるからぜひ語り合おう!」とかでしょうか。まず、変な人と思われるか、人の教養レベルを試そうとするヤな奴だと思われるでしょう。一つだけいえるのは、フランスの一般人には古典日本文化のどれよりもマンガの方が知られているということです。上のブログの著者とは年代が違うからかも知れませんが、僕の年代(26歳)では来仏する際にはマンガの教養をつけた方が、フランス人との会話を楽しめること請け合いです。(何事もバランスですので、古典日本文化についても知らないとバカだと思われるかも知れません。あしからず。)
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Paris, France
マンガというとどんなどんなイメージを持ちますか。漠然とメディアで紹介されるように、マンガの読者はネクラで、キモくて、ダサくて、クサいとうイメージを抱いている人も多いと思います。大抵は漫画なんて読んでないで教養をつけろとか、働けと思われています。テレビゲームを含めても良いかも知れません。また、似たようなイメージで、インターネットのヘビーユーザも同じように、ネクラで、ネット犯罪を犯して、実世界でも犯罪者予備軍のように扱われることもあります。多くの人は、こういったイメージを構成する十分なサンブルを持っている訳ではないのに、こういったイメージがつくのはどうしてなのでしょう。

まず第一に考えられるのがテレビや新聞と言った権威ある古参メディアの吹聴があると思います。これまでの信用と権威を失いたくない、新しいメディアに主導権を奪われたくないと言う側面があり、新しいものを批判する動機が生まれます。テレビや新聞でいわれている、マンガやゲーム、インターネットの問題性については妥当な面も多いとは思いますが、これらの古参メディアの間には競争関係があるために、古参メディアの言い分を批判なく受け入れるのは不当です。さらにいえば、インターネットにアクセスする時間とテレビゲームをする時間が増えれば、テレビを見る時間は減ってしまいますし、マンガを読めば、新聞を読む時間が減ってしまいます。両者は客の取り合いという隠然たるライバル関係にあります。

現実と仮想空間の区別がつかないゲーム脳、マンガを読んでいる時間と低学歴は相関がある、レースゲームをする人は事故率が高い、などなどもっともらしく紹介されることも良くあります。ゲーム脳に関しては、脳力トレーニング(Nintendo DS)の川嶋教授などは「テレビゲームで遊ぶことで脳が壊れてしまうことは100%ない」と言っていますし、ゲーム脳は証明された訳でもありません。また、マンガと低学歴、レースゲームと事故率の相関関係を発見したところで、因果関係の説明にはなりません。どういうことかと言うと、相関だけでは、「マンガファンが勉強ができなくなっていく」のか、「勉強ができずにやる気もなくて時間があまり、漫画を読む」かが分かりません。レースゲームでも「レースゲームをすると現実でもスピードを出したくなる」のか「スピードを出したい人がレースゲームに引き寄せられる」のか原因を特定したことにはならないからです。「相関関係は原因を特定しない」という統計の基礎を知らんぷりして、したり顔で批判しているマスメディアは商売敵を貶めようとしているようにしか見えません。

そもそも、テレビや古典文学でさえも現在の権威を最初っから持っていた訳ではありません。テレビも映画も当初は教育への悪影響が懸念されていました。また、古典でも平安時代では、平仮名で書かれた物は漢文で書かれた物より低く見られたため、源氏物語を読んでいた人はおそらく、「そんな物読んでないで、漢文の素養を深めなさい」と言われていたの違いありません。定年間際だった高校の漢文の先生は冗談で、「我々の頃は、小説なんて読んでないで古典を読めと言われたけど、今はマンガなんて読んでないで小説を読めと言っている、君たちの子供はXXX(漫画より悪い物)よりマンガを読みなさい、といわれることになるだろう。嘆かわしい。」と言っていました。つまり、権威ある娯楽と言うのは移り変わっていっているということが分かります。

とはいえ、ポルノや暴力の表現をはじめ、マンガやゲームの問題点も理解できるため、手放しで賛成できる物でもありません。でもそれは、文学の世界でも存在することです。古典の源氏物語は過激な恋愛ものですし、モンテ・クリスト伯は復讐物として人気を博してきました。マンガも、文学も、要は内容を伝える表現の手段であって、問題はその表現の手段にある訳ではありません。つまり、文学、テレビ、マンガ、ゲーム、アニメと表現手段は違っても伝える内容が素晴らしければ、それは素晴らしい物であると考える方が自然です。長い期間人々に愛されてきたものの中にはいい物が多いことは確かですが、表現の手段にたいして教養深いとか低俗と差別するのはナンセンスだと思います。

現状では古典が教養で、マンガは低俗と区別されています。例えば、下のサイトでは、アメリカが日本の古典を学ばなくなり、マンガを読むようになったことが、日本軽視にあたると結論づけられています。
[2008.11.20] ここにもあらわれてきた米国の日本軽視ー日本の伝統文化に興味を示さなくなった米国 | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ
米国の若者は黒沢映画のかわりにアニメを見るようになり、大学のなかには源氏物語や安倍公のかわりに漫画を読ませるところもでてきた・・・米国での日本に関する焦点がポップカルチャーになったという事は、米国人が日本の社会、経済、政治といったまじめな事項について話さなくなった事を意味する。
日本軽視うんぬんのまえに、やはりマンガは軽視されていますね。このブログにはいろいろマンガのエントリがありますが、フランスでは日本人=マンガという図式を持っている人が多く、尋ねられることも多いです。もしもこのようにマンガを軽視していたら、どのように答えるのでしょうか。「僕は漫画なんて低俗な物は読まない!あの低俗な物を日本人全てが読んでいるとは思わないでくれ。日本文化には、武士道、空手、歌舞伎、相撲、柔道、浮世絵、書道、華道、茶道、クロサワ、オズ、キタノなどがあるからぜひ語り合おう!」とかでしょうか。まず、変な人と思われるか、人の教養レベルを試そうとするヤな奴だと思われるでしょう。一つだけいえるのは、フランスの一般人には古典日本文化のどれよりもマンガの方が知られているということです。上のブログの著者とは年代が違うからかも知れませんが、僕の年代(26歳)では来仏する際にはマンガの教養をつけた方が、フランス人との会話を楽しめること請け合いです。(何事もバランスですので、古典日本文化についても知らないとバカだと思われるかも知れません。あしからず。)
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Nice, France
僕が渡仏したのはサルコジ大統領が誕生した週でした。日本とフランスに住んでいるフランス人のどちらからも意見を聞けました。日本の投票では、自分が投票した候補者を他人に言う人はほとんどいないので、誰がどの候補者を支持しているかは分かりにくいと思います。フランス人も、誰も自分の意中の候補者を明言した人はいませんでしたが、意見を聞いているとすぐに意中の候補者が分かりました。

渡仏してフランス大統領選後に政治の話題になったとき、韓国人が無邪気に「君は誰に投票したの?」と聞いていたのは驚きでした。韓国人は他人に意中の候補者を語ったりするのでしょうか。対するフランス人は、「投票した候補者は言わないよ...うちの職場は社会主義支持者(Socialiste)が多いけど、僕は逆に右側の方がいいと思うな。」と言っていました。やはり意中の候補者は明言しませんでしたが、言わないと言った直後に投票したであろう候補者がわかります。驚きなのは、職場のみんなの支持の傾向まで分かっているところです。自由(=右)寄りか平等(=左)寄りによって対立候補が2人になる決選投票では、議論すれば意中の候補者がすぐに分かります。

サルコジ候補のモットーは「もっと働き、もっと稼ごう」で、ロワイヤル候補は一言で言うと「フランスは十分豊かなんだからもっと底辺の市民の悲惨な状況を救っていこう」といういう感じでした。選挙前、日本で聞いた意見としてはサルコジ支持の人は「ロワイヤルは勝てそうにないので、夢物語を語りだした」と言っていて、ロワイヤル支持の人は「サルコジが大統領になっているうちはフランスに帰らない」と言っていました。どちらも反対の候補になるのがイヤという側面があるようです。僕はフランスの選挙権はありませんが、サルコジ氏の方がフランスにとってよいのではないかと考えていました。フランスは先進国とはいえ、経済規模は日本の半分ほどで、アジアと南米の新興国の台頭のなかで経済の競争力を保っていけるかどうか疑問だったからです。

しかし選挙後、ロワイヤル候補支持だった人のの考え方を聞いて、左派の考え方も非常に的を得ていると感銘を受けました。サルコジ氏の言うように自由主義的に経済活動を最大限に追求していくことの問題点を指摘していました。エネルギー資源、環境資源、人的資源などなど全ての資源をつぎ込んで、みんなが経済的利益を追求しても、限界があります。エネルギー資源は言うまでもなく有限で、経済活動による環境汚染の問題もあります。人の活力や時間などを含む人的資源にも限りがあります。例えば、低賃金でコンビニで学生を働かせれば経済的利益を得ることは出来ますが、学生の将来に役立つ勉強時間、家族団らんの時間、人生を豊かにするための時間を奪って犠牲にしていると考えられます。こういった資本家が好き放題できる環境を制限していくことが必要だという主張には、世界全体の幸福という視点を導入すると一理あります。

問題は、フランス一国が経済活動を制限してしまうとフランスの国際的競争力が失われ、フランス一国だけが貧しくなってしまうことです。ロワイヤル候補は各国と協調してこの制限の枠組みを作っていくことを主張していたそうです。たしかに実現困難だとは感じますが、実現すれば現在の資本主義の暴走状態を緩和できるのかも知れません。
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Nice, France
僕が渡仏したのはサルコジ大統領が誕生した週でした。日本とフランスに住んでいるフランス人のどちらからも意見を聞けました。日本の投票では、自分が投票した候補者を他人に言う人はほとんどいないので、誰がどの候補者を支持しているかは分かりにくいと思います。フランス人も、誰も自分の意中の候補者を明言した人はいませんでしたが、意見を聞いているとすぐに意中の候補者が分かりました。

渡仏してフランス大統領選後に政治の話題になったとき、韓国人が無邪気に「君は誰に投票したの?」と聞いていたのは驚きでした。韓国人は他人に意中の候補者を語ったりするのでしょうか。対するフランス人は、「投票した候補者は言わないよ...うちの職場は社会主義支持者(Socialiste)が多いけど、僕は逆に右側の方がいいと思うな。」と言っていました。やはり意中の候補者は明言しませんでしたが、言わないと言った直後に投票したであろう候補者がわかります。驚きなのは、職場のみんなの支持の傾向まで分かっているところです。自由(=右)寄りか平等(=左)寄りによって対立候補が2人になる決選投票では、議論すれば意中の候補者がすぐに分かります。

サルコジ候補のモットーは「もっと働き、もっと稼ごう」で、ロワイヤル候補は一言で言うと「フランスは十分豊かなんだからもっと底辺の市民の悲惨な状況を救っていこう」といういう感じでした。選挙前、日本で聞いた意見としてはサルコジ支持の人は「ロワイヤルは勝てそうにないので、夢物語を語りだした」と言っていて、ロワイヤル支持の人は「サルコジが大統領になっているうちはフランスに帰らない」と言っていました。どちらも反対の候補になるのがイヤという側面があるようです。僕はフランスの選挙権はありませんが、サルコジ氏の方がフランスにとってよいのではないかと考えていました。フランスは先進国とはいえ、経済規模は日本の半分ほどで、アジアと南米の新興国の台頭のなかで経済の競争力を保っていけるかどうか疑問だったからです。

しかし選挙後、ロワイヤル候補支持だった人のの考え方を聞いて、左派の考え方も非常に的を得ていると感銘を受けました。サルコジ氏の言うように自由主義的に経済活動を最大限に追求していくことの問題点を指摘していました。エネルギー資源、環境資源、人的資源などなど全ての資源をつぎ込んで、みんなが経済的利益を追求しても、限界があります。エネルギー資源は言うまでもなく有限で、経済活動による環境汚染の問題もあります。人の活力や時間などを含む人的資源にも限りがあります。例えば、低賃金でコンビニで学生を働かせれば経済的利益を得ることは出来ますが、学生の将来に役立つ勉強時間、家族団らんの時間、人生を豊かにするための時間を奪って犠牲にしていると考えられます。こういった資本家が好き放題できる環境を制限していくことが必要だという主張には、世界全体の幸福という視点を導入すると一理あります。

問題は、フランス一国が経済活動を制限してしまうとフランスの国際的競争力が失われ、フランス一国だけが貧しくなってしまうことです。ロワイヤル候補は各国と協調してこの制限の枠組みを作っていくことを主張していたそうです。たしかに実現困難だとは感じますが、実現すれば現在の資本主義の暴走状態を緩和できるのかも知れません。
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ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)日本のジャーナリズム、とくに記者クラブを批判した本です。本の帯には「永田町、霞ヶ関、マスコミから「史上最低のジャーナリスト」と唾棄される著者が、またもや暴いた!」と書かれています。そのとおり書かれた方にはたまらないというような内容がたくさん書かれています。wikipediaの上杉隆の記述は、著者に都合の悪いものばかりになっています。おそらくおそらく著者を嫌うものによって書かれたのだと考えられます。

日本の報道のおかしな点がたくさんちりばめられています。例えば、担当した政治家が出世すれば記者が出世するというルールがあるそうです。
たとえば、自民党のある政治家が派閥の中で力をつけて、総理総裁のポストを窺う位置に就いたとしよう。仮に、その後、見事に首相の座を射止めたら、その担当記者も同時に政治部内で出世する。(P.30)
そんなルールがあれば、終身雇用の記者が担当政治家のネガティブな情報が書けるはずがありません。例として、「電話一本で、時の首相や官房長官までをも動かし、NHK人事に介入することが可能だった島桂次記者(のちに会長)や、田中派全盛期に同派を担当した海老沢勝二記者(同じくのちに会長)(p.31)」が挙げられています。

また、新聞が引用元に「一部週刊誌」のクレジットをつけて引用元を秘匿したり、「〜していることがわかった」と報道して、どこから情報を手に入れたかを秘匿する伝統を批判します。
情報源を明示しない悪癖を許してきた結果が、日本のジャーナリズム全体を貶めているのだ。(p.43)
外国のメディア(ニューヨーク・タイムズ)の経験が長い著者は、ことあるごとにアメリカのジャーナリズムについて述べます。米国の公明正大なジャーナリズムに対して日本のジャーナリズムがいかに、制限されていて貧弱なものなのか説かれます。日本の記事は匿名なのが多いのですが、アメリカではほぼ全ての記事に著者の名前が記されるそうです。ニューヨーク・タイムズの記者の以下の言が紹介されています。
「...(略)...たとえ厳しい論調の記事になろうと、書かれた相手への尊敬の念を忘れてはならない。だから相手の名前を明らかにしながら、自分だけが匿名の世界に逃げるようなことは決してあってはならないことなのだ。それは、ジャーナリズム本来の精神から完全に逸脱しているし、恥じすべき、卑怯な新聞記者のやり方だ」(P.138)
この本で繰り返し述べられているのは、記者クラブへの批判です。記者クラブへの批判はすごく納得できるのですが、一方、本書全体であまりに批判一辺倒なため、記者クラブの記者からつまはじきにされている著者の恨み節のようにも見えてしまいます。また、著者が働いていたニューヨーク・タイムズをはじめとする外国メディアに対しては一辺の批判もなく、お手本とするべき対象としてあげられているのにも、違和感を感じました。これは、一方的な意見に疑問を持ってしまう僕の感覚の問題かも知れません。
EUは繰り返し、日本の記者クラブに公平な扱いと自国の記者達への開放を要求している。(P.221)
これも確かに事実です。wikipediaの「記者クラブ」の項目にも記述があります。

webで著者の情報を探しているとき、「上杉隆インタビュー『ジャーナリズム崩壊』はすでに始まっている」を見つけました。3ページ目には外国のメディアの短所と日本メディアの長所についても述べられています。本書が記者クラブ批判一辺倒になっていたのは、日本のジャーナリズムが外国メディアの長所短所を議論できるレベルに達していないという著者の危機感だったのかもしれません。

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)
上杉 隆 (著)

第1章 日本にジャーナリズムは存在するか?
  • 空想でしかない「客観報道」
  • メモ合わせ
  • 自由な言論を許さないメディア
  • 編集と経営
  • しばり、癒着
第2章 お笑い記者クラブ
  • 笑われる日本人記者
  • メディア界のアパルトヘイト
第3章 ジャーナリストの誇りと責任
  • 署名記事
  • 実名報道
  • 均一化したエリート記者たち
第4章 記者クラブとは何か
  • 記者クラブの誕生
  • 日米メディアをめぐる誤解
  • 英訳・キシャクラブ
  • 都庁記者クラブの場合
第5章 健全なジャーナリズムとは
  • アフガニスタン・ルール
  • 過ちを認めない新聞
  • 日本新聞協会の見解
日本の新聞・テレビ記者たちが世界中で笑われている。その象徴が日本にしかない「記者クラブ」制度だ。メモを互いに見せ合い同じカンニング記事を書く「メモ合わせ」、担当政治家が出世すれば自分も出世する歪んだ構造、権力におもねり掴んだ事実を報道しない体質。もはや新聞・テレビは権力をチェックする立場と国民に知らせる義務を放棄したも同然である。恐いもの知らずのジャーナリストがエリート意識にこりかたまった大マスコミの真実を明かす、亡国のメディア論。
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ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)日本のジャーナリズム、とくに記者クラブを批判した本です。本の帯には「永田町、霞ヶ関、マスコミから「史上最低のジャーナリスト」と唾棄される著者が、またもや暴いた!」と書かれています。そのとおり書かれた方にはたまらないというような内容がたくさん書かれています。wikipediaの上杉隆の記述は、著者に都合の悪いものばかりになっています。おそらくおそらく著者を嫌うものによって書かれたのだと考えられます。

日本の報道のおかしな点がたくさんちりばめられています。例えば、担当した政治家が出世すれば記者が出世するというルールがあるそうです。
たとえば、自民党のある政治家が派閥の中で力をつけて、総理総裁のポストを窺う位置に就いたとしよう。仮に、その後、見事に首相の座を射止めたら、その担当記者も同時に政治部内で出世する。(P.30)
そんなルールがあれば、終身雇用の記者が担当政治家のネガティブな情報が書けるはずがありません。例として、「電話一本で、時の首相や官房長官までをも動かし、NHK人事に介入することが可能だった島桂次記者(のちに会長)や、田中派全盛期に同派を担当した海老沢勝二記者(同じくのちに会長)(p.31)」が挙げられています。

また、新聞が引用元に「一部週刊誌」のクレジットをつけて引用元を秘匿したり、「〜していることがわかった」と報道して、どこから情報を手に入れたかを秘匿する伝統を批判します。
情報源を明示しない悪癖を許してきた結果が、日本のジャーナリズム全体を貶めているのだ。(p.43)
外国のメディア(ニューヨーク・タイムズ)の経験が長い著者は、ことあるごとにアメリカのジャーナリズムについて述べます。米国の公明正大なジャーナリズムに対して日本のジャーナリズムがいかに、制限されていて貧弱なものなのか説かれます。日本の記事は匿名なのが多いのですが、アメリカではほぼ全ての記事に著者の名前が記されるそうです。ニューヨーク・タイムズの記者の以下の言が紹介されています。
「...(略)...たとえ厳しい論調の記事になろうと、書かれた相手への尊敬の念を忘れてはならない。だから相手の名前を明らかにしながら、自分だけが匿名の世界に逃げるようなことは決してあってはならないことなのだ。それは、ジャーナリズム本来の精神から完全に逸脱しているし、恥じすべき、卑怯な新聞記者のやり方だ」(P.138)
この本で繰り返し述べられているのは、記者クラブへの批判です。記者クラブへの批判はすごく納得できるのですが、一方、本書全体であまりに批判一辺倒なため、記者クラブの記者からつまはじきにされている著者の恨み節のようにも見えてしまいます。また、著者が働いていたニューヨーク・タイムズをはじめとする外国メディアに対しては一辺の批判もなく、お手本とするべき対象としてあげられているのにも、違和感を感じました。これは、一方的な意見に疑問を持ってしまう僕の感覚の問題かも知れません。
EUは繰り返し、日本の記者クラブに公平な扱いと自国の記者達への開放を要求している。(P.221)
これも確かに事実です。wikipediaの「記者クラブ」の項目にも記述があります。

webで著者の情報を探しているとき、「上杉隆インタビュー『ジャーナリズム崩壊』はすでに始まっている」を見つけました。3ページ目には外国のメディアの短所と日本メディアの長所についても述べられています。本書が記者クラブ批判一辺倒になっていたのは、日本のジャーナリズムが外国メディアの長所短所を議論できるレベルに達していないという著者の危機感だったのかもしれません。
ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)
上杉 隆 (著)

第1章 日本にジャーナリズムは存在するか?
  • 空想でしかない「客観報道」
  • メモ合わせ
  • 自由な言論を許さないメディア
  • 編集と経営
  • しばり、癒着
第2章 お笑い記者クラブ
  • 笑われる日本人記者
  • メディア界のアパルトヘイト
第3章 ジャーナリストの誇りと責任
  • 署名記事
  • 実名報道
  • 均一化したエリート記者たち
第4章 記者クラブとは何か
  • 記者クラブの誕生
  • 日米メディアをめぐる誤解
  • 英訳・キシャクラブ
  • 都庁記者クラブの場合
第5章 健全なジャーナリズムとは
  • アフガニスタン・ルール
  • 過ちを認めない新聞
  • 日本新聞協会の見解
日本の新聞・テレビ記者たちが世界中で笑われている。その象徴が日本にしかない「記者クラブ」制度だ。メモを互いに見せ合い同じカンニング記事を書く「メモ合わせ」、担当政治家が出世すれば自分も出世する歪んだ構造、権力におもねり掴んだ事実を報道しない体質。もはや新聞・テレビは権力をチェックする立場と国民に知らせる義務を放棄したも同然である。恐いもの知らずのジャーナリストがエリート意識にこりかたまった大マスコミの真実を明かす、亡国のメディア論。
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Deauville, France
多様な文化に触れることは楽しいことで、また異文化が混在する環境で働く能力が必要になってくると考えられます→「複数の文化を許容することがリーダーの条件になる」。文化が違うところで生活すると、思い通りに行かないことがたくさん起こります。それをなんとかやり過ごすことが最も初歩的な異文化マネジメント能力と言えるかも知れません。多少のイライラはしようがない気がしますが、耐える方法をすこし紹介します。

まず、フランスでは物ごとがゆっくりすすんでいます。例えばフランスのレジの人はまったく急ぎません。他の従業員と世間話して手が止まっていたり、システムにエラーが発生して対応のために席を立ったりすることもあります(今日、これで10ユーロの清算をするために30分かかりました!)。日本のようにコンビニで15秒で清算が済むように考えているとイライラが貯まると思います。その他、日本人からすると予想外に時間がかかることとして、電車の遅れなどもあります。

僕はこの予想外に時間がかかるイライラを緩和するために、いつでも時間をつぶせるものを持つようにしています。僕が持っているのは、言語学習用のipodと本です。日本でもそうする人も多いと思いますが、フランスでは最寄りのコンビニで乾電池を買うような用事でも時間つぶしを携帯するようにしています(フランスにコンビニはないですが)。

次に、何もかもが予定通りにすすまないことがあります。例えば、今日やろうとしていたことが担当者がバカンスですすまないとか、滞在許可証の手続きを県庁や市役所で行うとき、予定通りにすすまないとか、とにかく予定通りにすすむ方が稀です。僕は予定通りすすむことをまったく期待しないようにしています。前者の場合は必要な作業が今日着手できるかどうか期待しません。後者では、県庁で手続きを進める予定ではなく、県庁に本を読みにいくんだと自分に言い聞かせながら行ったりします。こうすると予定通りすすんだときの喜びは、倍増します。

また、予想もしないようなことが起こることがたくさんあります。僕は100ユーロ強(2万円)する自転車を4回盗まれています。そのおかげで、今はこの自転車を守るためのU字施錠にさらに44ユーロかけています。それなのに、今度は最近サドルを盗られました。サドルとサドルを守るためのロックを購入して40ユーロかかります。代替の移動手段の料金と加えて小さくない額です。突然の理不尽な出費に怒りが込み上げますが、こんな時には自分がここにいる目的を再度確認します。つまり、自分の現時点の目標はフランスで学位を取ること、多様な文化を知ってそれらを尊重することです。失った額が多少大きくとも、これらの目標を不可能にしてしまうような大事件ではありません。自分がここにいる目的を再確認して、その目的を優先するために小さな損害は忘れ去ることにしています。
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Deauville, France
多様な文化に触れることは楽しいことで、また異文化が混在する環境で働く能力が必要になってくると考えられます→「複数の文化を許容することがリーダーの条件になる」。文化が違うところで生活すると、思い通りに行かないことがたくさん起こります。それをなんとかやり過ごすことが最も初歩的な異文化マネジメント能力と言えるかも知れません。多少のイライラはしようがない気がしますが、耐える方法をすこし紹介します。

まず、フランスでは物ごとがゆっくりすすんでいます。例えばフランスのレジの人はまったく急ぎません。他の従業員と世間話して手が止まっていたり、システムにエラーが発生して対応のために席を立ったりすることもあります(今日、これで10ユーロの清算をするために30分かかりました!)。日本のようにコンビニで15秒で清算が済むように考えているとイライラが貯まると思います。その他、日本人からすると予想外に時間がかかることとして、電車の遅れなどもあります。

僕はこの予想外に時間がかかるイライラを緩和するために、いつでも時間をつぶせるものを持つようにしています。僕が持っているのは、言語学習用のipodと本です。日本でもそうする人も多いと思いますが、フランスでは最寄りのコンビニで乾電池を買うような用事でも時間つぶしを携帯するようにしています(フランスにコンビニはないですが)。

次に、何もかもが予定通りにすすまないことがあります。例えば、今日やろうとしていたことが担当者がバカンスですすまないとか、滞在許可証の手続きを県庁や市役所で行うとき、予定通りにすすまないとか、とにかく予定通りにすすむ方が稀です。僕は予定通りすすむことをまったく期待しないようにしています。前者の場合は必要な作業が今日着手できるかどうか期待しません。後者では、県庁で手続きを進める予定ではなく、県庁に本を読みにいくんだと自分に言い聞かせながら行ったりします。こうすると予定通りすすんだときの喜びは、倍増します。

また、予想もしないようなことが起こることがたくさんあります。僕は100ユーロ強(2万円)する自転車を4回盗まれています。そのおかげで、今はこの自転車を守るためのU字施錠にさらに44ユーロかけています。それなのに、今度は最近サドルを盗られました。サドルとサドルを守るためのロックを購入して40ユーロかかります。代替の移動手段の料金と加えて小さくない額です。突然の理不尽な出費に怒りが込み上げますが、こんな時には自分がここにいる目的を再度確認します。つまり、自分の現時点の目標はフランスで学位を取ること、多様な文化を知ってそれらを尊重することです。失った額が多少大きくとも、これらの目標を不可能にしてしまうような大事件ではありません。自分がここにいる目的を再確認して、その目的を優先するために小さな損害は忘れ去ることにしています。
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Paris, France
複数の文化に触れると物事を面白く感じられます。日々チーズとワインを味わっているフランス人が刺身のコンセプトに衝撃を受けたり、日々木造建築に住んでいる日本人が、フランスの石畳を珍しくて写真を撮ったりします。また、例えば、アフリカから来た留学生や、ロシアから来た留学生など、自分の知らない文化を背景に持った人とのやり取りは興味深いです。なぜだか地球という星に生まれて、何故だか人生で味わい尽くせないほどの数の文化が地球上に存在しています。なるべくたくさんの文化にふれて新鮮さを保っていたいと願います。

文化の違いは興味深いとともにストレスにもなります。中国のように初めて会う人に給与や住んでいる部屋の大きさを聞いても失礼にならない国もあれば、フランスのように会話の途中で視線をそらすと相手に不信感を与えてしまう国もあります。相手の感覚が自分と違ってもとっさに拒否反応を起こさないようになれる必要があります。

こういった違う文化を尊重する感覚は、日本で外国人と触れ合っても得ることが出来ますが、異国で生活している人がどんなことで困るのか知るには、自分が実際に外国で過ごすのが手っ取り早いでしょう。多様な文化を尊重する精神は日増しに高まっています。実際僕が社会で働くことになる2010年〜2045年で外国人と共に計画を進めていくような状況は必ずあるはずです。多少出世しているかもしれない2035年以後、もし何かのチームの長になっていたとしたら、チームでの仕事を進めていく上で、全てのメンバーが日本人という状況は僕の中では考えられません。

グローバル企業ではすでに多様な文化を許容する性質がリーダーに必要とされています。コカ・コーラ社では複数の国を経験することが幹部の条件となっているそうです。
“外国人”トップが3代続く世界企業の人事制度:NBonline
複数の国を経験することが幹部の条件に
コカ・コーラの製品は200カ国以上で販売されており、それらの国々で総勢7万人を超える従業員が働いています。これだけビジネスがグローバルに広がっている会社を経営するのですから、将来の経営幹部の候補者は、世界各国の性格の異なる市場で経験を積む必要があります。
多様な文化を許容する能力は、「異文化マネジメント能力」と定義されて、これから重要になっていくと説かれています。
未来のリーダーを新興国に派遣しよう:NBonline
多国籍、多文化の中で、相手の本音を読みながら、論理と感情の両面で議論をリードし、必要以上にしこりを残さないように、意思決定を進めていくというのは、容易なことではない。...(略)...こういったことを楽々とこなせるようになるには、語学力を超えた総合的な力量、いわば「異文化マネジメント能力」と言えるようなものが求められる。
さらに、以下のサイトでは、現在が英語が最重要な時代でも、二重言語者の存在が英語単一言語者を上回ると説明されています。つまり、英語が最強の言語だとしても二重言語者には敵わない。この点は日本語に加え、英語を勉強する動機を持つことのできる日本人は大半のアメリカ人より有利な位置にあると言えます。
  • 二重言語者>単一言語者(英語>スペイン語>...アラビア語...>...日本語...>...)
404 Blog Not Found:英語の世紀で日本語を話せるよろこび
そして英語の世紀において、英語を母語とする者たちは、外国語を学ぶ必要に迫られることなく一生を過ごす。こうして「かまけて」いるうちに、多重言語者である「よそもの」たちが自分たちの頭を超え、社会のおいしいポジションをどんどん抑えてしまう。
複数言語者が英語単一言語者を上回るのは、「異文化マネジメント能力」と関係していると考えられます。この点は、一つの事象や考え方に対して、複数の視点から考察を加えられる能力と言いかえることが出来るかも知れません。
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Paris, France
複数の文化に触れると物事を面白く感じられます。日々チーズとワインを味わっているフランス人が刺身のコンセプトに衝撃を受けたり、日々木造建築に住んでいる日本人が、フランスの石畳を珍しくて写真を撮ったりします。また、例えば、アフリカから来た留学生や、ロシアから来た留学生など、自分の知らない文化を背景に持った人とのやり取りは興味深いです。なぜだか地球という星に生まれて、何故だか人生で味わい尽くせないほどの数の文化が地球上に存在しています。なるべくたくさんの文化にふれて新鮮さを保っていたいと願います。

文化の違いは興味深いとともにストレスにもなります。中国のように初めて会う人に給与や住んでいる部屋の大きさを聞いても失礼にならない国もあれば、フランスのように会話の途中で視線をそらすと相手に不信感を与えてしまう国もあります。相手の感覚が自分と違ってもとっさに拒否反応を起こさないようになれる必要があります。

こういった違う文化を尊重する感覚は、日本で外国人と触れ合っても得ることが出来ますが、異国で生活している人がどんなことで困るのか知るには、自分が実際に外国で過ごすのが手っ取り早いでしょう。多様な文化を尊重する精神は日増しに高まっています。実際僕が社会で働くことになる2010年〜2045年で外国人と共に計画を進めていくような状況は必ずあるはずです。多少出世しているかもしれない2035年以後、もし何かのチームの長になっていたとしたら、チームでの仕事を進めていく上で、全てのメンバーが日本人という状況は僕の中では考えられません。

グローバル企業ではすでに多様な文化を許容する性質がリーダーに必要とされています。コカ・コーラ社では複数の国を経験することが幹部の条件となっているそうです。
“外国人”トップが3代続く世界企業の人事制度:NBonline
複数の国を経験することが幹部の条件に
コカ・コーラの製品は200カ国以上で販売されており、それらの国々で総勢7万人を超える従業員が働いています。これだけビジネスがグローバルに広がっている会社を経営するのですから、将来の経営幹部の候補者は、世界各国の性格の異なる市場で経験を積む必要があります。
多様な文化を許容する能力は、「異文化マネジメント能力」と定義されて、これから重要になっていくと説かれています。
未来のリーダーを新興国に派遣しよう:NBonline
多国籍、多文化の中で、相手の本音を読みながら、論理と感情の両面で議論をリードし、必要以上にしこりを残さないように、意思決定を進めていくというのは、容易なことではない。...(略)...こういったことを楽々とこなせるようになるには、語学力を超えた総合的な力量、いわば「異文化マネジメント能力」と言えるようなものが求められる。
さらに、以下のサイトでは、現在が英語が最重要な時代でも、二重言語者の存在が英語単一言語者を上回ると説明されています。つまり、英語が最強の言語だとしても二重言語者には敵わない。この点は日本語に加え、英語を勉強する動機を持つことのできる日本人は大半のアメリカ人より有利な位置にあると言えます。
  • 二重言語者>単一言語者(英語>スペイン語>...アラビア語...>...日本語...>...)
404 Blog Not Found:英語の世紀で日本語を話せるよろこび
そして英語の世紀において、英語を母語とする者たちは、外国語を学ぶ必要に迫られることなく一生を過ごす。こうして「かまけて」いるうちに、多重言語者である「よそもの」たちが自分たちの頭を超え、社会のおいしいポジションをどんどん抑えてしまう。
複数言語者が英語単一言語者を上回るのは、「異文化マネジメント能力」と関係していると考えられます。この点は、一つの事象や考え方に対して、複数の視点から考察を加えられる能力と言いかえることが出来るかも知れません。
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Nice, France
フランス留学の最終決断の背中を押したもの」のエントリでは最終的にフランス留学の不安を振り切った経緯を、「留学の最終的な失敗のリスクを見据えても得るものもあるから」だと書きましたが、もう一つ不安を振り切った大きな理由があります。それは、このブログを始めた理由とも密接に関わっているのですが、他人の行動に勇気づけられたということです。

まず、僕のフランスとの関わりは、ある日研究室に一人のフランス人研究者が来たところから始まります。そのころは英語もあやふやだったので、彼とは挨拶程度でした。今から考えると、そのフランス人研究者の来日はチャレンジに満ちたものだったと思います。何しろ、日本語をまったくしゃべらず、日本の文化や習慣も知らずに来日すると戸惑うことも多いはずです。また、意思疎通がうまく行かず、研究で成果が出せない可能性や、気持ちが落ち込み引きこもってしまう可能性すらありました。

結局、彼は4年ほど日本にいたのですが、たまに飲み会を一緒に行ったり、ごく普通に日本ライフを楽しんでいました。彼の日本滞在期間中、彼のつてを頼って、5人ほどのフランス人学生が来日しました。学生らはそれぞれ1年以上も日本に滞在していましたが、年齢も近くいろいろ話すことが出来ました。飲み屋の常連になったり、富士山に何度も登ったり、神社、寺院に訪れても本当に興味深いといったように見えました。

ある学生は来日してから1年は日本語を習ってませんでしたが、もう1年の延長が決まってから、突如日本語を勉強しだしました。そして、6ヶ月後には片言の日本語をしゃべりだし、1年後には日本語で会話できるようになっていました。そのころ言語を0から勉強してどれぐらいの期間でどれぐらいに到達するのかは見当もつきませんでしたが、勉強すれば急速に力を付けることも出来るんだな、と感心したりしてました。ちなみに彼は、日本行きを決定したときは、リアルアドベンチャーだったよ、と言ってました。

自分にフランスで博士課程を開始するチャンスがまわって来たとき、面白そうと期待する気持ちの他にどうしても不安も募ります。留学の不安を振り切った最後の決め手は一つは「フランス留学の最終決断の背中を押したもの」で書いた「失敗しても得るものがある」であり、一つは友人達の日本での生活を見て感じた「がんばれば何とかなる」でした。彼らは日本語だってしゃべるようになったし、日々楽しそうにやっていて、研究の成果も出している、見えないところで努力してるんだろうけど、最終的には何とかなる、という感覚です。

翻って見れば最初のフランス人研究者の勇気ある決断が、その次のフランス人学生達を巻き込み、それを見て自分も自分の人生で比較的大きな渡仏という決断をさせたと言えます。ポジティブな考えが他人のポジティブな考えを引き出し、伝播していくように感じています。そんなポジティブな渦に巻き込まれた自分も誰かのポジティブな行動を引き出していくんじゃないか?これがこのブログを始めたキッカケでした。僕の身の回りの人が僕を見て、ポジティブな行動をしてくれればうれしい。Webに考えを何年も上げておけば、読んだ人の行動を変えられるかもしれない。冒頭のフランス人研究者のように6人ほどのフランス人と日本人に影響を与えられたらな。と、これがこのブログの初心でした。
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Nice, France
フランス留学の最終決断の背中を押したもの」のエントリでは最終的にフランス留学の不安を振り切った経緯を、「留学の最終的な失敗のリスクを見据えても得るものもあるから」だと書きましたが、もう一つ不安を振り切った大きな理由があります。それは、このブログを始めた理由とも密接に関わっているのですが、他人の行動に勇気づけられたということです。

まず、僕のフランスとの関わりは、ある日研究室に一人のフランス人研究者が来たところから始まります。そのころは英語もあやふやだったので、彼とは挨拶程度でした。今から考えると、そのフランス人研究者の来日はチャレンジに満ちたものだったと思います。何しろ、日本語をまったくしゃべらず、日本の文化や習慣も知らずに来日すると戸惑うことも多いはずです。また、意思疎通がうまく行かず、研究で成果が出せない可能性や、気持ちが落ち込み引きこもってしまう可能性すらありました。

結局、彼は4年ほど日本にいたのですが、たまに飲み会を一緒に行ったり、ごく普通に日本ライフを楽しんでいました。彼の日本滞在期間中、彼のつてを頼って、5人ほどのフランス人学生が来日しました。学生らはそれぞれ1年以上も日本に滞在していましたが、年齢も近くいろいろ話すことが出来ました。飲み屋の常連になったり、富士山に何度も登ったり、神社、寺院に訪れても本当に興味深いといったように見えました。

ある学生は来日してから1年は日本語を習ってませんでしたが、もう1年の延長が決まってから、突如日本語を勉強しだしました。そして、6ヶ月後には片言の日本語をしゃべりだし、1年後には日本語で会話できるようになっていました。そのころ言語を0から勉強してどれぐらいの期間でどれぐらいに到達するのかは見当もつきませんでしたが、勉強すれば急速に力を付けることも出来るんだな、と感心したりしてました。ちなみに彼は、日本行きを決定したときは、リアルアドベンチャーだったよ、と言ってました。

自分にフランスで博士課程を開始するチャンスがまわって来たとき、面白そうと期待する気持ちの他にどうしても不安も募ります。留学の不安を振り切った最後の決め手は一つは「フランス留学の最終決断の背中を押したもの」で書いた「失敗しても得るものがある」であり、一つは友人達の日本での生活を見て感じた「がんばれば何とかなる」でした。彼らは日本語だってしゃべるようになったし、日々楽しそうにやっていて、研究の成果も出している、見えないところで努力してるんだろうけど、最終的には何とかなる、という感覚です。

翻って見れば最初のフランス人研究者の勇気ある決断が、その次のフランス人学生達を巻き込み、それを見て自分も自分の人生で比較的大きな渡仏という決断をさせたと言えます。ポジティブな考えが他人のポジティブな考えを引き出し、伝播していくように感じています。そんなポジティブな渦に巻き込まれた自分も誰かのポジティブな行動を引き出していくんじゃないか?これがこのブログを始めたキッカケでした。僕の身の回りの人が僕を見て、ポジティブな行動をしてくれればうれしい。Webに考えを何年も上げておけば、読んだ人の行動を変えられるかもしれない。冒頭のフランス人研究者のように6人ほどのフランス人と日本人に影響を与えられたらな。と、これがこのブログの初心でした。
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Chartres, France
[書評] 特攻とは何か」を書いたついでに、フランスでのカミカゼの認知度を紹介します。神風(Kamikaze)はフランス語でも英語でも意味の通じる国際語となっています。フランス語版wikipediaでは、神風の一般的説明に加え、フランス語での用法についても触れられています。
Kamikaze - Wikipédia (Fr)
転じて、この用語は現在では自爆攻撃に自身の命を犠牲にする全ての人も意味する。さらに広く言えば、その生涯やその未来を犠牲にする人による行動もカミカゼと形容される。
Par extension, ce terme signifie aussi aujourd'hui toute personne qui sacrifie sa vie volontairement dans un attentat-suicide. Plus largement encore, un acte par lequel quelqu'un sacrifie sa carrière, son avenir, est qualifié de kamikaze.

カミカゼの語源が日本であることは知られていると思いますが、おそらく神の風« vent divin »という日本語の意味は知らない人がほとんどだと思われます。ちなみに、フランス語の発音ではEに発音記号がないため、「カミカズ」と発音します。Le Monde.fr(ルモンド紙)をkamikazeで検索してみたところ、一ヶ月で11ヒットと比較的利用される用語であることが分かります。少し内容を見てみると日本語では「自爆テロ」と翻訳される用法ばかりです。フランスでの日常ではこの用法が大勢を占めいています。Un kamikaze taliban(タリバンのカミカゼ)という名詞の用法とune femme kamikaze(カミカゼの女性)という形容詞の用法があるようです。
  1. ウラジカフカスでカミカゼ攻撃により11人死亡(2008.11.08)
    Un attentat-kamikaze fait onze morts à Vladikavkaz
  2. 北オセチア共和国で爆発によりすくなくとも8人が死亡(2008.11.06)
    Une explosion fait au moins huit morts en Ossétie du Nord

    ”予備資料によるとウラジカフカスの市街地のバス停留所でカミカゼの女性によって爆発兵器が起動された”、治安部隊の最初の報告によって北オセチア共和国の政府が発表した。
    "Selon les données préliminaires, l'engin explosif a été actionné par une femme kamikaze à un arrêt de bus au centre de Vladikavkaz", a indiqué le gouvernement nord-ossète, s'appuyant sur les premiers rapports des forces de l'ordre.
  3. カブール中心地で自殺攻撃(2008.10.31)
    Attentat-suicide au coeur de Kaboul

    カブールの中心地で文化情報省の内部で10月30日(木)の早朝、タリバンのカミカゼが自爆し、少なくとも5人が死亡、3人の重傷を含む5人がケガを負いました。
    Un kamikaze taliban s'est fait exploser, jeudi 30 octobre au matin, à l'intérieur du ministère de la culture et de l'information, dans le centre de Kaboul, faisant au moins 5 morts et 5 blessés dont trois grièvement.
ちなみに、僕が一年以上毎日聞いているフランス語podcastのNHKニュースではこの用法で使われたことは一度もありませんでした。NHKではattentat-suicide(自爆テロ)の用語を使っています。このあたりは日本語での用法とニュアンスが変わって来ていると感じます。

カミカゼという用語はこのようにフランスで普及しているので、彼らが日本人をイメージする時に何らかの印象を与えることも考えられます。フランス人とカミカゼについて立ち入った話をしたことはないので、あくまで想像ですが、日本人を良く知らないフランス人は、例えば、普段はおとなしくて勤勉なのに、キレると何をしだすか分からないとクレイジーなやつと思われているかも知れません。
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Chartres, France
[書評] 特攻とは何か」を書いたついでに、フランスでのカミカゼの認知度を紹介します。神風(Kamikaze)はフランス語でも英語でも意味の通じる国際語となっています。フランス語版wikipediaでは、神風の一般的説明に加え、フランス語での用法についても触れられています。
Kamikaze - Wikipédia (Fr)
転じて、この用語は現在では自爆攻撃に自身の命を犠牲にする全ての人も意味する。さらに広く言えば、その生涯やその未来を犠牲にする人による行動もカミカゼと形容される。
Par extension, ce terme signifie aussi aujourd'hui toute personne qui sacrifie sa vie volontairement dans un attentat-suicide. Plus largement encore, un acte par lequel quelqu'un sacrifie sa carrière, son avenir, est qualifié de kamikaze.
カミカゼの語源が日本であることは知られていると思いますが、おそらく神の風« vent divin »という日本語の意味は知らない人がほとんどだと思われます。ちなみに、フランス語の発音ではEに発音記号がないため、「カミカズ」と発音します。Le Monde.fr(ルモンド紙)をkamikazeで検索してみたところ、一ヶ月で11ヒットと比較的利用される用語であることが分かります。少し内容を見てみると日本語では「自爆テロ」と翻訳される用法ばかりです。フランスでの日常ではこの用法が大勢を占めいています。Un kamikaze taliban(タリバンのカミカゼ)という名詞の用法とune femme kamikaze(カミカゼの女性)という形容詞の用法があるようです。
  1. ウラジカフカスでカミカゼ攻撃により11人死亡(2008.11.08)
    Un attentat-kamikaze fait onze morts à Vladikavkaz
  2. 北オセチア共和国で爆発によりすくなくとも8人が死亡(2008.11.06)
    Une explosion fait au moins huit morts en Ossétie du Nord

    ”予備資料によるとウラジカフカスの市街地のバス停留所でカミカゼの女性によって爆発兵器が起動された”、治安部隊の最初の報告によって北オセチア共和国の政府が発表した。
    "Selon les données préliminaires, l'engin explosif a été actionné par une femme kamikaze à un arrêt de bus au centre de Vladikavkaz", a indiqué le gouvernement nord-ossète, s'appuyant sur les premiers rapports des forces de l'ordre.
  3. カブール中心地で自殺攻撃(2008.10.31)
    Attentat-suicide au coeur de Kaboul

    カブールの中心地で文化情報省の内部で10月30日(木)の早朝、タリバンのカミカゼが自爆し、少なくとも5人が死亡、3人の重傷を含む5人がケガを負いました。
    Un kamikaze taliban s'est fait exploser, jeudi 30 octobre au matin, à l'intérieur du ministère de la culture et de l'information, dans le centre de Kaboul, faisant au moins 5 morts et 5 blessés dont trois grièvement.
ちなみに、僕が一年以上毎日聞いているフランス語podcastのNHKニュースではこの用法で使われたことは一度もありませんでした。NHKではattentat-suicide(自爆テロ)の用語を使っています。このあたりは日本語での用法とニュアンスが変わって来ていると感じます。

カミカゼという用語はこのようにフランスで普及しているので、彼らが日本人をイメージする時に何らかの印象を与えることも考えられます。フランス人とカミカゼについて立ち入った話をしたことはないので、あくまで想像ですが、日本人を良く知らないフランス人は、例えば、普段はおとなしくて勤勉なのに、キレると何をしだすか分からないとクレイジーなやつと思われているかも知れません。
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Bloggerにソーシャルブックマークのボタンをつける」のエントリでは、Bloggerではてなブックマークとdel.icio.usとLivedoorクリップのボタンを点ける方法を紹介しましたが、Yahoo!ブックマークを使っている人も多くなっているので、ボタンを設置することにしました。以下その方法のメモです。

題名のすぐ右側にボタンを表示するためには、<div class='post hentry uncustomized-post-template'>のすぐ後にボタンを示す青色のコードを貼付けます。前のエントリでも書きましたが、ポイントは、ダブルクォーテーション(")を&quot;で、アンパサンド(&)を&amp;を置き換えることです。
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Nice, France
今日は僕が渡仏してから、約1年6ヶ月です(約540日)。「フランス語の勉強の仕方」で書いて来た通り、フランス語の習得には単語聞き取りを重視してきました。特に単語では、渡仏後フランス語を学習し始めた当初から、フランス語の単語を1日10単語習得することを習慣として来ました。「フランス語の単語の覚え方」のエントリで解説して来たような方法です。1日10単語を覚えれば、1年以内に3000単語を習得することが出来ます。

現在では、同僚との会話、メール、ミーティングでの議論、授業や研究のポスター発表などをフランス語でこなすことが出来るようになっています。これも、コツコツと単語を蓄積して来たおかげかなと思っています。そこで単語帳に記入したコンピュータに入力した単語数と経過日数をグラフにして、公開します。


緑色の線が1日10単語覚えたときの単語数の増加を示していて、赤が実際にコンピュータに打ち込まれた単語数を示しています。当初から一貫して1日10単語のペースを上回って単語を習得していたことが分かります。最初の1日は3行のフランス語を読んだところで新出単語が10個出て来て、気が遠くなったことを覚えています。その後順調に単語数が増え、付けていた日記によると11月上旬には同僚との全ての会話を英語からフランス語に置き換えたようです。「ボンジュール」と「メルシー」だけで渡仏して来た時点から約6ヶ月の時点、2278単語を習得したところでした。次にモチベーションが出ていたのか、単語を覚えるペースが加速していきます。コンピュータに打ち込まれた単語数が1日10単語のペースから最も先行したのは今年2月7日時点、その時点の予定より1134単語多くの単語を覚えていました。その後、わずかながらペースが落ちていきます。

4月02日から始めた本ブログは単語習得のペースダウンに拍車をかけたようです。それまでフランス語を勉強していた時間をブログ執筆に取られるようになったのは確かですが、しかし本当の要因はフランス語を覚えることより、フランス語を習得したことにより得られるようになった情報に興味が移ったことにあります。自分のフランス語の上達によって触れられるようになった新聞記事や同僚との何気ない会話を書きとめておきたい衝動に駆られることが多くなった点を感じます。言語は情報にアクセスするツールだと考えると自分の中の状態が発展したと捉えられます。

単語習得のペースの鈍化のもう一つの理由として、これまで覚えた単語を維持する必要性が考えられます。すでに登録した単語も忘れていて再度辞書を引いてしまった場合には、もう一度ノートに書き写し、覚え直します。覚えているはずの単語が増えるに従って、この何度も辞書を引いてしまう単語が増加してきます。右の写真は実際に僕が使っている単語帳です。下線が引いてある単語はすでに一度覚えたはずの単語を再度辞書を引いてしまったものです。すでに調べた単語を何度も引いてしまうのは、落ち込んでしまいますが、何度も繰り返しているうちに単語に見覚えを感じてきますので、根気が必要です。
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Nice, France
今日は僕が渡仏してから、約1年6ヶ月です(約540日)。「フランス語の勉強の仕方」で書いて来た通り、フランス語の習得には単語聞き取りを重視してきました。特に単語では、渡仏後フランス語を学習し始めた当初から、フランス語の単語を1日10単語習得することを習慣として来ました。「フランス語の単語の覚え方」のエントリで解説して来たような方法です。1日10単語を覚えれば、1年以内に3000単語を習得することが出来ます。

現在では、同僚との会話、メール、ミーティングでの議論、授業や研究のポスター発表などをフランス語でこなすことが出来るようになっています。これも、コツコツと単語を蓄積して来たおかげかなと思っています。そこで単語帳に記入したコンピュータに入力した単語数と経過日数をグラフにして、公開します。


緑色の線が1日10単語覚えたときの単語数の増加を示していて、赤が実際にコンピュータに打ち込まれた単語数を示しています。当初から一貫して1日10単語のペースを上回って単語を習得していたことが分かります。最初の1日は3行のフランス語を読んだところで新出単語が10個出て来て、気が遠くなったことを覚えています。その後順調に単語数が増え、付けていた日記によると11月上旬には同僚との全ての会話を英語からフランス語に置き換えたようです。「ボンジュール」と「メルシー」だけで渡仏して来た時点から約6ヶ月の時点、2278単語を習得したところでした。次にモチベーションが出ていたのか、単語を覚えるペースが加速していきます。コンピュータに打ち込まれた単語数が1日10単語のペースから最も先行したのは今年2月7日時点、その時点の予定より1134単語多くの単語を覚えていました。その後、わずかながらペースが落ちていきます。

4月02日から始めた本ブログは単語習得のペースダウンに拍車をかけたようです。それまでフランス語を勉強していた時間をブログ執筆に取られるようになったのは確かですが、しかし本当の要因はフランス語を覚えることより、フランス語を習得したことにより得られるようになった情報に興味が移ったことにあります。自分のフランス語の上達によって触れられるようになった新聞記事や同僚との何気ない会話を書きとめておきたい衝動に駆られることが多くなった点を感じます。言語は情報にアクセスするツールだと考えると自分の中の状態が発展したと捉えられます。

単語習得のペースの鈍化のもう一つの理由として、これまで覚えた単語を維持する必要性が考えられます。すでに登録した単語も忘れていて再度辞書を引いてしまった場合には、もう一度ノートに書き写し、覚え直します。覚えているはずの単語が増えるに従って、この何度も辞書を引いてしまう単語が増加してきます。右の写真は実際に僕が使っている単語帳です。下線が引いてある単語はすでに一度覚えたはずの単語を再度辞書を引いてしまったものです。すでに調べた単語を何度も引いてしまうのは、落ち込んでしまいますが、何度も繰り返しているうちに単語に見覚えを感じてきますので、根気が必要です。
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特攻とは何か (文春新書)特攻作戦を指揮した側の記録が丹念に描かれている本(全342ページ)です。同じ著者の『敷島隊の五人―海軍大尉関行男の生涯(上下)』では特攻に選ばれた側の記録が留められているそうです。全編を通して特攻の生みの親として語られることの多い、大西瀧治郎を中心として描かれています。

自爆体当たり攻撃の目的は三段階に分かれていたそうです。
大西長官の体当たり攻撃は、次の三つの段階に集約することができる。第一はレイテ沖海戦での栗田艦隊突入を援護する戦術的作戦、第二は「....これで何とかなる」とつぶやいた航空機による全力特攻への移行、第三は軍令部次長に転じてからの徹底抗戦、一億総特攻への戦略的転換の時期である。(p.281)
まず最初の神風部隊の運用は戦術的なものでした。日本軍の圧倒的な航空兵力の劣位の中、最後の反攻作戦を成功するために、米空母の航空甲板を使用不能にするために編成されました。
巨大戦艦大和、武蔵以下の第一遊撃部隊がサンベルナルジノ海峡を通ってレイテ湾口に殺到するという、日本にとっての最後の連合艦隊決戦である。...(略)...かれらを米軍機の航空攻撃から護るために、一時期米空母の飛行甲板を破壊し、発着不能にするというのが体当たり攻撃の主旨なのだ。(P.73)
次に、特攻が圧倒的な不利な情勢でも戦果をあげられる作戦だということが分かりました。大西長官はこの作戦を拡大運用し、劣勢をすこしでも挽回しようとしていきます。
敷島隊の戦果ーーいや、菊水隊の戦果も加えて、明らかに大西長官の心情に変化が起こった。「これでどうにかなる」の一言は、当初水上部隊のレイテ湾突入にそなえて米空母の飛行甲板を一時使用不能にする、という作戦目的から大きく飛躍して、在比海軍航空兵力の全力特攻化へと目的を大きく拡大したことを意味する。(p.147)
この頃になると日本人特有の前例主義によって作戦を指示しやすくなったのか、周りの参謀も特攻に慣れ始めます。命じる方も、命じられる方も通常の作戦のように特殊な作戦だと思わなくなっていくそうです。そして、最終段階として一億総特攻という考え方が出てきます。
国民全部が特攻隊となる。そして戦い抜くのだ。いくら物量のあるアメリカでも日本国民を根絶してしまうことはできない。勝敗は最後にある。九十九回敗れても最後に一勝すればそれが勝ちだ。攻めあぐめばアメリカもここらで日本と和平しようと考えてくる。戦争はドロンゲームとなる。(p.305-6)
ここまで来ると、そこまでして引き分けに持ち込んだ後に何を得られるのか考える必要があるでしょう。実際に本土決戦は避けられました。大西は特攻を会津藩の白虎隊に例えたことも言っていたそうです。ここまで来ると一人ひとりの美学の問題になってきます。
「昔、明治維新のときだが、会津藩が敗れたとき、白虎隊が出ただろう。一つの藩の最期ですらそうだった。まして、今は日本が滅びようとしているのだ。祖国の滅亡にさいし青年の総決起があってもいいじゃあないか。...(略)...」(p.302)
現在の日本では「特攻なんてバカなことをやった」と言うように語られることが多いですが、特攻はその他の有効な手段が奪われているという前提の前に成立しています。通常の攻撃を仕掛ければ、より多大な損害を被り、より少ない損害を与えることしか出来ない状態で、他に手がなかったのかも知れません。アメリカ側にも特攻を効率的だと見ていた大将がいました。
米戦史家トーマス・B・ブュエルは、はじめて日本の特攻攻撃を知った時のスプルーアンス大将の反応をこう記している。「スポルーアンスはこのような神風部隊の使用を『健全にして経済的な戦法であり、しかも日本人の気質に特に合致した方法である』とみていた。...(略)...」(p.225)
特攻とは何か (文春新書)
森 史朗 (著)

遺書の碑
日米レイテ決戦場へ
誰が特攻を決めたのか
特攻隊員の群像
特攻作戦の拡大
第二特別攻撃隊編成へ
特攻と日本人
米側の反応
生きていた軍神
特攻に反対した指揮官
大西長官、比島より転進へ
最後の一日

日本人以外に、特攻作戦を実施した国民はいない。なぜ、こんな非道な戦法を採ったのか? 敗戦直後、割腹自決した「特攻隊の生みの親」大西滝治郎海軍中将たちの苦悩と葛藤を描き、命じた者の立場から初めて特攻を検証する。
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特攻とは何か (文春新書)特攻作戦を指揮した側の記録が丹念に描かれている本(全342ページ)です。同じ著者の『敷島隊の五人―海軍大尉関行男の生涯(上下)』では特攻に選ばれた側の記録が留められているそうです。全編を通して特攻の生みの親として語られることの多い、大西瀧治郎を中心として描かれています。

自爆体当たり攻撃の目的は三段階に分かれていたそうです。
大西長官の体当たり攻撃は、次の三つの段階に集約することができる。第一はレイテ沖海戦での栗田艦隊突入を援護する戦術的作戦、第二は「....これで何とかなる」とつぶやいた航空機による全力特攻への移行、第三は軍令部次長に転じてからの徹底抗戦、一億総特攻への戦略的転換の時期である。(p.281)
まず最初の神風部隊の運用は戦術的なものでした。日本軍の圧倒的な航空兵力の劣位の中、最後の反攻作戦を成功するために、米空母の航空甲板を使用不能にするために編成されました。
巨大戦艦大和、武蔵以下の第一遊撃部隊がサンベルナルジノ海峡を通ってレイテ湾口に殺到するという、日本にとっての最後の連合艦隊決戦である。...(略)...かれらを米軍機の航空攻撃から護るために、一時期米空母の飛行甲板を破壊し、発着不能にするというのが体当たり攻撃の主旨なのだ。(P.73)
次に、特攻が圧倒的な不利な情勢でも戦果をあげられる作戦だということが分かりました。大西長官はこの作戦を拡大運用し、劣勢をすこしでも挽回しようとしていきます。
敷島隊の戦果ーーいや、菊水隊の戦果も加えて、明らかに大西長官の心情に変化が起こった。「これでどうにかなる」の一言は、当初水上部隊のレイテ湾突入にそなえて米空母の飛行甲板を一時使用不能にする、という作戦目的から大きく飛躍して、在比海軍航空兵力の全力特攻化へと目的を大きく拡大したことを意味する。(p.147)
この頃になると日本人特有の前例主義によって作戦を指示しやすくなったのか、周りの参謀も特攻に慣れ始めます。命じる方も、命じられる方も通常の作戦のように特殊な作戦だと思わなくなっていくそうです。そして、最終段階として一億総特攻という考え方が出てきます。
国民全部が特攻隊となる。そして戦い抜くのだ。いくら物量のあるアメリカでも日本国民を根絶してしまうことはできない。勝敗は最後にある。九十九回敗れても最後に一勝すればそれが勝ちだ。攻めあぐめばアメリカもここらで日本と和平しようと考えてくる。戦争はドロンゲームとなる。(p.305-6)
ここまで来ると、そこまでして引き分けに持ち込んだ後に何を得られるのか考える必要があるでしょう。実際に本土決戦は避けられました。大西は特攻を会津藩の白虎隊に例えたことも言っていたそうです。ここまで来ると一人ひとりの美学の問題になってきます。
「昔、明治維新のときだが、会津藩が敗れたとき、白虎隊が出ただろう。一つの藩の最期ですらそうだった。まして、今は日本が滅びようとしているのだ。祖国の滅亡にさいし青年の総決起があってもいいじゃあないか。...(略)...」(p.302)
現在の日本では「特攻なんてバカなことをやった」と言うように語られることが多いですが、特攻はその他の有効な手段が奪われているという前提の前に成立しています。通常の攻撃を仕掛ければ、より多大な損害を被り、より少ない損害を与えることしか出来ない状態で、他に手がなかったのかも知れません。アメリカ側にも特攻を効率的だと見ていた大将がいました。
米戦史家トーマス・B・ブュエルは、はじめて日本の特攻攻撃を知った時のスプルーアンス大将の反応をこう記している。「スポルーアンスはこのような神風部隊の使用を『健全にして経済的な戦法であり、しかも日本人の気質に特に合致した方法である』とみていた。...(略)...」(p.225)
特攻とは何か (文春新書)
森 史朗 (著)

遺書の碑
日米レイテ決戦場へ
誰が特攻を決めたのか
特攻隊員の群像
特攻作戦の拡大
第二特別攻撃隊編成へ
特攻と日本人
米側の反応
生きていた軍神
特攻に反対した指揮官
大西長官、比島より転進へ
最後の一日

日本人以外に、特攻作戦を実施した国民はいない。なぜ、こんな非道な戦法を採ったのか? 敗戦直後、割腹自決した「特攻隊の生みの親」大西滝治郎海軍中将たちの苦悩と葛藤を描き、命じた者の立場から初めて特攻を検証する。
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Paris, France
現在のところオバマ氏が大差でリードしている様子が伝えられています。昼休み、米大統領選はやはりフランスでも話題になります。同僚が、あまりニュースを見ないのか「今度は本当にオバマが勝つの?」と聞いていました。続けて、「ゴア氏対ブッシュ氏(2000年)、ケリー氏対ブッシュ氏(2004年)のどちらの選挙でも、当時のテレビのアナリストは間違いなくゴア氏とケリー氏が勝つって言っていたよね。」、「そうか今回は本当にオバマ氏が勝んだね」と言ってました。ちなみに、ケリー氏の人気は以下のようであったそうです。
米大統領選挙、ケリー人気の行方/持田直武 国際ニュース分析
 独   ケリー支持 93.8% ブッシュ支持  6.2%
 仏   ケリー支持 93.1% ブッシュ支持  6.9%
 中国  ケリー支持 84.9% ブッシュ支持 15.1%
 ロシア ケリー支持 84.2% ブッシュ支持 15.8%
 日本  ケリー支持 83.7% ブッシュ支持 16.3%
 英国  ケリー支持 79・1% ブッシュ支持 20.9%
 カナダ ケリー支持 73.4% ブッシュ支持 26.6%
フランス人が望む政党は常に民主党です。加えて、ゴア氏とケリー氏の大統領選の敗北は多くのフランス人の謎だったようです。結論は「結局僕たちはアメリカ人じゃないから奴らが何考えているか理解できないんだよ」ということでした。ニューヨークなど大きな町の人々の考え方は米国以外の人たちにも多少推論できるけど、アメリカの名前も知らないたくさんの町には、考え方の想像もつかない人達がたくさんいます。
なぜオバマが当選しなければならないか(ル・モンドの論説)|PAGES D'ECRITURE
多くの日本人が知っているアメリカの大都市のある州では、恐らく民主党が勝利することは既定の事実と思われます。問題は、名前くらいは知っているけど、どんな都市があるかも知らないような州、地図でどこにあるか即答できないような州の動向が、最終結果を左右することになるでしょう。
今年5月時点の本ブログのエントリ「アメリカ大統領選挙と日本の未来」でも述べましたが、日本では、共和党=日本重視、民主党=中国重視の図式を見て共和党を心情的に支持したいと思っている人がいます。上の図式が正しいのか、日本はアメリカに重視された方がいいのか、よく考える必要があります。オバマ氏の民主党勝利となれば、日本がアメリカ離れを頭の片隅で考えるいいキッカケになるかも知れません。アメリカ離れは日本は常に視野に入れておかなければならない選択肢です。

しかし、個人的にはアメリカとの特殊な関係を脱出するのは、アメリカの出方にもよりますが、僕の人生が終わった後ぐらいなのかなという気がしています。今のアメリカは、身勝手な軍事主義の行き詰まり、新自由主義の崩壊が取りざたされていますが、「ペンタゴンとボーイングとコカコーラとマイクロソフトとハリウッドとCNNとインターネットと英語とをすべて足し合わせた[書評] フランスの外交力—自主独立の伝統と戦略)」超大国なのですから。また、現在の日本には、この超大国の後ろ盾なしで、他国と経済、外交の関係を構築していくための、知恵と技量が不足しているように感じるからです。
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Paris, France
現在のところオバマ氏が大差でリードしている様子が伝えられています。昼休み、米大統領選はやはりフランスでも話題になります。同僚が、あまりニュースを見ないのか「今度は本当にオバマが勝つの?」と聞いていました。続けて、「ゴア氏対ブッシュ氏(2000年)、ケリー氏対ブッシュ氏(2004年)のどちらの選挙でも、当時のテレビのアナリストは間違いなくゴア氏とケリー氏が勝つって言っていたよね。」、「そうか今回は本当にオバマ氏が勝んだね」と言ってました。ちなみに、ケリー氏の人気は以下のようであったそうです。
米大統領選挙、ケリー人気の行方/持田直武 国際ニュース分析
 独   ケリー支持 93.8% ブッシュ支持  6.2%
 仏   ケリー支持 93.1% ブッシュ支持  6.9%
 中国  ケリー支持 84.9% ブッシュ支持 15.1%
 ロシア ケリー支持 84.2% ブッシュ支持 15.8%
 日本  ケリー支持 83.7% ブッシュ支持 16.3%
 英国  ケリー支持 79・1% ブッシュ支持 20.9%
 カナダ ケリー支持 73.4% ブッシュ支持 26.6%
フランス人が望む政党は常に民主党です。加えて、ゴア氏とケリー氏の大統領選の敗北は多くのフランス人の謎だったようです。結論は「結局僕たちはアメリカ人じゃないから奴らが何考えているか理解できないんだよ」ということでした。ニューヨークなど大きな町の人々の考え方は米国以外の人たちにも多少推論できるけど、アメリカの名前も知らないたくさんの町には、考え方の想像もつかない人達がたくさんいます。
なぜオバマが当選しなければならないか(ル・モンドの論説)|PAGES D'ECRITURE
多くの日本人が知っているアメリカの大都市のある州では、恐らく民主党が勝利することは既定の事実と思われます。問題は、名前くらいは知っているけど、どんな都市があるかも知らないような州、地図でどこにあるか即答できないような州の動向が、最終結果を左右することになるでしょう。
今年5月時点の本ブログのエントリ「アメリカ大統領選挙と日本の未来」でも述べましたが、日本では、共和党=日本重視、民主党=中国重視の図式を見て共和党を心情的に支持したいと思っている人がいます。上の図式が正しいのか、日本はアメリカに重視された方がいいのか、よく考える必要があります。オバマ氏の民主党勝利となれば、日本がアメリカ離れを頭の片隅で考えるいいキッカケになるかも知れません。アメリカ離れは日本は常に視野に入れておかなければならない選択肢です。

しかし、個人的にはアメリカとの特殊な関係を脱出するのは、アメリカの出方にもよりますが、僕の人生が終わった後ぐらいなのかなという気がしています。今のアメリカは、身勝手な軍事主義の行き詰まり、新自由主義の崩壊が取りざたされていますが、「ペンタゴンとボーイングとコカコーラとマイクロソフトとハリウッドとCNNとインターネットと英語とをすべて足し合わせた[書評] フランスの外交力—自主独立の伝統と戦略)」超大国なのですから。また、現在の日本には、この超大国の後ろ盾なしで、他国と経済、外交の関係を構築していくための、知恵と技量が不足しているように感じるからです。
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知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 (平凡社新書)
福沢諭吉の功罪について分析していこうという内容の本です。このブログでは、福沢諭吉についての本を書評するのは、「[書評] 福沢諭吉の真実」についで二度目です。本エントリの本にも『福沢諭吉の真実』について触れられています。「平山洋氏の『福沢諭吉の真実』(文春新書、2004)である。...(略)...これが究極の福沢擁護論であることだけは間違いない。(p.228)」です。福沢諭吉の不都合な記事は別人が書いた可能性があると指摘した『福沢諭吉の真実』を究極の福沢擁護論と位置づけています。対する本書は、「本書『知られざる福沢諭吉』などは、その内容はともかくとしても、「福沢惚れ」でない著者による福沢論であるところに希少価値があると自負している。(p.228)」というように、福沢擁護論ではないところに価値を置いています。

本書では、福沢が分かりやすい文章と論理をもって大衆に当時の外国と日本の状況について説明し、開国に向かう大衆の意識を変えたことについての評価をしつつ、福沢の品格、節操のなさを焦点としています。福沢の品格を問うのは、日本の品格を問うのに必須であり、このブログでも書評した「[書評] 国家の品格」でも述べられるべきであったと書かれています。

福沢の節操のなさはいろいろな出来事を元に解説されていますが、最も端的なところは明治維新前後の福沢の変わり身の早さでしょう。以下は、『福翁自伝』中の一節を著者が解説のために、まとめたものです。福沢の思想として三つの点が挙げられています。
1. 幕府は叩き潰してしまうがよい(倒幕思想)。
2. 幕府に雇われているからといって、批判を控える必要はない。洋学者は幕府に横文字を読む技術を提供しているだけで、雪駄直しと変わるところがない(洋学者=賤民説)。
3. 自分たちは、幕府を倒す先棒になるつもりはない(傍観主義)。(p.99)
幕府に勤めているにもかかわらず、幕府は不必要といい、幕府を批判し、その上、倒幕運動をする危険は冒さないという、ずる賢さがあります。これが一個人だったら、頭の良い器用人ということになるのかもしれませんが、最高額の紙幣に印刷される人物となれば、その妥当性について功績や品格などを含めた「紙幣に載る資格」についても議論される必要があるでしょう。

攘夷支持の頑固なおばあさんを口説き落として開国に転向させようとしている友人を見て、自分も開国の意義を世の中に説明しようと思い立ちます。著者は、これが思想家/啓蒙家・福沢諭吉の始まりだと見ています。
こうして福沢は、『唐人往来』を書き上げた。「一本の筆を振り廻して江戸中の爺婆を開国に口説き落とさん」。このスタンスは、幕臣としての立場に抵触しない。また塾経営者としての立場とも矛盾しない。啓蒙家・福沢諭吉は、まさにこの瞬間に誕生したと言ってよいだろう。(P.176)
この判断でも、福沢は幕臣の立場、塾経営者の立場としての自分の利害について鋭く考えがまわっています。こういった冷静な判断は器用でもあり、利害を超えた情熱を美談とする状況では、ずる賢くも思える行動なのだと思います。この点を端的に切り込んだ『学商福沢諭吉』の一節が紹介されています。
「強者に屈するを以て.....自ら智者なり先見者なりと信ず」。福沢諭吉の本質についてずばり論評したこの数行は、『学商福沢諭吉』一巻の中で最も精彩を放っている部分かも知れない。(p.220)
福沢は、自分の利害について鋭い感覚を持っているがために、強者にへつらう傾向があるという指摘です。たしかに一理あります。自分の利害に敏感になれば、その傾向は避けられないでしょう。日本の将来を考え、自分が死罪にならず、自分の能力を最大に活かす道を冷静に探し求めたとも言えるし、私利私欲を求め権力に迎合したとも言える、生き方なのかもしれません。

最後に、上に紹介した『唐人往来』のなかで福沢が開国への説得を試みているところが面白いです。
その内九十七人は睦まじく付き合い往来するところへ、三人は天から降りたるもののように気高く構え、別に仲間を結んで三人の他は一切交わりを絶ち分からぬ理屈を言いながら、自分たちの風に合わぬとて九十七人の者を畜生同様に取り扱わんとせば、それにて済むべきや。まず世の中の笑われ者になるべし。(p.182)
攘夷をしていると、日本は世界ののけ者にされるという説得です。世間ののけ者になることを何より恐れる日本人、とくに攘夷支持の爺婆を説得するのには、最も効果がありそうです。今も昔も日本人の特質として変わらないのでしょうか。

その頃の世の中には、日本以外の全ての国々で往来があった訳ではもちろんなく、また、それまで鎖国していた日本がのけ者にされても実害は少ないと言えたかも知れません。もちろん福沢もそのことを承知で、最も日本人に効果的な方法を用いて説得を試みたのでしょう。目的を達するには効果的ですが、当時の日本人の無知につけ込んだずる賢い説得と言えるかも知れません。
知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 (平凡社新書)
礫川 全次 (著)

序章 福沢諭吉の知られざる一面
第1章 ペル氏築城書盗写事件
第2章 下級武士・福沢諭吉
第3章 苦学と逸話
第4章 慶応三年の謹慎事件
第5章 明治維新と慶応義塾
第6章 学商・福沢諭吉
第7章 商業立国とマンモニズム
第8章 脱亜の代償
終章 福沢諭吉論のために

近代日本をリードした啓蒙思想家であり、今でも「偉人」として評価される福沢諭吉。同時に、彼は拝金主義者、ほら吹き、変節漢といった人格的批判も多く受けた人物だった。下級武士から幕臣、啓蒙思想家へと異例の出世をした福沢の真の姿はいかなるものだったのか。福沢に対する人格的批判の当否を検証し、「成り上がり者」福沢諭吉の心性を探る。
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知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 (平凡社新書)
福沢諭吉の功罪について分析していこうという内容の本です。このブログでは、福沢諭吉についての本を書評するのは、「[書評] 福沢諭吉の真実」についで二度目です。本エントリの本にも『福沢諭吉の真実』について触れられています。「平山洋氏の『福沢諭吉の真実』(文春新書、2004)である。...(略)...これが究極の福沢擁護論であることだけは間違いない。(p.228)」です。福沢諭吉の不都合な記事は別人が書いた可能性があると指摘した『福沢諭吉の真実』を究極の福沢擁護論と位置づけています。対する本書は、「本書『知られざる福沢諭吉』などは、その内容はともかくとしても、「福沢惚れ」でない著者による福沢論であるところに希少価値があると自負している。(p.228)」というように、福沢擁護論ではないところに価値を置いています。

本書では、福沢が分かりやすい文章と論理をもって大衆に当時の外国と日本の状況について説明し、開国に向かう大衆の意識を変えたことについての評価をしつつ、福沢の品格、節操のなさを焦点としています。福沢の品格を問うのは、日本の品格を問うのに必須であり、このブログでも書評した「[書評] 国家の品格」でも述べられるべきであったと書かれています。

福沢の節操のなさはいろいろな出来事を元に解説されていますが、最も端的なところは明治維新前後の福沢の変わり身の早さでしょう。以下は、『福翁自伝』中の一節を著者が解説のために、まとめたものです。福沢の思想として三つの点が挙げられています。
1. 幕府は叩き潰してしまうがよい(倒幕思想)。
2. 幕府に雇われているからといって、批判を控える必要はない。洋学者は幕府に横文字を読む技術を提供しているだけで、雪駄直しと変わるところがない(洋学者=賤民説)。
3. 自分たちは、幕府を倒す先棒になるつもりはない(傍観主義)。(p.99)
幕府に勤めているにもかかわらず、幕府は不必要といい、幕府を批判し、その上、倒幕運動をする危険は冒さないという、ずる賢さがあります。これが一個人だったら、頭の良い器用人ということになるのかもしれませんが、最高額の紙幣に印刷される人物となれば、その妥当性について功績や品格などを含めた「紙幣に載る資格」についても議論される必要があるでしょう。

攘夷支持の頑固なおばあさんを口説き落として開国に転向させようとしている友人を見て、自分も開国の意義を世の中に説明しようと思い立ちます。著者は、これが思想家/啓蒙家・福沢諭吉の始まりだと見ています。
こうして福沢は、『唐人往来』を書き上げた。「一本の筆を振り廻して江戸中の爺婆を開国に口説き落とさん」。このスタンスは、幕臣としての立場に抵触しない。また塾経営者としての立場とも矛盾しない。啓蒙家・福沢諭吉は、まさにこの瞬間に誕生したと言ってよいだろう。(P.176)
この判断でも、福沢は幕臣の立場、塾経営者の立場としての自分の利害について鋭く考えがまわっています。こういった冷静な判断は器用でもあり、利害を超えた情熱を美談とする状況では、ずる賢くも思える行動なのだと思います。この点を端的に切り込んだ『学商福沢諭吉』の一節が紹介されています。
「強者に屈するを以て.....自ら智者なり先見者なりと信ず」。福沢諭吉の本質についてずばり論評したこの数行は、『学商福沢諭吉』一巻の中で最も精彩を放っている部分かも知れない。(p.220)
福沢は、自分の利害について鋭い感覚を持っているがために、強者にへつらう傾向があるという指摘です。たしかに一理あります。自分の利害に敏感になれば、その傾向は避けられないでしょう。日本の将来を考え、自分が死罪にならず、自分の能力を最大に活かす道を冷静に探し求めたとも言えるし、私利私欲を求め権力に迎合したとも言える、生き方なのかもしれません。

最後に、上に紹介した『唐人往来』のなかで福沢が開国への説得を試みているところが面白いです。
その内九十七人は睦まじく付き合い往来するところへ、三人は天から降りたるもののように気高く構え、別に仲間を結んで三人の他は一切交わりを絶ち分からぬ理屈を言いながら、自分たちの風に合わぬとて九十七人の者を畜生同様に取り扱わんとせば、それにて済むべきや。まず世の中の笑われ者になるべし。(p.182)
攘夷をしていると、日本は世界ののけ者にされるという説得です。世間ののけ者になることを何より恐れる日本人、とくに攘夷支持の爺婆を説得するのには、最も効果がありそうです。今も昔も日本人の特質として変わらないのでしょうか。

その頃の世の中には、日本以外の全ての国々で往来があった訳ではもちろんなく、また、それまで鎖国していた日本がのけ者にされても実害は少ないと言えたかも知れません。もちろん福沢もそのことを承知で、最も日本人に効果的な方法を用いて説得を試みたのでしょう。目的を達するには効果的ですが、当時の日本人の無知につけ込んだずる賢い説得と言えるかも知れません。
知られざる福沢諭吉 下級武士から成り上がった男 (平凡社新書)
礫川 全次 (著)

序章 福沢諭吉の知られざる一面
第1章 ペル氏築城書盗写事件
第2章 下級武士・福沢諭吉
第3章 苦学と逸話
第4章 慶応三年の謹慎事件
第5章 明治維新と慶応義塾
第6章 学商・福沢諭吉
第7章 商業立国とマンモニズム
第8章 脱亜の代償
終章 福沢諭吉論のために

近代日本をリードした啓蒙思想家であり、今でも「偉人」として評価される福沢諭吉。同時に、彼は拝金主義者、ほら吹き、変節漢といった人格的批判も多く受けた人物だった。下級武士から幕臣、啓蒙思想家へと異例の出世をした福沢の真の姿はいかなるものだったのか。福沢に対する人格的批判の当否を検証し、「成り上がり者」福沢諭吉の心性を探る。
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Paris, France
ブログを始めてから満7ヶ月過ぎました。今月は19エントリーを投稿し過去最大の17663ページビューを記録しました。アクセスしてくれた方々ありがとうございます。特に、「日本視覚文化研究会」にフランスの漫画エントリの紹介をしていただいた後に、一日約1500PVになったりしました。その後、「 [まとめ] フランスと海外のマンガ人気」でこれまでの漫画に関するエントリをまとめました。フランスでのマンガ人気の認知度が上がれば、フランスに来る日本人も漫画の教養を高めてから来仏するようになるかもしれません。そうすると、よりフランス人とのやりとりを楽しめるのではないかと思います。

[書評] 高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院」の続きのエントリの「博士課程に進む意義」のエントリが今までで最多のはてなブックマークとLivedoorクリップを集めました(現在はてな10個とLivedoor三個)。

また、右側のバーの貼ってあるYahoo!ログールの人気の管理者のページで現在20位以内に入っていました。ファンになってくれている方ありがとうございます。


今月多数のアクセスがあったページをランキングにしておきます。これからもこのブログをよろしくお願いします。
  1. フランスのマンガ人気
  2. フランス語の勉強の仕方(まとめ)
  3. 世界にいい影響を与える国:ニッポン
  4. フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(2/2)
  5. 国民総かっこよさ(Gross National Cool)とは
  6. フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(1/2)
  7. 「サムライの復讐」=金融危機で仏紙
  8. 博士課程に進む意義
  9. フランス語の勉強の仕方
  10. [まとめ] フランスと海外のマンガ人気
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