「[書評] 高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院」のエントリの続きです。「本書は、博士課程に進む学生が読むと憂鬱になるタイプの本だと思いますが、僕は逆にやっぱり博士課程に進学してよかったなと思いました。」の理由について書いていこうと思います。まず、僕自身が工学の博士課程に在籍しているので、それに工学の博士課程の状況に偏ると思いますが、思ったことを書いていきます。
まず、状況として博士号を取得する人が増えていることによって、多くの人が職を手にすることが出来にくい状況が生まれているそうです。上の書にあるように、大学のポストだけを求めるのは、危険だと言うのは納得です。
英語では、博士号を持った人は必ずドクターと呼ばれ、それ以外の人がミスター、ミセスと呼ばれるため、明確な区別がなされます。実際、博士号の有る無しは、研究者にとって大きな要素となり始めています。博士号を持たない上司と博士号を持った部下が海外の研究所に視察に行き、その一団を迎えた研究員が、部下の博士だけに語りかけたというような話も聞いたことがあります。博士号が研究の最低限の能力を証明する運転免許のようなものになる日が来るかもしれません(免許は運転手の飛び抜けた運転能力を保証する訳ではありませんが、最低限の能力を保証しています)。
第二に、フランスのシステムとしては、技術者にもこう言った免状(diplôme d'ingénieur)があります。技術者は医者や弁護士とは違い免状が無くても職に就くことは出来ますが、免状を持った技術者はいろいろな面で優遇/重宝される状況にあります→技術系のグランゼコール。技術が専門化するに従って、それらを専門に学んだ者が重要性を増してくるかもしれません。研究者における博士もそのような状況になるかも知れません。
ただ、その道を選択することがあまりにもリスクの高いことであるのは問題です。博士号を上のように捉えることによって、「[書評] 高学歴ワーキングプア」にあるような、博士号を取り巻く社会の問題に目をつぶることは、当然出来ません。
まず、状況として博士号を取得する人が増えていることによって、多くの人が職を手にすることが出来にくい状況が生まれているそうです。上の書にあるように、大学のポストだけを求めるのは、危険だと言うのは納得です。
そう考えると、遮二無二、専任教員になることだけを目指すことは、危険極まりないことではないだろうか。四〇歳や五〇歳になって、無職に転落した博士は、いったいどうやって生きていったら良いのか。三十代のノラ博士でさえ、ツブシがなかなかきかず、苦しんでいるというのに。(P.163)工学の博士号を取得すれば、企業に就職する道はそれほど険しくないと言われています。このまま博士号を持つ研究者が増え続ければ、30代の学生が博士号を取得して社会で働く三十余年の間には、同僚、後輩の大半が博士号を持つ状況が生まれるでしょう。博士号が無いことを理由に希望する仕事ができない状況が生まれるかも知れません。それが、今から博士号を取得しておいた方が良いと考える第一の理由です。
英語では、博士号を持った人は必ずドクターと呼ばれ、それ以外の人がミスター、ミセスと呼ばれるため、明確な区別がなされます。実際、博士号の有る無しは、研究者にとって大きな要素となり始めています。博士号を持たない上司と博士号を持った部下が海外の研究所に視察に行き、その一団を迎えた研究員が、部下の博士だけに語りかけたというような話も聞いたことがあります。博士号が研究の最低限の能力を証明する運転免許のようなものになる日が来るかもしれません(免許は運転手の飛び抜けた運転能力を保証する訳ではありませんが、最低限の能力を保証しています)。
第二に、フランスのシステムとしては、技術者にもこう言った免状(diplôme d'ingénieur)があります。技術者は医者や弁護士とは違い免状が無くても職に就くことは出来ますが、免状を持った技術者はいろいろな面で優遇/重宝される状況にあります→技術系のグランゼコール。技術が専門化するに従って、それらを専門に学んだ者が重要性を増してくるかもしれません。研究者における博士もそのような状況になるかも知れません。
Diplôme d'ingénieur - wikipediaそれでは、直接企業の研究と結びつかない文系の博士号(例えば、歴史、哲学)を取る利点はどのようなことが考えられるでしょう。価値観は人それぞれですが、僕はやはり、自分が人生において何かを成し遂げたいと言う欲求を満たすための過程というように捉えるのがよいのではないかと思います。博士号を取るということは、先人がまだなし得ていなかったことをなし得た結果です。それは、人類の知恵と知識を前進させたことになります。30歳で博士号を取ったとして、多くの人がその後50年ほどで人生を終えることになります。博士号(特に文系)は人生を終える時に、その50年のうちに人類の知恵と知識をほんの少しでも進めたという満足感で満たされたいという人が選ぶ道なのかも知れません。
ディプロム・ダンジェニュール(diplôme d'ingénieur)は、エンジニアリングの独立した学校か、エンジニアリングの内部の学校と共の大学によるフランスの高等教育の免状である。
The diplôme d'ingénieur is a French diploma of higher education awarded by French institutions which can be independent schools of engineering or universities with internal school of engineering (they are often known as grandes écoles).
ただ、その道を選択することがあまりにもリスクの高いことであるのは問題です。博士号を上のように捉えることによって、「[書評] 高学歴ワーキングプア」にあるような、博士号を取り巻く社会の問題に目をつぶることは、当然出来ません。
つまり、重点化による余剰博士問題は、「優秀でないから、ノラ博士になっているのだ」という論理である。もちろん、こうした考えが、まったく本質からはずれたものであることはすでに見て来た通りだ。社会における構造的問題を個人の問題としてすげ替えていこうとする動きは、枚挙にいとまが無い。(P.152)
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研究
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