Dinard, France
昼食の時に日本についてのテレビ番組があることが話題になりました。どうやらインターネット放送のために、みんなが知っている訳ではないのですが、インターネットプロバイダのFreeと契約している人は見ることが出来るそうです。番組の公式サイトによると、以下のように書かれています。

毎週水曜日『101%』でスズカがみなさんに日本を発見することを勧めます。日本は異国情緒を強調しすぎることなく、ありのままを見せます。しかし日本にはそれでも、驚くべきこと、魅力的なこと、最終的に我々にとても近いことが残っている。Tôkyô Caféは皆様に日本と日本人をよく知ってもらうための放送です。これは、ポップカルチャー、料理、慣習、様子、と日本の本当の恋人のための全てのよい案内図です。
Chaque mercredi dans 101%, Suzuka vous propose de découvrir son Japon. Un Japon enfin montré tel qu’il est, sans forcer l’exotisme. Mais un Japon qui reste tout de même surprenant, séduisant et finalement très proche de nous. Tôkyô Café, c’est aussi l’émission qui vous dit tout pour mieux comprendre le Japon et les Japonais. C’est la pop culture, la cuisine, les habitudes et les attitudes, et tout plein de bons plans pour les vrais amoureux du Japon.
この番組に付いては詳しくはコチラに出ていました。局長のインタビューも会って興味深いです。

フランス生活情報 フランスニュースダイジェスト - セバスチャン・ルシェさん Sébastien Ruchet

ウィークデーの19時、22時、2時に放送されてる番組「101%」枠内の水曜版で、等身大の日本を紹介するコー ナー。日本と日本人をもっとよく知るための、ポップカルチャーや料理、日常生活などにぐっと迫ったNolife オススメのコーナー。注:本文インタビュー時の内容ですが、現在はFree、Alice、 Neufなどの加入者なら「Nolife」を楽しむことが出来ます。
日本でのカラオケのマナーを解説しています。これは面白いです。リポーターの方が日本語をしゃべっていて、フランス人も日本語をしゃべれるので(フランス語字幕)、フランス語が分からなくても楽しめます。フランス人が最初に選んだ曲『ALLEZ! JAPON!!』は、知らなかったのですがサッカーの応援歌だったみたいです。フランス語でした。



フランス人が日本のゲテモノを食べる回。もずくを食べるところで、風呂の髪の毛みたいだ、[映画]リングみたいって言ってるのが、ウケます。



Alizeeというフランス人アイドルの日本での人気について調べる回。

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Dinard, France
昼食の時に日本についてのテレビ番組があることが話題になりました。どうやらインターネット放送のために、みんなが知っている訳ではないのですが、インターネットプロバイダのFreeと契約している人は見ることが出来るそうです。番組の公式サイトによると、以下のように書かれています。

毎週水曜日『101%』でスズカがみなさんに日本を発見することを勧めます。日本は異国情緒を強調しすぎることなく、ありのままを見せます。しかし日本にはそれでも、驚くべきこと、魅力的なこと、最終的に我々にとても近いことが残っている。Tôkyô Caféは皆様に日本と日本人をよく知ってもらうための放送です。これは、ポップカルチャー、料理、慣習、様子、と日本の本当の恋人のための全てのよい案内図です。
Chaque mercredi dans 101%, Suzuka vous propose de découvrir son Japon. Un Japon enfin montré tel qu’il est, sans forcer l’exotisme. Mais un Japon qui reste tout de même surprenant, séduisant et finalement très proche de nous. Tôkyô Café, c’est aussi l’émission qui vous dit tout pour mieux comprendre le Japon et les Japonais. C’est la pop culture, la cuisine, les habitudes et les attitudes, et tout plein de bons plans pour les vrais amoureux du Japon.
この番組に付いては詳しくはコチラに出ていました。局長のインタビューも会って興味深いです。

フランス生活情報 フランスニュースダイジェスト - セバスチャン・ルシェさん Sébastien Ruchet

ウィークデーの19時、22時、2時に放送されてる番組「101%」枠内の水曜版で、等身大の日本を紹介するコー ナー。日本と日本人をもっとよく知るための、ポップカルチャーや料理、日常生活などにぐっと迫ったNolife オススメのコーナー。注:本文インタビュー時の内容ですが、現在はFree、Alice、 Neufなどの加入者なら「Nolife」を楽しむことが出来ます。
日本でのカラオケのマナーを解説しています。これは面白いです。リポーターの方が日本語をしゃべっていて、フランス人も日本語をしゃべれるので(フランス語字幕)、フランス語が分からなくても楽しめます。フランス人が最初に選んだ曲『ALLEZ! JAPON!!』は、知らなかったのですがサッカーの応援歌だったみたいです。フランス語でした。



フランス人が日本のゲテモノを食べる回。もずくを食べるところで、風呂の髪の毛みたいだ、[映画]リングみたいって言ってるのが、ウケます。



Alizeeというフランス人アイドルの日本での人気について調べる回。

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Paris, France
仏語本「Le Japon 固定観念」の「日本は天然資源を欠いている」という固定観念に関する章を読んでみました。

まず、日本は資源となるものが何もない国だとの固定観念がありますが、そうでもないと書かれています。
17世紀から18世紀にかけて、技術発展や領主の政治のおかげで、日本は銅と銀の世界最大の産出国の一つになった。第二次世界大戦の直後、同時代のフランスとほぼ同量の石炭を採掘していた。
Au cours des XVIIe et XVIIIe siècles, grâce aux progrès technologiques et aux politiques seigneuriales, le Japon est même devenu l'un des premiers producteurs mondial de cuivre et d'argent. Au lendemain de la Seconde Guerre mondiale, il extrayait autant de houille que la France à la même époque.(P.49)
銅や銀や石炭のほかに、水量や森林が豊富で、建築材料として木材が広く使われていることも紹介されていました。日本に資源がないと思われている主な理由は、以下の通りです。
石油や鉄の顕著な欠如を付け加える、この減少は主要な資源を欠いているという乱用された言説を促進した。
Ajoutée à des déficiences notables en pétrole ou en fer, cette régression a favorisé le discours abusif sur l'absence de matières premières. (P.50)
日本が何を産出して、どんな材料の恩恵を受けているかはすでに知っているために、あまり興味が湧かなかったのですが、この章の後半は日本の災害に対する考え方について解説されていました。他の章「日本はしょっちゅう自然災害を被っている」でも述べられていたところですが、興味深い指摘がありました。日本人がなぜ災害の多い住みにくい土地に住んでいるかという解釈についてです。
同様に、我々にはすこぶる明白だと思われる「自然リスク」の概念は、日本語では厳密に同じ意味を持っていない。ヨーロッパの言語の「リスク」という語は、危ない場面であるか、不本意であるか(リスクある場所で)、もしくは自発的(リスクを取る)であるかである。日本語の用語にはそのようなものはなく、自然災害の話題について最もよく使われる言葉は、『Saigai』で、これは正反対に、その語源とその表意法から、隠された神の意図によって起こされた災害という見解を運んでくる。
Ainsi, la notion de « risque naturel», qui nous paraît pourtant si évidente, n'a pas de strict équivalent en japonais. Le mot « risque» dans les langues européennes exprime l'idée de se trouver dans une situation dangereuse, soit involontairement (être dans une position risquée), soit volontairement (prendre des risques). Il n'y a rien de tel dans le terme japonais qui est le plus utilisé à propos des aléas naturels, celui de saigai, qui véhicule au contraire, dans son étymologie et son idéographie, l'idée de dégât causé par une intention divine cachée. (P.51)
ヨーロッパの言語では、自然リスクはリスクと捉えられるので、それを避けようと移住するか、もしくはそのリスクを取ってリターンを狙うかという思考になると書かれています。それに対して、日本人は災害(災いによって起こされる損害)というどうしようもないものとして深く考えないということのようです。災いというと、たしかにリスクと言うよりは神の隠された意志といった方がしっくり来るのかもしれません。その自然に対するその感情が単に諦めではないという点も説明されています。
この受容は宿命論によるものではなく、居住者の役割は自然の力と戦うことより、それらと調和して生活することであるという世界の理解によるものである。
Cette acceptation ne relève pas du fatalisme mais d'une compréhension du monde où le rôle des habitants n'est pas tant de combattre les forces de la nature que de vivre en harmonie avec elles. (P.51)
良く分かってる。と感じました。

日本はしょっちゅう自然災害を被っている」では、戦後の復興が「日本の奇跡」という言説を後押ししたと書かれていますが、ここでは資源の欠如と面積の小ささもその言説を促進したと書かれています。
1945年の敗戦のあと、資源が欠如していて、国土面積が小さいというレトリックは、「日本経済の奇跡」という命題を信用させるために、西洋の諸国と同様に日本でも再浮上している。
Après la défaire de 1945, la rhétorique sur le manque de ressources naturelles et la petitesse du territoire refait surface chez les Japonais comme chez les Occidentaux pour accréditer la thèse du « miracle économique japonais ». (P. 52)
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Paris, France
仏語本「Le Japon 固定観念」の「日本は天然資源を欠いている」という固定観念に関する章を読んでみました。

まず、日本は資源となるものが何もない国だとの固定観念がありますが、そうでもないと書かれています。
17世紀から18世紀にかけて、技術発展や領主の政治のおかげで、日本は銅と銀の世界最大の産出国の一つになった。第二次世界大戦の直後、同時代のフランスとほぼ同量の石炭を採掘していた。
Au cours des XVIIe et XVIIIe siècles, grâce aux progrès technologiques et aux politiques seigneuriales, le Japon est même devenu l'un des premiers producteurs mondial de cuivre et d'argent. Au lendemain de la Seconde Guerre mondiale, il extrayait autant de houille que la France à la même époque.(P.49)
銅や銀や石炭のほかに、水量や森林が豊富で、建築材料として木材が広く使われていることも紹介されていました。日本に資源がないと思われている主な理由は、以下の通りです。
石油や鉄の顕著な欠如を付け加える、この減少は主要な資源を欠いているという乱用された言説を促進した。
Ajoutée à des déficiences notables en pétrole ou en fer, cette régression a favorisé le discours abusif sur l'absence de matières premières. (P.50)
日本が何を産出して、どんな材料の恩恵を受けているかはすでに知っているために、あまり興味が湧かなかったのですが、この章の後半は日本の災害に対する考え方について解説されていました。他の章「日本はしょっちゅう自然災害を被っている」でも述べられていたところですが、興味深い指摘がありました。日本人がなぜ災害の多い住みにくい土地に住んでいるかという解釈についてです。
同様に、我々にはすこぶる明白だと思われる「自然リスク」の概念は、日本語では厳密に同じ意味を持っていない。ヨーロッパの言語の「リスク」という語は、危ない場面であるか、不本意であるか(リスクある場所で)、もしくは自発的(リスクを取る)であるかである。日本語の用語にはそのようなものはなく、自然災害の話題について最もよく使われる言葉は、『Saigai』で、これは正反対に、その語源とその表意法から、隠された神の意図によって起こされた災害という見解を運んでくる。
Ainsi, la notion de « risque naturel», qui nous paraît pourtant si évidente, n'a pas de strict équivalent en japonais. Le mot « risque» dans les langues européennes exprime l'idée de se trouver dans une situation dangereuse, soit involontairement (être dans une position risquée), soit volontairement (prendre des risques). Il n'y a rien de tel dans le terme japonais qui est le plus utilisé à propos des aléas naturels, celui de saigai, qui véhicule au contraire, dans son étymologie et son idéographie, l'idée de dégât causé par une intention divine cachée. (P.51)
ヨーロッパの言語では、自然リスクはリスクと捉えられるので、それを避けようと移住するか、もしくはそのリスクを取ってリターンを狙うかという思考になると書かれています。それに対して、日本人は災害(災いによって起こされる損害)というどうしようもないものとして深く考えないということのようです。災いというと、たしかにリスクと言うよりは神の隠された意志といった方がしっくり来るのかもしれません。その自然に対するその感情が単に諦めではないという点も説明されています。
この受容は宿命論によるものではなく、居住者の役割は自然の力と戦うことより、それらと調和して生活することであるという世界の理解によるものである。
Cette acceptation ne relève pas du fatalisme mais d'une compréhension du monde où le rôle des habitants n'est pas tant de combattre les forces de la nature que de vivre en harmonie avec elles. (P.51)
良く分かってる。と感じました。

日本はしょっちゅう自然災害を被っている」では、戦後の復興が「日本の奇跡」という言説を後押ししたと書かれていますが、ここでは資源の欠如と面積の小ささもその言説を促進したと書かれています。
1945年の敗戦のあと、資源が欠如していて、国土面積が小さいというレトリックは、「日本経済の奇跡」という命題を信用させるために、西洋の諸国と同様に日本でも再浮上している。
Après la défaire de 1945, la rhétorique sur le manque de ressources naturelles et la petitesse du territoire refait surface chez les Japonais comme chez les Occidentaux pour accréditer la thèse du « miracle économique japonais ». (P. 52)
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死の壁 (新潮新書)フランスではイスラム教徒や、その他の宗教を持つ人々が混在しているので、いったいどれが正しいんだということを誰もが疑問に持つのかもしれません。日本では死んだらどうなるかと言うことを聞かれたことがあります。とくに輪廻転生の概念が衝撃だったようで、何度も聞かれました→「イスラム教のお話」。

その時とは別に、電車で隣になった人(イスラム教徒)が『La Mort(死)』という本を読んでいました。偶然、会話が始まり、火葬の話になりました。いわく、家族や長く親しんだ人が、灼熱の炎で焼かれるのは、本当につらいことだと言っていました。ネットで調べたところ、彼らにとっては身体を火で焼く行為は地獄の責苦を思い起こさせるそうです。イスラム教の信者の方は、死について非常に強く考えていると感じます。童話や物語ではなく死後の天国と地獄は実際に存在するものだと信じて疑わない人達は本当に真剣に議論します。本書でも軽く触れられていました。
人工妊娠中絶のほかにも、日本では何とも思われていないが、外国ではまずいということや、その逆のことはたくさんあります。死に関することでいえば、火葬もそうです。今時、日本で火葬を断固拒否するという人はあまりいません。しかし、イスラム教徒達は火葬に抵抗があるそうです。(P.107)
高校生の時の授業に「死への準備教育」 というものがありました。死について初めて真剣に考えた時間だった気がします。先生は最初の授業の時に、「人生80年として皆さんは高校卒業して大学を卒業したら60年で死にます」と言っていました。死を知ることは生を知ることと同じで、その期間に何をするべきなのかを考えると言う授業でした。その後の授業は、多くの人生の終幕について読んだり、より良く死ぬための施設であるホスピスについての知識を得たりしたことを覚えています。その時は、まだ遠い未来のように感じてあまり、親身に考えられませんでしたが、若いうちに何も考えないよりは有意義だったと感じます。

本書にはまったく同意できる文章と、僕にとって「???」な文章が隣同士にある箇所がありました。まず、
私は自殺したいと思ったことはありません。簡単にいえば、「どうせ死ぬんだからあわてるんじゃねえ」というのが私の結論です。(P.174)
どんなに死にたくなっても別に耐えなければならない時間はそんなに長くないはずです。自分と遺族の名誉を守る昔の切腹や、遺族への手厚い保護が約束される自爆テロなどの特殊な要因がない限り、これは納得です。しかし、続く文章は...
こう言うと、「どうせ死ぬんだから今死んでもいいじゃないか」というやつがいるかもしれませんが、それは論理として成立していない。なぜなら、それは「どうせ腹が減るから喰うのをやめよう」「どうせ汚れるから掃除しない」というのと同じことだからです。(P.175)
著者が論理として成立していないという「どうせ汚れるから掃除しない」と言うのは、横着な僕にとってはきわめて筋のよい理論に聞こえます。今日と明日掃除しなければいけないならば、どうせ汚れる今日は掃除をやめて、明日だけ掃除すればよいと思ってしまいます。この論理は、汚れの度合いが耐えられる範囲のものであるという条件があります。いくら僕でも、どうせ明日も尻が汚れるからと言って今日の大便で尻を拭かないことはあり得ません。きっと著者は汚れに対する耐性が低い、几帳面な方なのでしょう。
死の壁 (新潮新書)
養老 孟司 (著)

ガンやSARSで騒ぐことはない。そもそも人間の死亡率は100%なのだから——。誰もが必ず通る道でありながら、目をそむけてしまう「死」の問題。死の 恐怖といかに向きあうべきか。なぜ人を殺してはいけないのか。生と死の境目はどこにあるのか。イラク戦争と学園紛争の関連性とは。死にまつわるさまざまな テーマを通じて現代人が生きていくうえでの知恵を考える。『バカの壁』に続く養老孟司の新潮新書第二弾。

目次
序章 『バカの壁』の向こう側
どうすればいいんでしょうか
わからないから面白い
人生の最終解答
人が死なない団地
第一章 なぜ人を殺してはいけないのか
中国の有人宇宙船は快挙か
殺すのは簡単
あともどりできない
ブータンのお爺さん
二度と作れないもの
人間中心主義の危うさ
第二章 不死の病
不死身の人
魂の消滅
「俺は俺」の矛盾
「本当の自分」は無敵の論理
死ねない
死とウンコ
身体が消えた
裸の都市ギリシャ
死が身近だった中世
死の文化
葬式の人間模様
実感がない
宅間守の怖さ
派出所の不遜
ゲームの中の死体
第三章 生死の境目
生とは何か
診断書は無関係
境界はあいまい
生の定義
クエン酸回路
システムの連鎖
去年の「私」は別人
絶対死んでいる人
生きている骨
判定基準
誰が患者を殺したか
規定は不可能
第四章 死体の人称
死体とは何か
一人称の死体
二人称の死体
三人称の死体
モノではない
解剖が出来なくなった頃
第五章 死体は仲間はずれ
清めの塩の意味
なぜ戒名は必要か
人非人とは何者か
江戸の差別問題
この世はメンバーズクラブ
脱会の方法
「間引き」は入会審査
ベトちゃん、ドクちゃんが日本にいない理由
第六章 脳死と村八分
脳死という脱会
村八分は全員一致で
イラン人の火葬
靖国問題の根本
死刑という村八分
臓器移植法の不思議
「人は人」である
大学も村
ケネディは裏口入学か
第七章 テロ・戦争・大学紛争
戦争と原理主義
正義の押し付けがましさ
戦争で人減らし
学生運動は就職活動
反権力と反体制
敗軍の将の弁
軍国主義者は戦争を知らない
イラクの知人
国益とは何か
ものつくりという戦争
第八章 安楽死とエリート
安楽死は苦しい
エリートは加害者
産婆の背負う重荷
つきまとう重荷
エリートの消滅
銀の心臓ケース
解剖は誰がやったのか
天の道、人の道
ルールの明文化
人命尊重の範囲
役所の書類が多い理由
自分への恐怖
解剖教室の花
終章 死と人事異動
死の恐怖は存在しない
考えても無駄
老醜とは何か
悩むのは当たり前
慌てるな
父の死
挨拶が苦手な理由
死の効用
ただのオリンピック
生き残った者の課題
日々回復不能
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死の壁 (新潮新書)フランスではイスラム教徒や、その他の宗教を持つ人々が混在しているので、いったいどれが正しいんだということを誰もが疑問に持つのかもしれません。日本では死んだらどうなるかと言うことを聞かれたことがあります。とくに輪廻転生の概念が衝撃だったようで、何度も聞かれました→「イスラム教のお話」。

その時とは別に、電車で隣になった人(イスラム教徒)が『La Mort(死)』という本を読んでいました。偶然、会話が始まり、火葬の話になりました。いわく、家族や長く親しんだ人が、灼熱の炎で焼かれるのは、本当につらいことだと言っていました。ネットで調べたところ、彼らにとっては身体を火で焼く行為は地獄の責苦を思い起こさせるそうです。イスラム教の信者の方は、死について非常に強く考えていると感じます。童話や物語ではなく死後の天国と地獄は実際に存在するものだと信じて疑わない人達は本当に真剣に議論します。本書でも軽く触れられていました。
人工妊娠中絶のほかにも、日本では何とも思われていないが、外国ではまずいということや、その逆のことはたくさんあります。死に関することでいえば、火葬もそうです。今時、日本で火葬を断固拒否するという人はあまりいません。しかし、イスラム教徒達は火葬に抵抗があるそうです。(P.107)
高校生の時の授業に「死への準備教育」 というものがありました。死について初めて真剣に考えた時間だった気がします。先生は最初の授業の時に、「人生80年として皆さんは高校卒業して大学を卒業したら60年で死にます」と言っていました。死を知ることは生を知ることと同じで、その期間に何をするべきなのかを考えると言う授業でした。その後の授業は、多くの人生の終幕について読んだり、より良く死ぬための施設であるホスピスについての知識を得たりしたことを覚えています。その時は、まだ遠い未来のように感じてあまり、親身に考えられませんでしたが、若いうちに何も考えないよりは有意義だったと感じます。

本書にはまったく同意できる文章と、僕にとって「???」な文章が隣同士にある箇所がありました。まず、
私は自殺したいと思ったことはありません。簡単にいえば、「どうせ死ぬんだからあわてるんじゃねえ」というのが私の結論です。(P.174)
どんなに死にたくなっても別に耐えなければならない時間はそんなに長くないはずです。自分と遺族の名誉を守る昔の切腹や、遺族への手厚い保護が約束される自爆テロなどの特殊な要因がない限り、これは納得です。しかし、続く文章は...
こう言うと、「どうせ死ぬんだから今死んでもいいじゃないか」というやつがいるかもしれませんが、それは論理として成立していない。なぜなら、それは「どうせ腹が減るから喰うのをやめよう」「どうせ汚れるから掃除しない」というのと同じことだからです。(P.175)
著者が論理として成立していないという「どうせ汚れるから掃除しない」と言うのは、横着な僕にとってはきわめて筋のよい理論に聞こえます。今日と明日掃除しなければいけないならば、どうせ汚れる今日は掃除をやめて、明日だけ掃除すればよいと思ってしまいます。この論理は、汚れの度合いが耐えられる範囲のものであるという条件があります。いくら僕でも、どうせ明日も尻が汚れるからと言って今日の大便で尻を拭かないことはあり得ません。きっと著者は汚れに対する耐性が低い、几帳面な方なのでしょう。
死の壁 (新潮新書)
養老 孟司 (著)

ガンやSARSで騒ぐことはない。そもそも人間の死亡率は100%なのだから——。誰もが必ず通る道でありながら、目をそむけてしまう「死」の問題。死の 恐怖といかに向きあうべきか。なぜ人を殺してはいけないのか。生と死の境目はどこにあるのか。イラク戦争と学園紛争の関連性とは。死にまつわるさまざまな テーマを通じて現代人が生きていくうえでの知恵を考える。『バカの壁』に続く養老孟司の新潮新書第二弾。

目次
序章 『バカの壁』の向こう側
どうすればいいんでしょうか
わからないから面白い
人生の最終解答
人が死なない団地
第一章 なぜ人を殺してはいけないのか
中国の有人宇宙船は快挙か
殺すのは簡単
あともどりできない
ブータンのお爺さん
二度と作れないもの
人間中心主義の危うさ
第二章 不死の病
不死身の人
魂の消滅
「俺は俺」の矛盾
「本当の自分」は無敵の論理
死ねない
死とウンコ
身体が消えた
裸の都市ギリシャ
死が身近だった中世
死の文化
葬式の人間模様
実感がない
宅間守の怖さ
派出所の不遜
ゲームの中の死体
第三章 生死の境目
生とは何か
診断書は無関係
境界はあいまい
生の定義
クエン酸回路
システムの連鎖
去年の「私」は別人
絶対死んでいる人
生きている骨
判定基準
誰が患者を殺したか
規定は不可能
第四章 死体の人称
死体とは何か
一人称の死体
二人称の死体
三人称の死体
モノではない
解剖が出来なくなった頃
第五章 死体は仲間はずれ
清めの塩の意味
なぜ戒名は必要か
人非人とは何者か
江戸の差別問題
この世はメンバーズクラブ
脱会の方法
「間引き」は入会審査
ベトちゃん、ドクちゃんが日本にいない理由
第六章 脳死と村八分
脳死という脱会
村八分は全員一致で
イラン人の火葬
靖国問題の根本
死刑という村八分
臓器移植法の不思議
「人は人」である
大学も村
ケネディは裏口入学か
第七章 テロ・戦争・大学紛争
戦争と原理主義
正義の押し付けがましさ
戦争で人減らし
学生運動は就職活動
反権力と反体制
敗軍の将の弁
軍国主義者は戦争を知らない
イラクの知人
国益とは何か
ものつくりという戦争
第八章 安楽死とエリート
安楽死は苦しい
エリートは加害者
産婆の背負う重荷
つきまとう重荷
エリートの消滅
銀の心臓ケース
解剖は誰がやったのか
天の道、人の道
ルールの明文化
人命尊重の範囲
役所の書類が多い理由
自分への恐怖
解剖教室の花
終章 死と人事異動
死の恐怖は存在しない
考えても無駄
老醜とは何か
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死の効用
ただのオリンピック
生き残った者の課題
日々回復不能
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Paris, France
インターネットの普及、グローバル化の進行によって、現在は世界中全ての情報が英語に集まります。理系の研究者では英語の読み書き、会話が出来ないと存在しないと同然に扱われることもあるでしょう。日常生活でも「メンタル面が弱い、もっとポジティブに」とか、「エラーの原因はハードウェアじゃなくてソフトウェアみたい」と言うようにあらゆるところに英語が入り込んでいます。日本では、外来語は少しかっこ良かったり、でもあまりカタカナ言葉を使いすぎると、気取ってると思われることがあったりするぐらいで、大して問題になりません。

しかしフランスでは、政府が英語の浸食からフランス語を守るための前線に立っています。例えば、公式フランス語でソフトウェアはLogiciel(ロジシエル)、ハードウェアはMatériel(マテリエル)です。「ウェブログ」のフランス語訳は「Bloc Notes(ブロック・ノト)」に決定したりとか、ソニーがウォークマンを発売した時に、「Balader=散歩する、ぶらつく」からBaladeur(バラドゥール)という官製語を決定したりしています。どちらにしろフランス人はどちらも知っていることが多いです。どちらを使うのかは人と言葉によると言う状態です。

[書評] フランスの外交力—自主独立の伝統と戦略」の「文化と言葉は、フランス外交にとって、目的であると同時に手段でもあるのである。とりわけ、フランス語は、歴史的に見てもフランス外交にとって重要な武器であった。(P.147)」にあるように、フランスのフランス語の防衛への努力は相当です。フランスの外交力にあるように、自国の言葉を守り、アフリカのフランス語圏を強化し、その他の国にはフランス語教育を受けられる体制を整えています。フランス人が日本語を勉強するとあまりの英語の多さに、日本人は英語による言語侵略に危機感を持たないのかと、ビックリします。言語侵略からの防衛に余念がないフランスと、危機感のない日本ですが、おそらく英語浸食がより進んでいないのは日本だと感じます。

特にフランスの理系研究者は、英語に抵抗がありません。例えば、フランスの権威ある研究組織が毎年出しているフランス語の研究報告書はまったく売れていないそうです。フランスの研究者は、フランス語で書かれている研究報告書は英語の論文の翻訳であり、最先端ではなく、英語で書かれた研究報告書の方がよりよく書けていると認識しているそうです。逆に日本の権威ある研究組織が毎年刊行する研究報告書は飛ぶように売れます。日本人の研究者は英語で書かれた500ページもある研究報告書を読むより、日本の権威ある組織の日本語の報告書を好みます。最先端の研究成果を知るにはフランス人研究者のように英語の報告書を読むことが最も適しているかもしれません。しかし、言語浸食からの観点ではフランスの方がより浸食が進んでしまっていると言えます。

また、理系の研究論文はほとんどが英語で書かれています。日本語やフランス語で書かれた論文は質が低いと見られています。しかし、非英語論文の軽視の程度もフランスではより進んでしまっています。フランス人研究者は英語で論文を書くことに抵抗がなく、どんどん英語の学会で論文を発表します。またそのためかフランス語のカンファレンス(会議)も少ないです。極端に言うとフランス語の論文には価値がないと思っています。

日本では、日本語のカンファレンスがたくさんあり、多くの研究者が研究を発表しています。英語で論文を書いた方が成果としては高く評価されますが、依然として日本語の論文の評価も存在します。僕自身、最近は英語の論文しか書かなくなりましたが、日本人研究者が母国語で研究の議論が出来る日本語のカンファレンスは日本にとっては必要不可欠だと思います。フランスで研究しているうちは難しいかもしれませんが、機会があればまた日本語の論文も書きたいと思うようになりました。そうすることで微々たるものですが、日本語のカンファレンスを振興でき、ひいては日本の技術立国を支えるかも知れないのです。
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Paris, France
インターネットの普及、グローバル化の進行によって、現在は世界中全ての情報が英語に集まります。理系の研究者では英語の読み書き、会話が出来ないと存在しないと同然に扱われることもあるでしょう。日常生活でも「メンタル面が弱い、もっとポジティブに」とか、「エラーの原因はハードウェアじゃなくてソフトウェアみたい」と言うようにあらゆるところに英語が入り込んでいます。日本では、外来語は少しかっこ良かったり、でもあまりカタカナ言葉を使いすぎると、気取ってると思われることがあったりするぐらいで、大して問題になりません。

しかしフランスでは、政府が英語の浸食からフランス語を守るための前線に立っています。例えば、公式フランス語でソフトウェアはLogiciel(ロジシエル)、ハードウェアはMatériel(マテリエル)です。「ウェブログ」のフランス語訳は「Bloc Notes(ブロック・ノト)」に決定したりとか、ソニーがウォークマンを発売した時に、「Balader=散歩する、ぶらつく」からBaladeur(バラドゥール)という官製語を決定したりしています。どちらにしろフランス人はどちらも知っていることが多いです。どちらを使うのかは人と言葉によると言う状態です。

[書評] フランスの外交力—自主独立の伝統と戦略」の「文化と言葉は、フランス外交にとって、目的であると同時に手段でもあるのである。とりわけ、フランス語は、歴史的に見てもフランス外交にとって重要な武器であった。(P.147)」にあるように、フランスのフランス語の防衛への努力は相当です。フランスの外交力にあるように、自国の言葉を守り、アフリカのフランス語圏を強化し、その他の国にはフランス語教育を受けられる体制を整えています。フランス人が日本語を勉強するとあまりの英語の多さに、日本人は英語による言語侵略に危機感を持たないのかと、ビックリします。言語侵略からの防衛に余念がないフランスと、危機感のない日本ですが、おそらく英語浸食がより進んでいないのは日本だと感じます。

特にフランスの理系研究者は、英語に抵抗がありません。例えば、フランスの権威ある研究組織が毎年出しているフランス語の研究報告書はまったく売れていないそうです。フランスの研究者は、フランス語で書かれている研究報告書は英語の論文の翻訳であり、最先端ではなく、英語で書かれた研究報告書の方がよりよく書けていると認識しているそうです。逆に日本の権威ある研究組織が毎年刊行する研究報告書は飛ぶように売れます。日本人の研究者は英語で書かれた500ページもある研究報告書を読むより、日本の権威ある組織の日本語の報告書を好みます。最先端の研究成果を知るにはフランス人研究者のように英語の報告書を読むことが最も適しているかもしれません。しかし、言語浸食からの観点ではフランスの方がより浸食が進んでしまっていると言えます。

また、理系の研究論文はほとんどが英語で書かれています。日本語やフランス語で書かれた論文は質が低いと見られています。しかし、非英語論文の軽視の程度もフランスではより進んでしまっています。フランス人研究者は英語で論文を書くことに抵抗がなく、どんどん英語の学会で論文を発表します。またそのためかフランス語のカンファレンス(会議)も少ないです。極端に言うとフランス語の論文には価値がないと思っています。

日本では、日本語のカンファレンスがたくさんあり、多くの研究者が研究を発表しています。英語で論文を書いた方が成果としては高く評価されますが、依然として日本語の論文の評価も存在します。僕自身、最近は英語の論文しか書かなくなりましたが、日本人研究者が母国語で研究の議論が出来る日本語のカンファレンスは日本にとっては必要不可欠だと思います。フランスで研究しているうちは難しいかもしれませんが、機会があればまた日本語の論文も書きたいと思うようになりました。そうすることで微々たるものですが、日本語のカンファレンスを振興でき、ひいては日本の技術立国を支えるかも知れないのです。
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日米中三国史―技術と政治経済の55年史 (文春新書)
敗戦直後のアメリカ進駐軍の経済政策から→高度経済成長へ挑戦(日本と中国)→ベトナム戦争と文化大革命→日本の経済大国への道→最近の経済の話と順を追って日本、アメリカ、中国の経済の話を展開している本です。日本、アメリカ、中国の経済の話は、悲観論や楽観論が入り乱れた状態ですが、このように三国がどのような軌跡を辿って今の状況があるのか確認できる良書だったと思います。

ただし、今後の展望に付いての結論は、同意できることが多い反面、2000年に出版されたこともあり少し前提が古く、パンチが無かったと感じました。アメリカ同時多発テロ後のイラク戦争や、サブプライムローンの信用崩壊などの、大きな動きが織り込まれていないのが大きいです。今から本書を読む方は、日々現れる新しい経済ニュースに対し、これまでの三国の歩みを頭に入れた上で、自分の頭で考えることが良いと思います。

最終章から面白かったところを抜粋します。
表7のこの経常収支の黒字は、国際的には評判が悪いのであるが、日本経済としては、それは日本の工業製品の国際競争力を表しており、これこそ日本経済の頼みの綱である。この黒字が赤字になったら、その時は日本経済は本当にがたがたになっており、人心は荒れていることだろう。(P.183)
本書には10年前の1997年までのデータしか載っていないのですが、ウェブで2005年までのデータを見つけました。依然として日本は経常黒字を続けていることが分かります。
アメリカも中国も、国際的にも国内的にも挫折や失敗を重ねて苦しみ、ようやくそれを乗り越えて来たのに対して、日本経済は一九八〇年代の末まで、石油ショック後の二年ほどの不況を除けば、順調に成長して来たと言うことである。大蔵省であれ金融機関であれ、危機管理が下手なのは、それが戦後初めての経験で、危機に対処する制度も人材も欠いていたからではないか。(P. 187)
リーマン・ブラザースの破綻前に、この文章を読んだ時はいったん納得したのですが、果たしてアメリカが危機に対処する制度と人材を豊富にもっているのかは、これから分かることかもしれません。
一九九〇年代の日本の製造業は、戦後最大の曲がり角の時期をよく凌いで来た。それが金融機関の豊富な預金残高をもたらした原因の一つであろう。ところが金融機関の方はその金を不動産投機やデリバティブなどに回し、賭け事に敗れて、すってしまった。そして製造業に対して貸し渋り、なかには黒字倒産する企業も出てくると言うのは、技術系の私などからは、なんとも釈然としない。まじめに働く息子が稼いだ金を父親に預けたところ、親はそれを博打ですって、息子は窮地に陥ったと言う感じである。(P.187)
例えは簡単すぎて、そんなに簡単に言い表せないことかもしれませんが、大まかには的を得ているのかもしれません。僕も技術系の人間なので、お金を転がすことでお金を増やすコンセプトが釈然としません。当初はデリバティブも相場変動によるリスクを回避するために開発されたものなので、存在自体は有用であることは同意できます。相場で努力して利益を得ようとする行為も同意できるのですが、相場師にお金を預けることで何もせずお金を増やせると考えている人が出ることが、問題だと思います。全ての人が何の努力もせずに、お金が増やせるはずがないのですから。
日米中三国史―技術と政治経済の55年史 (文春新書)
星野 芳郎 (著)

第1章 1945年—勝者と敗者の出発
第2章 高度経済成長に挑戦した日本と中国
第3章 ベトナム戦争と文化大革命
第4章 日本—経済大国への道
第5章 日米中—21世紀への世界戦略

戦後55年、日米中三国の政治・経済・技術は、ともに挫折と失敗を繰り返してきた。しかし、ここ十年にわたるアメリカの金融改革や中国の行政改革は、いずれも世界的視野に立っての大胆な改革であった。日本も今こそ、目先の政治や経済の動きにとらわれずに、21世紀への広い展望をもって、この危機を乗り越える世界戦略をねらなければならない。
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日米中三国史―技術と政治経済の55年史 (文春新書)
敗戦直後のアメリカ進駐軍の経済政策から→高度経済成長へ挑戦(日本と中国)→ベトナム戦争と文化大革命→日本の経済大国への道→最近の経済の話と順を追って日本、アメリカ、中国の経済の話を展開している本です。日本、アメリカ、中国の経済の話は、悲観論や楽観論が入り乱れた状態ですが、このように三国がどのような軌跡を辿って今の状況があるのか確認できる良書だったと思います。

ただし、今後の展望に付いての結論は、同意できることが多い反面、2000年に出版されたこともあり少し前提が古く、パンチが無かったと感じました。アメリカ同時多発テロ後のイラク戦争や、サブプライムローンの信用崩壊などの、大きな動きが織り込まれていないのが大きいです。今から本書を読む方は、日々現れる新しい経済ニュースに対し、これまでの三国の歩みを頭に入れた上で、自分の頭で考えることが良いと思います。

最終章から面白かったところを抜粋します。
表7のこの経常収支の黒字は、国際的には評判が悪いのであるが、日本経済としては、それは日本の工業製品の国際競争力を表しており、これこそ日本経済の頼みの綱である。この黒字が赤字になったら、その時は日本経済は本当にがたがたになっており、人心は荒れていることだろう。(P.183)
本書には10年前の1997年までのデータしか載っていないのですが、ウェブで2005年までのデータを見つけました。依然として日本は経常黒字を続けていることが分かります。
アメリカも中国も、国際的にも国内的にも挫折や失敗を重ねて苦しみ、ようやくそれを乗り越えて来たのに対して、日本経済は一九八〇年代の末まで、石油ショック後の二年ほどの不況を除けば、順調に成長して来たと言うことである。大蔵省であれ金融機関であれ、危機管理が下手なのは、それが戦後初めての経験で、危機に対処する制度も人材も欠いていたからではないか。(P. 187)
リーマン・ブラザースの破綻前に、この文章を読んだ時はいったん納得したのですが、果たしてアメリカが危機に対処する制度と人材を豊富にもっているのかは、これから分かることかもしれません。
一九九〇年代の日本の製造業は、戦後最大の曲がり角の時期をよく凌いで来た。それが金融機関の豊富な預金残高をもたらした原因の一つであろう。ところが金融機関の方はその金を不動産投機やデリバティブなどに回し、賭け事に敗れて、すってしまった。そして製造業に対して貸し渋り、なかには黒字倒産する企業も出てくると言うのは、技術系の私などからは、なんとも釈然としない。まじめに働く息子が稼いだ金を父親に預けたところ、親はそれを博打ですって、息子は窮地に陥ったと言う感じである。(P.187)
例えは簡単すぎて、そんなに簡単に言い表せないことかもしれませんが、大まかには的を得ているのかもしれません。僕も技術系の人間なので、お金を転がすことでお金を増やすコンセプトが釈然としません。当初はデリバティブも相場変動によるリスクを回避するために開発されたものなので、存在自体は有用であることは同意できます。相場で努力して利益を得ようとする行為も同意できるのですが、相場師にお金を預けることで何もせずお金を増やせると考えている人が出ることが、問題だと思います。全ての人が何の努力もせずに、お金が増やせるはずがないのですから。
日米中三国史―技術と政治経済の55年史 (文春新書)
星野 芳郎 (著)

第1章 1945年—勝者と敗者の出発
第2章 高度経済成長に挑戦した日本と中国
第3章 ベトナム戦争と文化大革命
第4章 日本—経済大国への道
第5章 日米中—21世紀への世界戦略

戦後55年、日米中三国の政治・経済・技術は、ともに挫折と失敗を繰り返してきた。しかし、ここ十年にわたるアメリカの金融改革や中国の行政改革は、いずれも世界的視野に立っての大胆な改革であった。日本も今こそ、目先の政治や経済の動きにとらわれずに、21世紀への広い展望をもって、この危機を乗り越える世界戦略をねらなければならない。
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このブログでもフランスでのマンガ人気に関するエントリが人気になって来ています。
「20世紀少年」ルーブル美術館で会見、フランスでも大人気!
国民総かっこよさ(Gross National Cool)とは
日本はロボットとマンガの国である(Le Japon)

フランスでのマンガ人気はフランス在住の僕としては、日々ひしひしと感じているところですが、日本のテレビ番組でも紹介されることが多くなって来ているようです。2008年7月14日に放送された「Japan expo in Paris」の特集です。

「フランスの漫画ブーム2008」Japanese manga in France 2008


フランス人に受け入れられた理由とは?

一番分かりやすいのはフランスの『B.D.』と比べることです。『B.D.』はストーリーも絵も大人向けのマンガなんです。マンガは『B.D.』よりもキャラクターの感情表現が豊かで、アクションも素晴らしい。だからフランスの若者に支持されているのではないでしょうか?
これは納得です。複数のフランス人のマンガファンから聞いたフランスで今一番人気があるバンド・デシネ(B.D.)は、『LA CASTE DES META-BARONS(メタバロンのカースト制度)』だそうです。ですが、未だに試し読み出来てません。絵からして興味が湧かないんですよね。機会があったら試したいとは思っているのですが。フランス人には、やはりこのバンド・デシネが好きな人が多いです。

本ブログのエントリ「「20世紀少年」ルーブル美術館で会見、フランスでも大人気!」で触れたフランスでの映画公開に付いても放送があったようです。後半は映画の宣伝のようになっていますが、フランスでの取材の部分は面白いです。

「20世紀少年」日本漫画 in フランス [20th century boys] & japanese manga in France

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このブログでもフランスでのマンガ人気に関するエントリが人気になって来ています。
「20世紀少年」ルーブル美術館で会見、フランスでも大人気!
国民総かっこよさ(Gross National Cool)とは
日本はロボットとマンガの国である(Le Japon)

フランスでのマンガ人気はフランス在住の僕としては、日々ひしひしと感じているところですが、日本のテレビ番組でも紹介されることが多くなって来ているようです。2008年7月14日に放送された「Japan expo in Paris」の特集です。

「フランスの漫画ブーム2008」Japanese manga in France 2008


フランス人に受け入れられた理由とは?

一番分かりやすいのはフランスの『B.D.』と比べることです。『B.D.』はストーリーも絵も大人向けのマンガなんです。マンガは『B.D.』よりもキャラクターの感情表現が豊かで、アクションも素晴らしい。だからフランスの若者に支持されているのではないでしょうか?
これは納得です。複数のフランス人のマンガファンから聞いたフランスで今一番人気があるバンド・デシネ(B.D.)は、『LA CASTE DES META-BARONS(メタバロンのカースト制度)』だそうです。ですが、未だに試し読み出来てません。絵からして興味が湧かないんですよね。機会があったら試したいとは思っているのですが。フランス人には、やはりこのバンド・デシネが好きな人が多いです。

本ブログのエントリ「「20世紀少年」ルーブル美術館で会見、フランスでも大人気!」で触れたフランスでの映画公開に付いても放送があったようです。後半は映画の宣伝のようになっていますが、フランスでの取材の部分は面白いです。

「20世紀少年」日本漫画 in フランス [20th century boys] & japanese manga in France

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Paris, France
「日本人てNOって言わないよね〜」と言われます。僕自身がそう思われているのか、テレビとかでそう紹介されてたかは知りませんが、なぜか何度か言われたことです。まあ、特に間違っている訳ではないかもしれませんが。面と向かってNOと言える日本人は少ないかもしれません。じゃ答えがNOの場合はどうやって伝えるかと言う話になりました。こういった時には、「簡単だよ。『YES......,でも...』と言うとNOの意味になるから。」と答えています。正確には、こう言うと否定的なニュアンスを伝えることが出来ると、説明するべきかもしれませんが。

フランス人はNOはNOで、YESはYESだから、簡単だと自慢していたのですが、実は少し意味のあいまいな『Pourqoi pas?(なぜNOと答えなければならないの?)』という表現があります。英語で言うと、『Why not?』の表現です。これは、YESとNOの中間に位置しています。たいていは、YESより肯定する度合いの低い、肯定的な意味で使われるのですが、その範囲はかなり広いと思われます。

例えば、顔を曇らせて、「Pourqui pas....」とつぶやくように言えば、「NOという理由は無いけど...」と否定的なニュアンスを伝えられます。また反対に、パーティーのお誘いなど予想外の提案などに、顔を輝かせて「Pourqui pas!」と言えば、想定していたよりもっと肯定的な良い「否定する理由があるワケない!」というようなニュアンスになります。下に表にしてみました。上に行くほど肯定度合いが強く、下に行くほど否定度合いが強くなっています。

フランス語肯定度合い
日本語
驚きの『Pourqui pas!?』
強い肯定
否定するワケないでしょ!
OUI
肯定
はい
標準の『Pourqui pas?』
やや肯定
なぜ否定する理由があるの?
------------------------
中立
------------------------------
否定的『Pourqui pas....』
やや否定
否定する理由は無いけど.....
NON
否定
いいえ

フランス人はフランス語は論理的な言語だと誇りますが、当然ニュアンスを伝えるところでは、表情や声質、身振りや視線と言った要素が意図を伝える割合が大きくなります。

もう一つフランス語の特徴的な表現として、良い(=Bien)と悪い(=Mal)を使う表現が挙げられます。これは、フランス語を母国並みにしゃべる留学生に教えて貰ったのですが、「良い」と言う場面で「悪くない(Pas mal)」というと途端にフランス語っぽい表現になるのです。たしかに、「これ良いね(C'est bien)」より「これは悪くない(C'est pas mal)」の方がフランス人っぽいのです。ひねくれ者と言うか、全面的に賛成するのを拒んでいるかのようです。もしくは少しは批判的精神をもたないと頭が悪いと思われると思っているのかもしれません。とにかく、NOと言わない日本人と『良い』と言わないフランス人は対極にいるかのようです。
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Paris, France
「日本人てNOって言わないよね〜」と言われます。僕自身がそう思われているのか、テレビとかでそう紹介されてたかは知りませんが、なぜか何度か言われたことです。まあ、特に間違っている訳ではないかもしれませんが。面と向かってNOと言える日本人は少ないかもしれません。じゃ答えがNOの場合はどうやって伝えるかと言う話になりました。こういった時には、「簡単だよ。『YES......,でも...』と言うとNOの意味になるから。」と答えています。正確には、こう言うと否定的なニュアンスを伝えることが出来ると、説明するべきかもしれませんが。

フランス人はNOはNOで、YESはYESだから、簡単だと自慢していたのですが、実は少し意味のあいまいな『Pourqoi pas?(なぜNOと答えなければならないの?)』という表現があります。英語で言うと、『Why not?』の表現です。これは、YESとNOの中間に位置しています。たいていは、YESより肯定する度合いの低い、肯定的な意味で使われるのですが、その範囲はかなり広いと思われます。

例えば、顔を曇らせて、「Pourqui pas....」とつぶやくように言えば、「NOという理由は無いけど...」と否定的なニュアンスを伝えられます。また反対に、パーティーのお誘いなど予想外の提案などに、顔を輝かせて「Pourqui pas!」と言えば、想定していたよりもっと肯定的な良い「否定する理由があるワケない!」というようなニュアンスになります。下に表にしてみました。上に行くほど肯定度合いが強く、下に行くほど否定度合いが強くなっています。

フランス語肯定度合い
日本語
驚きの『Pourqui pas!?』
強い肯定
否定するワケないでしょ!
OUI
肯定
はい
標準の『Pourqui pas?』
やや肯定
なぜ否定する理由があるの?
------------------------
中立
------------------------------
否定的『Pourqui pas....』
やや否定
否定する理由は無いけど.....
NON
否定
いいえ

フランス人はフランス語は論理的な言語だと誇りますが、当然ニュアンスを伝えるところでは、表情や声質、身振りや視線と言った要素が意図を伝える割合が大きくなります。

もう一つフランス語の特徴的な表現として、良い(=Bien)と悪い(=Mal)を使う表現が挙げられます。これは、フランス語を母国並みにしゃべる留学生に教えて貰ったのですが、「良い」と言う場面で「悪くない(Pas mal)」というと途端にフランス語っぽい表現になるのです。たしかに、「これ良いね(C'est bien)」より「これは悪くない(C'est pas mal)」の方がフランス人っぽいのです。ひねくれ者と言うか、全面的に賛成するのを拒んでいるかのようです。もしくは少しは批判的精神をもたないと頭が悪いと思われると思っているのかもしれません。とにかく、NOと言わない日本人と『良い』と言わないフランス人は対極にいるかのようです。
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Mont-Saint-Michel, France
仏語本「Le Japon 固定観念」の導入部分で、「日本とその鏡」とタイトルづけられた章について紹介します。
日本人はまさしく固定観念とコミュニケーションの二つの分野でチャンピオンである、内容と同様に容器も:マルチディア、翻訳、本、映画、漫画、カメラ、テープレコーダー、ビデオデッキ、DVD、その他の媒体、その他の発明。同じ論理で、日本人はレッテル貼りの達人である。彼らは分類し、番号付け、整理することが大好きである。時計の分野(つまり理想的な時間空間の番号付け)でのランキング首位においてスイスを追い落としたのは、偶然ではない。
Les Japonais sont précisément les champions dans les deux domaines, les idées reçues et la communication, tant dans le contenu que dans le contenant: multimédia, traductions, livres, films, manga, appareils photo, magnétophones, magnétoscopes, DVD, autres vecteurs et autres inventions. Dans la même logique, ce sont des experts de l'étiquetage. Ils adorent classer, numéroter, ranger. Ce n'est pas un hasard s'ils ont détrôné les Helvètes au Premier rang de l'horlogerie, numérotation idéale de l'espace-tamps! (P.9)
日本人は整理整頓がきちんとしていると言うのは、フランス人に言われたことがありました。僕自身はこの特徴から大きく外れているので不思議がられたのですが... この文章では、精密機械である時計の分野での成功を例にとって日本人の整理付けの理由付けをしています。時計作りが上手いから整理も上手いと言う論理は無理がある気がしますが、そのようなイメージを持つ外国人がいるのもなんとなく分かる気がします。

次の文章はもっと、思い当たる節があります。
ステレオタイプの専門家、日本人は彼ら自身のステレオタイプを数多く作り出す。「ニッポロジー」(ニホンジンロン)、文字通りの「日本らしさ概論」は強力なコントラスト(対照)と単純化でもって、一般的に西洋や、中国などの他の国から日本を区別する全てについての日本の個性を解剖する。
Spécialistes des stéréotypes, les Japonais en produisent beaucoup sur eux-mêmes. Les « nippologies » (Nihonjinron), véritable « traités de japonité », dissèquent avec force contrastes et simplifications l'idiosyncrasie nippone: tout ce qui peut distinguer le Japon des autres pays, en général l'Occident, parfois la Chine. (P.10)
日本人は日本人論が好き。これは思い当たります。そもそも、仏語本「Le Japon 固定観念」の各エントリをまとめている行為がそれを証明しています。日本を他の国から区別する要素を知りたいという動機に加えて、フランス人の日本人観についても知りたいという動機があります。この本を買った時にフランス人と一緒にいたのですが、この本は日本を知らない人の入門書だから、知っている人が読んでも面白くないよと言っていました。彼の予想と反し、僕にとってはこの本は興味深いです。
単に日本人論だけに帰す訳ではなく風刺的な帰結でもある、この区別の崇拝の主要な結果、それは、日本人自身によって運搬され、外国の観察者によって溶け込こんだ「他の人々とは本当に違う日本人」というイメージである。
La principale conséquence de ce culte de la différenciation, qui ne date pas des seuls Nohonjinron bien que celles-ci en soient l'aboutissement caricatural, c'est l'image des « Japonais vraiment différents des autres peuples », véhiculée par les Japonais eux-mêmes et intégrée par les observateurs étrangers. (P.11)
日本は他の国と大きく違うというイメージはフランスでも一般的だと思いますが、そのイメージは日本人自身が作り出して運搬している面があると見抜いています。日本人が外国でどのように見られているか紹介される記事はよく見かけますが(例えばこのエントリとか)、実は日本人が作り出した日本人論が外国に波及する場合があるということです。外国での日本人観は、他でもない日本人自身が作り出したものであるかも知れないということです。
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Mont-Saint-Michel, France
仏語本「Le Japon 固定観念」の導入部分で、「日本とその鏡」とタイトルづけられた章について紹介します。
日本人はまさしく固定観念とコミュニケーションの二つの分野でチャンピオンである、内容と同様に容器も:マルチディア、翻訳、本、映画、漫画、カメラ、テープレコーダー、ビデオデッキ、DVD、その他の媒体、その他の発明。同じ論理で、日本人はレッテル貼りの達人である。彼らは分類し、番号付け、整理することが大好きである。時計の分野(つまり理想的な時間空間の番号付け)でのランキング首位においてスイスを追い落としたのは、偶然ではない。
Les Japonais sont précisément les champions dans les deux domaines, les idées reçues et la communication, tant dans le contenu que dans le contenant: multimédia, traductions, livres, films, manga, appareils photo, magnétophones, magnétoscopes, DVD, autres vecteurs et autres inventions. Dans la même logique, ce sont des experts de l'étiquetage. Ils adorent classer, numéroter, ranger. Ce n'est pas un hasard s'ils ont détrôné les Helvètes au Premier rang de l'horlogerie, numérotation idéale de l'espace-tamps! (P.9)
日本人は整理整頓がきちんとしていると言うのは、フランス人に言われたことがありました。僕自身はこの特徴から大きく外れているので不思議がられたのですが... この文章では、精密機械である時計の分野での成功を例にとって日本人の整理付けの理由付けをしています。時計作りが上手いから整理も上手いと言う論理は無理がある気がしますが、そのようなイメージを持つ外国人がいるのもなんとなく分かる気がします。

次の文章はもっと、思い当たる節があります。
ステレオタイプの専門家、日本人は彼ら自身のステレオタイプを数多く作り出す。「ニッポロジー」(ニホンジンロン)、文字通りの「日本らしさ概論」は強力なコントラスト(対照)と単純化でもって、一般的に西洋や、中国などの他の国から日本を区別する全てについての日本の個性を解剖する。
Spécialistes des stéréotypes, les Japonais en produisent beaucoup sur eux-mêmes. Les « nippologies » (Nihonjinron), véritable « traités de japonité », dissèquent avec force contrastes et simplifications l'idiosyncrasie nippone: tout ce qui peut distinguer le Japon des autres pays, en général l'Occident, parfois la Chine. (P.10)
日本人は日本人論が好き。これは思い当たります。そもそも、仏語本「Le Japon 固定観念」の各エントリをまとめている行為がそれを証明しています。日本を他の国から区別する要素を知りたいという動機に加えて、フランス人の日本人観についても知りたいという動機があります。この本を買った時にフランス人と一緒にいたのですが、この本は日本を知らない人の入門書だから、知っている人が読んでも面白くないよと言っていました。彼の予想と反し、僕にとってはこの本は興味深いです。
単に日本人論だけに帰す訳ではなく風刺的な帰結でもある、この区別の崇拝の主要な結果、それは、日本人自身によって運搬され、外国の観察者によって溶け込こんだ「他の人々とは本当に違う日本人」というイメージである。
La principale conséquence de ce culte de la différenciation, qui ne date pas des seuls Nohonjinron bien que celles-ci en soient l'aboutissement caricatural, c'est l'image des « Japonais vraiment différents des autres peuples », véhiculée par les Japonais eux-mêmes et intégrée par les observateurs étrangers. (P.11)
日本は他の国と大きく違うというイメージはフランスでも一般的だと思いますが、そのイメージは日本人自身が作り出して運搬している面があると見抜いています。日本人が外国でどのように見られているか紹介される記事はよく見かけますが(例えばこのエントリとか)、実は日本人が作り出した日本人論が外国に波及する場合があるということです。外国での日本人観は、他でもない日本人自身が作り出したものであるかも知れないということです。
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Paris, France
仏語本「Le Japon 固定観念」の「日本はしょっちゅう自然災害を被っている」という固定観念に関する章を読んでみました。この章は、日本の天災について書かれるところから始まります。日本に住んでいるとあまり気にならない気がしますが、このように列挙されるとこんなに天災があったのかと驚きます。
その天災は確かに様々で破壊的である:まず始めに地震、しかしまた津波、火山の噴火、台風、洪水、落盤、地滑り、南では豪雨、日本海側には多量の積雪...
Les aléas naturels y sont en effet variés et destructeurs : séisme en premier lieu, mais aussi tsunami, volcanisme actif, typhons, inondations, éboulements et glissements de terrain, déluges sud, coups de froid au nord, abondantes chutes de neige sur le littoral de la mer du Japon... (P.45)
ケインズ経済学で言われているように、建物が天災によって定期的に立て替えが行われることによって、建設業者やコンクリート業者が発達するそうです。フランスのように石の建物が何百年も残っているのと比べると確かにお金の流れが加速される傾向があるでしょう。

この後、大昔の木造建築もヘビのダンス« danse du serpent » のように地震の衝撃を逃す、免震構造になっていることが説明されてました。関東大震災、阪神大震災、濃尾平野の水害、浅間山噴火、天明の大飢饉と大規模な天災が説明されています。これだけ聞くと日本は危険な国のように感じてきます...

壊滅的な打撃から、戦後の復興を遂げた日本は、「日本の奇跡」という当時伝えられた言説を強化する働きをしたそうです。
戦後間もなくの日本は、爆撃で打撃を与えられ、敗戦の傷跡が残っていた、破壊され、設備不足であった上、この期間のうちにさらに不測の事態に見舞われた。 ...(略)... 敗戦後に続き、彼らは無意識に懲罰のように生活していた。反対に、同時にそれらは全ての分野において、日本の人々に気合いを入れて仕事に取りかかり、生活を立て直し、そこから抜け出す動機を与えていた。西洋の想像力に強烈な印象を与えることで、それらは、この時期から詳しく広まった« 日本の奇跡 »の言説を正当化するために、一致した。
Le Japon de l'immédiat après-guerre, frappé par les bombardements et marqué par la défaite, désorganisé et sous-équipé, subit avec beaucoup plus de dureté les aléas survenus à cette époque...(略)... Survenant après défaite, ils étaient inconsciemment vécus comme une punition tandis que, simultanément, ils fournissaient un motif au peuple japonais pour retrousser les manches, dans tous les domaines, redresser la tête et s'en sortir. Frappant les imaginations occidentales, ils coïncidaient pour légitimer le discours sur «miracle japonais » qui fut amplement propagé à partir de cette période. (P.48)
最後は以下のように、終わっています。緊急事態での日本人の行動から、日本社会を規律正しく団体行動主義に見えると結論づけています。この本はだいたい最後は、少し批判めいて終わる気がするので、団体行動主義« groupiste »も褒め言葉ではないような気がします。
彼らの冷静さと緊急措置の配慮は、規律正しく団体行動主義の日本社会のイメージをさらに強化する。
Leur sang froid et leur respect des mesures d'urgence confortent d'ailleurs l'mage d'une société japonaise disciplinée et « groupiste ». (P.49)
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Paris, France
仏語本「Le Japon 固定観念」の「日本はしょっちゅう自然災害を被っている」という固定観念に関する章を読んでみました。この章は、日本の天災について書かれるところから始まります。日本に住んでいるとあまり気にならない気がしますが、このように列挙されるとこんなに天災があったのかと驚きます。
その天災は確かに様々で破壊的である:まず始めに地震、しかしまた津波、火山の噴火、台風、洪水、落盤、地滑り、南では豪雨、日本海側には多量の積雪...
Les aléas naturels y sont en effet variés et destructeurs : séisme en premier lieu, mais aussi tsunami, volcanisme actif, typhons, inondations, éboulements et glissements de terrain, déluges sud, coups de froid au nord, abondantes chutes de neige sur le littoral de la mer du Japon... (P.45)
ケインズ経済学で言われているように、建物が天災によって定期的に立て替えが行われることによって、建設業者やコンクリート業者が発達するそうです。フランスのように石の建物が何百年も残っているのと比べると確かにお金の流れが加速される傾向があるでしょう。

この後、大昔の木造建築もヘビのダンス« danse du serpent » のように地震の衝撃を逃す、免震構造になっていることが説明されてました。関東大震災、阪神大震災、濃尾平野の水害、浅間山噴火、天明の大飢饉と大規模な天災が説明されています。これだけ聞くと日本は危険な国のように感じてきます...

壊滅的な打撃から、戦後の復興を遂げた日本は、「日本の奇跡」という当時伝えられた言説を強化する働きをしたそうです。
戦後間もなくの日本は、爆撃で打撃を与えられ、敗戦の傷跡が残っていた、破壊され、設備不足であった上、この期間のうちにさらに不測の事態に見舞われた。 ...(略)... 敗戦後に続き、彼らは無意識に懲罰のように生活していた。反対に、同時にそれらは全ての分野において、日本の人々に気合いを入れて仕事に取りかかり、生活を立て直し、そこから抜け出す動機を与えていた。西洋の想像力に強烈な印象を与えることで、それらは、この時期から詳しく広まった« 日本の奇跡 »の言説を正当化するために、一致した。
Le Japon de l'immédiat après-guerre, frappé par les bombardements et marqué par la défaite, désorganisé et sous-équipé, subit avec beaucoup plus de dureté les aléas survenus à cette époque...(略)... Survenant après défaite, ils étaient inconsciemment vécus comme une punition tandis que, simultanément, ils fournissaient un motif au peuple japonais pour retrousser les manches, dans tous les domaines, redresser la tête et s'en sortir. Frappant les imaginations occidentales, ils coïncidaient pour légitimer le discours sur «miracle japonais » qui fut amplement propagé à partir de cette période. (P.48)
最後は以下のように、終わっています。緊急事態での日本人の行動から、日本社会を規律正しく団体行動主義に見えると結論づけています。この本はだいたい最後は、少し批判めいて終わる気がするので、団体行動主義« groupiste »も褒め言葉ではないような気がします。
彼らの冷静さと緊急措置の配慮は、規律正しく団体行動主義の日本社会のイメージをさらに強化する。
Leur sang froid et leur respect des mesures d'urgence confortent d'ailleurs l'mage d'une société japonaise disciplinée et « groupiste ». (P.49)
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Paris, France
このブログには「フランス人は〜〜」とか「日本人は〜〜」とかいろいろなレッテル貼りが出てくるので、レッテル貼りについての意見を書いておこうと思います。

まず、はてなキーワードの「レッテル貼りとは」によると、「人・ものを「××だ」と決めつけること。人や事物を大まかにカテゴリー分類すること。特に政治的・思想的な分類に対して批判的に言及する際に用いられる。」と書かれています。大まかに言うと、「レッテル貼りをするな」とか、「レッテル貼りは思考停止」とか言うように、否定的な意味合いで使われます。オタクは犯罪者予備軍とか、右翼は軍国主義者とかいったレッテルで攻撃するときにも使われるので、否定的な印象は理解できます。

しかし、レッテル貼りなしでは人はものを考えられません。国籍、人種、宗教、性別、年齢...無限に複雑な個人の特徴を全て考えて思考することは不可能です。たとえば、富士山の形を考えた場合、円錐(えんすい)の尖った部分を切り取ったような形というように、富士山の特徴を近似して認識することで、人は形を認識します。無限にデコボコな表面に思いいたすと思考は次に進まないことは明白です。同じように、人の集団もレッテルによって特徴を近似して考えないことには、思考が進みません。無限に個性のある個人について考えることは出来ないのです。

「レッテル貼りは思考停止」と言うのは、レッテル貼りの否定的な面を表すと共に、肯定的な面を捉えています。レッテルを貼って物事を近似し、無限の個性について思考停止することで、他の思考を進めることが出来るのです。前もって与えられる近似をレッテルと考えると、人の思考にはレッテル貼りが不可欠で、レッテル貼りを排除することは不可能であるといえます。皮肉なことに「レッテル貼り」に貼られた否定的なレッテルは中身の特徴を上手く捉えられていない気がします。

レッテル貼りの否定的な面は、貼ったレッテルが中身と違う場合に、判断を間違えるという点にあります。これを防ぐには、中身を正しく近似するようにレッテルを貼ることや、レッテルを過信せず常にレッテルが中身を正しく近似しているか確認するといった対策をとるべきで、レッテル貼りをしないという解決方法はありえません。貼るレッテルを熟慮すると長い思考時間がかかりますが、判断を間違える時間は減ります。貼るレッテルを精査しないと短時間で判断が下せる代わりに、判断を間違える可能性が増えます。バランスを考えながら、レッテルを貼るように心がけたいです。

近似度(レッテル貼り)大まかに
詳細に
近似にかかる思考時間
短い
長い
判断を間違える可能性
高い
低い
Read More ...

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Paris, France
このブログには「フランス人は〜〜」とか「日本人は〜〜」とかいろいろなレッテル貼りが出てくるので、レッテル貼りについての意見を書いておこうと思います。

まず、はてなキーワードの「レッテル貼りとは」によると、「人・ものを「××だ」と決めつけること。人や事物を大まかにカテゴリー分類すること。特に政治的・思想的な分類に対して批判的に言及する際に用いられる。」と書かれています。大まかに言うと、「レッテル貼りをするな」とか、「レッテル貼りは思考停止」とか言うように、否定的な意味合いで使われます。オタクは犯罪者予備軍とか、右翼は軍国主義者とかいったレッテルで攻撃するときにも使われるので、否定的な印象は理解できます。

しかし、レッテル貼りなしでは人はものを考えられません。国籍、人種、宗教、性別、年齢...無限に複雑な個人の特徴を全て考えて思考することは不可能です。たとえば、富士山の形を考えた場合、円錐(えんすい)の尖った部分を切り取ったような形というように、富士山の特徴を近似して認識することで、人は形を認識します。無限にデコボコな表面に思いいたすと思考は次に進まないことは明白です。同じように、人の集団もレッテルによって特徴を近似して考えないことには、思考が進みません。無限に個性のある個人について考えることは出来ないのです。

「レッテル貼りは思考停止」と言うのは、レッテル貼りの否定的な面を表すと共に、肯定的な面を捉えています。レッテルを貼って物事を近似し、無限の個性について思考停止することで、他の思考を進めることが出来るのです。前もって与えられる近似をレッテルと考えると、人の思考にはレッテル貼りが不可欠で、レッテル貼りを排除することは不可能であるといえます。皮肉なことに「レッテル貼り」に貼られた否定的なレッテルは中身の特徴を上手く捉えられていない気がします。

レッテル貼りの否定的な面は、貼ったレッテルが中身と違う場合に、判断を間違えるという点にあります。これを防ぐには、中身を正しく近似するようにレッテルを貼ることや、レッテルを過信せず常にレッテルが中身を正しく近似しているか確認するといった対策をとるべきで、レッテル貼りをしないという解決方法はありえません。貼るレッテルを熟慮すると長い思考時間がかかりますが、判断を間違える時間は減ります。貼るレッテルを精査しないと短時間で判断が下せる代わりに、判断を間違える可能性が増えます。バランスを考えながら、レッテルを貼るように心がけたいです。

近似度(レッテル貼り)大まかに
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近似にかかる思考時間
短い
長い
判断を間違える可能性
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Paris, France
[書評] 夜這いの民俗学・夜這いの性愛論のエントリを書いたついでに、日本文化+エロネタについて少し書きたいと思います。

日本で会った日本滞在3年間のフランス人がフランスに帰る時に欲しがった日本のお土産は、なんとタヌキの置物でした。何故そんなモノが欲しいんだよって聞いたら、「股の間にある二つのボールが超キュートだからさ〜。ぜひとも部屋に飾っておきたい」と言っていました。股の間に通常は描くことがアリエナイものが付いていても、日本文化的な無邪気なものだと許されると考えているのかも知れません。もしくは、フランスに帰ってから、このタヌキは日本にはどんな旅館にも必ず置いてある置物なので、エロじゃないと言い訳するつもりなのかも知れません。

この種の芸術とエロの境目辺りは、フランス人も猛烈に興味を持つので(どこの国でも同じだと思いますが)、知っておくと良いと思います。[書評] 夜這いの民俗学でも少し書きましたが混浴温泉も日本の文化でエロではなく、タヌキの金玉はちょっと可笑しいけど日本文化を知ることは知的な営みでエロじゃない、芸術はエロじゃない、ということを踏まえると日本文化の多少のエロは許容されると考えられます。

ということで、いつかフランス人に春画を紹介したいなと思っているのですが、ちょっとエロと芸術の境目を超えそうで、勇気を持ててません。これを紹介するにはそれ相当の場面作りが要求されます。ちなみにこのエントリで出て来たフランス人は全員男です。

[書評] 夜這いの民俗学では「民俗学は、人類学とならんで、しばしば「来た、見た、書いた」と言われるように、その場にいたものが勝ち、知らないものは口が挟めないという側面がある。(P.319)」と書かれています。民俗学では実在していたことを証明する資料が欠けていることが多いです。しかし春画はそのまま残っているので、間違いなくこういう文化が存在したと後世の人も理解できるもので興味深いです。

春画:江戸時代的18禁です。いわゆるエロと芸術の境目だと思います。クリックする時は周りに気をつけましょう。
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Paris, France
[書評] 夜這いの民俗学・夜這いの性愛論のエントリを書いたついでに、日本文化+エロネタについて少し書きたいと思います。

日本で会った日本滞在3年間のフランス人がフランスに帰る時に欲しがった日本のお土産は、なんとタヌキの置物でした。何故そんなモノが欲しいんだよって聞いたら、「股の間にある二つのボールが超キュートだからさ〜。ぜひとも部屋に飾っておきたい」と言っていました。股の間に通常は描くことがアリエナイものが付いていても、日本文化的な無邪気なものだと許されると考えているのかも知れません。もしくは、フランスに帰ってから、このタヌキは日本にはどんな旅館にも必ず置いてある置物なので、エロじゃないと言い訳するつもりなのかも知れません。

この種の芸術とエロの境目辺りは、フランス人も猛烈に興味を持つので(どこの国でも同じだと思いますが)、知っておくと良いと思います。[書評] 夜這いの民俗学でも少し書きましたが混浴温泉も日本の文化でエロではなく、タヌキの金玉はちょっと可笑しいけど日本文化を知ることは知的な営みでエロじゃない、芸術はエロじゃない、ということを踏まえると日本文化の多少のエロは許容されると考えられます。

ということで、いつかフランス人に春画を紹介したいなと思っているのですが、ちょっとエロと芸術の境目を超えそうで、勇気を持ててません。これを紹介するにはそれ相当の場面作りが要求されます。ちなみにこのエントリで出て来たフランス人は全員男です。

[書評] 夜這いの民俗学では「民俗学は、人類学とならんで、しばしば「来た、見た、書いた」と言われるように、その場にいたものが勝ち、知らないものは口が挟めないという側面がある。(P.319)」と書かれています。民俗学では実在していたことを証明する資料が欠けていることが多いです。しかし春画はそのまま残っているので、間違いなくこういう文化が存在したと後世の人も理解できるもので興味深いです。

春画:江戸時代的18禁です。いわゆるエロと芸術の境目だと思います。クリックする時は周りに気をつけましょう。
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夜這いの民俗学・夜這いの性愛論
夜這いについての赤松氏の解説本でした。
ざっと紹介したように夜這いは、戦前まで、一部では戦後しばらくまで、一般的に行われていた現実であり、実に多種多様な営みであったが、このような重要な民俗資料を、日本の民俗学者のほとんどは無視し続けて来た。(P.33)
日本の昔の性はもっとおおらかなものだったというような解説でした。

日本通のフランス人は日本の温泉で混浴のものがあることを知っていて、昔の日本は裸の男女が同時に風呂に入っても間違いが起こらなかったんだね、と言っていました。確かにそうだったのかも知れません。また、同じフランス人は、なのに今の日本には電車で痴漢の問題で男女別の車両があるなんて、すごい変わりようだね、とも言ってました。男女別の車両はなぜかフランス人に知られているらしく、何度か真実かどうか確かめられたことがありました。

ただ、本書は赤松氏の口伝えなので、真偽が定かでないような印象を受けました。資料や出典と言うのはまったくありません。性に関わる文化は隠されることが多く、外部のものが調査に行っても正しく答えを聞けない部分があるそうです。
私の報告を読んで調査に行った民俗学のバカモンが、あのへんでいろいろ調べたが、「そんなこと知りまへんという人ばっかりや。赤松め、ウソ書いている」と評判しているそうだが、これこそほんまのドアホだ。昔の村では、大字(おおあざ)やカイトですら、もう民俗、慣習が違うし、隣の村の人間でも警戒する。民俗学者などといえば、恐れおののいて「ハイ、さようでございます」というのにきまっているだろう。(P.122)
たしかに赤松氏の言うことは一理あります。普通は性に関することは他人には隠す人が多いでしょう。巻末に収録されている上野地鶴子(社会学者)の解説にも、同様の疑問が提示されていました。
民俗学は、人類学とならんで、しばしば「来た、見た、書いた」と言われるように、その場にいたものが勝ち、知らないものは口が挟めないという側面がある。(P.319)
赤松さんは「語り部」である、と書いた。語りは騙りでもある。こんな話なら、いっそ騙られてもかまわない、と思わせる魅力を、かれの語りは持っていた。(P.326)
こうなると、実際どうだったかということは、想像するしかない領域になってしまいます。本書には、下の書評にもある「柿の木問答」など面白いしきたりが紹介されています。現在の性に関するしきたりも絶対的なものではなく、100年もしない近年に作られたものであるということを想像するために、今とだいぶ違うおおらかな性の文化を知ることも面白いと思いました。
触発されて、もう一つ日本の民俗に関するエントリを書いてみました。
→『日本文化エロネタに対するフランス人の反応
夜這いの民俗学・夜這いの性愛論
赤松 啓介 (著)

『夜這いの民俗学』
  • (夜這いの民俗学
夜這いの性教育
(ムラの仲間組織
子供の遊びと性
現役兵としての仲間組織 ほか))

『夜這いの性愛論』
  • ムラの性愛論
(マツリとムラの性
農作業と性民俗
筆下し、水揚げ ほか)

  • マチの性愛論
(場末の性生活
マチの夜這い習俗
口入屋のしくみ ほか))

筆下し、水揚げ、若衆入り、夜這い…。ムラであれマチであれ、伝統的日本社会は性に対し実におおらかで、筒抜けで、公明正大であった。日本民俗学の父・柳 田国男は“常民の民俗学”を樹ち立てたが、赤松は、「性とやくざと天皇」を対象としない柳田を批判し、“非常民の民俗学”を構築し、柳田が切り捨ててきた 性民俗や性生活の実像を庶民のあいだに分け入り生き生きとした語り口調で記録した。『夜這いの民俗学』『夜這いの性愛論』の二冊を合本した本書は、性民俗 の偉大なフィールド・ワーカー赤松啓介のかけがえのない足跡を伝える。
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夜這いの民俗学・夜這いの性愛論
夜這いについての赤松氏の解説本でした。
ざっと紹介したように夜這いは、戦前まで、一部では戦後しばらくまで、一般的に行われていた現実であり、実に多種多様な営みであったが、このような重要な民俗資料を、日本の民俗学者のほとんどは無視し続けて来た。(P.33)
日本の昔の性はもっとおおらかなものだったというような解説でした。

日本通のフランス人は日本の温泉で混浴のものがあることを知っていて、昔の日本は裸の男女が同時に風呂に入っても間違いが起こらなかったんだね、と言っていました。確かにそうだったのかも知れません。また、同じフランス人は、なのに今の日本には電車で痴漢の問題で男女別の車両があるなんて、すごい変わりようだね、とも言ってました。男女別の車両はなぜかフランス人に知られているらしく、何度か真実かどうか確かめられたことがありました。

ただ、本書は赤松氏の口伝えなので、真偽が定かでないような印象を受けました。資料や出典と言うのはまったくありません。性に関わる文化は隠されることが多く、外部のものが調査に行っても正しく答えを聞けない部分があるそうです。
私の報告を読んで調査に行った民俗学のバカモンが、あのへんでいろいろ調べたが、「そんなこと知りまへんという人ばっかりや。赤松め、ウソ書いている」と評判しているそうだが、これこそほんまのドアホだ。昔の村では、大字(おおあざ)やカイトですら、もう民俗、慣習が違うし、隣の村の人間でも警戒する。民俗学者などといえば、恐れおののいて「ハイ、さようでございます」というのにきまっているだろう。(P.122)
たしかに赤松氏の言うことは一理あります。普通は性に関することは他人には隠す人が多いでしょう。巻末に収録されている上野地鶴子(社会学者)の解説にも、同様の疑問が提示されていました。
民俗学は、人類学とならんで、しばしば「来た、見た、書いた」と言われるように、その場にいたものが勝ち、知らないものは口が挟めないという側面がある。(P.319)
赤松さんは「語り部」である、と書いた。語りは騙りでもある。こんな話なら、いっそ騙られてもかまわない、と思わせる魅力を、かれの語りは持っていた。(P.326)
こうなると、実際どうだったかということは、想像するしかない領域になってしまいます。本書には、下の書評にもある「柿の木問答」など面白いしきたりが紹介されています。現在の性に関するしきたりも絶対的なものではなく、100年もしない近年に作られたものであるということを想像するために、今とだいぶ違うおおらかな性の文化を知ることも面白いと思いました。
触発されて、もう一つ日本の民俗に関するエントリを書いてみました。
→『日本文化エロネタに対するフランス人の反応
夜這いの民俗学・夜這いの性愛論
赤松 啓介 (著)

『夜這いの民俗学』
  • (夜這いの民俗学
夜這いの性教育
(ムラの仲間組織
子供の遊びと性
現役兵としての仲間組織 ほか))

『夜這いの性愛論』
  • ムラの性愛論
(マツリとムラの性
農作業と性民俗
筆下し、水揚げ ほか)

  • マチの性愛論
(場末の性生活
マチの夜這い習俗
口入屋のしくみ ほか))

筆下し、水揚げ、若衆入り、夜這い…。ムラであれマチであれ、伝統的日本社会は性に対し実におおらかで、筒抜けで、公明正大であった。日本民俗学の父・柳 田国男は“常民の民俗学”を樹ち立てたが、赤松は、「性とやくざと天皇」を対象としない柳田を批判し、“非常民の民俗学”を構築し、柳田が切り捨ててきた 性民俗や性生活の実像を庶民のあいだに分け入り生き生きとした語り口調で記録した。『夜這いの民俗学』『夜這いの性愛論』の二冊を合本した本書は、性民俗 の偉大なフィールド・ワーカー赤松啓介のかけがえのない足跡を伝える。
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Versailles, France
麻生太郎はフランスでどのように報道されているか (1/2)」の続きのエントリです。前回のエントリで、麻生氏について書かれている3つのページを紹介しました(Le Point紙、Le Figaro紙、Aujourd'hui le Japon紙)。このエントリでは最も批判的な印象のあったAujourd'hui le Japon紙で麻生氏について書かれたページを翻訳していきます。「Aujourd'hui」とはフランス語で「今日」を意味する単語です。

  • 麻生太郎氏、決然とした国粋主義者マンガ・ファン、日本を手中に(Aujourd'hui le Japon
    Taro Aso, un fan de mangas nationaliste résolu à prendre le Japon en main
著者の見方がよく現れていると感じる文章だけ抜き出します。出自や経歴などの基本情報は除いています。
過去のタイトルホルダー安倍晋三(2006.9 - 2007.9)のような国粋主義者、しかしもっと魅惑的でもっとタフ、麻生氏は決定者の素質を持つ。
Nationaliste comme l'ancien tenant du titre Shinzo Abe (septembre 2006-septembre 2007), mais plus aguicheur et aguerri que lui, M. Aso a le profil d'un décideur.
麻生太郎はフランスでどのように報道されているか (1/2)」でも出ていた「国粋主義者(Nationaliste)」が出ています。褒め言葉ではないでしょう。
右派から左派までが読む日本の漫画、初代”マンガ国際賞”の創設者、彼はまた、世界に波及させることを願い、外交の道具として利用することを目論む、"ポップカルチャー"(マンガ、流行、ビデオゲーム、Jポップ、etc)を褒めそやすことで、若者の好意を獲得している。
Créateur du premier "Prix international du manga", la bande dessinée japonaise qui se lit de droite à gauche, il s'est aussi gagné les faveurs des jeunes en vantant régulièrement la "culture populaire" (manga, mode, jeux vidéo, J-Pop, la musique pop japonaise, etc.) qu'il souhaite voir déferler sur le monde et dont il entend faire un outil diplomatique.
まあ、これは日本の新聞でも言われていることかも知れませんが、「マンガを外交の道具として利用する」と言うのは、フランス文化を世界に波及させることがフランスの利益だと疑わないフランスの新聞らしいような気がします(参照:放射型外交のフランスと妥協型外交の日本)。
外交では”タカ派”、麻生氏はアジアにおける日本の優越の支持者で、中国やライバルに対して譲歩なしであることを誇示している。
"Faucon" en politique étrangère, M. Aso est partisan d'une prédominance du Japon en Asie et s'affiche sans concession à l'égard de la Chine voisine et rivale.
外交的タカ派というのは言われることですね。「アジアにおける日本の優越の支持者」は少し引っかかります。「ヨーロッパにおけるフランス優越の支持者」というのが受け入れ難いのと同じです。
世界の情勢に影響を与える傲慢な一つの日本の熱心な守護者、麻生太郎は厚かましくも挑発的な名文句を吐いた。彼は自身の国を”単一民族、単一言語、単一文化”の国家だと記述した。
Ardent défenseur d'un Japon fier qui doit peser dans les affaires du monde, Taro Aso ose des formules provocatrices. Il a ainsi décrit son pays comme la nation "d'une seule race, d'une seule langue, d'une seule culture".
フランスではレイシスト(民族差別主義者)は犯罪者を見るように見られます。他民族、多文化を許容しない態度は政治家としてはあってはならないことだと考えられます。間違いなくこの文章は、フランス人に最悪な印象を与えるはずです。続いて「麻生太郎はフランスでどのように報道されているか (1/2)」にも出ていた朝鮮の創始改名に対する発言の問題にも触れられています。

かなり批判的な内容でしたが、最後は彼がクレー射撃日本代表選手だったことに触れて、チクッっとするユーモアで締められています。
政治を志す前は、彼は1976年のオリンピック日本代表であった....ハトを打つ競技の。
Avant de se lancer dans la politique, il avait représenté le Japon aux Jeux olympiques de Montréal en 1976, dans la discipline de... tir aux pigeons.
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Versailles, France
麻生太郎はフランスでどのように報道されているか (1/2)」の続きのエントリです。前回のエントリで、麻生氏について書かれている3つのページを紹介しました(Le Point紙、Le Figaro紙、Aujourd'hui le Japon紙)。このエントリでは最も批判的な印象のあったAujourd'hui le Japon紙で麻生氏について書かれたページを翻訳していきます。「Aujourd'hui」とはフランス語で「今日」を意味する単語です。

  • 麻生太郎氏、決然とした国粋主義者マンガ・ファン、日本を手中に(Aujourd'hui le Japon
    Taro Aso, un fan de mangas nationaliste résolu à prendre le Japon en main
著者の見方がよく現れていると感じる文章だけ抜き出します。出自や経歴などの基本情報は除いています。
過去のタイトルホルダー安倍晋三(2006.9 - 2007.9)のような国粋主義者、しかしもっと魅惑的でもっとタフ、麻生氏は決定者の素質を持つ。
Nationaliste comme l'ancien tenant du titre Shinzo Abe (septembre 2006-septembre 2007), mais plus aguicheur et aguerri que lui, M. Aso a le profil d'un décideur.
麻生太郎はフランスでどのように報道されているか (1/2)」でも出ていた「国粋主義者(Nationaliste)」が出ています。褒め言葉ではないでしょう。
右派から左派までが読む日本の漫画、初代”マンガ国際賞”の創設者、彼はまた、世界に波及させることを願い、外交の道具として利用することを目論む、"ポップカルチャー"(マンガ、流行、ビデオゲーム、Jポップ、etc)を褒めそやすことで、若者の好意を獲得している。
Créateur du premier "Prix international du manga", la bande dessinée japonaise qui se lit de droite à gauche, il s'est aussi gagné les faveurs des jeunes en vantant régulièrement la "culture populaire" (manga, mode, jeux vidéo, J-Pop, la musique pop japonaise, etc.) qu'il souhaite voir déferler sur le monde et dont il entend faire un outil diplomatique.
まあ、これは日本の新聞でも言われていることかも知れませんが、「マンガを外交の道具として利用する」と言うのは、フランス文化を世界に波及させることがフランスの利益だと疑わないフランスの新聞らしいような気がします(参照:放射型外交のフランスと妥協型外交の日本)。
外交では”タカ派”、麻生氏はアジアにおける日本の優越の支持者で、中国やライバルに対して譲歩なしであることを誇示している。
"Faucon" en politique étrangère, M. Aso est partisan d'une prédominance du Japon en Asie et s'affiche sans concession à l'égard de la Chine voisine et rivale.
外交的タカ派というのは言われることですね。「アジアにおける日本の優越の支持者」は少し引っかかります。「ヨーロッパにおけるフランス優越の支持者」というのが受け入れ難いのと同じです。
世界の情勢に影響を与える傲慢な一つの日本の熱心な守護者、麻生太郎は厚かましくも挑発的な名文句を吐いた。彼は自身の国を”単一民族、単一言語、単一文化”の国家だと記述した。
Ardent défenseur d'un Japon fier qui doit peser dans les affaires du monde, Taro Aso ose des formules provocatrices. Il a ainsi décrit son pays comme la nation "d'une seule race, d'une seule langue, d'une seule culture".
フランスではレイシスト(民族差別主義者)は犯罪者を見るように見られます。他民族、多文化を許容しない態度は政治家としてはあってはならないことだと考えられます。間違いなくこの文章は、フランス人に最悪な印象を与えるはずです。続いて「麻生太郎はフランスでどのように報道されているか (1/2)」にも出ていた朝鮮の創始改名に対する発言の問題にも触れられています。

かなり批判的な内容でしたが、最後は彼がクレー射撃日本代表選手だったことに触れて、チクッっとするユーモアで締められています。
政治を志す前は、彼は1976年のオリンピック日本代表であった....ハトを打つ競技の。
Avant de se lancer dans la politique, il avait représenté le Japon aux Jeux olympiques de Montréal en 1976, dans la discipline de... tir aux pigeons.
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