Paris, France
Ecole d'ingenieursのランキングについては、「技術系のグランゼコール」で紹介しましたが、今回はEcole de commerce(商業系のグランゼコール)のランキングについて紹介しようと思います。ランキング付けの方法については、「技術系のグランゼコール」で紹介した手法と同じです。グランゼコールと言うのは、基本的には理工系が多いです。これは、グランゼコールがフランス革命後に必要となった技術者を養成するための学校としてスタートした歴史に由来するものです。時代の変化により、経済におけるエリートの必要性から商業系のグランゼコールも誕生してきました。
現在、名門とされる国立のグランゼコールの多くは18世紀に設立された。こういった歴史の古いグランゼコールの殆どが理工学関係の技術者の養成機関である。これは、フランス革命によって貴族制が否定された後、新しく国家を再建する際に必要な人材(理工系の技術者)が求められていたのにも拘らず、当時におけるフランスの大学は職業訓練校としては適切に機能しておらず、そういった分野の人材育成機関を国家が自ら用意する必要があったためである。(wikipediaより)
では、上位10校の商業系のグランゼコールを見ていきます。

Palmarès des grandes écoles - Le point(グランゼコールの上位リスト)
  1. HEC(HEC経営大学院
    HEC経営大学院は、ビジネス・スクールであり、フランスのグランゼコールの中でも名門校の一つである。1881年にパリ商工会議所によって建学された。2005年以降、フィナンシャル・タイムズの欧州ビジネス・スクール・ランキングにてトップ・ビジネス・スクールとして評価されている。(wikipediaより)
    論評は執筆中(LePoint.frより)

  2. ESSEC
    我々のランキングでは2位、ESSECはHECと並んで引き続きその他の競合を突き放した。この学校の強大な競争力:企業の人々と特権的な結びつき。14の教授陣、約250の研修所、潜在的な起業家のために個人の好みに合わせた随行:学生は即座にプロフェッショナルな環境に浴する。さらに、彼らの方式”アラカルト”は生徒に思い通りの課程を構成することを許す。国際化の面では、ESSECは最近シンガポールにキャンパスを開設した。提携校はどれも質が高く(半分以上は国際的である)、7つあるダブルディグリー提携校も同様である(中にはアジアでNo.1のMBAと考えられているインドのIIM AhmedabadやメキシコのEGADE-TEC de MonterreyやドイツのMannheimが含まれる)。唯一窮屈である点:”MBA”に最も名高い”グランゼコール”というプログラムと命名したことによる誤解の可能性。結論:この素晴らしい学校は、ライバル校のHECを輝かせたフィナンシャル・タイムズのように、数々の国際的ランキングにおいて忘れ去られているか、ペナルティーを科されているように見える。修了者は平均年間39,000ユーロで雇われ続けるなど、軽い曖昧さは雇用主を混乱させることは無い。名声あるこの学校のブランドは危険を伴う戦略によって保たれる...(LePoint.frより)

  3. ESCP-EAP
    素晴らしい職業的編入、活発な研究(終身教員の76%は博士号取得者)、卒業生の強力なネットワーク、国際的認知:ESCP-EAPは決定的に巨大な勢力を保持する。しかし、その独創性を見せる海外に開設されたキャンパスに設立された方式だ。学校は5つ運営される:もちろんパリであるが、11区の中心にあってさえそれは最も快適なわけではない、ロンドン、マドリッド、ベルリン、トリノ。この学校はまた、生徒に対してパリの課程(授業はたくさんの同じキャンパスの外国人と共に受け、交流の可能性を分かち合う)と、« nec plus ultra (これ以上の物はない)»ヨーロッパ課程の選択を与えている:3年間は3つの異なるキャンパスで3つまでディプロムを取得することを認めいている。結論:ESCP-EAPの44%の生徒(フランス人と外国人合わせて)が出身国以外の国で最初の職業に就く。記録である。(LePoint.frより)

  4. Edhec
    野心的だ、EDHECは今後、3つのキャンパスを設置することになっている:もちろんリール、そこはこの学校の起源で2010年を予定する新しい建物を建設中である、ニース、たくさんの外国人学生を受け入れる場所、そしてパリ。この学校は2006年1月から首都で”ヨーロッパ”研修(学校ー企業での24ヶ月の課程のうち4ヶ月の海外での課程)の方式を開発している、これは2005年ー2006年になされた我々のランキングには無かったことである。我々のランキングで、この学校は、教育の質、研究の質と共に海外のプログラムによって頭角をあらわした。全ての学生は最短で6ヶ月間は外国に出て、彼らの90%は1年間の区切りを利用することが含まれている、1年間の区切りを利用すると最短18ヶ月の期間である。この学校は常に、ESSECと並んで、最もお金がない学生に対して奨学金にによって補う試みの欠如によって、最も授業料の高額な学校である。学費/質の報告はおおむね肯定的である:この卒業生は、管理の学校で最も高く評価され、給料をもらえ、少なくとも学校の公表を信じる。メモ:EDHECは学生のうちいくらかを泊まらせることができる(リールの平均が1m^2で15ユーロであるのに対し、1m^2を11ユーロで利用可能な400の部屋)。価値は非常に確かだ。また、リールはまったく美しい町で、同様に歓迎的雰囲気である。(LePoint.frより)

  5. EM Lyon
    確かな価値、長い間品質補償されて来た(1998年のEquis、2005年のAACSB)、EM Lyonは質の高いアカデミックな体制で秀でており、研究は起業、市場のファイナンスやマーケティングの研究において名高い。”アラカルト”方式の教育は生徒に対して複数の選択を許し、外国文化の発見は特に推奨されている。ディプロムを取得するには3カ国語が必須であり、生徒は最低6ヶ月は外国で過ごす必要があり、平均18ヶ月は外国で過ごす(企業研修を含む)。この学校は、イタリアのBocconiやスペインのInstituto de EmpresaやカナダのHEC Montréalなど、海外の学校と数々の業務提携に同意して来た...学校は2007年に、ESCプログラムの全ての学生に精通させるため、中国にキャンパスを開設した。また、この学校は、1年目のに早速の学生の個人プロジェクトを作るのを支援する大きな努力をしている。監査とコンサルタントと銀行が高額の給料水準で、卒業生の半分以上を雇う。メモ:リヨンの中心街から10分のところに学校は360部屋のの宿舎を提供する。(LePoint.frより)

  6. Grenoble Ecole de Management
    常に良い考えをうかがっている、この学校は常に移ろい大忙しである印象を与える。公式にはフランスにおける革新の管理運営のスペシャリストの一つと紹介されている。しかし、2006年に準備された学生にLMDに対応した”アラカルト”方式の育成を選択させるための学校の新しい教育の組織は、全てかもしくはほとんどの手順と選択の自由(全世界コースですら)を見せる(実際、一年間区切り)。公表されている学習時間に関わらず、雰囲気はむしろ、大きく開いた空間に酔って明るい灰色と黒色のコンクリートの大きな建物なかで、くつろいでおり、学生は様々なフランスでは珍しいハイテクの恩恵を受けている:デジタル図書館は100%、Wi-fi環境、ビデオ会議システム。遠隔の授業のプラットフォームは言うに及ばず、生徒がどの国に滞在していても常に学校にアクセスできるインターネットの仕組みが提供される。この環境は、例えば団体活動など、基盤にに関わりたい学生を起業家の気質へと活動的にすることを刺激する:”提携”と養成の約束を組み合わせることを認める”提携代替”という手順が存在する。この方式は公表を博している(しかし、滑走路から数キロのグルノーブルの状況は、相当なものだ):この学校はだんだん魅力的になっている、そしてその結果、さらに選択的になる可能性がある。(LePoint.frより)

  7. Audencia-Nantes
    数年前から、この商業学校は特別進学クラスの学生から引っ張りだこの学校のうちの一つになった、そしてそれは偶然ではない;2005年の卒業生の60%は卒業前に職を見つけていて、80%は卒業後2ヶ月以内に職を手に入れた。かれらの収入?小さなグループの授業(英語のいくつか)は非常に具体的に方向付けられていて、企業における1年間区切りは必須であり、学習期間を延長した多くの研修生は、しかしながら、労働の世界の真実の知識を得ることができ、全ての学生は海外に滞在する。ここに、AACSBとEquisの二つの評判を加えておく、学生達の追従はよく考えられていた。もっと?生活環境:素敵なキャンパス(たとえ生徒は宿泊できなくとも)、ナントの歴史ある中心からトラムで15分、フランスにおいて最も快適な町の一つ(Le point誌の最近のランキングを信じるなら)、海が遠くない...だれもが何年かここで過ごしたいと思うだろう。この学校の強みはファイナンスとマーケティングである。(LePoint.frより)

  8. ESC Rouen
    論評は執筆中(LePoint.frより)

  9. Euromed
    論評は執筆中(LePoint.frより)

  10. Bordeaux Ecole de Management
    真面目と同様に、特定の保守主義が名高い、EMボルドーは今日、”美しい眠り”というそのイメージを激しく払っている。2005年から校長のPhilip McLaughlinはヨーロッパのランキングEquisの後に、アメリカのAACSBの称号を獲得したいと考えている。彼は古典的な、しかし確定的な教育学を考慮に入れ、3年目だけマーケティング、ファイナンス、監査の専門化を行っている(さらに2007年からは人的資源)。この学校は教授陣の86%が博士号の取得者であり、ワインの管理からはじめる専門官の鑑定の中心を同様に持つ。この学校は同様に、国際連合によって全世界の責任について研究するために選ばれた。最後に、この学校は学生を容易に就職させる:2005年は学生の48%が卒業前に職を見つけた。多数の学生は監査、産業、中央銀行、ファイナンス、保険の職業に就いた。敷地が手狭になったため、この学校は2009年に全面的に引っ越す予定だ。新しい若者達?(LePoint.frより)

関連:
技術系のグランゼコール
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Ecole d'ingenieursのランキングについては、「技術系のグランゼコール」で紹介しましたが、今回はEcole de commerce(商業系のグランゼコール)のランキングについて紹介しようと思います。ランキング付けの方法については、「技術系のグランゼコール」で紹介した手法と同じです。グランゼコールと言うのは、基本的には理工系が多いです。これは、グランゼコールがフランス革命後に必要となった技術者を養成するための学校としてスタートした歴史に由来するものです。時代の変化により、経済におけるエリートの必要性から商業系のグランゼコールも誕生してきました。
現在、名門とされる国立のグランゼコールの多くは18世紀に設立された。こういった歴史の古いグランゼコールの殆どが理工学関係の技術者の養成機関である。これは、フランス革命によって貴族制が否定された後、新しく国家を再建する際に必要な人材(理工系の技術者)が求められていたのにも拘らず、当時におけるフランスの大学は職業訓練校としては適切に機能しておらず、そういった分野の人材育成機関を国家が自ら用意する必要があったためである。(wikipediaより)
では、上位10校の商業系のグランゼコールを見ていきます。

Palmarès des grandes écoles - Le point(グランゼコールの上位リスト)
  1. HEC(HEC経営大学院
    HEC経営大学院は、ビジネス・スクールであり、フランスのグランゼコールの中でも名門校の一つである。1881年にパリ商工会議所によって建学された。2005年以降、フィナンシャル・タイムズの欧州ビジネス・スクール・ランキングにてトップ・ビジネス・スクールとして評価されている。(wikipediaより)
    論評は執筆中(LePoint.frより)

  2. ESSEC
    我々のランキングでは2位、ESSECはHECと並んで引き続きその他の競合を突き放した。この学校の強大な競争力:企業の人々と特権的な結びつき。14の教授陣、約250の研修所、潜在的な起業家のために個人の好みに合わせた随行:学生は即座にプロフェッショナルな環境に浴する。さらに、彼らの方式”アラカルト”は生徒に思い通りの課程を構成することを許す。国際化の面では、ESSECは最近シンガポールにキャンパスを開設した。提携校はどれも質が高く(半分以上は国際的である)、7つあるダブルディグリー提携校も同様である(中にはアジアでNo.1のMBAと考えられているインドのIIM AhmedabadやメキシコのEGADE-TEC de MonterreyやドイツのMannheimが含まれる)。唯一窮屈である点:”MBA”に最も名高い”グランゼコール”というプログラムと命名したことによる誤解の可能性。結論:この素晴らしい学校は、ライバル校のHECを輝かせたフィナンシャル・タイムズのように、数々の国際的ランキングにおいて忘れ去られているか、ペナルティーを科されているように見える。修了者は平均年間39,000ユーロで雇われ続けるなど、軽い曖昧さは雇用主を混乱させることは無い。名声あるこの学校のブランドは危険を伴う戦略によって保たれる...(LePoint.frより)

  3. ESCP-EAP
    素晴らしい職業的編入、活発な研究(終身教員の76%は博士号取得者)、卒業生の強力なネットワーク、国際的認知:ESCP-EAPは決定的に巨大な勢力を保持する。しかし、その独創性を見せる海外に開設されたキャンパスに設立された方式だ。学校は5つ運営される:もちろんパリであるが、11区の中心にあってさえそれは最も快適なわけではない、ロンドン、マドリッド、ベルリン、トリノ。この学校はまた、生徒に対してパリの課程(授業はたくさんの同じキャンパスの外国人と共に受け、交流の可能性を分かち合う)と、« nec plus ultra (これ以上の物はない)»ヨーロッパ課程の選択を与えている:3年間は3つの異なるキャンパスで3つまでディプロムを取得することを認めいている。結論:ESCP-EAPの44%の生徒(フランス人と外国人合わせて)が出身国以外の国で最初の職業に就く。記録である。(LePoint.frより)

  4. Edhec
    野心的だ、EDHECは今後、3つのキャンパスを設置することになっている:もちろんリール、そこはこの学校の起源で2010年を予定する新しい建物を建設中である、ニース、たくさんの外国人学生を受け入れる場所、そしてパリ。この学校は2006年1月から首都で”ヨーロッパ”研修(学校ー企業での24ヶ月の課程のうち4ヶ月の海外での課程)の方式を開発している、これは2005年ー2006年になされた我々のランキングには無かったことである。我々のランキングで、この学校は、教育の質、研究の質と共に海外のプログラムによって頭角をあらわした。全ての学生は最短で6ヶ月間は外国に出て、彼らの90%は1年間の区切りを利用することが含まれている、1年間の区切りを利用すると最短18ヶ月の期間である。この学校は常に、ESSECと並んで、最もお金がない学生に対して奨学金にによって補う試みの欠如によって、最も授業料の高額な学校である。学費/質の報告はおおむね肯定的である:この卒業生は、管理の学校で最も高く評価され、給料をもらえ、少なくとも学校の公表を信じる。メモ:EDHECは学生のうちいくらかを泊まらせることができる(リールの平均が1m^2で15ユーロであるのに対し、1m^2を11ユーロで利用可能な400の部屋)。価値は非常に確かだ。また、リールはまったく美しい町で、同様に歓迎的雰囲気である。(LePoint.frより)

  5. EM Lyon
    確かな価値、長い間品質補償されて来た(1998年のEquis、2005年のAACSB)、EM Lyonは質の高いアカデミックな体制で秀でており、研究は起業、市場のファイナンスやマーケティングの研究において名高い。”アラカルト”方式の教育は生徒に対して複数の選択を許し、外国文化の発見は特に推奨されている。ディプロムを取得するには3カ国語が必須であり、生徒は最低6ヶ月は外国で過ごす必要があり、平均18ヶ月は外国で過ごす(企業研修を含む)。この学校は、イタリアのBocconiやスペインのInstituto de EmpresaやカナダのHEC Montréalなど、海外の学校と数々の業務提携に同意して来た...学校は2007年に、ESCプログラムの全ての学生に精通させるため、中国にキャンパスを開設した。また、この学校は、1年目のに早速の学生の個人プロジェクトを作るのを支援する大きな努力をしている。監査とコンサルタントと銀行が高額の給料水準で、卒業生の半分以上を雇う。メモ:リヨンの中心街から10分のところに学校は360部屋のの宿舎を提供する。(LePoint.frより)

  6. Grenoble Ecole de Management
    常に良い考えをうかがっている、この学校は常に移ろい大忙しである印象を与える。公式にはフランスにおける革新の管理運営のスペシャリストの一つと紹介されている。しかし、2006年に準備された学生にLMDに対応した”アラカルト”方式の育成を選択させるための学校の新しい教育の組織は、全てかもしくはほとんどの手順と選択の自由(全世界コースですら)を見せる(実際、一年間区切り)。公表されている学習時間に関わらず、雰囲気はむしろ、大きく開いた空間に酔って明るい灰色と黒色のコンクリートの大きな建物なかで、くつろいでおり、学生は様々なフランスでは珍しいハイテクの恩恵を受けている:デジタル図書館は100%、Wi-fi環境、ビデオ会議システム。遠隔の授業のプラットフォームは言うに及ばず、生徒がどの国に滞在していても常に学校にアクセスできるインターネットの仕組みが提供される。この環境は、例えば団体活動など、基盤にに関わりたい学生を起業家の気質へと活動的にすることを刺激する:”提携”と養成の約束を組み合わせることを認める”提携代替”という手順が存在する。この方式は公表を博している(しかし、滑走路から数キロのグルノーブルの状況は、相当なものだ):この学校はだんだん魅力的になっている、そしてその結果、さらに選択的になる可能性がある。(LePoint.frより)

  7. Audencia-Nantes
    数年前から、この商業学校は特別進学クラスの学生から引っ張りだこの学校のうちの一つになった、そしてそれは偶然ではない;2005年の卒業生の60%は卒業前に職を見つけていて、80%は卒業後2ヶ月以内に職を手に入れた。かれらの収入?小さなグループの授業(英語のいくつか)は非常に具体的に方向付けられていて、企業における1年間区切りは必須であり、学習期間を延長した多くの研修生は、しかしながら、労働の世界の真実の知識を得ることができ、全ての学生は海外に滞在する。ここに、AACSBとEquisの二つの評判を加えておく、学生達の追従はよく考えられていた。もっと?生活環境:素敵なキャンパス(たとえ生徒は宿泊できなくとも)、ナントの歴史ある中心からトラムで15分、フランスにおいて最も快適な町の一つ(Le point誌の最近のランキングを信じるなら)、海が遠くない...だれもが何年かここで過ごしたいと思うだろう。この学校の強みはファイナンスとマーケティングである。(LePoint.frより)

  8. ESC Rouen
    論評は執筆中(LePoint.frより)

  9. Euromed
    論評は執筆中(LePoint.frより)

  10. Bordeaux Ecole de Management
    真面目と同様に、特定の保守主義が名高い、EMボルドーは今日、”美しい眠り”というそのイメージを激しく払っている。2005年から校長のPhilip McLaughlinはヨーロッパのランキングEquisの後に、アメリカのAACSBの称号を獲得したいと考えている。彼は古典的な、しかし確定的な教育学を考慮に入れ、3年目だけマーケティング、ファイナンス、監査の専門化を行っている(さらに2007年からは人的資源)。この学校は教授陣の86%が博士号の取得者であり、ワインの管理からはじめる専門官の鑑定の中心を同様に持つ。この学校は同様に、国際連合によって全世界の責任について研究するために選ばれた。最後に、この学校は学生を容易に就職させる:2005年は学生の48%が卒業前に職を見つけた。多数の学生は監査、産業、中央銀行、ファイナンス、保険の職業に就いた。敷地が手狭になったため、この学校は2009年に全面的に引っ越す予定だ。新しい若者達?(LePoint.frより)

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技術系のグランゼコール
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Paris, France
毒ガスによる無差別殺人や、ナイフによる秋葉原の無差別殺人などが取り上げられ、日本の安全神話は完全に崩壊状態だと思われがちです。しかし、世界平和指標によると、日本は最も安全な国の上位5ヶ国に入っています。

「世界平和インデックス」、最下位はイラク、日本は5位:AFPBB News

一方フランスは36位でした。パリとパリ郊外で暮らしているのですが、たしかに日本に比べると危険を感じることもあります。自転車は1年間で2度の盗難に遭ってますし、バックのひったくりも目の前で見ました。日常的に盗難や危険に気をつける必要があることを感じます。とはいえ、頻繁に強盗でナイフを突きつけられたり、殴られたりすることは無いので安心してください。

日本がどれだけ安全なのか、フランスと比べてみることにします(参照)。結果は以下のとおり、いろいろな指標で日本の方が安全だと示されています。武器へのアクセスや、武器の提供の指標は日本の方が安全なのは当然で、デモ関係の指標もデモのほとんどない日本は安全です。フランス人はデモが無いことは良いことだとは思わないでしょうが。とりわけ、政府の機能、政治文化、市民の自由までフランスと比べると良い指標が並んでいるのは驚きです。

逆にフランスと比べて遅れているところは、近隣の国との関係(フランス=1、日本=3)、議会における女性(フランス=18.5、日本=9.4%)、現在の教育支出(フランス=5.8%、日本=3.7%)などで、どれも日本が取り組まなければならない課題ばかりです。

近隣諸国との関係についてはヨーロッパは、戦争の世紀を超えて、欧州の統一へ向けてすすんでいる分、日本よりかなり先へ行っています。対して、日本は反日運動が盛り上がる国々や、日本海と太平洋に向けてミサイルを撃ち込む国に囲まれています。かなり影の薄れた日朝平壌宣言ですが、まだ破棄されていないし、外務省のページにも堂々と載っているので、この通りに行くことが望ましいでしょう。国交正常化の際には経済協力が数兆円という話もあるようですが、北朝鮮が普通の国になってくれるなら、それぐらいの犠牲は止む終えないかも知れません。なにしろ、現状はミサイルが発射されるたびに日本は安全を脅かされ、株は暴落することになっているので。極東アジアはヨーロッパのように生活水準と規模が同じような国々が並んでいる訳ではないので、ヨーロッパのような統一は難しいですが、ヨーロッパの経験は大いに参考になるところです。

世界平和インデックス
総合平和指標
FR
JP
ランク
36
5
スコア
1.707
1.358
尺度情報
FR
JP
市民の不信感の水準
3
2
10万人に対して提供される保安官と警察の数
2
1
10万人に対して殺人の数
1
1
10万人に対して逮捕者の数
1.362
1.234
軽い犯罪の武器調達の容易さ
2
1
組織された暴動の水準(国内)
2
1
暴力的なデモの見込み
2
1
暴力的な犯罪の水準
1
1
政治的不安定
1
1
人権の尊重
2
1
10万人あたりの主要な武器の移動の量
1.027
1.091
潜在的なテロリストの活動
2
1
組織された暴動による死者の数
1
1
GDPにおける軍事支出の割合
1.764
1.295
10万人あたりの武装業務の数
1.322
1.15
2006-07年の国連軍展開(全軍における割合)
4.787
4.996
2006-07年の国連軍以外の展開(全軍における割合)
1.555
1.018
10万人あたりの重火器の総計
1.148
1.042
10万人あたりの主要武器の輸出の量
3.416
1
軍の能力/熟達度
4
5
人口における割合としての強制退去の数1
1
近隣の国との関係
1
3
国内外の暴動の数: 2000 - 2005
2
1
組織された暴動による死者の数(国外)
1
1
民主主義と透明性
FR
JP
政治的民主主義の指標
8.1
8.4
選挙のプロセス
9.6
9.2
政府の機能
7.5
8.6
政治参加
6.7
6.1
政治文化
7.5
8.8
市民の自由
9.1
9.4
汚職の認識(CPI指標:10=清潔、0=腐敗)
7.3
7.5
議会における女性(下院における割合)
18.5
9.4
報道の自由
9.8
11.8
国際的に開かれているか
FR
JP
GDPにおける輸出入の割合
55.2
30.9
GDPにおける外国直接投資の割合(フロー)
3.6%
-0.2%
国内人口と訪問者の割合
1.2%
0.1%
正味の移民(人口における割合)
0%
0%
人口統計
FR
JP
人口における15-34歳の男性の数
13%
12.7%
男女比:女性/男性
105.1
104.8
性差別
0.7
0.6
地方と国際の枠組み/状態
FR
JP
地方融合の程度
3
1
教育
FR
JP
現在の教育支出(GDPにおける割合)
5.8%
3.7%
小学校の登録率(正味)
99%
100%
中学校の登録率(正味)
86%
100%
より高度な学校の登録率(総計)
56%
54%
平均の登校期間
15.6
14.8
成人の識字率(15歳以上の人口の割合)
99%
99%
文化
FR
JP
名目GDP(USドル、PPP評価)
1960.9
4089.4
名目GDP(USドル)
2252.1
4376.5
資本によるGDP
36720
34335
ジニ係数
32.7
24.9
生活の期待
80.2
82.1
失業率
9.8%
4.1%
千の出産における幼児死亡
4
3
人口総計(百万人)
60.9
127.5
その他
FR
JP
10万人における準軍事的個人の数
327.1
9.6
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Paris, France
毒ガスによる無差別殺人や、ナイフによる秋葉原の無差別殺人などが取り上げられ、日本の安全神話は完全に崩壊状態だと思われがちです。しかし、世界平和指標によると、日本は最も安全な国の上位5ヶ国に入っています。

「世界平和インデックス」、最下位はイラク、日本は5位:AFPBB News

一方フランスは36位でした。パリとパリ郊外で暮らしているのですが、たしかに日本に比べると危険を感じることもあります。自転車は1年間で2度の盗難に遭ってますし、バックのひったくりも目の前で見ました。日常的に盗難や危険に気をつける必要があることを感じます。とはいえ、頻繁に強盗でナイフを突きつけられたり、殴られたりすることは無いので安心してください。

日本がどれだけ安全なのか、フランスと比べてみることにします(参照)。結果は以下のとおり、いろいろな指標で日本の方が安全だと示されています。武器へのアクセスや、武器の提供の指標は日本の方が安全なのは当然で、デモ関係の指標もデモのほとんどない日本は安全です。フランス人はデモが無いことは良いことだとは思わないでしょうが。とりわけ、政府の機能、政治文化、市民の自由までフランスと比べると良い指標が並んでいるのは驚きです。

逆にフランスと比べて遅れているところは、近隣の国との関係(フランス=1、日本=3)、議会における女性(フランス=18.5、日本=9.4%)、現在の教育支出(フランス=5.8%、日本=3.7%)などで、どれも日本が取り組まなければならない課題ばかりです。

近隣諸国との関係についてはヨーロッパは、戦争の世紀を超えて、欧州の統一へ向けてすすんでいる分、日本よりかなり先へ行っています。対して、日本は反日運動が盛り上がる国々や、日本海と太平洋に向けてミサイルを撃ち込む国に囲まれています。かなり影の薄れた日朝平壌宣言ですが、まだ破棄されていないし、外務省のページにも堂々と載っているので、この通りに行くことが望ましいでしょう。国交正常化の際には経済協力が数兆円という話もあるようですが、北朝鮮が普通の国になってくれるなら、それぐらいの犠牲は止む終えないかも知れません。なにしろ、現状はミサイルが発射されるたびに日本は安全を脅かされ、株は暴落することになっているので。極東アジアはヨーロッパのように生活水準と規模が同じような国々が並んでいる訳ではないので、ヨーロッパのような統一は難しいですが、ヨーロッパの経験は大いに参考になるところです。

世界平和インデックス
総合平和指標
FR
JP
ランク
36
5
スコア
1.707
1.358
尺度情報
FR
JP
市民の不信感の水準
3
2
10万人に対して提供される保安官と警察の数
2
1
10万人に対して殺人の数
1
1
10万人に対して逮捕者の数
1.362
1.234
軽い犯罪の武器調達の容易さ
2
1
組織された暴動の水準(国内)
2
1
暴力的なデモの見込み
2
1
暴力的な犯罪の水準
1
1
政治的不安定
1
1
人権の尊重
2
1
10万人あたりの主要な武器の移動の量
1.027
1.091
潜在的なテロリストの活動
2
1
組織された暴動による死者の数
1
1
GDPにおける軍事支出の割合
1.764
1.295
10万人あたりの武装業務の数
1.322
1.15
2006-07年の国連軍展開(全軍における割合)
4.787
4.996
2006-07年の国連軍以外の展開(全軍における割合)
1.555
1.018
10万人あたりの重火器の総計
1.148
1.042
10万人あたりの主要武器の輸出の量
3.416
1
軍の能力/熟達度
4
5
人口における割合としての強制退去の数1
1
近隣の国との関係
1
3
国内外の暴動の数: 2000 - 2005
2
1
組織された暴動による死者の数(国外)
1
1
民主主義と透明性
FR
JP
政治的民主主義の指標
8.1
8.4
選挙のプロセス
9.6
9.2
政府の機能
7.5
8.6
政治参加
6.7
6.1
政治文化
7.5
8.8
市民の自由
9.1
9.4
汚職の認識(CPI指標:10=清潔、0=腐敗)
7.3
7.5
議会における女性(下院における割合)
18.5
9.4
報道の自由
9.8
11.8
国際的に開かれているか
FR
JP
GDPにおける輸出入の割合
55.2
30.9
GDPにおける外国直接投資の割合(フロー)
3.6%
-0.2%
国内人口と訪問者の割合
1.2%
0.1%
正味の移民(人口における割合)
0%
0%
人口統計
FR
JP
人口における15-34歳の男性の数
13%
12.7%
男女比:女性/男性
105.1
104.8
性差別
0.7
0.6
地方と国際の枠組み/状態
FR
JP
地方融合の程度
3
1
教育
FR
JP
現在の教育支出(GDPにおける割合)
5.8%
3.7%
小学校の登録率(正味)
99%
100%
中学校の登録率(正味)
86%
100%
より高度な学校の登録率(総計)
56%
54%
平均の登校期間
15.6
14.8
成人の識字率(15歳以上の人口の割合)
99%
99%
文化
FR
JP
名目GDP(USドル、PPP評価)
1960.9
4089.4
名目GDP(USドル)
2252.1
4376.5
資本によるGDP
36720
34335
ジニ係数
32.7
24.9
生活の期待
80.2
82.1
失業率
9.8%
4.1%
千の出産における幼児死亡
4
3
人口総計(百万人)
60.9
127.5
その他
FR
JP
10万人における準軍事的個人の数
327.1
9.6
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Rennes, France
僕自身は日本とフランスで、4年ほどフランス人達と仕事をする機会を持ってきました。もちろんまったく違う文化と考え方をする日本人とフランス人なので相手を理解することは簡単ではありません。このエントリーでは、経験から学んだ日本人とフランス人が協調作業する上で特に都合が良いと思える点を紹介します。能力がお互いに補完関係にあることと、互いに英語が苦手なことです。

一つ目のポイントは、「日本の弱み:指揮官不在とフランスの強み」でも述べたのですが、「日本人は、指揮官:×、技術者:◎、兵隊:◎」、「フランス人は指揮官:◎、技術者:○、兵隊:×」だと言うことです。日本の強みとフランスの弱み、日本の弱みとフランスの弱みはきれいに対照をなしているは興味深いと思います。特に、リーダーの姿勢からフランスから学ぶことは多いと思います。

また、研究における日本人とフランス人の協調作業でも相性の良さを感じます。詳しくは、「なぜフランスに留学するのか:考え方の差異」のエントリーに書いてきました。一般的に「日本人は解決策・結果重視」で「フランス人は分析・理論重視」です。もちろん素晴らしい研究というのはどちらも揃った研究のことです。この点でも日本人とフランス人が協調するための相性は良いといえます。

[書評] カルロス・ゴーン経営を語る」で紹介した本にも日本代表の日産が「強い現場、弱い本社」、フランス代表のルノーが「強い本社、弱い現場」と言及されていました。この違う文化をうまく相互学習させる方法がルノー・日産連合の成功の鍵といえます。
あえて失礼な言い方をさせていただくなら、かつての日産は「強い現場、弱い本社」の典型だった。それが、逆に「強い本社、弱い現場」の傾向が強かったルノーと組んだことによって、そしてゴーンの就任により、本社については日産が学ぶ、現場についてはルノーが学ぶ、という相互学習のサイクルが完成したのである。(P. 531)
日本人とフランス人が協調作業をする時には、もちろん言語は英語です。僕がフランス人と働き始めた時はとにかく英語が大変でした。話すのは緊張して簡単な単語が出てこないし、文法を間違えてしゃべっているのに気づき焦ったりしていました。なぜか外国人はネイティブ並みに英語が得意だと思っていたので、自分も流暢に話す必要があると勘違いしてました。しかし、会話に慣れて来て分かったことはフランス人の英語はそれほど上手ではないということです。英語ネイティブではないので、当然です。これも、「[書評] カルロス・ゴーン経営を語る」で紹介した本に書かれていて強く共感しました。
日本人がフランス語を話せないように、フランス人も日本語が話せない。そして、日本人と同じように、フランス人も英語が苦手である。だからこそ、会議に英語が導入されたのだ。しかし、この”双方の人々がともに英語が苦手だという状況”が、やがて強みになることが分かって来た。(P.405)
その結果、おたがいに英語が出来ないということで、どちらか片方がコンプレックスを抱くことが無かったのです。(P405)
ルノー・日産連合の成功は、日本とフランスの協調作業の相性の良さが持つ可能性について、多くの人に気づかせてくれたと思います。リーダー不在に泣く日本の企業の苦悩と、解決策不足・弱い現場に泣くフランス企業のどちらにも注目に値する出来事だったと考えられます。
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Rennes, France
僕自身は日本とフランスで、4年ほどフランス人達と仕事をする機会を持ってきました。もちろんまったく違う文化と考え方をする日本人とフランス人なので相手を理解することは簡単ではありません。このエントリーでは、経験から学んだ日本人とフランス人が協調作業する上で特に都合が良いと思える点を紹介します。能力がお互いに補完関係にあることと、互いに英語が苦手なことです。

一つ目のポイントは、「日本の弱み:指揮官不在とフランスの強み」でも述べたのですが、「日本人は、指揮官:×、技術者:◎、兵隊:◎」、「フランス人は指揮官:◎、技術者:○、兵隊:×」だと言うことです。日本の強みとフランスの弱み、日本の弱みとフランスの弱みはきれいに対照をなしているは興味深いと思います。特に、リーダーの姿勢からフランスから学ぶことは多いと思います。

また、研究における日本人とフランス人の協調作業でも相性の良さを感じます。詳しくは、「なぜフランスに留学するのか:考え方の差異」のエントリーに書いてきました。一般的に「日本人は解決策・結果重視」で「フランス人は分析・理論重視」です。もちろん素晴らしい研究というのはどちらも揃った研究のことです。この点でも日本人とフランス人が協調するための相性は良いといえます。

[書評] カルロス・ゴーン経営を語る」で紹介した本にも日本代表の日産が「強い現場、弱い本社」、フランス代表のルノーが「強い本社、弱い現場」と言及されていました。この違う文化をうまく相互学習させる方法がルノー・日産連合の成功の鍵といえます。
あえて失礼な言い方をさせていただくなら、かつての日産は「強い現場、弱い本社」の典型だった。それが、逆に「強い本社、弱い現場」の傾向が強かったルノーと組んだことによって、そしてゴーンの就任により、本社については日産が学ぶ、現場についてはルノーが学ぶ、という相互学習のサイクルが完成したのである。(P. 531)
日本人とフランス人が協調作業をする時には、もちろん言語は英語です。僕がフランス人と働き始めた時はとにかく英語が大変でした。話すのは緊張して簡単な単語が出てこないし、文法を間違えてしゃべっているのに気づき焦ったりしていました。なぜか外国人はネイティブ並みに英語が得意だと思っていたので、自分も流暢に話す必要があると勘違いしてました。しかし、会話に慣れて来て分かったことはフランス人の英語はそれほど上手ではないということです。英語ネイティブではないので、当然です。これも、「[書評] カルロス・ゴーン経営を語る」で紹介した本に書かれていて強く共感しました。
日本人がフランス語を話せないように、フランス人も日本語が話せない。そして、日本人と同じように、フランス人も英語が苦手である。だからこそ、会議に英語が導入されたのだ。しかし、この”双方の人々がともに英語が苦手だという状況”が、やがて強みになることが分かって来た。(P.405)
その結果、おたがいに英語が出来ないということで、どちらか片方がコンプレックスを抱くことが無かったのです。(P405)
ルノー・日産連合の成功は、日本とフランスの協調作業の相性の良さが持つ可能性について、多くの人に気づかせてくれたと思います。リーダー不在に泣く日本の企業の苦悩と、解決策不足・弱い現場に泣くフランス企業のどちらにも注目に値する出来事だったと考えられます。
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カルロス・ゴーン経営を語る (日経ビジネス人文庫)
[書評] カルロス・ゴーンは日産をいかにして変えたか」の後にこの本を読んでみました。結論から言うと本書の方が数段面白いです。ゴーン氏の経歴、仕事ぶり、転職の顛末などが書かれていました。本書は、カルロス・ゴーン氏の祖父の代から扱うなど背景まで網羅されている点が素晴らしいです。ゴーン氏はフランス人ですが、標準的なフランス人とはかなり違うということが良く分かります。レバノン人の両親からブラジルで生まれていて、アラビア語、フランス語、英語、スペイン語、ポルトガル語を操るそうです。

本書では、経営に関すること、リーダーに関すること、仕事ぶりに関することなど、ゴーン氏の言葉でいろいろ書かれていて興味深いです。全てを紹介できないので、僕が一番興味を持ったところを紹介します。それは、ゴーン氏の転職に関する部分です。僕自身の博士課程卒業後の進路への参考にしたい部分などもあり、一番興味を持ちました。ゴーン氏は日本とは違うシステムのグランゼコールを卒業しました(→参照:技術系のグランゼコール)。日本のシステムと比較するのは無理がありますが、大学を卒業した後、修士を卒業したあとに就職したというのに近いです。ミシュランに就職してから、ルノー、日産と渡り歩いた転職の経緯が面白いです。

まず、ミシュランを選んだ理由。フランスのエリート教育を受けた後、フランスの企業に勤めるのは一般的なことですが、後にブラジル・ミシュランの社長になったことから、この選択に生まれ故郷のブラジルと関係があるのかなとは感じていましたが、その通りでした。
ミシュランの誘いには、あらゆる利点が備わっていました。世界を相手に仕事をしているフランスの大企業に入って、しかも、家族のもとへ、ブラジルに戻ることが出来るのです。(P.78)
次に18年勤めたミシュランを辞めて、ルノーに転職します。その時の理由は困難な状況に陥っていたルノーで再建を手伝うことが出来るかもしれないという挑戦心と、将来性でした。
ルノーに決めたもう一つの理由は、チャレンジです。困難に立ち向かっている会社があって、自分がそこで何か手伝いができるかもしれない、状況を変えられるかもしれないのですから、やりがいがあります。健全な企業よりも、窮地に陥っている企業に入る方がチャンスは大きいのです。もしそこで再建に貢献できれば、実力が認められるからです。(P. 181)
ルノーには、いわば制限枠がありませんでした。わたしの将来はここまでという天井はなかったのです。しかも、シュヴァイツァー自身の口から、私がそのあとを継ぐことになるかも知れないとさえいわれたのです。(P. 181)
長く親しんだ会社を辞める時には、辛い別れもあると思いますがその辺りのこともよく書かれています。このミシュランからルノーに転職するのは、ゴーン氏自身にとって、さらにはミシュラン社にとっても良いことだと言っているのは、新鮮でした。同族経営のミシュランでは社長になれないゴーン氏の将来と、自動車会社のルノーと深い関係を持つミシュランとの関係性においてゴーン氏がルノー社の上層部にいることはミシュラン社にとっても利益のあることを述べています。

そして、日産に来た経緯。日本とフランスで文化の違う日産とルノーをまとめるには、最適な人材が日産に送られたと感じていましたが、ゴーン氏もそのように感じていたようです。海外で暮らしたことがあり、事業再建の経験もあって、異文化にもとけ込めると証明済みの人間は、そうはいません。
そして、『もうわかっていると思うが、日本に送る人間はひとりしか考えられない。それは君だ』と言われたのです。驚いたかと訊かれれば、答えはノーです。私の職歴を考えれば、むしろ当然のことだと思いました。...(略)...そして、客観的に考えて、もし私がルイ・シュヴァイツァーなら、カルロス・ゴーンを指名するだろうと思っていたのです。この任務の場合、海外で暮らしたことがあり、事業再建の経験もあって、異文化にもとけ込めると証明済みの人間が適任です。(P. 212)
ゴーン氏の経歴を見ると日産を再建するために歩んで来たのかと思うほど、当時の日産にジャストフィットな人材だったと思います。しかし、最初の就職先を選んだのは、生まれ故郷で働きたいという動機であり、もちろん日産の危機を救うことなど思いもしなかったでしょう。その時々で下した判断が、振り返ってみると総合的にも最適な判断になるという例で、見習いたいと思いました。オススメの書です。
カルロス・ゴーン経営を語る (日経ビジネス人文庫)(文庫)
Philippe Ri`es (原著), Carlos Ghosn (原著), カルロス ゴーン (翻訳), 高野 優 (翻訳), フィリップ リエス (翻訳)
  1. 旅立ち
  2. パリ
  3. ミシュラン
  4. リオデジャネイロ
  5. 北米での挑戦
  6. さらばミシュラン
  7. ルノー
  8. アジアへ
  9. 日本で
  10. ルノーの人々
  11. 聴診、そして診断へ
  12. 仕事について
  13. ショック療法
  14. コミュニケーションの必要性
  15. 弱点の強化—デザイン・財務・販売
  16. 新しい企業文化
  17. 提携を活力あるものにするために
  18. 経営者とは
  19. 明日の自動車産業
  20. 中国市場
  21. 希望のメッセージ
「お互いに自分のアイデンティティを守り、相手のアイデンティティを尊重する…。それがあるからこそ、提携は前進するのです」—「地球市民」カルロス・ゴーンが形成される軌跡をフランス人記者がインタビュー形式で描きだす。ゴーン社長の経営哲学と人間的魅力をあますところなく伝え、ビジネス書を超えた感動を巻き起こしたベストセラーの文庫化。
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カルロス・ゴーン経営を語る (日経ビジネス人文庫)
[書評] カルロス・ゴーンは日産をいかにして変えたか」の後にこの本を読んでみました。結論から言うと本書の方が数段面白いです。ゴーン氏の経歴、仕事ぶり、転職の顛末などが書かれていました。本書は、カルロス・ゴーン氏の祖父の代から扱うなど背景まで網羅されている点が素晴らしいです。ゴーン氏はフランス人ですが、標準的なフランス人とはかなり違うということが良く分かります。レバノン人の両親からブラジルで生まれていて、アラビア語、フランス語、英語、スペイン語、ポルトガル語を操るそうです。

本書では、経営に関すること、リーダーに関すること、仕事ぶりに関することなど、ゴーン氏の言葉でいろいろ書かれていて興味深いです。全てを紹介できないので、僕が一番興味を持ったところを紹介します。それは、ゴーン氏の転職に関する部分です。僕自身の博士課程卒業後の進路への参考にしたい部分などもあり、一番興味を持ちました。ゴーン氏は日本とは違うシステムのグランゼコールを卒業しました(→参照:技術系のグランゼコール)。日本のシステムと比較するのは無理がありますが、大学を卒業した後、修士を卒業したあとに就職したというのに近いです。ミシュランに就職してから、ルノー、日産と渡り歩いた転職の経緯が面白いです。

まず、ミシュランを選んだ理由。フランスのエリート教育を受けた後、フランスの企業に勤めるのは一般的なことですが、後にブラジル・ミシュランの社長になったことから、この選択に生まれ故郷のブラジルと関係があるのかなとは感じていましたが、その通りでした。
ミシュランの誘いには、あらゆる利点が備わっていました。世界を相手に仕事をしているフランスの大企業に入って、しかも、家族のもとへ、ブラジルに戻ることが出来るのです。(P.78)
次に18年勤めたミシュランを辞めて、ルノーに転職します。その時の理由は困難な状況に陥っていたルノーで再建を手伝うことが出来るかもしれないという挑戦心と、将来性でした。
ルノーに決めたもう一つの理由は、チャレンジです。困難に立ち向かっている会社があって、自分がそこで何か手伝いができるかもしれない、状況を変えられるかもしれないのですから、やりがいがあります。健全な企業よりも、窮地に陥っている企業に入る方がチャンスは大きいのです。もしそこで再建に貢献できれば、実力が認められるからです。(P. 181)
ルノーには、いわば制限枠がありませんでした。わたしの将来はここまでという天井はなかったのです。しかも、シュヴァイツァー自身の口から、私がそのあとを継ぐことになるかも知れないとさえいわれたのです。(P. 181)
長く親しんだ会社を辞める時には、辛い別れもあると思いますがその辺りのこともよく書かれています。このミシュランからルノーに転職するのは、ゴーン氏自身にとって、さらにはミシュラン社にとっても良いことだと言っているのは、新鮮でした。同族経営のミシュランでは社長になれないゴーン氏の将来と、自動車会社のルノーと深い関係を持つミシュランとの関係性においてゴーン氏がルノー社の上層部にいることはミシュラン社にとっても利益のあることを述べています。

そして、日産に来た経緯。日本とフランスで文化の違う日産とルノーをまとめるには、最適な人材が日産に送られたと感じていましたが、ゴーン氏もそのように感じていたようです。海外で暮らしたことがあり、事業再建の経験もあって、異文化にもとけ込めると証明済みの人間は、そうはいません。
そして、『もうわかっていると思うが、日本に送る人間はひとりしか考えられない。それは君だ』と言われたのです。驚いたかと訊かれれば、答えはノーです。私の職歴を考えれば、むしろ当然のことだと思いました。...(略)...そして、客観的に考えて、もし私がルイ・シュヴァイツァーなら、カルロス・ゴーンを指名するだろうと思っていたのです。この任務の場合、海外で暮らしたことがあり、事業再建の経験もあって、異文化にもとけ込めると証明済みの人間が適任です。(P. 212)
ゴーン氏の経歴を見ると日産を再建するために歩んで来たのかと思うほど、当時の日産にジャストフィットな人材だったと思います。しかし、最初の就職先を選んだのは、生まれ故郷で働きたいという動機であり、もちろん日産の危機を救うことなど思いもしなかったでしょう。その時々で下した判断が、振り返ってみると総合的にも最適な判断になるという例で、見習いたいと思いました。オススメの書です。
カルロス・ゴーン経営を語る (日経ビジネス人文庫)(文庫)
Philippe Ri`es (原著), Carlos Ghosn (原著), カルロス ゴーン (翻訳), 高野 優 (翻訳), フィリップ リエス (翻訳)
  1. 旅立ち
  2. パリ
  3. ミシュラン
  4. リオデジャネイロ
  5. 北米での挑戦
  6. さらばミシュラン
  7. ルノー
  8. アジアへ
  9. 日本で
  10. ルノーの人々
  11. 聴診、そして診断へ
  12. 仕事について
  13. ショック療法
  14. コミュニケーションの必要性
  15. 弱点の強化—デザイン・財務・販売
  16. 新しい企業文化
  17. 提携を活力あるものにするために
  18. 経営者とは
  19. 明日の自動車産業
  20. 中国市場
  21. 希望のメッセージ
「お互いに自分のアイデンティティを守り、相手のアイデンティティを尊重する…。それがあるからこそ、提携は前進するのです」—「地球市民」カルロス・ゴーンが形成される軌跡をフランス人記者がインタビュー形式で描きだす。ゴーン社長の経営哲学と人間的魅力をあますところなく伝え、ビジネス書を超えた感動を巻き起こしたベストセラーの文庫化。
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フランス三昧 (中公新書)
大学の教授がフランスの歴史と文化と、フランス語について書いている本です。第1部 「フランスとは何だろう」はフランスの歴史・文化・社会などが分かりやすく書かれていました。また、日本との関わりの文章も多くて興味深かったです。逆に第2部の「フランス語とは何だろう」では、フランス語の成り立ちと関係の深いパトワ(方言みたいなもの)が書かれていました。ここについては、興味のある人とない人の受け取り方に差がある気がします。僕自身は、フランス人がパトワに関して複雑な感情を抱いていることが分かり興味深かったです。特に驚いたのは、一九九九年のクロード・デュヌトンの『フランス語の死』からの引用でした。
フランスはヨーロッパで、いやおそらくは世界で唯一の、この一〇〇年以来人口の五分の四が言語を変えた国である。(P.163)
第3部は、著者の分析が書かれている部分です。日本でのフランスの受け取られ方についての以下の指摘が面白いです。僕自身フランス人と接する前にはなんとなくこういったイメージだったような気がします。
日本では一八七〇年(明治三年)の「普仏戦争」敗北の結果、フランスが縮小鏡にかかり、ドイツが拡大鏡にかかった、と何度も指摘して来た。英国崇拝、ドイツ贔屓、米国憧憬が明治文化の特質である。「フランスかぶれ」は「変わっている」、よくて「凝っている」と思われがちだった。(p. 203)
フランスとドイツのイメージの偏向は、著者によると普仏戦争の影響が甚大だそうです。フランス人とドイツ人のイメージとして本書で引用されている『フランス文学六十年秘話』では、以下の通りです。フランス人は、
ラテン民族にして世界中もっとも浮華軽躁の人種たり。装飾、贅沢品のごとき主にフランスをもって最もとす。仏国人種は近年生殖力大いに衰え、出生の数、死亡の数に及ばず。人を持って仏国衰退の兆となす。(P.204)
一方、ドイツ人は、
チュートン民族にして気象敢為、忍耐に富み、勤勉、勉強、愛国の意志最も厚し。決闘の風俗のごときドイツの得意とするところにして、勇敢、剛毅の気概を養うに足る。また兵士の勇敢なる、稀なるところなり。(P.205)
だそうです。現在では、多少イメージは薄まっているかも知れませんが、日本で受け取られる基本的なイメージには合致するような気がします。著者は、普仏戦争の結果、ドイツ留学生が増えたことを理由に挙げています。フランスへの誤解は、ドイツへの留学生が帰国の途に付いたときに、パリに寄って飲み屋や歓楽街で遊んで帰るときに接したイメージで語られるとあります。また、英語では変なことはフランス風と表現され、日本では英米からの英語イメージが伝わりやすいために、イメージが歪むとあります。一面を表していると感じます。

他にもいろいろと興味深い指摘がありましたが、以下の文章は驚きです。日本は国民国家としては後発だと感じる日本人が多いですが、実は意外と早かったそうです。
「国民国家」と「徴兵制」こそ、フランス大革命の発明であり、以後にに統一を実現した国家が採用する近代化の原理となる。なんと、世界でフランスに次いで に番目に「国民国家」を実現したのは、明治の日本であった。...(略)...日本の国民国家成立はイタリア王国、ドイツ帝国の成立に鼻の差で先んじている...(略)... (P.94-95)
フランス三昧 (中公新書)(新書)
篠沢 秀夫 (著)

1 フランスとは何だろう
今のフランス
「フランス」の成り立ち
「フランス人」の成り立ち
「近代」の成り立ち)
2 フランス語とは何だろう
今のフランス語
フランス語の成立とそのイメージ
「良いフランス語」の誕生
「良いフランス語」の強制
3 文明としてのフランス
フランス文明の特質
フランス文明の問題点—長所は短所
フランス文明の危機
フランス文明の未来

日本人がもてはやす、きらびやかな「おフランス」は、はたして真実の姿でしょうか。世に満ちる誤解の表層土をかき分けて、フランスという国の真の姿をお目にかけます。「フランスと日本は似ている」という驚くべき発見。フランスにとりわけ関心がない人も、フランス語を習ったことがない方も、上っ面なガイドブックを飛び越えて、一気に真相へ。気っ風のいい篠沢節が冴える、教授流フランス学の“実に愉快”な集大成。
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フランス三昧 (中公新書)
大学の教授がフランスの歴史と文化と、フランス語について書いている本です。第1部 「フランスとは何だろう」はフランスの歴史・文化・社会などが分かりやすく書かれていました。また、日本との関わりの文章も多くて興味深かったです。逆に第2部の「フランス語とは何だろう」では、フランス語の成り立ちと関係の深いパトワ(方言みたいなもの)が書かれていました。ここについては、興味のある人とない人の受け取り方に差がある気がします。僕自身は、フランス人がパトワに関して複雑な感情を抱いていることが分かり興味深かったです。特に驚いたのは、一九九九年のクロード・デュヌトンの『フランス語の死』からの引用でした。
フランスはヨーロッパで、いやおそらくは世界で唯一の、この一〇〇年以来人口の五分の四が言語を変えた国である。(P.163)
第3部は、著者の分析が書かれている部分です。日本でのフランスの受け取られ方についての以下の指摘が面白いです。僕自身フランス人と接する前にはなんとなくこういったイメージだったような気がします。
日本では一八七〇年(明治三年)の「普仏戦争」敗北の結果、フランスが縮小鏡にかかり、ドイツが拡大鏡にかかった、と何度も指摘して来た。英国崇拝、ドイツ贔屓、米国憧憬が明治文化の特質である。「フランスかぶれ」は「変わっている」、よくて「凝っている」と思われがちだった。(p. 203)
フランスとドイツのイメージの偏向は、著者によると普仏戦争の影響が甚大だそうです。フランス人とドイツ人のイメージとして本書で引用されている『フランス文学六十年秘話』では、以下の通りです。フランス人は、
ラテン民族にして世界中もっとも浮華軽躁の人種たり。装飾、贅沢品のごとき主にフランスをもって最もとす。仏国人種は近年生殖力大いに衰え、出生の数、死亡の数に及ばず。人を持って仏国衰退の兆となす。(P.204)
一方、ドイツ人は、
チュートン民族にして気象敢為、忍耐に富み、勤勉、勉強、愛国の意志最も厚し。決闘の風俗のごときドイツの得意とするところにして、勇敢、剛毅の気概を養うに足る。また兵士の勇敢なる、稀なるところなり。(P.205)
だそうです。現在では、多少イメージは薄まっているかも知れませんが、日本で受け取られる基本的なイメージには合致するような気がします。著者は、普仏戦争の結果、ドイツ留学生が増えたことを理由に挙げています。フランスへの誤解は、ドイツへの留学生が帰国の途に付いたときに、パリに寄って飲み屋や歓楽街で遊んで帰るときに接したイメージで語られるとあります。また、英語では変なことはフランス風と表現され、日本では英米からの英語イメージが伝わりやすいために、イメージが歪むとあります。一面を表していると感じます。

他にもいろいろと興味深い指摘がありましたが、以下の文章は驚きです。日本は国民国家としては後発だと感じる日本人が多いですが、実は意外と早かったそうです。
「国民国家」と「徴兵制」こそ、フランス大革命の発明であり、以後にに統一を実現した国家が採用する近代化の原理となる。なんと、世界でフランスに次いで に番目に「国民国家」を実現したのは、明治の日本であった。...(略)...日本の国民国家成立はイタリア王国、ドイツ帝国の成立に鼻の差で先んじている...(略)... (P.94-95)
フランス三昧 (中公新書)(新書)
篠沢 秀夫 (著)

1 フランスとは何だろう
今のフランス
「フランス」の成り立ち
「フランス人」の成り立ち
「近代」の成り立ち)
2 フランス語とは何だろう
今のフランス語
フランス語の成立とそのイメージ
「良いフランス語」の誕生
「良いフランス語」の強制
3 文明としてのフランス
フランス文明の特質
フランス文明の問題点—長所は短所
フランス文明の危機
フランス文明の未来

日本人がもてはやす、きらびやかな「おフランス」は、はたして真実の姿でしょうか。世に満ちる誤解の表層土をかき分けて、フランスという国の真の姿をお目にかけます。「フランスと日本は似ている」という驚くべき発見。フランスにとりわけ関心がない人も、フランス語を習ったことがない方も、上っ面なガイドブックを飛び越えて、一気に真相へ。気っ風のいい篠沢節が冴える、教授流フランス学の“実に愉快”な集大成。
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Paris, France
仏語本「Le Japon 固定観念」の「1945年の敗戦以後、日本は経済的な奇跡を実現した」という第三の固定観念に関する章を読んでみました。この章の冒頭にはこの固定観念についてこうあります。
日本の"奇跡"、日本の"挑戦"、日本の"世紀":これらは日の出づる国によって二十年に及ぶ控えめで、しかし執拗な努力によって達成された比重を人々が突然意識するようになった、ショッキングなタイトルである。
Jean perrin, 『L'Inconnu japonais. Une grande puissance à la recherche de son rôle (不可思議な日本人. 役割の研究における巨大な力)』(1974)
以上のように、1974年当時に書かれた固定観念から始まっています。この辺りは、前に本ブログで述べた、「バブル期の日本の面影」と同じような話です。しかし以下は、日本の経済的奇跡は大きく誇張されているといえる理由が並べられています。1945-1960年、日本が西洋に追いつくのは困難であると分析されていました。
全体的に、経済発展は不当な大成功であると、日本の自称である”日本の奇跡”の存在を否定することを狙うものであった。
L'ensemble vis à démontrer l'existence d'un prétendu "miracle japonais" où le développement économique aurait triomphé d'une nature injuste. (P.26)
次々と日本の奇跡を否定する論法を取り上げた後、最後はこう結論されています。
だが少なくとも、それ(経済危機)は経済的奇跡の蜃気楼を暴いた。
Du moins met-elle à nu le mirage d'un prétendu miracle économique. (P.28)
かなり日本に否定的な内容ですが、日本が『超人的国家参照』でも無い以上、奇跡と名付けて思考停止するよりもその原因を探る方が建設的です。本書でも「さて、奇跡というのは、神(僥倖)を信じるのでなければ、それはない。Or, de miracle, à moins de corire en la Providence, il n'y en a pas. (p.27)」というように書かれています。日本の経済的奇跡を否定する論法は以下の通りです。番号付けは本エントリーで便宜上付けました。
1. 1949年に中国が毛沢東主義になると、アメリカの指導者達は実際に共産主義の脅威に対する代案として、日本の主要な妄想を促進した。
Une fois la Chine devenue maoïste en 1949, les dirigeants américains ont en effet pour principale obsession de promouvoir le Japon comme alternative à la menace communiste. (P.26)
2. 朝鮮戦争は交戦中のアメリカの後方前線基地として推進し、それは日本の経済に重要な活力剤を与えた。
Le conflit en Corée (1950-1953) le propulse comme base arrière immédiate du belligérant américain, ce qui donne un sérieux coup de fouet à son économie. (P.26)
3. 1945年以前の日本の極右の報復の精神は、最初に経済的、商業的な攻撃的性質に変化した。
L’esprit de revanche des ultras japonais d’avant 1945 s’est d’abord transformé en agressivité économique et commerciale. (p.27)
4. 彼らがゼロから(もしくはほとんどゼロから)はじめたと信じるが、また半分は特に中国など征服した国々からの莫大な戦利品を再利用した( 犠牲者は彼らに払われるべきものを主張することも出来ずに)。
…(略)…この戦利品は1955年にアメリカの支援で創設された自由民主党の財政として利用することが認められた。
Faire croire qu’il fallait repartir de zéro, ou presque, fut aussi un moyen pour recycler en douceur le fameux butin de guerre amassé dans les pays conquis, en Chine notamment, sans que les victimes puissent réclamer leur dû…. Ce butin de guerre a permis le financement du puissant parti Libéral-démocrate, créé en 1955 avec le soutien de Etats-Unis. (P.28)
12は妥当な論理といえるかも知れませんが、3では西欧が経済的に押され始めた理由として、フランスでは特にイメージの悪い極右ultras)を挙げて説明するところに悪意を感じます。上記の論法はこの本の著者が行っている訳ではなくて、1945-1960年ごろに行われた日本バッシングの例を挙げているので、当時実際に言われていたことなのだと思います。

4はさらにひどいです。悪意どころか間違いも混じっていますが、これも当時言われていたことなのでしょう。中国は日本への賠償金請求権を放棄したのは事実ですが、日本は在外資産による賠償を行っています。日本の戦争賠償と戦後補償 - Wikipediaに詳しく書かれています。在外資産を没収されても敗戦後に日本へ持って帰る戦利品が存在したのか、ましてやそれが経済的成功の原因になり得たということは、かなりの疑問です。こうした意識の違いは、植民地への補償についての日仏の事情の違いがあるんだと思います。フランスが旧植民地に対して、在外資産の放棄などを含めた補償を行っているかどうか調べたのですが、どうもそんなことはしていないようです。逆に植民地政策を肯定して、補償を受け取ろうとするぐらいの意識の違いがあります。
アルジェリアから帰国者はアルジェリアの補償を受ける権利は無い
132年間に及ぶフランスの植民地化においてアルジェリアの財産の収用と略奪、収奪だけでは飽き足らず、アルジェリア独立後44年経って、フランスはアルジェリアに”アルジェリアにおけるフランス植民地化が果たした肯定的役割”について補償を求めた。

«Les rapatriés d'Algérie n'ont droit à aucune réparation algérienne»
Non rassasiés des expropriations, spoliations et exploitations des biens des Algériens tout au long des 132 ans qu'a duré la colonisation française, ils demandent aux Algériens, 44 ans après leur indépendance, réparation pour «le rôle positif de la colonisation française en Algérie».
また、その戦利品が自由民主党の財政基盤に使われたというのも、疑問が大きいです。New York Timesの記事によると創設時にアメリカの支援があったことは事実ですが、侵略した国からの戦利品が利用されたということは書いてありませんでした。「CIAは50-60年代に日本の保守政党に多額を費やした(C.I.A. Spent Millions to Support Japanese Right in 50's and 60's - New York Times)」

エントリ冒頭の固定観念を少しでも薄めるために、日本が西洋に追いつくのは困難であると分析されていた時の論調が挙げられていました。妥当なものや不当なものもありましたが、冒頭の固定観念は日本人自身も少なからず持っているものなので、肯定するにも否定するにも読むに足るものでした。
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Paris, France
仏語本「Le Japon 固定観念」の「1945年の敗戦以後、日本は経済的な奇跡を実現した」という第三の固定観念に関する章を読んでみました。この章の冒頭にはこの固定観念についてこうあります。
日本の"奇跡"、日本の"挑戦"、日本の"世紀":これらは日の出づる国によって二十年に及ぶ控えめで、しかし執拗な努力によって達成された比重を人々が突然意識するようになった、ショッキングなタイトルである。
Jean perrin, 『L'Inconnu japonais. Une grande puissance à la recherche de son rôle (不可思議な日本人. 役割の研究における巨大な力)』(1974)
以上のように、1974年当時に書かれた固定観念から始まっています。この辺りは、前に本ブログで述べた、「バブル期の日本の面影」と同じような話です。しかし以下は、日本の経済的奇跡は大きく誇張されているといえる理由が並べられています。1945-1960年、日本が西洋に追いつくのは困難であると分析されていました。
全体的に、経済発展は不当な大成功であると、日本の自称である”日本の奇跡”の存在を否定することを狙うものであった。
L'ensemble vis à démontrer l'existence d'un prétendu "miracle japonais" où le développement économique aurait triomphé d'une nature injuste. (P.26)
次々と日本の奇跡を否定する論法を取り上げた後、最後はこう結論されています。
だが少なくとも、それ(経済危機)は経済的奇跡の蜃気楼を暴いた。
Du moins met-elle à nu le mirage d'un prétendu miracle économique. (P.28)
かなり日本に否定的な内容ですが、日本が『超人的国家参照』でも無い以上、奇跡と名付けて思考停止するよりもその原因を探る方が建設的です。本書でも「さて、奇跡というのは、神(僥倖)を信じるのでなければ、それはない。Or, de miracle, à moins de corire en la Providence, il n'y en a pas. (p.27)」というように書かれています。日本の経済的奇跡を否定する論法は以下の通りです。番号付けは本エントリーで便宜上付けました。
1. 1949年に中国が毛沢東主義になると、アメリカの指導者達は実際に共産主義の脅威に対する代案として、日本の主要な妄想を促進した。
Une fois la Chine devenue maoïste en 1949, les dirigeants américains ont en effet pour principale obsession de promouvoir le Japon comme alternative à la menace communiste. (P.26)
2. 朝鮮戦争は交戦中のアメリカの後方前線基地として推進し、それは日本の経済に重要な活力剤を与えた。
Le conflit en Corée (1950-1953) le propulse comme base arrière immédiate du belligérant américain, ce qui donne un sérieux coup de fouet à son économie. (P.26)
3. 1945年以前の日本の極右の報復の精神は、最初に経済的、商業的な攻撃的性質に変化した。
L’esprit de revanche des ultras japonais d’avant 1945 s’est d’abord transformé en agressivité économique et commerciale. (p.27)
4. 彼らがゼロから(もしくはほとんどゼロから)はじめたと信じるが、また半分は特に中国など征服した国々からの莫大な戦利品を再利用した( 犠牲者は彼らに払われるべきものを主張することも出来ずに)。
…(略)…この戦利品は1955年にアメリカの支援で創設された自由民主党の財政として利用することが認められた。
Faire croire qu’il fallait repartir de zéro, ou presque, fut aussi un moyen pour recycler en douceur le fameux butin de guerre amassé dans les pays conquis, en Chine notamment, sans que les victimes puissent réclamer leur dû…. Ce butin de guerre a permis le financement du puissant parti Libéral-démocrate, créé en 1955 avec le soutien de Etats-Unis. (P.28)
12は妥当な論理といえるかも知れませんが、3では西欧が経済的に押され始めた理由として、フランスでは特にイメージの悪い極右ultras)を挙げて説明するところに悪意を感じます。上記の論法はこの本の著者が行っている訳ではなくて、1945-1960年ごろに行われた日本バッシングの例を挙げているので、当時実際に言われていたことなのだと思います。

4はさらにひどいです。悪意どころか間違いも混じっていますが、これも当時言われていたことなのでしょう。中国は日本への賠償金請求権を放棄したのは事実ですが、日本は在外資産による賠償を行っています。日本の戦争賠償と戦後補償 - Wikipediaに詳しく書かれています。在外資産を没収されても敗戦後に日本へ持って帰る戦利品が存在したのか、ましてやそれが経済的成功の原因になり得たということは、かなりの疑問です。こうした意識の違いは、植民地への補償についての日仏の事情の違いがあるんだと思います。フランスが旧植民地に対して、在外資産の放棄などを含めた補償を行っているかどうか調べたのですが、どうもそんなことはしていないようです。逆に植民地政策を肯定して、補償を受け取ろうとするぐらいの意識の違いがあります。
アルジェリアから帰国者はアルジェリアの補償を受ける権利は無い
132年間に及ぶフランスの植民地化においてアルジェリアの財産の収用と略奪、収奪だけでは飽き足らず、アルジェリア独立後44年経って、フランスはアルジェリアに”アルジェリアにおけるフランス植民地化が果たした肯定的役割”について補償を求めた。

«Les rapatriés d'Algérie n'ont droit à aucune réparation algérienne»
Non rassasiés des expropriations, spoliations et exploitations des biens des Algériens tout au long des 132 ans qu'a duré la colonisation française, ils demandent aux Algériens, 44 ans après leur indépendance, réparation pour «le rôle positif de la colonisation française en Algérie».
また、その戦利品が自由民主党の財政基盤に使われたというのも、疑問が大きいです。New York Timesの記事によると創設時にアメリカの支援があったことは事実ですが、侵略した国からの戦利品が利用されたということは書いてありませんでした。「CIAは50-60年代に日本の保守政党に多額を費やした(C.I.A. Spent Millions to Support Japanese Right in 50's and 60's - New York Times)」

エントリ冒頭の固定観念を少しでも薄めるために、日本が西洋に追いつくのは困難であると分析されていた時の論調が挙げられていました。妥当なものや不当なものもありましたが、冒頭の固定観念は日本人自身も少なからず持っているものなので、肯定するにも否定するにも読むに足るものでした。
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Paris, France
仏語本「Le Japon 固定観念」の「島国根性は外国人から日本を守った」という第二の固定観念に関する章を読んでみました。歴史的に日本は他の国との関わりにおいて、防衛だけでなく、侵略も行って来たことが書かれています。

まずは、日本の防衛の方で元寇や第二次世界大戦に関する文章です。
中国の帝国は他の心配に忙殺され、その強大さを日本を征服するために使わなかった。13世紀のモンゴルによる失敗に終わった遠征は外部の少数部族によって率いられていた。唯一アメリカの帝国は、第2次世界大戦の結果そこに到達するかも知れない、しかし、まったく例外的な事情で、まったく限定的な方法である。
L'empire chinois, occupé par d'autres soucis, n'a pas usé de sa puissance pour le conquérir. Les expéditions mongoles au XIIIe siècle, qui ont échoué, sont d'ailleurs menées par des peuplades extérieures. Seul l'empire américain y parviendra à l'issue de la Seconde Guerre mondiale, mais dans des circonstances tout à fait exceptionnelles et de façon somme toute ponctuelle. (P.22)
一つ目の引用では、アメリカ帝国が日本を侵略するくだりで未来形に書かれています。翻訳が適当であるのか心配なところですが、将来アメリカが日本を限定的に征服するという見方のようです。つぎに、さらにヨーロッパ諸国による植民地化が触れられていました。
中国への接触を失った日本はヨーロッパからの到着人を好意的に迎えた。しかし、彼らはすぐに「利益と布教」という彼らの征服の精神を見抜いた。植民地化の脅威に対して、日本は政治的統一を加速させヨーロッパ人を排除した。
Le Japon, perdant le contact avec la Chine, accueille favorablement les arrivants européens. Mais il découvre bientôt l'esprit de leur conquête: profit et évangélisation. Face à la menace de colonisation, il accélère son unification politique et expulse les Européens. (P.22-23)
二つ目の引用では、ヨーロッパは侵略する意図をもって、キリスト教を用いてアジアに進出し、日本はそれを阻むことに成功したことが書かれています。フランス人は、征服は民族を分断して統治するやり方で行われたことを良く知っていて、明治維新はそれに対する効率的な抵抗だったことを理解しているようです。

逆に、日本の侵略の方では、倭冦について書かれています。
公式な歴史ではそれが、なかなか告白されることは難しい。公式歴史は倭冦が日本によって制御されていたことを認知しているにせよ、不名誉なことだ。公式記録が否定しているにせよ、日本の政治に倭冦から治安を維持する能力に欠けていたことを告白することは、恥すべきことだ。
On comprend que les histoires officielles pouvaient difficilement l'avouer. Soit elles reconnaissaient que ces brigands étaient contrôlés par les Japonais, chose infamante. Soit elles le niaient, ce qui avouait l’incompétence du pouvoir politique japonais à faire la police dans son espace, chose honteuse. (P.22)
海外にいると、日本のことを悪く言う記述に出会うと強く訂正したくなってしまいます。上の引用で「infamante=不名誉な、honteuse=恥じすべきな」と書かれていているので、慌てましたが倭冦の歴史的な扱いが難しいことの理由でした。日本政府が倭冦を使って侵略を企てていたという解釈と、倭冦に対する治安維持能力が欠けていたという解釈のどちらも不名誉であることが、公式の歴史ではあまり触れられない理由として述べられています。よって日本政府は外国人が日本に対して持っている「島国根性は外国人から日本を守った」という都合の良い固定観念を広める努力をする傾向があると結論されています。
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Paris, France
仏語本「Le Japon 固定観念」の「島国根性は外国人から日本を守った」という第二の固定観念に関する章を読んでみました。歴史的に日本は他の国との関わりにおいて、防衛だけでなく、侵略も行って来たことが書かれています。

まずは、日本の防衛の方で元寇や第二次世界大戦に関する文章です。
中国の帝国は他の心配に忙殺され、その強大さを日本を征服するために使わなかった。13世紀のモンゴルによる失敗に終わった遠征は外部の少数部族によって率いられていた。唯一アメリカの帝国は、第2次世界大戦の結果そこに到達するかも知れない、しかし、まったく例外的な事情で、まったく限定的な方法である。
L'empire chinois, occupé par d'autres soucis, n'a pas usé de sa puissance pour le conquérir. Les expéditions mongoles au XIIIe siècle, qui ont échoué, sont d'ailleurs menées par des peuplades extérieures. Seul l'empire américain y parviendra à l'issue de la Seconde Guerre mondiale, mais dans des circonstances tout à fait exceptionnelles et de façon somme toute ponctuelle. (P.22)
一つ目の引用では、アメリカ帝国が日本を侵略するくだりで未来形に書かれています。翻訳が適当であるのか心配なところですが、将来アメリカが日本を限定的に征服するという見方のようです。つぎに、さらにヨーロッパ諸国による植民地化が触れられていました。
中国への接触を失った日本はヨーロッパからの到着人を好意的に迎えた。しかし、彼らはすぐに「利益と布教」という彼らの征服の精神を見抜いた。植民地化の脅威に対して、日本は政治的統一を加速させヨーロッパ人を排除した。
Le Japon, perdant le contact avec la Chine, accueille favorablement les arrivants européens. Mais il découvre bientôt l'esprit de leur conquête: profit et évangélisation. Face à la menace de colonisation, il accélère son unification politique et expulse les Européens. (P.22-23)
二つ目の引用では、ヨーロッパは侵略する意図をもって、キリスト教を用いてアジアに進出し、日本はそれを阻むことに成功したことが書かれています。フランス人は、征服は民族を分断して統治するやり方で行われたことを良く知っていて、明治維新はそれに対する効率的な抵抗だったことを理解しているようです。

逆に、日本の侵略の方では、倭冦について書かれています。
公式な歴史ではそれが、なかなか告白されることは難しい。公式歴史は倭冦が日本によって制御されていたことを認知しているにせよ、不名誉なことだ。公式記録が否定しているにせよ、日本の政治に倭冦から治安を維持する能力に欠けていたことを告白することは、恥すべきことだ。
On comprend que les histoires officielles pouvaient difficilement l'avouer. Soit elles reconnaissaient que ces brigands étaient contrôlés par les Japonais, chose infamante. Soit elles le niaient, ce qui avouait l’incompétence du pouvoir politique japonais à faire la police dans son espace, chose honteuse. (P.22)
海外にいると、日本のことを悪く言う記述に出会うと強く訂正したくなってしまいます。上の引用で「infamante=不名誉な、honteuse=恥じすべきな」と書かれていているので、慌てましたが倭冦の歴史的な扱いが難しいことの理由でした。日本政府が倭冦を使って侵略を企てていたという解釈と、倭冦に対する治安維持能力が欠けていたという解釈のどちらも不名誉であることが、公式の歴史ではあまり触れられない理由として述べられています。よって日本政府は外国人が日本に対して持っている「島国根性は外国人から日本を守った」という都合の良い固定観念を広める努力をする傾向があると結論されています。
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Versailles, France
仏語本「Le Japon 固定観念」の「日本人は全員似ている」という第一の固定観念に関する章を読んでみました。日本に相当詳しい人が書いているという印象でした。フランス人から見て日本人が全員似ているように見える理由が明かされています。

まず、日本人には"uchi"と"soto"があるということが説明されています。"uchi"では、幼稚園、学校から企業まで全員がルールに従い、団体行動をする必要があるということが書かれています。"uchi"の中での仲間はずれの例に、学校におけるいじめや企業における"madogiwa ni"が挙げられています。集団のルールを守れないものを仲間はずれにする、murahachibuという慣習があったという風に説明されています。
封建的時代から仲間はずれにされることは怖れられた。それは、村八分(les "huitième villageois")と呼ばれ、その住民が10個のうち8個の集団活動に参加することを妨げる。葬式と火事に対する抵抗は残された。また、最大の制裁は島流し(L'envoi dans une île)、外への追放であった。(P.17)
次に説明されているのが、本音と建前です。この章で唯一の明確な間違えを発見したので、ここに転載します。「本音」の漢字の翻訳が誤っています。ただし、述べられていることはおおむね正しいと思います。
本音は直訳では本根といい、それは、内的な感情や意見で、心の声であり、それは特殊な事情の中で隠され続けられねばならず、また抹殺されることさえある。
Honne, mot à mot la "racine principale", c'est le sentiment ou l'opinion intime, la voix du coeur, qui doit rester cachée ou même supprimée dans les circonstances exceptionelles.(P.19)
結論としては、日本人には「内と外」という概念があり外から見ると同じに見えがちで、また仲間はずれを怖れる心性があること。「本音と建前」があり、本音は複雑で大きな差異があったとしても建前は似かよるという風に説明されています。日本人の考え方は多種多様である、証拠としては、1920年ぐらいから大きく発展した、作者自身が事故の生活体験を叙しながら、その間の心境を披露していく作品である「私小説」が挙げられていました。

最後に、本章で説明されていた日本語を紹介して終わります。

日本語
フランス語
uchi-soto(内と外)dedans-dehors
madogiwani(窓際に)
vers la fenêtre
shimanagashi(島流し)
envoi dans une île
uchimaku(内幕)
à l'intérieur du rideau
uchiwa(内輪)
en intern
uchiwa-kekkonshiki(内輪結婚式)
cérémonies de mariage que l'on fait entre soi
nanigoto mo uchiwa ni yaru beki(何事も内輪にやるべき)
quoi qu'il en soit, ce doit être fait dans le cercle
burakumin(部落民)
parias
ainu(アイヌ)
aborigènes
tatemae(建前)
devant du bâti(直訳)、la façade
honne(本音)
racine principale(直訳)、le sentiment ou l'opinion intime
shishôsetsu(私小説)
un nouveau roman rédigé au nom du "je"
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Versailles, France
仏語本「Le Japon 固定観念」の「日本人は全員似ている」という第一の固定観念に関する章を読んでみました。日本に相当詳しい人が書いているという印象でした。フランス人から見て日本人が全員似ているように見える理由が明かされています。

まず、日本人には"uchi"と"soto"があるということが説明されています。"uchi"では、幼稚園、学校から企業まで全員がルールに従い、団体行動をする必要があるということが書かれています。"uchi"の中での仲間はずれの例に、学校におけるいじめや企業における"madogiwa ni"が挙げられています。集団のルールを守れないものを仲間はずれにする、murahachibuという慣習があったという風に説明されています。
封建的時代から仲間はずれにされることは怖れられた。それは、村八分(les "huitième villageois")と呼ばれ、その住民が10個のうち8個の集団活動に参加することを妨げる。葬式と火事に対する抵抗は残された。また、最大の制裁は島流し(L'envoi dans une île)、外への追放であった。(P.17)
次に説明されているのが、本音と建前です。この章で唯一の明確な間違えを発見したので、ここに転載します。「本音」の漢字の翻訳が誤っています。ただし、述べられていることはおおむね正しいと思います。
本音は直訳では本根といい、それは、内的な感情や意見で、心の声であり、それは特殊な事情の中で隠され続けられねばならず、また抹殺されることさえある。
Honne, mot à mot la "racine principale", c'est le sentiment ou l'opinion intime, la voix du coeur, qui doit rester cachée ou même supprimée dans les circonstances exceptionelles.(P.19)
結論としては、日本人には「内と外」という概念があり外から見ると同じに見えがちで、また仲間はずれを怖れる心性があること。「本音と建前」があり、本音は複雑で大きな差異があったとしても建前は似かよるという風に説明されています。日本人の考え方は多種多様である、証拠としては、1920年ぐらいから大きく発展した、作者自身が事故の生活体験を叙しながら、その間の心境を披露していく作品である「私小説」が挙げられていました。

最後に、本章で説明されていた日本語を紹介して終わります。

日本語
フランス語
uchi-soto(内と外)dedans-dehors
madogiwani(窓際に)
vers la fenêtre
shimanagashi(島流し)
envoi dans une île
uchimaku(内幕)
à l'intérieur du rideau
uchiwa(内輪)
en intern
uchiwa-kekkonshiki(内輪結婚式)
cérémonies de mariage que l'on fait entre soi
nanigoto mo uchiwa ni yaru beki(何事も内輪にやるべき)
quoi qu'il en soit, ce doit être fait dans le cercle
burakumin(部落民)
parias
ainu(アイヌ)
aborigènes
tatemae(建前)
devant du bâti(直訳)、la façade
honne(本音)
racine principale(直訳)、le sentiment ou l'opinion intime
shishôsetsu(私小説)
un nouveau roman rédigé au nom du "je"
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外国人とのコミュニケーション (岩波新書)初版が25年前の外国人とのコミュニケーションについての本です。語学教育についての考察は25年前からいろいろと変わっていますが、それ以外はそれほど変わっていないと思いました。ただ外国人と一緒に仕事をし始めたとして、最初の半年以内に皆が気づくのではないかと思われるような事柄も多く含まれていました。個人的には、現在感じていることも多く、それほど役には立ちませんでした。例えば、コミュニケーションにおける言語以外の問題に対することです。
問題は、ただ行動が違うということである。ちがうから、外国人の行動を「我々」の立場から見ると、「我々」の社会や文化のルールに違反しているのである。(P.14)
著者が違反と呼ぶものは行動だけに限りません。ある言語を母国語とするひと達の会話のルールを破ることも含まれます。こういったことは、よく感じます。
パーティのような場面では、しゃべることそのものが目的だから、会話への非協力的な態度は、その場面の最も根本的なルールをおかしているのである。(P.44)

しかし、会話に協力しなかったり、あるいは期待されていない笑い方をしたりするのは、話し相手に不愉快な気持ちを持たせるだけでなく、相手を不安にさせ、外国語の文法能力の改善のさまたげにもなる。(P.82)
言語の初心者を脱した学習者は次の壁にぶつかると書かれています。これは、今の僕の状態と重なるために良く分かります。本書では日本語学習者を例に挙げて説明しています。
このように、日本語の学習の初期段階を通り抜けて、なんとか「変な外人」というラベルを逃れようとしている多くの外国人は、敬語の壁にぶつかり、外国人というラベルに戻されてしまうことがかなりある。(P.109)

鈴木隆夫のことばを借りると、「外国人が片言の日本語を使うと笑いころげて喜ぶくせに、達者な日本語を使いはじめると、今度は気味が悪いと言い出す」ような状態である。(P.111)
知識としては新しいことではなかったのですが、本書の解説では最終的にはこの段階は突破できるという楽観的な結論になっていて救われました。この段階も突破できると信じて、毎日少しずつの学習を続けていこうと思いました。
総じていえば、外国人への態度は、「ハネムーン」の第一期から、「拒絶」の第二期に変わり、そして最後に「受け入れ」の第三期に発展する道をたどるのである。(P.111)
外国人とのコミュニケーション (岩波新書)
J.V. ネウストプニー (著), Jir´i V´aclav Neustupn´y (原著)

1 外国人とは何か
さまざまな外国人
外国人はどう行動するか ほか
2 外国人としての日本人
日本人も外国人である
コミュニケーションは文法だけではない ほか
3 日本での外国人
「変な外人」
非言語的コミュニケーション ほか
4 語学教育と外国人
語学教育はどんな役割を果たしてきたか
文法・翻訳教授法 ほか
5 現代と外国人問題
人間社会の多様性
歴史が教えること ほか

母国を離れて暮す外国人は、日常どんな壁につき当り、悩んでいるだろうか。異質文化の中で経験するコミュニケーション上のつまずきは、ことばによるものば かりではない。英語圏で日本語を教えるチェコ生まれの言語学者が、今日のいわゆる外国人問題の根をさぐり、国際化時代のコミュニケーション教育はどうある べきかを考える。
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