ビジネスマンが泣いた「唐詩」一〇〇選サラリーマン人生、人生の哀歌、飲食、青春、友情、旅情、望郷、戦乱などの漢詩を100個紹介した本です。翻訳文と書き下し文の他に、著者による「超訳」が付けられています。この本を手に取ったのは著者が高校のときの漢文の先生だったからです。プロフィールには「大学院修了後、慶応義塾高校で教職につき、国語・漢文・中国語などを教える。同校生徒のアンケートで最も人気のある授業をする先生として親しまれてきた。」とあります。僕自身はアンケートをした覚えはありませんが、先生が一位になることには驚きません。同級生で集まると、いつも先生の話が出るぐらいに面白い授業でした。

著者が提案する超訳は例えば以下のようなものがあります。
六 客中行(かくちゆうこう) 李白
蘭陵(らんりよう)の美酒鬱金香(こんこう)
玉椀(ぎょくわん)盛り来(きた)る琥珀の光
但(た)だ主人をして
能(よ)く客を酔わしめば
何(いず)れの処か是れ他郷

なみなみ酌がれた高級地酒 口からお出迎え うまい酒とウマの合う話し相手がいる所が 俺の故郷さ (p.84)
書き下し文では意味を汲み取るのが難しいですが、超訳ではすごく平易に書かれています。昔の人が詩を作る研ぎ澄まされた技術を用いながら伝えたいことは、現在から考えても理解し会えるような意見なのが新鮮でした。

高校の授業でもそうだったのですが、著者の特性として漢文以外のコラムが面白いと感じました(僕自身、漢文にあまり興味がないので)。昔の中国では美しい詩を作ることができる人物が情緒に秀でたよい統治者であるということが前提となっていたそうです。
近大詩は①字数②平仄(ひょうそく)③押印の他に起承転結や対句などの制約があり、規則どおりの詩が作れるというだけで、中国ではインテリの証明でもあった。その上に読者を感動させる詩を作れるとなれば、人情に精通した一級の人物とみなされ、そうした人物を求めるために官吏登用試験である科挙に詩が課せられるようになったのだ。(p.42)
そのため、一つ一つの詩には、人の人生をかけるほどの現在からは考えられないほどの情熱が傾けられています。詩がどれほどの推敲と努力の上に成り立っているかを知れば、読者がその詩から得られるモノへの期待が高まります。
詩人として名を成せば、科挙に合格して進士になれなくても皇帝の側近くに仕えることも役人として遇されることも可能だった。現に、李白や杜甫は一時期そうした厚遇に与っている。そのためもあって詩人たちの詩に対する思いは妄執と呼べるほど凄まじいものだった。(p.130)
先生に高校で漢文を習っていたときには、漢文が好きなちょっと変わった先生というのと、なんかすごい人だと漠然と思うぐらいでしたが、この本を読むと深い知識とそれに裏打ちされた考察がすごいと見直しました。高校での授業の他は何をしているんだろうなと不思議でしたが、しっかりと研究をされていたのだと思いました。また、先生の祖父も知名度のある漢学者だということもこの本ではじめて知りました。
幸い祖父の佐久節は学識も知名度も共に備えた漢学者であり、漢詩の訳者でもあった。(p.4)
またあとがきを読み、最後の漢文の授業で、定年後に漢詩を作ることを勧めていたのを思い出しました。
というわけで、定年を迎えて時間的な余裕をできた読者には、ぜひとも漢詩を作ることをお勧めしたい。若い読者には、その時のための準備を始めていただきたい。(p.225)
ビジネスマンが泣いた「唐詩」一〇〇選
佐久 協 (著)
1 サラリーマン人生
2 人生の哀歓
3 飲食
4 青春
5 友情
6 旅情
7 望郷
8 戦乱

「国破れて山河在り」「昔聞く洞庭の水」「白髪三千丈」…。古来、誰もが暗誦した唐代の名詩。その作者たちは、多くが科挙の合格者であり、青春の輝きを謳歌した。しかしまもなく世知辛い現実に直面して、エリートだった自分もまた敗者であるということを知った。酒食に憂さを晴らし、友と別れ、旅情に涙し、望郷の念に胸を焦がしながら、詩作にわが身の哀歓をぶつけたのだ。当時の詩人たちの心情が、現代日本人のそれと何ら変わらないのに驚かされるだろう。本書では、字句や文法の吟味は横において、詩本来の内容やリズムを肌で感じられるような訳を試みた。
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ビジネスマンが泣いた「唐詩」一〇〇選サラリーマン人生、人生の哀歌、飲食、青春、友情、旅情、望郷、戦乱などの漢詩を100個紹介した本です。翻訳文と書き下し文の他に、著者による「超訳」が付けられています。この本を手に取ったのは著者が高校のときの漢文の先生だったからです。プロフィールには「大学院修了後、慶応義塾高校で教職につき、国語・漢文・中国語などを教える。同校生徒のアンケートで最も人気のある授業をする先生として親しまれてきた。」とあります。僕自身はアンケートをした覚えはありませんが、先生が一位になることには驚きません。同級生で集まると、いつも先生の話が出るぐらいに面白い授業でした。

著者が提案する超訳は例えば以下のようなものがあります。
六 客中行(かくちゆうこう) 李白
蘭陵(らんりよう)の美酒鬱金香(こんこう)
玉椀(ぎょくわん)盛り来(きた)る琥珀の光
但(た)だ主人をして
能(よ)く客を酔わしめば
何(いず)れの処か是れ他郷

なみなみ酌がれた高級地酒 口からお出迎え うまい酒とウマの合う話し相手がいる所が 俺の故郷さ (p.84)
書き下し文では意味を汲み取るのが難しいですが、超訳ではすごく平易に書かれています。昔の人が詩を作る研ぎ澄まされた技術を用いながら伝えたいことは、現在から考えても理解し会えるような意見なのが新鮮でした。

高校の授業でもそうだったのですが、著者の特性として漢文以外のコラムが面白いと感じました(僕自身、漢文にあまり興味がないので)。昔の中国では美しい詩を作ることができる人物が情緒に秀でたよい統治者であるということが前提となっていたそうです。
近大詩は①字数②平仄(ひょうそく)③押印の他に起承転結や対句などの制約があり、規則どおりの詩が作れるというだけで、中国ではインテリの証明でもあった。その上に読者を感動させる詩を作れるとなれば、人情に精通した一級の人物とみなされ、そうした人物を求めるために官吏登用試験である科挙に詩が課せられるようになったのだ。(p.42)
そのため、一つ一つの詩には、人の人生をかけるほどの現在からは考えられないほどの情熱が傾けられています。詩がどれほどの推敲と努力の上に成り立っているかを知れば、読者がその詩から得られるモノへの期待が高まります。
詩人として名を成せば、科挙に合格して進士になれなくても皇帝の側近くに仕えることも役人として遇されることも可能だった。現に、李白や杜甫は一時期そうした厚遇に与っている。そのためもあって詩人たちの詩に対する思いは妄執と呼べるほど凄まじいものだった。(p.130)
先生に高校で漢文を習っていたときには、漢文が好きなちょっと変わった先生というのと、なんかすごい人だと漠然と思うぐらいでしたが、この本を読むと深い知識とそれに裏打ちされた考察がすごいと見直しました。高校での授業の他は何をしているんだろうなと不思議でしたが、しっかりと研究をされていたのだと思いました。また、先生の祖父も知名度のある漢学者だということもこの本ではじめて知りました。
幸い祖父の佐久節は学識も知名度も共に備えた漢学者であり、漢詩の訳者でもあった。(p.4)
またあとがきを読み、最後の漢文の授業で、定年後に漢詩を作ることを勧めていたのを思い出しました。
というわけで、定年を迎えて時間的な余裕をできた読者には、ぜひとも漢詩を作ることをお勧めしたい。若い読者には、その時のための準備を始めていただきたい。(p.225)
ビジネスマンが泣いた「唐詩」一〇〇選
佐久 協 (著)
1 サラリーマン人生
2 人生の哀歓
3 飲食
4 青春
5 友情
6 旅情
7 望郷
8 戦乱

「国破れて山河在り」「昔聞く洞庭の水」「白髪三千丈」…。古来、誰もが暗誦した唐代の名詩。その作者たちは、多くが科挙の合格者であり、青春の輝きを謳歌した。しかしまもなく世知辛い現実に直面して、エリートだった自分もまた敗者であるということを知った。酒食に憂さを晴らし、友と別れ、旅情に涙し、望郷の念に胸を焦がしながら、詩作にわが身の哀歓をぶつけたのだ。当時の詩人たちの心情が、現代日本人のそれと何ら変わらないのに驚かされるだろう。本書では、字句や文法の吟味は横において、詩本来の内容やリズムを肌で感じられるような訳を試みた。
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Kyoto, Japan
なんとなく悲観的なムードのほかに違和感を感じた一時帰国中の話題としてはお笑いの矢島美容室に関するものです。海外にいるとお笑いブームにはついていけなくなります。僕にとって矢島美容室はそうした影響をモロに受けたブームでした。つまり最初にテレビで彼らを見たときに何の予備知識もなく見ることになりました。時期的に、おそらく見た場面は彼らの最後のライブだったようです。


矢島美容室 - Wikipedia
2008年12月20日国立代々木第一体育館で最初で最後のライブを開催され、その場で解散(帰国)が撤回される。
まず、見たときは片言の日本語をしゃべるフィリピン人が出てきたと感じました。しかしよく見ると日本人が変装しているようにも見え、どっちなんだろうと不思議に思っていました。それと同時に日本人が変装していないことを願いました。日本人が片言の外人のマネをして、会場全体で笑いものにしている図が耐えられないと感じたからです。僕はフランスでは完全な片言外人です。毎日3時間2年間勉強してもフランス語ネイティブから見たら、変なフランス語であることは疑いありません。それをネイティブがマネをしてみんなで笑っていたらやりきれない気分になると思うのです。せめて外人自身が面白おかしくやっていることを期待しました。しかし実際は日本人が外人のマネをしていたのです。少しショックを受けました。フランスではありえない現在の日本では許されるユーモアであると感じます。

さらに、彼らは「ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」という歌を歌います(歌詞はこちら)。
ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-
(歌詞) パスポートもちゃんとあります。少しなら、YENも持ててます。
VISA(滞在許可)とお金と、パスポートと片言外人をお笑いのネタにするのはフランスでは少し深刻すぎます。やはり日本だからできる笑いなのではないでしょうか。

なおこのエントリーは、帰国当初に感じた違和感をつづっただけのもので、矢島美容室を批判しているわけではありません。お笑いがこの手の批判に怖じ気づいて、面白いことができなくなるほうが世の中に対する悪影響が強いと感じます。特に悲観的ムードが流れていると感じる今の日本にはもっとも必要なものは面白いものであるかもしれません。お笑い芸人は自分が面白いと信じるものをやり続けてほしいと願います。

ただ、僕自身、2年間日本を離れていてもお笑いの面白さを理解できなかったのは初めての経験でした。たとえば「そんなの関係ねー」は遅れて触れましたがちゃんと笑うことができたと思います。矢島美容室はマーケティング的には大成功を収めているようです。また、下のページでは矢部美容室をテレビで見たときの感想として肯定的に述べられています。

第45回:「矢島美容室」に学ぶ、長寿ブランド“とんねるず”のPR手法: NBonline(日経ビジネス オンライン)
どうですか?共感丸出しでしょう。いまの日本を外から見たふりをして、勇気づけている。ほんとは、政治家がすることなのでしょうが、日本の政治家には到底 頼れないから、エンターテイナーがやってやる。そんな心意気が見えてきて、思わず拍手してしまいました。楽しませながら、今の日本って変じゃない?と言っ ているのです。
今は当初、自身が感じた違和感の原因を知りたいという気分になっています。一つ思いつく原因の候補としては、やはりお笑いということで曲自体が冗談になっているというものでしょう。歌詞の”政治家嘘をつきません”、”先生は生徒守ります”、”税金無駄には使わないです”などすべて冗談仕立てになっていると解釈し、片言の外人も含めて、曲全体を笑い飛ばすことを期待されているのでしょうか?

関連:
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Kyoto, Japan
なんとなく悲観的なムードのほかに違和感を感じた一時帰国中の話題としてはお笑いの矢島美容室に関するものです。海外にいるとお笑いブームにはついていけなくなります。僕にとって矢島美容室はそうした影響をモロに受けたブームでした。つまり最初にテレビで彼らを見たときに何の予備知識もなく見ることになりました。時期的に、おそらく見た場面は彼らの最後のライブだったようです。
矢島美容室 - Wikipedia
2008年12月20日国立代々木第一体育館で最初で最後のライブを開催され、その場で解散(帰国)が撤回される。
まず、見たときは片言の日本語をしゃべるフィリピン人が出てきたと感じました。しかしよく見ると日本人が変装しているようにも見え、どっちなんだろうと不思議に思っていました。それと同時に日本人が変装していないことを願いました。日本人が片言の外人のマネをして、会場全体で笑いものにしている図が耐えられないと感じたからです。僕はフランスでは完全な片言外人です。毎日3時間2年間勉強してもフランス語ネイティブから見たら、変なフランス語であることは疑いありません。それをネイティブがマネをしてみんなで笑っていたらやりきれない気分になると思うのです。せめて外人自身が面白おかしくやっていることを期待しました。しかし実際は日本人が外人のマネをしていたのです。少しショックを受けました。フランスではありえない現在の日本では許されるユーモアであると感じます。

さらに、彼らは「ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-」という歌を歌います(歌詞はこちら)。
ニホンノミカタ -ネバダカラキマシタ-
(歌詞) パスポートもちゃんとあります。少しなら、YENも持ててます。

VISA(滞在許可)とお金と、パスポートと片言外人をお笑いのネタにするのはフランスでは少し深刻すぎます。やはり日本だからできる笑いなのではないでしょうか。

なおこのエントリーは、帰国当初に感じた違和感をつづっただけのもので、矢島美容室を批判しているわけではありません。お笑いがこの手の批判に怖じ気づいて、面白いことができなくなるほうが世の中に対する悪影響が強いと感じます。特に悲観的ムードが流れていると感じる今の日本にはもっとも必要なものは面白いものであるかもしれません。お笑い芸人は自分が面白いと信じるものをやり続けてほしいと願います。

ただ、僕自身、2年間日本を離れていてもお笑いの面白さを理解できなかったのは初めての経験でした。たとえば「そんなの関係ねー」は遅れて触れましたがちゃんと笑うことができたと思います。矢島美容室はマーケティング的には大成功を収めているようです。また、下のページでは矢部美容室をテレビで見たときの感想として肯定的に述べられています。
第45回:「矢島美容室」に学ぶ、長寿ブランド“とんねるず”のPR手法: NBonline(日経ビジネス オンライン)
どうですか?共感丸出しでしょう。いまの日本を外から見たふりをして、勇気づけている。ほんとは、政治家がすることなのでしょうが、日本の政治家には到底 頼れないから、エンターテイナーがやってやる。そんな心意気が見えてきて、思わず拍手してしまいました。楽しませながら、今の日本って変じゃない?と言っ ているのです。
今は当初、自身が感じた違和感の原因を知りたいという気分になっています。一つ思いつく原因の候補としては、やはりお笑いということで曲自体が冗談になっているというものでしょう。歌詞の”政治家嘘をつきません”、”先生は生徒守ります”、”税金無駄には使わないです”などすべて冗談仕立てになっていると解釈し、片言の外人も含めて、曲全体を笑い飛ばすことを期待されているのでしょうか?

関連:一時帰国中の雑感「なんとなく悲観的」
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Paris, France
年末年始は、一年ぶりに帰国しています。現在帰国して1週間がたちました。帰国した当初の第一感触を忘れないうちに書き留めておこうと思います。まず、家族が用意してくれた寿司を食べながら見たテレビのトップニュースがすごく暗かったのに気づきました。第一のニュースが神奈川県の警官が二人組みに拳銃を奪われた事件。第二の事件は北海道のコンビニで菓子パンに待ち針が混入された事件。3つ目は世田谷一家殺人事件の続報でした。

菓子パンに待ち針が混入された事件では、リポーターがターゲットとなった菓子パンを引き裂いて中身を見せていました。弟はお気に入りの菓子パンだったらしく、もしも自分だったらと想像したでしょう。僕も口の中に待ち針が刺さった様子を想像して、血の味を感じた気がしました。

でもよく考えたら、何万とあるコンビニの中の、しかも北海道で起きた事件は多くの人にとってトップニュースにするほど関連あるものではありません。多くの人にとって、菓子パンを見たときに思い出すぐらいの、なんとなくイヤな感じがするニュースでしかないでしょう。例えば、これがただのいたずらではなく、派遣社員の問題や、介護疲れの問題など誰もが関係する問題が背景にあると判明したりすれば、違ってくるとは思いますが。僕がこのニュースを見たときは視聴者がその背景を想像で補うしかないような漠然とイヤなニュースとしか感じませんでした。

3つのトップニュースが終わってから、閣僚会議で麻生首相がテレビに映りました。フランスでは大統領が最初に映ることが多いのでなんとなく違和感を感じました。それからトップニュースに三つの暗い話題を持ってくることによる視聴者にあたえる悲観的なイメージを想像しました。日本に充満する悲観的空気に追従するためにニュースで暗い話題を放送しているのか、暗い話題が日本の悲観的な空気を生み出しているのか、なかなか興味深いと思います。

次に、自動車会社に勤める友人は不景気を嘆いていました。確かに今年の9月以来、自動車が売れづらい現状は聞いているために、妥当だとは思います。しかし考えてみれば、90年にバブルがはじけて以来20年近くずっと不況といわれている現状を考えると、不況といわれている状況が通常状態だと言うことも可能なはずです。さらに、彼はこんな状況では最低限度の生活も脅かされると嘆いていました。しかし、彼は今年11月にスポーツワゴンの新車を買っているのです。しかも、カーナビやかっこいい追加装備も装着していました。日本とフランス両方あわせた僕の周りの同年代の友人すべてをあわせても一番リッチな生活をしているといっても過言ではありません。少し悲観的になりすぎている感想を持ちました。

日本全体が余分に悲観的になっている気がします。現在感じている悲観的な空気や、将来の不安が本当に妥当なものなのか、もう少し楽観的な観点から考えてみることをお勧めします。
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Paris, France
年末年始は、一年ぶりに帰国しています。現在帰国して1週間がたちました。帰国した当初の第一感触を忘れないうちに書き留めておこうと思います。まず、家族が用意してくれた寿司を食べながら見たテレビのトップニュースがすごく暗かったのに気づきました。第一のニュースが神奈川県の警官が二人組みに拳銃を奪われた事件。第二の事件は北海道のコンビニで菓子パンに待ち針が混入された事件。3つ目は世田谷一家殺人事件の続報でした。

菓子パンに待ち針が混入された事件では、リポーターがターゲットとなった菓子パンを引き裂いて中身を見せていました。弟はお気に入りの菓子パンだったらしく、もしも自分だったらと想像したでしょう。僕も口の中に待ち針が刺さった様子を想像して、血の味を感じた気がしました。

でもよく考えたら、何万とあるコンビニの中の、しかも北海道で起きた事件は多くの人にとってトップニュースにするほど関連あるものではありません。多くの人にとって、菓子パンを見たときに思い出すぐらいの、なんとなくイヤな感じがするニュースでしかないでしょう。例えば、これがただのいたずらではなく、派遣社員の問題や、介護疲れの問題など誰もが関係する問題が背景にあると判明したりすれば、違ってくるとは思いますが。僕がこのニュースを見たときは視聴者がその背景を想像で補うしかないような漠然とイヤなニュースとしか感じませんでした。

3つのトップニュースが終わってから、閣僚会議で麻生首相がテレビに映りました。フランスでは大統領が最初に映ることが多いのでなんとなく違和感を感じました。それからトップニュースに三つの暗い話題を持ってくることによる視聴者にあたえる悲観的なイメージを想像しました。日本に充満する悲観的空気に追従するためにニュースで暗い話題を放送しているのか、暗い話題が日本の悲観的な空気を生み出しているのか、なかなか興味深いと思います。

次に、自動車会社に勤める友人は不景気を嘆いていました。確かに今年の9月以来、自動車が売れづらい現状は聞いているために、妥当だとは思います。しかし考えてみれば、90年にバブルがはじけて以来20年近くずっと不況といわれている現状を考えると、不況といわれている状況が通常状態だと言うことも可能なはずです。さらに、彼はこんな状況では最低限度の生活も脅かされると嘆いていました。しかし、彼は今年11月にスポーツワゴンの新車を買っているのです。しかも、カーナビやかっこいい追加装備も装着していました。日本とフランス両方あわせた僕の周りの同年代の友人すべてをあわせても一番リッチな生活をしているといっても過言ではありません。少し悲観的になりすぎている感想を持ちました。

日本全体が余分に悲観的になっている気がします。現在感じている悲観的な空気や、将来の不安が本当に妥当なものなのか、もう少し楽観的な観点から考えてみることをお勧めします。
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Paris, France
博士課程に進む意義」のエントリが現在、このブログで一番のはてなブックマーク(10個)を集めていることから、このブログも博士課程の学生や博士号取得者の目に触れているのかも知れません。このエントリではフランス国立情報学自動制御研究所 (INRIA) の研究員募集のお知らせを掲載しようと思います。

まず、「INRIAとはフランス政府研究省および、経済財政産業省が共同管理するフランス国立研究所である。 1979年に、フランスの情報・制御分野の中心となる研究機関として設立された。 フランス国内に8ヶ所の研究施設もち、3000人以上の職員を抱える大規模な研究所(wikipediaより)」です。フランスやヨーロッパはもちろん世界でも評価の高い研究機関です。

[書評] 高学歴ワーキングプア」では、博士課程を修了した人びとによる悲劇が描かれていましたが、状況説明は全て日本の大学院をターゲットとしていました。一つの解答として、海外のに飛び出して研究員になるという道もあると思います。また、同書では「博士号をさして、「足の裏の米粒」などと揶揄する声も耳にすることが少なくない。その意味は、「とっても食えないが、取らないと気持ちが悪い」だ。(P.188)」と例えられていますが、全ての研究職に博士号が必要とされています。

2008年12月19日からフォームが利用可能になり、2009年2月16日に締め切りです。
フランスで研究する意義については「[まとめ] フランス留学のススメ」でいろいろ書いているので、参考にしてください。僕はフランスに来たらフランス語を学ぶことを勧めますが、それでも研究を行うにあたっては、フランス語が出来なくとも英語で何とかなります。この辺りの事情は「留学するのにフランス語は必要か」が参考になると思います。また、僕自身の経験としてフランス語がまったくゼロでも1年間しっかり学習すれば、フランス語でミーティングに参加して議論するぐらいには上達するはずです→(フランス語の勉強の仕方(まとめ))。

フランスへの研究留学を全てポジティブに書いてきましたが、フランスに渡ってみてうまく行くかどうかは、本当は分かりません。分からない以上、チャレンジすることは運を天に任せる行為になります。現在30歳ぐらいの研究者がその後定年まで30年ぐらい研究を行う際に、フランスで数年過ごす価値はどれぐらいのものなのか。熟考し、他の道と徹底的に比較したのち、どちらかを選びその中で努力する。日本を選んでもフランスを選んでも、その中で運が作用することは同じことです。
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Paris, France
博士課程に進む意義」のエントリが現在、このブログで一番のはてなブックマーク(10個)を集めていることから、このブログも博士課程の学生や博士号取得者の目に触れているのかも知れません。このエントリではフランス国立情報学自動制御研究所 (INRIA) の研究員募集のお知らせを掲載しようと思います。

まず、「INRIAとはフランス政府研究省および、経済財政産業省が共同管理するフランス国立研究所である。 1979年に、フランスの情報・制御分野の中心となる研究機関として設立された。 フランス国内に8ヶ所の研究施設もち、3000人以上の職員を抱える大規模な研究所(wikipediaより)」です。フランスやヨーロッパはもちろん世界でも評価の高い研究機関です。

[書評] 高学歴ワーキングプア」では、博士課程を修了した人びとによる悲劇が描かれていましたが、状況説明は全て日本の大学院をターゲットとしていました。一つの解答として、海外のに飛び出して研究員になるという道もあると思います。また、同書では「博士号をさして、「足の裏の米粒」などと揶揄する声も耳にすることが少なくない。その意味は、「とっても食えないが、取らないと気持ちが悪い」だ。(P.188)」と例えられていますが、全ての研究職に博士号が必要とされています。

2008年12月19日からフォームが利用可能になり、2009年2月16日に締め切りです。
フランスで研究する意義については「[まとめ] フランス留学のススメ」でいろいろ書いているので、参考にしてください。僕はフランスに来たらフランス語を学ぶことを勧めますが、それでも研究を行うにあたっては、フランス語が出来なくとも英語で何とかなります。この辺りの事情は「留学するのにフランス語は必要か」が参考になると思います。また、僕自身の経験としてフランス語がまったくゼロでも1年間しっかり学習すれば、フランス語でミーティングに参加して議論するぐらいには上達するはずです→(フランス語の勉強の仕方(まとめ))。

フランスへの研究留学を全てポジティブに書いてきましたが、フランスに渡ってみてうまく行くかどうかは、本当は分かりません。分からない以上、チャレンジすることは運を天に任せる行為になります。現在30歳ぐらいの研究者がその後定年まで30年ぐらい研究を行う際に、フランスで数年過ごす価値はどれぐらいのものなのか。熟考し、他の道と徹底的に比較したのち、どちらかを選びその中で努力する。日本を選んでもフランスを選んでも、その中で運が作用することは同じことです。
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Paris, France
今年5月に「フランス語の勉強の仕方」を書いてから、約半年が経ちました。5月に書いたエントリーのように、ポッドキャストでフランス語のNHKニュースを聞いて、全文スクリプトを朗読し、知らない単語を覚えていくという方法は、なかなかいい方法なのではないかと思います。しかし、毎日同じ方法で勉強していると伸びてくる能力が固定化してきます。今のようなやり方では、当初意図していたように特に単語聞き取りが伸びます。登録した単語が5000語を越え(→500日間、1日フランス語10単語を覚える)、大抵の聞き取りは出来るようになってきました。

単語と聞き取りが出来るに従って、自分の力不足を感じるのが会話能力です。会話で詰まったり、瞬発的な反応が遅れたりするために、みんなで会話を楽しんでいるような場面で思うように会話に参加できなかったりします。職場には我先にとしゃべる人が多くて、静かにしていると会話を聞いているだけのようになってしまったりします。

上の5月に書いたエントリでは単語と聞き取りを重視していたため、会話(特に自分が話を切り出す方)の能力が伸ばせない欠点があります。ポッドキャスト版のフランス語NHKニュースは、アナウンサーが原稿を読むスタイルのフランス語なので、実際の会話ではよく使われる疑問形や簡単形、命令形、また感嘆詞などが出てきません。また、アナウンサーは早口なフランス人よりはかなりゆっくり目にしゃべっているので、実際の会話の応酬についていけないこともあります。また、当初大変だった聞き取りや朗読も自分の能力の向上によって毎日の勉強の負荷が減ってきていました。

そこで、主に会話の能力を上げることを目的とした勉強法を実践することにしました。同じくポットキャストを使うのですが、今度は複数の人物が会話しながら進んでいくフランス語を母国語とする人達が聞くポッドキャストを選択しました。疑問形や感嘆詞、応答を考える間や、会話の呼吸などが吸収できます。正直、NHKの方でも全て聞き取れている訳ではないので、まだ少しつらいですが、忍耐強くやっていけば慣れてくるのではないかと思います。

今回選んだポットキャストは以下の通りです。
  1. Europe1 - Nicolas Canteloup - Revue de presque
    現時点でフランス語ポッドキャストのランキング一位でした。下のビデオに出てくるNicolas CANTELOUPが最新のニュースについて面白いコメントをするタイプのようです。


  2. RMC - De quoi je me mail
    ハイテク関係の最新情報を扱うポッドキャストです。

    マルチメディアの新製品、インターネットに関係した技術革新を細かく分析、Micro Hebdoの代表の主任の編集者Stephan Schreiberなどのスペシャリストによる分かりやすくリラックスした雰囲気で大衆向けに説明する。
    Les nouveautés du multimédia et les innovations technologiques liées à l'Internet sont décortiquées et expliquées pour le grand public, dans une ambiance conviviale et détendue, par des spécialistes tels que Stephan Schreiber, rédacteur en chef délégué de Micro Hebdo.
1の方は、まだまだ笑いのポイントが分かりません。言葉遊びというか、ニュアンスが分からないと難しいのかも知れません。2の方は、facebook、windows 7、地デジなど新しい製品について説明されていて、個人的興味からなかなか面白いと感じています。どちらも、全文スクリプトが手に入らないので、新出単語のチェックやアナウンサーをまねて全文を朗読したりすることが出来ません。単語と朗読については他の方法で進めて必要があります。
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Paris, France
今年5月に「フランス語の勉強の仕方」を書いてから、約半年が経ちました。5月に書いたエントリーのように、ポッドキャストでフランス語のNHKニュースを聞いて、全文スクリプトを朗読し、知らない単語を覚えていくという方法は、なかなかいい方法なのではないかと思います。しかし、毎日同じ方法で勉強していると伸びてくる能力が固定化してきます。今のようなやり方では、当初意図していたように特に単語聞き取りが伸びます。登録した単語が5000語を越え(→500日間、1日フランス語10単語を覚える)、大抵の聞き取りは出来るようになってきました。

単語と聞き取りが出来るに従って、自分の力不足を感じるのが会話能力です。会話で詰まったり、瞬発的な反応が遅れたりするために、みんなで会話を楽しんでいるような場面で思うように会話に参加できなかったりします。職場には我先にとしゃべる人が多くて、静かにしていると会話を聞いているだけのようになってしまったりします。

上の5月に書いたエントリでは単語と聞き取りを重視していたため、会話(特に自分が話を切り出す方)の能力が伸ばせない欠点があります。ポッドキャスト版のフランス語NHKニュースは、アナウンサーが原稿を読むスタイルのフランス語なので、実際の会話ではよく使われる疑問形や簡単形、命令形、また感嘆詞などが出てきません。また、アナウンサーは早口なフランス人よりはかなりゆっくり目にしゃべっているので、実際の会話の応酬についていけないこともあります。また、当初大変だった聞き取りや朗読も自分の能力の向上によって毎日の勉強の負荷が減ってきていました。

そこで、主に会話の能力を上げることを目的とした勉強法を実践することにしました。同じくポットキャストを使うのですが、今度は複数の人物が会話しながら進んでいくフランス語を母国語とする人達が聞くポッドキャストを選択しました。疑問形や感嘆詞、応答を考える間や、会話の呼吸などが吸収できます。正直、NHKの方でも全て聞き取れている訳ではないので、まだ少しつらいですが、忍耐強くやっていけば慣れてくるのではないかと思います。

今回選んだポットキャストは以下の通りです。
  1. Europe1 - Nicolas Canteloup - Revue de presque
    現時点でフランス語ポッドキャストのランキング一位でした。下のビデオに出てくるNicolas CANTELOUPが最新のニュースについて面白いコメントをするタイプのようです。


  2. RMC - De quoi je me mail
    ハイテク関係の最新情報を扱うポッドキャストです。
    マルチメディアの新製品、インターネットに関係した技術革新を細かく分析、Micro Hebdoの代表の主任の編集者Stephan Schreiberなどのスペシャリストによる分かりやすくリラックスした雰囲気で大衆向けに説明する。
    Les nouveautés du multimédia et les innovations technologiques liées à l'Internet sont décortiquées et expliquées pour le grand public, dans une ambiance conviviale et détendue, par des spécialistes tels que Stephan Schreiber, rédacteur en chef délégué de Micro Hebdo.
1の方は、まだまだ笑いのポイントが分かりません。言葉遊びというか、ニュアンスが分からないと難しいのかも知れません。2の方は、facebook、windows 7、地デジなど新しい製品について説明されていて、個人的興味からなかなか面白いと感じています。どちらも、全文スクリプトが手に入らないので、新出単語のチェックやアナウンサーをまねて全文を朗読したりすることが出来ません。単語と朗読については他の方法で進めて必要があります。
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美しい国へ (文春新書)
2006年9月26日に総理大臣になった安倍氏がその2ヶ月前に出版した本です。1年ほどで突然政権を投げ出した安倍氏の言葉と言うことで、全てがむなしく響いてしまうのは避けられないでしょう。それでも、たった1年ほど前まで1年間首相を務めた人がどんなことを考えていたかを知ることは、少しは意味があることだと思います。彼は正当な手段で首相に上り詰めたので、国民の期待と信頼を背負ってリーダーとなったと見ることが出来るからです。日本語の本が貴重であるパリにおいて本書をセールで1ユーロで得られたことはお得でした。

政治家の本は、たいてい政敵に揚げ足を取られないように、全体的に詳しく突っ込んで書かれていません。つまり、「総論賛成、各論反対」の傾向において反対を避けるように、各論を避けるように書かれています。良いことというのは、どんな政治家でも決まって口にするもので、この本も多くの政治家の本のように高い志が書かれています。政治家の評価は実行にあるので、その点では首相を務めた期間の安倍氏の評価は低いものとならざるを得ないでしょう。以下の言も守られなかったことを見たりすると、その信念さえも疑念が生じてしまいます。今日この時期に本書を読むと、全体的に良い言葉がむなしく響いてしまいます。
確たる信念をもち、たじろがず、批判を覚悟で臨む——新たな決意だった。(P.41)
この本でまっとうだと思ったところと、疑問だった点を挙げておこうと思います。まっとうだと思った点は、(すこし引っかかった点もありましたが)ナショナリズムに関する記述です。
心の底から、かれらとコミュニケーションをとろうと思ったら、自らのアイデンティティをまず確認しておかなければならない。...(略)...かれらは、わたしたちを日本人、つまり国家に帰属している個人であることを前提として向き合っているのである。はじめて出会う外国人に、「あなたはどちらから来ましたか」と聞かれて、「わたしは地球市民です」と答えて信用されるだろうか。(P.93)
「わたしは地球市民です」と答えるタイプの左派の人達と比べると、自分に日本人というレッテルがついていることを自覚している人の方が無理がない考え方だと思います。地球上すべての人間が努力と能力によって、平等に扱われるのは確かに理想ですが、現状はそうではありません。偶然生まれた国と時代によって、食べるのにも困ったり、教育の水準が低かったり、はたまた気候に恵まれていたり、天然資源の恩恵を受けられたりします。こういった不平等を是正するには全ての国家を廃止するか、全ての人に全ての国籍を無条件で選択可能にするといった、思い切った時代の変化が必要です。現状では国籍変更がかなり難しい上、その人の持つ国籍がその人に一生ついてまわります。とはいえ、右派で名高い安倍氏が、だから国家を大切にしなさいというと、摩擦を引き起こすことは容易に分かりますが。

他国では、日本のようにナショナリズムを押さえつけることはないということを説明する部分ではフランスのワールドカップ優勝の事例が使われています。
優勝の夜、人びとは国家「ラ・マルセイエーズ」を歌って熱狂し、百万人以上がつどった凱旋門には「メルシー・レ・ブリュ」の電光掲示板が浮かび上がった。サッカーのもたらしたナショナリズムが、移民に対する反感を乗り越えた瞬間だった。(p.81)
フランスもナショナリズムを高揚させているのだから、日本だって良いじゃないかと言うことなのでしょうが、これはまったく次元が違います。フランスは日本とちがって多民族国家です。フランス人でも顔もちがえば、宗教、習慣だってちがう。一つにまとまるには、国としての共通体験を増やしていくしかないという事情があります。偶然手に入れたフィガロ紙にも優勝の喜びが書かれていましたが(→「フランス人である幸せ (Le Figaro 1998)」)、フランス人が移民に対する反感を乗り越えたと言うのは、率直に言って間違った認識だと思います。それから7年経った2005年の暴動を見ても明らかです。フランスは今でも移民対策は完全に解決されている訳ではなく、より良い国づくりのために苦しみ続けていると思います。

少子化の問題に関する以下の部分は、政治家が国民のがんばりに期待しているようで、違和感を感じます。
また、従来の少子化対策についての議論を見ていて感じることは、子供を育てることの喜び、家族を持つことの素晴らしさといった視点が抜け落ちていたのではないか、ということだ。わたしのなかでは、子供を産み育てることの損得を越えた価値を忘れてはならないという意識がさらに強くなってきている。(p.173)
子どもを持つことによる喜びは人びとが自然に感じるもので、政治家が国民に損得を越えて子どもを作ってくれと言うのは、間違っていると思います。以下のように、個人的な意見として書くとなんとなく共感できるので、書き方の違いかも知れませんが。
わたしには子どもがいない。だからこそよけい感じるのかもしれないが、家族がいて、子どもがいるというのは、損得勘定抜きでいいものだなあ、と思うことがよくある。(p.216)
美しい国へ (文春新書)
安倍 晋三 (著)

第1章 わたしの原点
第2章 自立する国家
第3章 ナショナリズムとはなにか
第4章 日米同盟の構図
第5章 日本とアジアそして中国
第6章 少子国家の未来
第7章 教育の再生

自信と誇りのもてる日本へ。「日本」という国のかたちが変わろうとしている。保守の姿、対米外交、アジア諸国との関係、社会保障の将来、教育の再生、真のナショナリズムのあり方…その指針を明示する必読の書。
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美しい国へ (文春新書)
2006年9月26日に総理大臣になった安倍氏がその2ヶ月前に出版した本です。1年ほどで突然政権を投げ出した安倍氏の言葉と言うことで、全てがむなしく響いてしまうのは避けられないでしょう。それでも、たった1年ほど前まで1年間首相を務めた人がどんなことを考えていたかを知ることは、少しは意味があることだと思います。彼は正当な手段で首相に上り詰めたので、国民の期待と信頼を背負ってリーダーとなったと見ることが出来るからです。日本語の本が貴重であるパリにおいて本書をセールで1ユーロで得られたことはお得でした。

政治家の本は、たいてい政敵に揚げ足を取られないように、全体的に詳しく突っ込んで書かれていません。つまり、「総論賛成、各論反対」の傾向において反対を避けるように、各論を避けるように書かれています。良いことというのは、どんな政治家でも決まって口にするもので、この本も多くの政治家の本のように高い志が書かれています。政治家の評価は実行にあるので、その点では首相を務めた期間の安倍氏の評価は低いものとならざるを得ないでしょう。以下の言も守られなかったことを見たりすると、その信念さえも疑念が生じてしまいます。今日この時期に本書を読むと、全体的に良い言葉がむなしく響いてしまいます。
確たる信念をもち、たじろがず、批判を覚悟で臨む——新たな決意だった。(P.41)
この本でまっとうだと思ったところと、疑問だった点を挙げておこうと思います。まっとうだと思った点は、(すこし引っかかった点もありましたが)ナショナリズムに関する記述です。
心の底から、かれらとコミュニケーションをとろうと思ったら、自らのアイデンティティをまず確認しておかなければならない。...(略)...かれらは、わたしたちを日本人、つまり国家に帰属している個人であることを前提として向き合っているのである。はじめて出会う外国人に、「あなたはどちらから来ましたか」と聞かれて、「わたしは地球市民です」と答えて信用されるだろうか。(P.93)
「わたしは地球市民です」と答えるタイプの左派の人達と比べると、自分に日本人というレッテルがついていることを自覚している人の方が無理がない考え方だと思います。地球上すべての人間が努力と能力によって、平等に扱われるのは確かに理想ですが、現状はそうではありません。偶然生まれた国と時代によって、食べるのにも困ったり、教育の水準が低かったり、はたまた気候に恵まれていたり、天然資源の恩恵を受けられたりします。こういった不平等を是正するには全ての国家を廃止するか、全ての人に全ての国籍を無条件で選択可能にするといった、思い切った時代の変化が必要です。現状では国籍変更がかなり難しい上、その人の持つ国籍がその人に一生ついてまわります。とはいえ、右派で名高い安倍氏が、だから国家を大切にしなさいというと、摩擦を引き起こすことは容易に分かりますが。

他国では、日本のようにナショナリズムを押さえつけることはないということを説明する部分ではフランスのワールドカップ優勝の事例が使われています。
優勝の夜、人びとは国家「ラ・マルセイエーズ」を歌って熱狂し、百万人以上がつどった凱旋門には「メルシー・レ・ブリュ」の電光掲示板が浮かび上がった。サッカーのもたらしたナショナリズムが、移民に対する反感を乗り越えた瞬間だった。(p.81)
フランスもナショナリズムを高揚させているのだから、日本だって良いじゃないかと言うことなのでしょうが、これはまったく次元が違います。フランスは日本とちがって多民族国家です。フランス人でも顔もちがえば、宗教、習慣だってちがう。一つにまとまるには、国としての共通体験を増やしていくしかないという事情があります。偶然手に入れたフィガロ紙にも優勝の喜びが書かれていましたが(→「フランス人である幸せ (Le Figaro 1998)」)、フランス人が移民に対する反感を乗り越えたと言うのは、率直に言って間違った認識だと思います。それから7年経った2005年の暴動を見ても明らかです。フランスは今でも移民対策は完全に解決されている訳ではなく、より良い国づくりのために苦しみ続けていると思います。

少子化の問題に関する以下の部分は、政治家が国民のがんばりに期待しているようで、違和感を感じます。
また、従来の少子化対策についての議論を見ていて感じることは、子供を育てることの喜び、家族を持つことの素晴らしさといった視点が抜け落ちていたのではないか、ということだ。わたしのなかでは、子供を産み育てることの損得を越えた価値を忘れてはならないという意識がさらに強くなってきている。(p.173)
子どもを持つことによる喜びは人びとが自然に感じるもので、政治家が国民に損得を越えて子どもを作ってくれと言うのは、間違っていると思います。以下のように、個人的な意見として書くとなんとなく共感できるので、書き方の違いかも知れませんが。
わたしには子どもがいない。だからこそよけい感じるのかもしれないが、家族がいて、子どもがいるというのは、損得勘定抜きでいいものだなあ、と思うことがよくある。(p.216)
美しい国へ (文春新書)
安倍 晋三 (著)

第1章 わたしの原点
第2章 自立する国家
第3章 ナショナリズムとはなにか
第4章 日米同盟の構図
第5章 日本とアジアそして中国
第6章 少子国家の未来
第7章 教育の再生

自信と誇りのもてる日本へ。「日本」という国のかたちが変わろうとしている。保守の姿、対米外交、アジア諸国との関係、社会保障の将来、教育の再生、真のナショナリズムのあり方…その指針を明示する必読の書。
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日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記 (新潮新書)
ロシアとの戦争には国家予算の6倍以上の戦費が必要でそのうち四割、つまり国家予算2.5年分のお金を貸してくれた人物がシフという人物です。この本はシフの生涯について書かれているものではなく、第一章にシフと日本の関わり、第二章に原題「Our Journey to Japan」を翻訳したものが収められています。

日露戦争においてシフが日本に肩入れした理由は、ユダヤの同胞を苦しめるロシアを牽制するためだと言われています。しかし、投資家としてのシフはもちろん投資の採算も計算に入れていたことでしょう。
全米ユダヤ人協会会長も務めるシフという人物が、ユダヤ同胞に圧政を敷くロシアに打撃を与えたいと考え、日本を支援したことには疑いを入れない。しかし、フランクフルトからアメリカに来たドイツ系アメリカ人でありながらアメリカ金融界の頂点にた取り付いた男が、日本に肩入れすることにビジネス・チャンスを見いだしたとしても矛盾しない。(p.44)
つまりシフは、ユダヤ人として反ロシアの姿勢をとったことと、日本に対して投資対象としての魅力を感じていたことのどちらもがあったと考えられます。シフの中でどちらの考え方が優勢であったかは興味深いです。種明かしのようで心苦しいですが、あとがきに、ある教授の分析として、投資対象の日本という考えが60パーセントを占めていたとの意見が提示されています。
二〇〇五年五月に小村寿太郎の生地・宮崎県飫肥(現・日南市)で開催された「日露戦争・ポーツマス条約締結百周年記念国際シンポジウム」で、パネリストからシフの動機を問われた高橋是清研究科のリチャード・スメサースト(米ピッツバーグ大学教授)が「[経済的動機が]六〇パーセント」と答えたのが印象的だった。(p.212)
日本を投資対象としての見ている割合が60パーセントというのは、どう感じますか。その時代で最も名高く有能な投資家が日本の国家予算の倍以上の資金を運用するのに40パーセントも運用益以外の検討事項が入るというのは、相当高い割合だと感じました。

シフの日本滞在の印象は非常に良好です。また、日本人がシフに対する態度は国が始まって以来最大の敬意を示すような対応です。だれもが日露戦争中のシフの好意に対し感謝を示し、代金を受け取らない日本人も書かれています(シフは無理矢理払いますが)。即興で日本画を描く催しで、シフは感動します。
こういった日本流のもてなし方は、実に素晴らしい。またもその好例を見せてもらったわけだ。しかし、駐日アメリカ代理公使のウィルソン氏がこの席で語ったところによると、日本滞在が長い人でも、来日して一ヶ月足らずの我々が味わっているこのような機会を持ったことがない人が多いという。(p.144)
また、日記のいろいろな部分から日本に対して好感を持っていることが分かります。
裁縫教室やいろいろな学科ものぞいてみたが、あらゆることに真剣かつ几帳面な態度で取り組むのには感動した。少女達の慎み深さ、機転、礼儀正しさは際立っていたが、庶民さえも例外なく、親切で謙虚で行儀の良い日本人という従来の印象が深まるだけのことだった。(p.160)
この日記は毎日詳細に書かれいるのは、何故なんだろうと不思議に思いながら読み進んでいきますが、最後にこの日記の意図が明らかになります。シフは「急激に変貌する文明や今後の歴史で重要な役割を演ずる国々への興味」を書きとめておくことを動機としていたようです。
この旅は生涯最大の出来事で、この後も長年にわたって回顧することを許されたい。おそらくこの楽しい旅行記が、われわれの死後も孫や子に対し、急激に変貌する文明や今後の歴史で重要な役割を演ずる国々への興味を刺激してくれることだろう。(p.210)
日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記 (新潮新書)
田畑 則重 (著)

第1章 ウォール街の巨人ジェイコブ・シフ高橋是清への指令
  • 開戦前夜の「困難」
  • ロンドンでの邂逅
  • 戦場以外の地道な戦略 ほか
第2章 シフ滞日記—Our Journey to Japan
  • ニューヨークから大陸横断鉄道の旅(一九〇六年二月二二日~三月七日)
  • マンチュリア号でハワイを経て横浜へ(三月八日~二四日)
  • ミカドの謁見。すばらしい午餐会(三月二五日~二八日)
  • ミカドの都。上野、増上寺、招魂社(三月二九日~四月一日) ほか
ジェイコブ・シフ、ドイツ系ユダヤ人でウォール街を代表する投資銀行家—。この男の助けがなければ、日本は日露戦争に勝てなかった。国家予算の六倍以上の 戦費をつぎ込み、継戦不可能というギリギリで掴んだ戦勝。その戦費の約四割を調達したのがシフだ。なぜ彼は極東の新興国日本を支援したのか?その生涯、対 日支援の動機とともに、叙勲のために招待された際の「滞日記」を、日本にはじめて紹介する。
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日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記 (新潮新書)
ロシアとの戦争には国家予算の6倍以上の戦費が必要でそのうち四割、つまり国家予算2.5年分のお金を貸してくれた人物がシフという人物です。この本はシフの生涯について書かれているものではなく、第一章にシフと日本の関わり、第二章に原題「Our Journey to Japan」を翻訳したものが収められています。

日露戦争においてシフが日本に肩入れした理由は、ユダヤの同胞を苦しめるロシアを牽制するためだと言われています。しかし、投資家としてのシフはもちろん投資の採算も計算に入れていたことでしょう。
全米ユダヤ人協会会長も務めるシフという人物が、ユダヤ同胞に圧政を敷くロシアに打撃を与えたいと考え、日本を支援したことには疑いを入れない。しかし、フランクフルトからアメリカに来たドイツ系アメリカ人でありながらアメリカ金融界の頂点にた取り付いた男が、日本に肩入れすることにビジネス・チャンスを見いだしたとしても矛盾しない。(p.44)
つまりシフは、ユダヤ人として反ロシアの姿勢をとったことと、日本に対して投資対象としての魅力を感じていたことのどちらもがあったと考えられます。シフの中でどちらの考え方が優勢であったかは興味深いです。種明かしのようで心苦しいですが、あとがきに、ある教授の分析として、投資対象の日本という考えが60パーセントを占めていたとの意見が提示されています。
二〇〇五年五月に小村寿太郎の生地・宮崎県飫肥(現・日南市)で開催された「日露戦争・ポーツマス条約締結百周年記念国際シンポジウム」で、パネリストからシフの動機を問われた高橋是清研究科のリチャード・スメサースト(米ピッツバーグ大学教授)が「[経済的動機が]六〇パーセント」と答えたのが印象的だった。(p.212)
日本を投資対象としての見ている割合が60パーセントというのは、どう感じますか。その時代で最も名高く有能な投資家が日本の国家予算の倍以上の資金を運用するのに40パーセントも運用益以外の検討事項が入るというのは、相当高い割合だと感じました。

シフの日本滞在の印象は非常に良好です。また、日本人がシフに対する態度は国が始まって以来最大の敬意を示すような対応です。だれもが日露戦争中のシフの好意に対し感謝を示し、代金を受け取らない日本人も書かれています(シフは無理矢理払いますが)。即興で日本画を描く催しで、シフは感動します。
こういった日本流のもてなし方は、実に素晴らしい。またもその好例を見せてもらったわけだ。しかし、駐日アメリカ代理公使のウィルソン氏がこの席で語ったところによると、日本滞在が長い人でも、来日して一ヶ月足らずの我々が味わっているこのような機会を持ったことがない人が多いという。(p.144)
また、日記のいろいろな部分から日本に対して好感を持っていることが分かります。
裁縫教室やいろいろな学科ものぞいてみたが、あらゆることに真剣かつ几帳面な態度で取り組むのには感動した。少女達の慎み深さ、機転、礼儀正しさは際立っていたが、庶民さえも例外なく、親切で謙虚で行儀の良い日本人という従来の印象が深まるだけのことだった。(p.160)
この日記は毎日詳細に書かれいるのは、何故なんだろうと不思議に思いながら読み進んでいきますが、最後にこの日記の意図が明らかになります。シフは「急激に変貌する文明や今後の歴史で重要な役割を演ずる国々への興味」を書きとめておくことを動機としていたようです。
この旅は生涯最大の出来事で、この後も長年にわたって回顧することを許されたい。おそらくこの楽しい旅行記が、われわれの死後も孫や子に対し、急激に変貌する文明や今後の歴史で重要な役割を演ずる国々への興味を刺激してくれることだろう。(p.210)
日露戦争に投資した男―ユダヤ人銀行家の日記 (新潮新書)
田畑 則重 (著)

第1章 ウォール街の巨人ジェイコブ・シフ高橋是清への指令
  • 開戦前夜の「困難」
  • ロンドンでの邂逅
  • 戦場以外の地道な戦略 ほか
第2章 シフ滞日記—Our Journey to Japan
  • ニューヨークから大陸横断鉄道の旅(一九〇六年二月二二日~三月七日)
  • マンチュリア号でハワイを経て横浜へ(三月八日~二四日)
  • ミカドの謁見。すばらしい午餐会(三月二五日~二八日)
  • ミカドの都。上野、増上寺、招魂社(三月二九日~四月一日) ほか
ジェイコブ・シフ、ドイツ系ユダヤ人でウォール街を代表する投資銀行家—。この男の助けがなければ、日本は日露戦争に勝てなかった。国家予算の六倍以上の 戦費をつぎ込み、継戦不可能というギリギリで掴んだ戦勝。その戦費の約四割を調達したのがシフだ。なぜ彼は極東の新興国日本を支援したのか?その生涯、対 日支援の動機とともに、叙勲のために招待された際の「滞日記」を、日本にはじめて紹介する。
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Paris, France
今月は、投稿エントリは15と過去最低でしたが、先月からほぼ横ばいの約17000アクセスでした。4月にブログを開設して、初めて登録フィード数が100を越えた日が2度ほどありました。登録していただいている方ありがとうございます。

また、今月は8ヶ月目にしてやっと、このブログを開設した動機である「[まとめ] フランス留学のススメ」を書き終えました。このブログは、日本からフランスに留学している理系の学生が少ないのは、フランスに留学に来る利点が正しく伝わっていないからじゃないかと思いたって書き始めました。普通の研究者、技術者になりたい学生は日本の大学に残るか、アメリカに留学すると思います。日米の関係は日本にとって最重要で、しかもアメリカは世界の頭脳が集まる最も技術レベルの高い国として認められているので当然のことだと思います。また、加えて、フランスには日本人にとって言語的な問題もあります。

世界は多様な思想、文化の協調路線へと進む中で、日本の技術者が日本またはアメリカで学んだものばかりになることは、日本にとっては好ましくありません。チームの構成員が皆同じ能力を持っていることが重視された時代が終わり、チームの中で他人と異なった能力を持つものが重宝される時代が来ます。日本においては不足しがちな、フランスひいてはEU加盟国で学ぶ学生の重要度が上がっていくと考えられます。

自分の経験から、新しい言語の習得は何とかなることや、異国での生活も何とかなるんだと言うことを他人から学んできました。僕自身、他人の行動に勇気づけられて、フランスに留学にやってきたと言っても過言ではありません。その経緯を今月ついに書くことが出来ました→「他人のポジティブな行動が自分のポジティブな行動を引き出す」。

このブログの動機が明らかになったところで、このブログのタイトル、URL、著者名に込められた思いを語っておこうと思います。ブログに書きたい内容が決まったのに、最初に決めなければならないものがいくつもあったので、タイトル、URL、著者名と後でも変えられると思い、それほど考えずにつけました。「フランスの日々」はそのまま考えなしにつけましたし、URLはそのフランス語訳です。『Mes etudes en france(メ ゼチュッ オン フランス)』と読みます。また、名前は誕生日である5月25日の聖人(Sainte Madeleine-Sophie Barat)の名前を頂いています。こちらのサイトで確認してつけました→「Nominis - Saints, Fêtes et Prénoms du 25 mai」。普通の日本人なのに西洋風の名前を付けるなんてかぶれてるとか思われそうなので変えてもいいのですが、代わりも見つからないので今のところ、全て最初に決めたままになっています。これからもこのブログをよろしくお願いします。

今月のアクセス数の上位10のエントリです。
  1. [まとめ] フランスと海外のマンガ人気
  2. フランス語の勉強の仕方(まとめ)
  3. 世界にいい影響を与える国:ニッポン
  4. フランスのマンガ人気
  5. フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(2/2)
  6. フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(1/2)
  7. フランス語の勉強の仕方
  8. 国民総かっこよさ(Gross National Cool)とは
  9. 日本人はなぜ悲観論が好きか
  10. 日本文化エロネタに対するフランス人の反応
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Paris, France
今月は、投稿エントリは15と過去最低でしたが、先月からほぼ横ばいの約17000アクセスでした。4月にブログを開設して、初めて登録フィード数が100を越えた日が2度ほどありました。登録していただいている方ありがとうございます。

また、今月は8ヶ月目にしてやっと、このブログを開設した動機である「[まとめ] フランス留学のススメ」を書き終えました。このブログは、日本からフランスに留学している理系の学生が少ないのは、フランスに留学に来る利点が正しく伝わっていないからじゃないかと思いたって書き始めました。普通の研究者、技術者になりたい学生は日本の大学に残るか、アメリカに留学すると思います。日米の関係は日本にとって最重要で、しかもアメリカは世界の頭脳が集まる最も技術レベルの高い国として認められているので当然のことだと思います。また、加えて、フランスには日本人にとって言語的な問題もあります。

世界は多様な思想、文化の協調路線へと進む中で、日本の技術者が日本またはアメリカで学んだものばかりになることは、日本にとっては好ましくありません。チームの構成員が皆同じ能力を持っていることが重視された時代が終わり、チームの中で他人と異なった能力を持つものが重宝される時代が来ます。日本においては不足しがちな、フランスひいてはEU加盟国で学ぶ学生の重要度が上がっていくと考えられます。

自分の経験から、新しい言語の習得は何とかなることや、異国での生活も何とかなるんだと言うことを他人から学んできました。僕自身、他人の行動に勇気づけられて、フランスに留学にやってきたと言っても過言ではありません。その経緯を今月ついに書くことが出来ました→「他人のポジティブな行動が自分のポジティブな行動を引き出す」。

このブログの動機が明らかになったところで、このブログのタイトル、URL、著者名に込められた思いを語っておこうと思います。ブログに書きたい内容が決まったのに、最初に決めなければならないものがいくつもあったので、タイトル、URL、著者名と後でも変えられると思い、それほど考えずにつけました。「フランスの日々」はそのまま考えなしにつけましたし、URLはそのフランス語訳です。『Mes etudes en france(メ ゼチュッ オン フランス)』と読みます。また、名前は誕生日である5月25日の聖人(Sainte Madeleine-Sophie Barat)の名前を頂いています。こちらのサイトで確認してつけました→「Nominis - Saints, Fêtes et Prénoms du 25 mai」。普通の日本人なのに西洋風の名前を付けるなんてかぶれてるとか思われそうなので変えてもいいのですが、代わりも見つからないので今のところ、全て最初に決めたままになっています。これからもこのブログをよろしくお願いします。

今月のアクセス数の上位10のエントリです。
  1. [まとめ] フランスと海外のマンガ人気
  2. フランス語の勉強の仕方(まとめ)
  3. 世界にいい影響を与える国:ニッポン
  4. フランスのマンガ人気
  5. フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(2/2)
  6. フランス人から見た日本特集『Un oeil sur la planète: Japon : le reveil du sumo ?』(1/2)
  7. フランス語の勉強の仕方
  8. 国民総かっこよさ(Gross National Cool)とは
  9. 日本人はなぜ悲観論が好きか
  10. 日本文化エロネタに対するフランス人の反応
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Paris, France
マンガは低俗か」では、権威あるマスメディアがマンガ・アニメ・ゲームに対して悪くいうのは、商売敵を貶める面があり、そのまま信じるのは不当だということを書いてきました。また、報道に影響されるのか、教養ある日本文化は、源氏物語であり、黒沢映画であって、マンガなどと言う低俗な文化ではないと主張する人もいることを見てきました。メディアに利害関係を持たず、メディアを鵜呑みにしない人でもマンガを軽視する人はいます。結局、マンガを見下す人はマンガを読まないし、読む予定もないということは言えると思います。であるからこそ、そんなものが教養の一部になってしまうことが許せないのでしょう。

まず、僕自身はマンガは読みますが、一部のマンガに対する教養ある人達のように、一片の台詞を聞いただけで、マンガのタイトルと作者とキャラクターの名前を暗唱できるようなマンガ教養の持ち主ではありません。それでも、マンガは海外での認知度を通じて、日本人の文化を世界に知らしめる貢献をしていることを認識しているので重要性は理解できます。

例えば、石造りの家に住んでいるフランス人が、日本家屋の畳や障子、襖を知っていて、ドラえもんが押し入れで就寝するのを知っているのはマンガの影響でしょう。また、部屋の中でも靴で歩くフランス人が、日本の高校では下駄箱で上履きに履き替えることを知っており、その下駄箱は女の子が意中の男の子にラブレターを入れるのに使われることを知っているのは、間違いなくマンガ・アニメの影響です。そういうアニメを見る外国人は、日本人が意中の人を前に顔を赤らめて、遠くから眺める心性を知っていたりします(フランスではちょっと好きになったらその日のうちにデートに誘うと言ってました)。日本人の生活様式や考え方は着実に浸透していると言えます。とにかく生け花や茶道、相撲や剣道を通じて日本人と日本文化を知ってもらうのと比べると、マンガの浸透圧は圧倒的と言えます。

マンガの圧倒的な浸透圧を認めることが出来ず、源氏物語と黒沢映画だけを教養ある日本文化と捉えると硬直した考えは時代に適さなくなってきています。黒澤監督が活躍していた時代には、高精細画面、コンピュータグラフィックス、インタラクティブに楽しめるゲームが普及していたら、彼はどのような映像を作ったのでしょうか。マンガ・アニメ・ゲームを軽視し触れることをしない人は、これらの手段で創作する作家の中には、映画の巨匠に匹敵する巨匠がいないと考えているのだと思いますが、疑う余地のない明らかという事実ではありません。疑う余地のある固定観念にとらわれているだけだと思います。

マンガをまじめな文化だと認めない天木さんも、「人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事」だと書いています。
[2008.11.27] 人を見下す事はいけない事だ | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ
人を見下す事も間違いだけれど、事実認識としても誤りだ。その大学教授がどの作家をさして自分より頭が悪いと言っているのか知らないが、人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事なのだ。価値がある事なのだ。頭が悪くてはできない。
この主張をマンガには適応しない理由はないはずです。自分はマンガ作家とマンガを読む人を根拠なく見下してはいないか、もう一度考えるのが謙虚な態度だと思います。「人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事」とすれば、日本語をフランスで翻訳される言語の第二位に押し上げたマンガの価値を認めない訳にはいけません。上のブログの結論は以下のようなものです。
自分こそ頭がいいと思いこんでいる頭の悪い連中が、つるんでこの国を動かしている、その現実こそ、国民を不幸にしていると思う。そこを変えなければこの国は変わらない。
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Paris, France
マンガは低俗か」では、権威あるマスメディアがマンガ・アニメ・ゲームに対して悪くいうのは、商売敵を貶める面があり、そのまま信じるのは不当だということを書いてきました。また、報道に影響されるのか、教養ある日本文化は、源氏物語であり、黒沢映画であって、マンガなどと言う低俗な文化ではないと主張する人もいることを見てきました。メディアに利害関係を持たず、メディアを鵜呑みにしない人でもマンガを軽視する人はいます。結局、マンガを見下す人はマンガを読まないし、読む予定もないということは言えると思います。であるからこそ、そんなものが教養の一部になってしまうことが許せないのでしょう。

まず、僕自身はマンガは読みますが、一部のマンガに対する教養ある人達のように、一片の台詞を聞いただけで、マンガのタイトルと作者とキャラクターの名前を暗唱できるようなマンガ教養の持ち主ではありません。それでも、マンガは海外での認知度を通じて、日本人の文化を世界に知らしめる貢献をしていることを認識しているので重要性は理解できます。

例えば、石造りの家に住んでいるフランス人が、日本家屋の畳や障子、襖を知っていて、ドラえもんが押し入れで就寝するのを知っているのはマンガの影響でしょう。また、部屋の中でも靴で歩くフランス人が、日本の高校では下駄箱で上履きに履き替えることを知っており、その下駄箱は女の子が意中の男の子にラブレターを入れるのに使われることを知っているのは、間違いなくマンガ・アニメの影響です。そういうアニメを見る外国人は、日本人が意中の人を前に顔を赤らめて、遠くから眺める心性を知っていたりします(フランスではちょっと好きになったらその日のうちにデートに誘うと言ってました)。日本人の生活様式や考え方は着実に浸透していると言えます。とにかく生け花や茶道、相撲や剣道を通じて日本人と日本文化を知ってもらうのと比べると、マンガの浸透圧は圧倒的と言えます。

マンガの圧倒的な浸透圧を認めることが出来ず、源氏物語と黒沢映画だけを教養ある日本文化と捉えると硬直した考えは時代に適さなくなってきています。黒澤監督が活躍していた時代には、高精細画面、コンピュータグラフィックス、インタラクティブに楽しめるゲームが普及していたら、彼はどのような映像を作ったのでしょうか。マンガ・アニメ・ゲームを軽視し触れることをしない人は、これらの手段で創作する作家の中には、映画の巨匠に匹敵する巨匠がいないと考えているのだと思いますが、疑う余地のない明らかという事実ではありません。疑う余地のある固定観念にとらわれているだけだと思います。

マンガをまじめな文化だと認めない天木さんも、「人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事」だと書いています。
[2008.11.27] 人を見下す事はいけない事だ | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ
 人を見下す事も間違いだけれど、事実認識としても誤りだ。その大学教授がどの作家をさして自分より頭が悪いと言っているのか知らないが、人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事なのだ。価値がある事なのだ。頭が悪くてはできない。
この主張をマンガには適応しない理由はないはずです。自分はマンガ作家とマンガを読む人を根拠なく見下してはいないか、もう一度考えるのが謙虚な態度だと思います。「人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事」とすれば、日本語をフランスで翻訳される言語の第二位に押し上げたマンガの価値を認めない訳にはいけません。上のブログの結論は以下のようなものです。
 自分こそ頭がいいと思いこんでいる頭の悪い連中が、つるんでこの国を動かしている、その現実こそ、国民を不幸にしていると思う。そこを変えなければこの国は変わらない。
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Paris, France
フランスはつくづく左派が強い国だと感じます。一度、フランス人に「日本人はカルロス・ゴーンのことをどう思っている?」と聞かれたときのことです。日本のビジネス雑誌にはゴーン氏の特集をやっていたり、テレビにも呼ばれたりしています(いました)。いろいろな見方はあると思いますが、一言「まあ、簡単にいうとヒーローじゃないかな」と答えました。日本でのフランス人の活躍ということで少し満足そうにしていましたが、「フランスでもそうなんじゃないの?」と聞いたら、きっぱり「あり得ない」と答えていました。曰く、「経営者と労働者(大衆)は対立しているから、ヒーローにはなれない。右の資本家に対する左の大衆の人気は得られない」と言っていました。経営者と資本家がヒーローになれない国だそうです。とはいえ、ゴーン氏は出身学校では著名な有名人の筆頭の挙げられているのを知っているので、実力は大衆にも認められているのですが。

フランスでは、右派と言えども日本のどの政党よりも左に位置していると言えます。反対にアメリカの左派も日本をはじめとする多くの国より右側に位置しています。左派=平等右派=自由を国ごとに並べると以下のようになると思います。
平等←フランス左、フランス右、日本左、日本右、アメリカ左、アメリカ右 →自由
そもそもフランスは、ブルジョワが通商の自由を求め、最初に市民革命を起こした国です。それまで、全ての権限を握っていた国王を始めとして、多くの貴族の首を飛ばしました。これまでの秩序と常識を吹き飛ばす、国民の発狂状態から新しい体制を築いてきました。それまで、最も教養深い国王が国の指針を決めていた体制から、市民の中で一番教養深いと思われている人が選ばれ、国の進路を決めることになりました。この情勢では王権側が右翼で、自由を求める勢力が左派だったので、この頃からフランスでは当時世界で一番、左派的(革新的)な勢力が強かったことが分かります。

時代は下り、現在は行き過ぎた自由を制限する平等が左派の思想になっても、フランスは左派の先鋒を務めています。フランスでは日曜日には原則として店が開いていません。また、24時間営業の店もありません。これは、日曜日の営業が許可制になっているためで、一番の繁華街、シャンゼリーゼ通りの店も日曜日の営業許可は持っておらず、日曜日は閉まります。資本家が大衆の資源(時間、体力、気力)を吸い取りながら、ひたすら利益を挙げる商業主義的、自由主義的な風潮は抑制されています。

思えば、自由という概念を最初に導入したフランスは、すでに先頭を切って自由の抑制(=平等)の段階に入っていると言えます。行き過ぎた自由資本主義の弊害を最初に打破するのは、市民革命を最初に成し遂げたように、またもやフランスになるのではないかと思います。少なくとも、日本よりもその可能性に近いと考えます。それは、日本の左派政党の能力が劣るといった実際的な物ではなく、フランス人と日本人が持つ1)考え方の違いと2)立場の違いだと思います。

まず第一に考え方の違いとして、フランス人は不当だと感じ、我に論理がある時には必ず主張します。例えばワーキングプアの問題があったら、どんなに小さいことでも、デモ、ストライキといった手段に出るために自身の論理を固め、仲間を集めます。逆に日本だと、どんなにつらくともみんな同じ状況で文句を言わずにがんばっているから、その状況で上手くやる方法を考えます。これには、理屈ばっかり言って不平を言い続けているフランス人と、多少の問題は自分でなんとかして黙々と作業を進める日本人という逆の面もあります。現状に常に不満を抱いているフランス人の方が新しい体制を作る可能性が高いと思うのです。

第二に、立場の違いがあります。資本家の横暴を抑制するという名目で、自由資本主義を制限してしまうと商業的な競争力は落ちます。毎日20時に閉まって日曜日営業しない店と、毎日24時間営業のコンビニでは、商業的利益では太刀打ちできるはずもありません。つまり、左派のいう平等(=自由の抑制)を一国で進めてしまうと、一国だけ貧しくなってしまう面があります。つまり、ここがフランスの立場が有利な面です。フランスはEU27ヶ国のリーダーを自認し、EUにおける、さまざまな政策の指導的立場にあります。また、各国にNoといわせないような論理の作り方が巧みです。対する日本は、他国に同じ方向を向かせるための手段を持っていません。フランスが、他国を巻き込みながら新しい世界の方向性を示せるのに対し、日本では一国だけ貧しくなってしまうような政策をとるのは不可能に近いと考えられます。

こう言ったことから、世界の新しい秩序を打ち立てる能力を持つのは、やはり(日本と比べると)フランスだと言わざるを得ません。対する日本は作られた秩序の中で優位な立場に立つ能力は非常に高いと思います。市民革命から始まる自由主義的な世界の中で一定の地位を築いていることを第一の証拠と出来るでしょう。過去を見えると、国民国家と徴兵制いう概念をフランスに次いで世界代2番目に導入したのは日本だそうです。日本は、フランスの作った新秩序の論理と先見性を認め、それらを導入する変わり身の早さも誇れるかも知れません。
[書評] フランス三昧
「国民国家」と「徴兵制」こそ、フランス大革命の発明であり、以後にに統一を実現した国家が採用する近代化の原理となる。なんと、世界でフランスに次いで に番目に「国民国家」を実現したのは、明治の日本であった。...(略)...日本の国民国家成立はイタリア王国、ドイツ帝国の成立に鼻の差で先んじてい る...(略)... (P.94-95)
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Paris, France
フランスはつくづく左派が強い国だと感じます。一度、フランス人に「日本人はカルロス・ゴーンのことをどう思っている?」と聞かれたときのことです。日本のビジネス雑誌にはゴーン氏の特集をやっていたり、テレビにも呼ばれたりしています(いました)。いろいろな見方はあると思いますが、一言「まあ、簡単にいうとヒーローじゃないかな」と答えました。日本でのフランス人の活躍ということで少し満足そうにしていましたが、「フランスでもそうなんじゃないの?」と聞いたら、きっぱり「あり得ない」と答えていました。曰く、「経営者と労働者(大衆)は対立しているから、ヒーローにはなれない。右の資本家に対する左の大衆の人気は得られない」と言っていました。経営者と資本家がヒーローになれない国だそうです。とはいえ、ゴーン氏は出身学校では著名な有名人の筆頭の挙げられているのを知っているので、実力は大衆にも認められているのですが。

フランスでは、右派と言えども日本のどの政党よりも左に位置していると言えます。反対にアメリカの左派も日本をはじめとする多くの国より右側に位置しています。左派=平等右派=自由を国ごとに並べると以下のようになると思います。
平等←フランス左、フランス右、日本左、日本右、アメリカ左、アメリカ右 →自由
そもそもフランスは、ブルジョワが通商の自由を求め、最初に市民革命を起こした国です。それまで、全ての権限を握っていた国王を始めとして、多くの貴族の首を飛ばしました。これまでの秩序と常識を吹き飛ばす、国民の発狂状態から新しい体制を築いてきました。それまで、最も教養深い国王が国の指針を決めていた体制から、市民の中で一番教養深いと思われている人が選ばれ、国の進路を決めることになりました。この情勢では王権側が右翼で、自由を求める勢力が左派だったので、この頃からフランスでは当時世界で一番、左派的(革新的)な勢力が強かったことが分かります。

時代は下り、現在は行き過ぎた自由を制限する平等が左派の思想になっても、フランスは左派の先鋒を務めています。フランスでは日曜日には原則として店が開いていません。また、24時間営業の店もありません。これは、日曜日の営業が許可制になっているためで、一番の繁華街、シャンゼリーゼ通りの店も日曜日の営業許可は持っておらず、日曜日は閉まります。資本家が大衆の資源(時間、体力、気力)を吸い取りながら、ひたすら利益を挙げる商業主義的、自由主義的な風潮は抑制されています。

思えば、自由という概念を最初に導入したフランスは、すでに先頭を切って自由の抑制(=平等)の段階に入っていると言えます。行き過ぎた自由資本主義の弊害を最初に打破するのは、市民革命を最初に成し遂げたように、またもやフランスになるのではないかと思います。少なくとも、日本よりもその可能性に近いと考えます。それは、日本の左派政党の能力が劣るといった実際的な物ではなく、フランス人と日本人が持つ1)考え方の違いと2)立場の違いだと思います。

まず第一に考え方の違いとして、フランス人は不当だと感じ、我に論理がある時には必ず主張します。例えばワーキングプアの問題があったら、どんなに小さいことでも、デモ、ストライキといった手段に出るために自身の論理を固め、仲間を集めます。逆に日本だと、どんなにつらくともみんな同じ状況で文句を言わずにがんばっているから、その状況で上手くやる方法を考えます。これには、理屈ばっかり言って不平を言い続けているフランス人と、多少の問題は自分でなんとかして黙々と作業を進める日本人という逆の面もあります。現状に常に不満を抱いているフランス人の方が新しい体制を作る可能性が高いと思うのです。

第二に、立場の違いがあります。資本家の横暴を抑制するという名目で、自由資本主義を制限してしまうと商業的な競争力は落ちます。毎日20時に閉まって日曜日営業しない店と、毎日24時間営業のコンビニでは、商業的利益では太刀打ちできるはずもありません。つまり、左派のいう平等(=自由の抑制)を一国で進めてしまうと、一国だけ貧しくなってしまう面があります。つまり、ここがフランスの立場が有利な面です。フランスはEU27ヶ国のリーダーを自認し、EUにおける、さまざまな政策の指導的立場にあります。また、各国にNoといわせないような論理の作り方が巧みです。対する日本は、他国に同じ方向を向かせるための手段を持っていません。フランスが、他国を巻き込みながら新しい世界の方向性を示せるのに対し、日本では一国だけ貧しくなってしまうような政策をとるのは不可能に近いと考えられます。

こう言ったことから、世界の新しい秩序を打ち立てる能力を持つのは、やはり(日本と比べると)フランスだと言わざるを得ません。対する日本は作られた秩序の中で優位な立場に立つ能力は非常に高いと思います。市民革命から始まる自由主義的な世界の中で一定の地位を築いていることを第一の証拠と出来るでしょう。過去を見えると、国民国家と徴兵制いう概念をフランスに次いで世界代2番目に導入したのは日本だそうです。日本は、フランスの作った新秩序の論理と先見性を認め、それらを導入する変わり身の早さも誇れるかも知れません。
[書評] フランス三昧
「国民国家」と「徴兵制」こそ、フランス大革命の発明であり、以後にに統一を実現した国家が採用する近代化の原理となる。なんと、世界でフランスに次いで に番目に「国民国家」を実現したのは、明治の日本であった。...(略)...日本の国民国家成立はイタリア王国、ドイツ帝国の成立に鼻の差で先んじてい る...(略)... (P.94-95)
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Paris, France
マンガというとどんなどんなイメージを持ちますか。漠然とメディアで紹介されるように、マンガの読者はネクラで、キモくて、ダサくて、クサいとうイメージを抱いている人も多いと思います。大抵は漫画なんて読んでないで教養をつけろとか、働けと思われています。テレビゲームを含めても良いかも知れません。また、似たようなイメージで、インターネットのヘビーユーザも同じように、ネクラで、ネット犯罪を犯して、実世界でも犯罪者予備軍のように扱われることもあります。多くの人は、こういったイメージを構成する十分なサンブルを持っている訳ではないのに、こういったイメージがつくのはどうしてなのでしょう。

まず第一に考えられるのがテレビや新聞と言った権威ある古参メディアの吹聴があると思います。これまでの信用と権威を失いたくない、新しいメディアに主導権を奪われたくないと言う側面があり、新しいものを批判する動機が生まれます。テレビや新聞でいわれている、マンガやゲーム、インターネットの問題性については妥当な面も多いとは思いますが、これらの古参メディアの間には競争関係があるために、古参メディアの言い分を批判なく受け入れるのは不当です。さらにいえば、インターネットにアクセスする時間とテレビゲームをする時間が増えれば、テレビを見る時間は減ってしまいますし、マンガを読めば、新聞を読む時間が減ってしまいます。両者は客の取り合いという隠然たるライバル関係にあります。

現実と仮想空間の区別がつかないゲーム脳、マンガを読んでいる時間と低学歴は相関がある、レースゲームをする人は事故率が高い、などなどもっともらしく紹介されることも良くあります。ゲーム脳に関しては、脳力トレーニング(Nintendo DS)の川嶋教授などは「テレビゲームで遊ぶことで脳が壊れてしまうことは100%ない」と言っていますし、ゲーム脳は証明された訳でもありません。また、マンガと低学歴、レースゲームと事故率の相関関係を発見したところで、因果関係の説明にはなりません。どういうことかと言うと、相関だけでは、「マンガファンが勉強ができなくなっていく」のか、「勉強ができずにやる気もなくて時間があまり、漫画を読む」かが分かりません。レースゲームでも「レースゲームをすると現実でもスピードを出したくなる」のか「スピードを出したい人がレースゲームに引き寄せられる」のか原因を特定したことにはならないからです。「相関関係は原因を特定しない」という統計の基礎を知らんぷりして、したり顔で批判しているマスメディアは商売敵を貶めようとしているようにしか見えません。

そもそも、テレビや古典文学でさえも現在の権威を最初っから持っていた訳ではありません。テレビも映画も当初は教育への悪影響が懸念されていました。また、古典でも平安時代では、平仮名で書かれた物は漢文で書かれた物より低く見られたため、源氏物語を読んでいた人はおそらく、「そんな物読んでないで、漢文の素養を深めなさい」と言われていたの違いありません。定年間際だった高校の漢文の先生は冗談で、「我々の頃は、小説なんて読んでないで古典を読めと言われたけど、今はマンガなんて読んでないで小説を読めと言っている、君たちの子供はXXX(漫画より悪い物)よりマンガを読みなさい、といわれることになるだろう。嘆かわしい。」と言っていました。つまり、権威ある娯楽と言うのは移り変わっていっているということが分かります。

とはいえ、ポルノや暴力の表現をはじめ、マンガやゲームの問題点も理解できるため、手放しで賛成できる物でもありません。でもそれは、文学の世界でも存在することです。古典の源氏物語は過激な恋愛ものですし、モンテ・クリスト伯は復讐物として人気を博してきました。マンガも、文学も、要は内容を伝える表現の手段であって、問題はその表現の手段にある訳ではありません。つまり、文学、テレビ、マンガ、ゲーム、アニメと表現手段は違っても伝える内容が素晴らしければ、それは素晴らしい物であると考える方が自然です。長い期間人々に愛されてきたものの中にはいい物が多いことは確かですが、表現の手段にたいして教養深いとか低俗と差別するのはナンセンスだと思います。

現状では古典が教養で、マンガは低俗と区別されています。例えば、下のサイトでは、アメリカが日本の古典を学ばなくなり、マンガを読むようになったことが、日本軽視にあたると結論づけられています。
[2008.11.20] ここにもあらわれてきた米国の日本軽視ー日本の伝統文化に興味を示さなくなった米国 | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ
米国の若者は黒沢映画のかわりにアニメを見るようになり、大学のなかには源氏物語や安倍公のかわりに漫画を読ませるところもでてきた・・・米国での日本に関する焦点がポップカルチャーになったという事は、米国人が日本の社会、経済、政治といったまじめな事項について話さなくなった事を意味する。
日本軽視うんぬんのまえに、やはりマンガは軽視されていますね。このブログにはいろいろマンガのエントリがありますが、フランスでは日本人=マンガという図式を持っている人が多く、尋ねられることも多いです。もしもこのようにマンガを軽視していたら、どのように答えるのでしょうか。「僕は漫画なんて低俗な物は読まない!あの低俗な物を日本人全てが読んでいるとは思わないでくれ。日本文化には、武士道、空手、歌舞伎、相撲、柔道、浮世絵、書道、華道、茶道、クロサワ、オズ、キタノなどがあるからぜひ語り合おう!」とかでしょうか。まず、変な人と思われるか、人の教養レベルを試そうとするヤな奴だと思われるでしょう。一つだけいえるのは、フランスの一般人には古典日本文化のどれよりもマンガの方が知られているということです。上のブログの著者とは年代が違うからかも知れませんが、僕の年代(26歳)では来仏する際にはマンガの教養をつけた方が、フランス人との会話を楽しめること請け合いです。(何事もバランスですので、古典日本文化についても知らないとバカだと思われるかも知れません。あしからず。)
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Paris, France
マンガというとどんなどんなイメージを持ちますか。漠然とメディアで紹介されるように、マンガの読者はネクラで、キモくて、ダサくて、クサいとうイメージを抱いている人も多いと思います。大抵は漫画なんて読んでないで教養をつけろとか、働けと思われています。テレビゲームを含めても良いかも知れません。また、似たようなイメージで、インターネットのヘビーユーザも同じように、ネクラで、ネット犯罪を犯して、実世界でも犯罪者予備軍のように扱われることもあります。多くの人は、こういったイメージを構成する十分なサンブルを持っている訳ではないのに、こういったイメージがつくのはどうしてなのでしょう。

まず第一に考えられるのがテレビや新聞と言った権威ある古参メディアの吹聴があると思います。これまでの信用と権威を失いたくない、新しいメディアに主導権を奪われたくないと言う側面があり、新しいものを批判する動機が生まれます。テレビや新聞でいわれている、マンガやゲーム、インターネットの問題性については妥当な面も多いとは思いますが、これらの古参メディアの間には競争関係があるために、古参メディアの言い分を批判なく受け入れるのは不当です。さらにいえば、インターネットにアクセスする時間とテレビゲームをする時間が増えれば、テレビを見る時間は減ってしまいますし、マンガを読めば、新聞を読む時間が減ってしまいます。両者は客の取り合いという隠然たるライバル関係にあります。

現実と仮想空間の区別がつかないゲーム脳、マンガを読んでいる時間と低学歴は相関がある、レースゲームをする人は事故率が高い、などなどもっともらしく紹介されることも良くあります。ゲーム脳に関しては、脳力トレーニング(Nintendo DS)の川嶋教授などは「テレビゲームで遊ぶことで脳が壊れてしまうことは100%ない」と言っていますし、ゲーム脳は証明された訳でもありません。また、マンガと低学歴、レースゲームと事故率の相関関係を発見したところで、因果関係の説明にはなりません。どういうことかと言うと、相関だけでは、「マンガファンが勉強ができなくなっていく」のか、「勉強ができずにやる気もなくて時間があまり、漫画を読む」かが分かりません。レースゲームでも「レースゲームをすると現実でもスピードを出したくなる」のか「スピードを出したい人がレースゲームに引き寄せられる」のか原因を特定したことにはならないからです。「相関関係は原因を特定しない」という統計の基礎を知らんぷりして、したり顔で批判しているマスメディアは商売敵を貶めようとしているようにしか見えません。

そもそも、テレビや古典文学でさえも現在の権威を最初っから持っていた訳ではありません。テレビも映画も当初は教育への悪影響が懸念されていました。また、古典でも平安時代では、平仮名で書かれた物は漢文で書かれた物より低く見られたため、源氏物語を読んでいた人はおそらく、「そんな物読んでないで、漢文の素養を深めなさい」と言われていたの違いありません。定年間際だった高校の漢文の先生は冗談で、「我々の頃は、小説なんて読んでないで古典を読めと言われたけど、今はマンガなんて読んでないで小説を読めと言っている、君たちの子供はXXX(漫画より悪い物)よりマンガを読みなさい、といわれることになるだろう。嘆かわしい。」と言っていました。つまり、権威ある娯楽と言うのは移り変わっていっているということが分かります。

とはいえ、ポルノや暴力の表現をはじめ、マンガやゲームの問題点も理解できるため、手放しで賛成できる物でもありません。でもそれは、文学の世界でも存在することです。古典の源氏物語は過激な恋愛ものですし、モンテ・クリスト伯は復讐物として人気を博してきました。マンガも、文学も、要は内容を伝える表現の手段であって、問題はその表現の手段にある訳ではありません。つまり、文学、テレビ、マンガ、ゲーム、アニメと表現手段は違っても伝える内容が素晴らしければ、それは素晴らしい物であると考える方が自然です。長い期間人々に愛されてきたものの中にはいい物が多いことは確かですが、表現の手段にたいして教養深いとか低俗と差別するのはナンセンスだと思います。

現状では古典が教養で、マンガは低俗と区別されています。例えば、下のサイトでは、アメリカが日本の古典を学ばなくなり、マンガを読むようになったことが、日本軽視にあたると結論づけられています。
[2008.11.20] ここにもあらわれてきた米国の日本軽視ー日本の伝統文化に興味を示さなくなった米国 | Blog(ブログ) | [公式] 天木直人のブログ
米国の若者は黒沢映画のかわりにアニメを見るようになり、大学のなかには源氏物語や安倍公のかわりに漫画を読ませるところもでてきた・・・米国での日本に関する焦点がポップカルチャーになったという事は、米国人が日本の社会、経済、政治といったまじめな事項について話さなくなった事を意味する。
日本軽視うんぬんのまえに、やはりマンガは軽視されていますね。このブログにはいろいろマンガのエントリがありますが、フランスでは日本人=マンガという図式を持っている人が多く、尋ねられることも多いです。もしもこのようにマンガを軽視していたら、どのように答えるのでしょうか。「僕は漫画なんて低俗な物は読まない!あの低俗な物を日本人全てが読んでいるとは思わないでくれ。日本文化には、武士道、空手、歌舞伎、相撲、柔道、浮世絵、書道、華道、茶道、クロサワ、オズ、キタノなどがあるからぜひ語り合おう!」とかでしょうか。まず、変な人と思われるか、人の教養レベルを試そうとするヤな奴だと思われるでしょう。一つだけいえるのは、フランスの一般人には古典日本文化のどれよりもマンガの方が知られているということです。上のブログの著者とは年代が違うからかも知れませんが、僕の年代(26歳)では来仏する際にはマンガの教養をつけた方が、フランス人との会話を楽しめること請け合いです。(何事もバランスですので、古典日本文化についても知らないとバカだと思われるかも知れません。あしからず。)
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Nice, France
僕が渡仏したのはサルコジ大統領が誕生した週でした。日本とフランスに住んでいるフランス人のどちらからも意見を聞けました。日本の投票では、自分が投票した候補者を他人に言う人はほとんどいないので、誰がどの候補者を支持しているかは分かりにくいと思います。フランス人も、誰も自分の意中の候補者を明言した人はいませんでしたが、意見を聞いているとすぐに意中の候補者が分かりました。

渡仏してフランス大統領選後に政治の話題になったとき、韓国人が無邪気に「君は誰に投票したの?」と聞いていたのは驚きでした。韓国人は他人に意中の候補者を語ったりするのでしょうか。対するフランス人は、「投票した候補者は言わないよ...うちの職場は社会主義支持者(Socialiste)が多いけど、僕は逆に右側の方がいいと思うな。」と言っていました。やはり意中の候補者は明言しませんでしたが、言わないと言った直後に投票したであろう候補者がわかります。驚きなのは、職場のみんなの支持の傾向まで分かっているところです。自由(=右)寄りか平等(=左)寄りによって対立候補が2人になる決選投票では、議論すれば意中の候補者がすぐに分かります。

サルコジ候補のモットーは「もっと働き、もっと稼ごう」で、ロワイヤル候補は一言で言うと「フランスは十分豊かなんだからもっと底辺の市民の悲惨な状況を救っていこう」といういう感じでした。選挙前、日本で聞いた意見としてはサルコジ支持の人は「ロワイヤルは勝てそうにないので、夢物語を語りだした」と言っていて、ロワイヤル支持の人は「サルコジが大統領になっているうちはフランスに帰らない」と言っていました。どちらも反対の候補になるのがイヤという側面があるようです。僕はフランスの選挙権はありませんが、サルコジ氏の方がフランスにとってよいのではないかと考えていました。フランスは先進国とはいえ、経済規模は日本の半分ほどで、アジアと南米の新興国の台頭のなかで経済の競争力を保っていけるかどうか疑問だったからです。

しかし選挙後、ロワイヤル候補支持だった人のの考え方を聞いて、左派の考え方も非常に的を得ていると感銘を受けました。サルコジ氏の言うように自由主義的に経済活動を最大限に追求していくことの問題点を指摘していました。エネルギー資源、環境資源、人的資源などなど全ての資源をつぎ込んで、みんなが経済的利益を追求しても、限界があります。エネルギー資源は言うまでもなく有限で、経済活動による環境汚染の問題もあります。人の活力や時間などを含む人的資源にも限りがあります。例えば、低賃金でコンビニで学生を働かせれば経済的利益を得ることは出来ますが、学生の将来に役立つ勉強時間、家族団らんの時間、人生を豊かにするための時間を奪って犠牲にしていると考えられます。こういった資本家が好き放題できる環境を制限していくことが必要だという主張には、世界全体の幸福という視点を導入すると一理あります。

問題は、フランス一国が経済活動を制限してしまうとフランスの国際的競争力が失われ、フランス一国だけが貧しくなってしまうことです。ロワイヤル候補は各国と協調してこの制限の枠組みを作っていくことを主張していたそうです。たしかに実現困難だとは感じますが、実現すれば現在の資本主義の暴走状態を緩和できるのかも知れません。
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Nice, France
僕が渡仏したのはサルコジ大統領が誕生した週でした。日本とフランスに住んでいるフランス人のどちらからも意見を聞けました。日本の投票では、自分が投票した候補者を他人に言う人はほとんどいないので、誰がどの候補者を支持しているかは分かりにくいと思います。フランス人も、誰も自分の意中の候補者を明言した人はいませんでしたが、意見を聞いているとすぐに意中の候補者が分かりました。

渡仏してフランス大統領選後に政治の話題になったとき、韓国人が無邪気に「君は誰に投票したの?」と聞いていたのは驚きでした。韓国人は他人に意中の候補者を語ったりするのでしょうか。対するフランス人は、「投票した候補者は言わないよ...うちの職場は社会主義支持者(Socialiste)が多いけど、僕は逆に右側の方がいいと思うな。」と言っていました。やはり意中の候補者は明言しませんでしたが、言わないと言った直後に投票したであろう候補者がわかります。驚きなのは、職場のみんなの支持の傾向まで分かっているところです。自由(=右)寄りか平等(=左)寄りによって対立候補が2人になる決選投票では、議論すれば意中の候補者がすぐに分かります。

サルコジ候補のモットーは「もっと働き、もっと稼ごう」で、ロワイヤル候補は一言で言うと「フランスは十分豊かなんだからもっと底辺の市民の悲惨な状況を救っていこう」といういう感じでした。選挙前、日本で聞いた意見としてはサルコジ支持の人は「ロワイヤルは勝てそうにないので、夢物語を語りだした」と言っていて、ロワイヤル支持の人は「サルコジが大統領になっているうちはフランスに帰らない」と言っていました。どちらも反対の候補になるのがイヤという側面があるようです。僕はフランスの選挙権はありませんが、サルコジ氏の方がフランスにとってよいのではないかと考えていました。フランスは先進国とはいえ、経済規模は日本の半分ほどで、アジアと南米の新興国の台頭のなかで経済の競争力を保っていけるかどうか疑問だったからです。

しかし選挙後、ロワイヤル候補支持だった人のの考え方を聞いて、左派の考え方も非常に的を得ていると感銘を受けました。サルコジ氏の言うように自由主義的に経済活動を最大限に追求していくことの問題点を指摘していました。エネルギー資源、環境資源、人的資源などなど全ての資源をつぎ込んで、みんなが経済的利益を追求しても、限界があります。エネルギー資源は言うまでもなく有限で、経済活動による環境汚染の問題もあります。人の活力や時間などを含む人的資源にも限りがあります。例えば、低賃金でコンビニで学生を働かせれば経済的利益を得ることは出来ますが、学生の将来に役立つ勉強時間、家族団らんの時間、人生を豊かにするための時間を奪って犠牲にしていると考えられます。こういった資本家が好き放題できる環境を制限していくことが必要だという主張には、世界全体の幸福という視点を導入すると一理あります。

問題は、フランス一国が経済活動を制限してしまうとフランスの国際的競争力が失われ、フランス一国だけが貧しくなってしまうことです。ロワイヤル候補は各国と協調してこの制限の枠組みを作っていくことを主張していたそうです。たしかに実現困難だとは感じますが、実現すれば現在の資本主義の暴走状態を緩和できるのかも知れません。
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ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)日本のジャーナリズム、とくに記者クラブを批判した本です。本の帯には「永田町、霞ヶ関、マスコミから「史上最低のジャーナリスト」と唾棄される著者が、またもや暴いた!」と書かれています。そのとおり書かれた方にはたまらないというような内容がたくさん書かれています。wikipediaの上杉隆の記述は、著者に都合の悪いものばかりになっています。おそらくおそらく著者を嫌うものによって書かれたのだと考えられます。

日本の報道のおかしな点がたくさんちりばめられています。例えば、担当した政治家が出世すれば記者が出世するというルールがあるそうです。
たとえば、自民党のある政治家が派閥の中で力をつけて、総理総裁のポストを窺う位置に就いたとしよう。仮に、その後、見事に首相の座を射止めたら、その担当記者も同時に政治部内で出世する。(P.30)
そんなルールがあれば、終身雇用の記者が担当政治家のネガティブな情報が書けるはずがありません。例として、「電話一本で、時の首相や官房長官までをも動かし、NHK人事に介入することが可能だった島桂次記者(のちに会長)や、田中派全盛期に同派を担当した海老沢勝二記者(同じくのちに会長)(p.31)」が挙げられています。

また、新聞が引用元に「一部週刊誌」のクレジットをつけて引用元を秘匿したり、「〜していることがわかった」と報道して、どこから情報を手に入れたかを秘匿する伝統を批判します。
情報源を明示しない悪癖を許してきた結果が、日本のジャーナリズム全体を貶めているのだ。(p.43)
外国のメディア(ニューヨーク・タイムズ)の経験が長い著者は、ことあるごとにアメリカのジャーナリズムについて述べます。米国の公明正大なジャーナリズムに対して日本のジャーナリズムがいかに、制限されていて貧弱なものなのか説かれます。日本の記事は匿名なのが多いのですが、アメリカではほぼ全ての記事に著者の名前が記されるそうです。ニューヨーク・タイムズの記者の以下の言が紹介されています。
「...(略)...たとえ厳しい論調の記事になろうと、書かれた相手への尊敬の念を忘れてはならない。だから相手の名前を明らかにしながら、自分だけが匿名の世界に逃げるようなことは決してあってはならないことなのだ。それは、ジャーナリズム本来の精神から完全に逸脱しているし、恥じすべき、卑怯な新聞記者のやり方だ」(P.138)
この本で繰り返し述べられているのは、記者クラブへの批判です。記者クラブへの批判はすごく納得できるのですが、一方、本書全体であまりに批判一辺倒なため、記者クラブの記者からつまはじきにされている著者の恨み節のようにも見えてしまいます。また、著者が働いていたニューヨーク・タイムズをはじめとする外国メディアに対しては一辺の批判もなく、お手本とするべき対象としてあげられているのにも、違和感を感じました。これは、一方的な意見に疑問を持ってしまう僕の感覚の問題かも知れません。
EUは繰り返し、日本の記者クラブに公平な扱いと自国の記者達への開放を要求している。(P.221)
これも確かに事実です。wikipediaの「記者クラブ」の項目にも記述があります。

webで著者の情報を探しているとき、「上杉隆インタビュー『ジャーナリズム崩壊』はすでに始まっている」を見つけました。3ページ目には外国のメディアの短所と日本メディアの長所についても述べられています。本書が記者クラブ批判一辺倒になっていたのは、日本のジャーナリズムが外国メディアの長所短所を議論できるレベルに達していないという著者の危機感だったのかもしれません。

ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)
上杉 隆 (著)

第1章 日本にジャーナリズムは存在するか?
  • 空想でしかない「客観報道」
  • メモ合わせ
  • 自由な言論を許さないメディア
  • 編集と経営
  • しばり、癒着
第2章 お笑い記者クラブ
  • 笑われる日本人記者
  • メディア界のアパルトヘイト
第3章 ジャーナリストの誇りと責任
  • 署名記事
  • 実名報道
  • 均一化したエリート記者たち
第4章 記者クラブとは何か
  • 記者クラブの誕生
  • 日米メディアをめぐる誤解
  • 英訳・キシャクラブ
  • 都庁記者クラブの場合
第5章 健全なジャーナリズムとは
  • アフガニスタン・ルール
  • 過ちを認めない新聞
  • 日本新聞協会の見解
日本の新聞・テレビ記者たちが世界中で笑われている。その象徴が日本にしかない「記者クラブ」制度だ。メモを互いに見せ合い同じカンニング記事を書く「メモ合わせ」、担当政治家が出世すれば自分も出世する歪んだ構造、権力におもねり掴んだ事実を報道しない体質。もはや新聞・テレビは権力をチェックする立場と国民に知らせる義務を放棄したも同然である。恐いもの知らずのジャーナリストがエリート意識にこりかたまった大マスコミの真実を明かす、亡国のメディア論。
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ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)日本のジャーナリズム、とくに記者クラブを批判した本です。本の帯には「永田町、霞ヶ関、マスコミから「史上最低のジャーナリスト」と唾棄される著者が、またもや暴いた!」と書かれています。そのとおり書かれた方にはたまらないというような内容がたくさん書かれています。wikipediaの上杉隆の記述は、著者に都合の悪いものばかりになっています。おそらくおそらく著者を嫌うものによって書かれたのだと考えられます。

日本の報道のおかしな点がたくさんちりばめられています。例えば、担当した政治家が出世すれば記者が出世するというルールがあるそうです。
たとえば、自民党のある政治家が派閥の中で力をつけて、総理総裁のポストを窺う位置に就いたとしよう。仮に、その後、見事に首相の座を射止めたら、その担当記者も同時に政治部内で出世する。(P.30)
そんなルールがあれば、終身雇用の記者が担当政治家のネガティブな情報が書けるはずがありません。例として、「電話一本で、時の首相や官房長官までをも動かし、NHK人事に介入することが可能だった島桂次記者(のちに会長)や、田中派全盛期に同派を担当した海老沢勝二記者(同じくのちに会長)(p.31)」が挙げられています。

また、新聞が引用元に「一部週刊誌」のクレジットをつけて引用元を秘匿したり、「〜していることがわかった」と報道して、どこから情報を手に入れたかを秘匿する伝統を批判します。
情報源を明示しない悪癖を許してきた結果が、日本のジャーナリズム全体を貶めているのだ。(p.43)
外国のメディア(ニューヨーク・タイムズ)の経験が長い著者は、ことあるごとにアメリカのジャーナリズムについて述べます。米国の公明正大なジャーナリズムに対して日本のジャーナリズムがいかに、制限されていて貧弱なものなのか説かれます。日本の記事は匿名なのが多いのですが、アメリカではほぼ全ての記事に著者の名前が記されるそうです。ニューヨーク・タイムズの記者の以下の言が紹介されています。
「...(略)...たとえ厳しい論調の記事になろうと、書かれた相手への尊敬の念を忘れてはならない。だから相手の名前を明らかにしながら、自分だけが匿名の世界に逃げるようなことは決してあってはならないことなのだ。それは、ジャーナリズム本来の精神から完全に逸脱しているし、恥じすべき、卑怯な新聞記者のやり方だ」(P.138)
この本で繰り返し述べられているのは、記者クラブへの批判です。記者クラブへの批判はすごく納得できるのですが、一方、本書全体であまりに批判一辺倒なため、記者クラブの記者からつまはじきにされている著者の恨み節のようにも見えてしまいます。また、著者が働いていたニューヨーク・タイムズをはじめとする外国メディアに対しては一辺の批判もなく、お手本とするべき対象としてあげられているのにも、違和感を感じました。これは、一方的な意見に疑問を持ってしまう僕の感覚の問題かも知れません。
EUは繰り返し、日本の記者クラブに公平な扱いと自国の記者達への開放を要求している。(P.221)
これも確かに事実です。wikipediaの「記者クラブ」の項目にも記述があります。

webで著者の情報を探しているとき、「上杉隆インタビュー『ジャーナリズム崩壊』はすでに始まっている」を見つけました。3ページ目には外国のメディアの短所と日本メディアの長所についても述べられています。本書が記者クラブ批判一辺倒になっていたのは、日本のジャーナリズムが外国メディアの長所短所を議論できるレベルに達していないという著者の危機感だったのかもしれません。
ジャーナリズム崩壊 (幻冬舎新書 う 2-1)
上杉 隆 (著)

第1章 日本にジャーナリズムは存在するか?
  • 空想でしかない「客観報道」
  • メモ合わせ
  • 自由な言論を許さないメディア
  • 編集と経営
  • しばり、癒着
第2章 お笑い記者クラブ
  • 笑われる日本人記者
  • メディア界のアパルトヘイト
第3章 ジャーナリストの誇りと責任
  • 署名記事
  • 実名報道
  • 均一化したエリート記者たち
第4章 記者クラブとは何か
  • 記者クラブの誕生
  • 日米メディアをめぐる誤解
  • 英訳・キシャクラブ
  • 都庁記者クラブの場合
第5章 健全なジャーナリズムとは
  • アフガニスタン・ルール
  • 過ちを認めない新聞
  • 日本新聞協会の見解
日本の新聞・テレビ記者たちが世界中で笑われている。その象徴が日本にしかない「記者クラブ」制度だ。メモを互いに見せ合い同じカンニング記事を書く「メモ合わせ」、担当政治家が出世すれば自分も出世する歪んだ構造、権力におもねり掴んだ事実を報道しない体質。もはや新聞・テレビは権力をチェックする立場と国民に知らせる義務を放棄したも同然である。恐いもの知らずのジャーナリストがエリート意識にこりかたまった大マスコミの真実を明かす、亡国のメディア論。
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Deauville, France
多様な文化に触れることは楽しいことで、また異文化が混在する環境で働く能力が必要になってくると考えられます→「複数の文化を許容することがリーダーの条件になる」。文化が違うところで生活すると、思い通りに行かないことがたくさん起こります。それをなんとかやり過ごすことが最も初歩的な異文化マネジメント能力と言えるかも知れません。多少のイライラはしようがない気がしますが、耐える方法をすこし紹介します。

まず、フランスでは物ごとがゆっくりすすんでいます。例えばフランスのレジの人はまったく急ぎません。他の従業員と世間話して手が止まっていたり、システムにエラーが発生して対応のために席を立ったりすることもあります(今日、これで10ユーロの清算をするために30分かかりました!)。日本のようにコンビニで15秒で清算が済むように考えているとイライラが貯まると思います。その他、日本人からすると予想外に時間がかかることとして、電車の遅れなどもあります。

僕はこの予想外に時間がかかるイライラを緩和するために、いつでも時間をつぶせるものを持つようにしています。僕が持っているのは、言語学習用のipodと本です。日本でもそうする人も多いと思いますが、フランスでは最寄りのコンビニで乾電池を買うような用事でも時間つぶしを携帯するようにしています(フランスにコンビニはないですが)。

次に、何もかもが予定通りにすすまないことがあります。例えば、今日やろうとしていたことが担当者がバカンスですすまないとか、滞在許可証の手続きを県庁や市役所で行うとき、予定通りにすすまないとか、とにかく予定通りにすすむ方が稀です。僕は予定通りすすむことをまったく期待しないようにしています。前者の場合は必要な作業が今日着手できるかどうか期待しません。後者では、県庁で手続きを進める予定ではなく、県庁に本を読みにいくんだと自分に言い聞かせながら行ったりします。こうすると予定通りすすんだときの喜びは、倍増します。

また、予想もしないようなことが起こることがたくさんあります。僕は100ユーロ強(2万円)する自転車を4回盗まれています。そのおかげで、今はこの自転車を守るためのU字施錠にさらに44ユーロかけています。それなのに、今度は最近サドルを盗られました。サドルとサドルを守るためのロックを購入して40ユーロかかります。代替の移動手段の料金と加えて小さくない額です。突然の理不尽な出費に怒りが込み上げますが、こんな時には自分がここにいる目的を再度確認します。つまり、自分の現時点の目標はフランスで学位を取ること、多様な文化を知ってそれらを尊重することです。失った額が多少大きくとも、これらの目標を不可能にしてしまうような大事件ではありません。自分がここにいる目的を再確認して、その目的を優先するために小さな損害は忘れ去ることにしています。
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Deauville, France
多様な文化に触れることは楽しいことで、また異文化が混在する環境で働く能力が必要になってくると考えられます→「複数の文化を許容することがリーダーの条件になる」。文化が違うところで生活すると、思い通りに行かないことがたくさん起こります。それをなんとかやり過ごすことが最も初歩的な異文化マネジメント能力と言えるかも知れません。多少のイライラはしようがない気がしますが、耐える方法をすこし紹介します。

まず、フランスでは物ごとがゆっくりすすんでいます。例えばフランスのレジの人はまったく急ぎません。他の従業員と世間話して手が止まっていたり、システムにエラーが発生して対応のために席を立ったりすることもあります(今日、これで10ユーロの清算をするために30分かかりました!)。日本のようにコンビニで15秒で清算が済むように考えているとイライラが貯まると思います。その他、日本人からすると予想外に時間がかかることとして、電車の遅れなどもあります。

僕はこの予想外に時間がかかるイライラを緩和するために、いつでも時間をつぶせるものを持つようにしています。僕が持っているのは、言語学習用のipodと本です。日本でもそうする人も多いと思いますが、フランスでは最寄りのコンビニで乾電池を買うような用事でも時間つぶしを携帯するようにしています(フランスにコンビニはないですが)。

次に、何もかもが予定通りにすすまないことがあります。例えば、今日やろうとしていたことが担当者がバカンスですすまないとか、滞在許可証の手続きを県庁や市役所で行うとき、予定通りにすすまないとか、とにかく予定通りにすすむ方が稀です。僕は予定通りすすむことをまったく期待しないようにしています。前者の場合は必要な作業が今日着手できるかどうか期待しません。後者では、県庁で手続きを進める予定ではなく、県庁に本を読みにいくんだと自分に言い聞かせながら行ったりします。こうすると予定通りすすんだときの喜びは、倍増します。

また、予想もしないようなことが起こることがたくさんあります。僕は100ユーロ強(2万円)する自転車を4回盗まれています。そのおかげで、今はこの自転車を守るためのU字施錠にさらに44ユーロかけています。それなのに、今度は最近サドルを盗られました。サドルとサドルを守るためのロックを購入して40ユーロかかります。代替の移動手段の料金と加えて小さくない額です。突然の理不尽な出費に怒りが込み上げますが、こんな時には自分がここにいる目的を再度確認します。つまり、自分の現時点の目標はフランスで学位を取ること、多様な文化を知ってそれらを尊重することです。失った額が多少大きくとも、これらの目標を不可能にしてしまうような大事件ではありません。自分がここにいる目的を再確認して、その目的を優先するために小さな損害は忘れ去ることにしています。
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Paris, France
複数の文化に触れると物事を面白く感じられます。日々チーズとワインを味わっているフランス人が刺身のコンセプトに衝撃を受けたり、日々木造建築に住んでいる日本人が、フランスの石畳を珍しくて写真を撮ったりします。また、例えば、アフリカから来た留学生や、ロシアから来た留学生など、自分の知らない文化を背景に持った人とのやり取りは興味深いです。なぜだか地球という星に生まれて、何故だか人生で味わい尽くせないほどの数の文化が地球上に存在しています。なるべくたくさんの文化にふれて新鮮さを保っていたいと願います。

文化の違いは興味深いとともにストレスにもなります。中国のように初めて会う人に給与や住んでいる部屋の大きさを聞いても失礼にならない国もあれば、フランスのように会話の途中で視線をそらすと相手に不信感を与えてしまう国もあります。相手の感覚が自分と違ってもとっさに拒否反応を起こさないようになれる必要があります。

こういった違う文化を尊重する感覚は、日本で外国人と触れ合っても得ることが出来ますが、異国で生活している人がどんなことで困るのか知るには、自分が実際に外国で過ごすのが手っ取り早いでしょう。多様な文化を尊重する精神は日増しに高まっています。実際僕が社会で働くことになる2010年〜2045年で外国人と共に計画を進めていくような状況は必ずあるはずです。多少出世しているかもしれない2035年以後、もし何かのチームの長になっていたとしたら、チームでの仕事を進めていく上で、全てのメンバーが日本人という状況は僕の中では考えられません。

グローバル企業ではすでに多様な文化を許容する性質がリーダーに必要とされています。コカ・コーラ社では複数の国を経験することが幹部の条件となっているそうです。
“外国人”トップが3代続く世界企業の人事制度:NBonline
複数の国を経験することが幹部の条件に
コカ・コーラの製品は200カ国以上で販売されており、それらの国々で総勢7万人を超える従業員が働いています。これだけビジネスがグローバルに広がっている会社を経営するのですから、将来の経営幹部の候補者は、世界各国の性格の異なる市場で経験を積む必要があります。
多様な文化を許容する能力は、「異文化マネジメント能力」と定義されて、これから重要になっていくと説かれています。
未来のリーダーを新興国に派遣しよう:NBonline
多国籍、多文化の中で、相手の本音を読みながら、論理と感情の両面で議論をリードし、必要以上にしこりを残さないように、意思決定を進めていくというのは、容易なことではない。...(略)...こういったことを楽々とこなせるようになるには、語学力を超えた総合的な力量、いわば「異文化マネジメント能力」と言えるようなものが求められる。
さらに、以下のサイトでは、現在が英語が最重要な時代でも、二重言語者の存在が英語単一言語者を上回ると説明されています。つまり、英語が最強の言語だとしても二重言語者には敵わない。この点は日本語に加え、英語を勉強する動機を持つことのできる日本人は大半のアメリカ人より有利な位置にあると言えます。
  • 二重言語者>単一言語者(英語>スペイン語>...アラビア語...>...日本語...>...)
404 Blog Not Found:英語の世紀で日本語を話せるよろこび
そして英語の世紀において、英語を母語とする者たちは、外国語を学ぶ必要に迫られることなく一生を過ごす。こうして「かまけて」いるうちに、多重言語者である「よそもの」たちが自分たちの頭を超え、社会のおいしいポジションをどんどん抑えてしまう。
複数言語者が英語単一言語者を上回るのは、「異文化マネジメント能力」と関係していると考えられます。この点は、一つの事象や考え方に対して、複数の視点から考察を加えられる能力と言いかえることが出来るかも知れません。
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Paris, France
複数の文化に触れると物事を面白く感じられます。日々チーズとワインを味わっているフランス人が刺身のコンセプトに衝撃を受けたり、日々木造建築に住んでいる日本人が、フランスの石畳を珍しくて写真を撮ったりします。また、例えば、アフリカから来た留学生や、ロシアから来た留学生など、自分の知らない文化を背景に持った人とのやり取りは興味深いです。なぜだか地球という星に生まれて、何故だか人生で味わい尽くせないほどの数の文化が地球上に存在しています。なるべくたくさんの文化にふれて新鮮さを保っていたいと願います。

文化の違いは興味深いとともにストレスにもなります。中国のように初めて会う人に給与や住んでいる部屋の大きさを聞いても失礼にならない国もあれば、フランスのように会話の途中で視線をそらすと相手に不信感を与えてしまう国もあります。相手の感覚が自分と違ってもとっさに拒否反応を起こさないようになれる必要があります。

こういった違う文化を尊重する感覚は、日本で外国人と触れ合っても得ることが出来ますが、異国で生活している人がどんなことで困るのか知るには、自分が実際に外国で過ごすのが手っ取り早いでしょう。多様な文化を尊重する精神は日増しに高まっています。実際僕が社会で働くことになる2010年〜2045年で外国人と共に計画を進めていくような状況は必ずあるはずです。多少出世しているかもしれない2035年以後、もし何かのチームの長になっていたとしたら、チームでの仕事を進めていく上で、全てのメンバーが日本人という状況は僕の中では考えられません。

グローバル企業ではすでに多様な文化を許容する性質がリーダーに必要とされています。コカ・コーラ社では複数の国を経験することが幹部の条件となっているそうです。
“外国人”トップが3代続く世界企業の人事制度:NBonline
複数の国を経験することが幹部の条件に
コカ・コーラの製品は200カ国以上で販売されており、それらの国々で総勢7万人を超える従業員が働いています。これだけビジネスがグローバルに広がっている会社を経営するのですから、将来の経営幹部の候補者は、世界各国の性格の異なる市場で経験を積む必要があります。
多様な文化を許容する能力は、「異文化マネジメント能力」と定義されて、これから重要になっていくと説かれています。
未来のリーダーを新興国に派遣しよう:NBonline
多国籍、多文化の中で、相手の本音を読みながら、論理と感情の両面で議論をリードし、必要以上にしこりを残さないように、意思決定を進めていくというのは、容易なことではない。...(略)...こういったことを楽々とこなせるようになるには、語学力を超えた総合的な力量、いわば「異文化マネジメント能力」と言えるようなものが求められる。
さらに、以下のサイトでは、現在が英語が最重要な時代でも、二重言語者の存在が英語単一言語者を上回ると説明されています。つまり、英語が最強の言語だとしても二重言語者には敵わない。この点は日本語に加え、英語を勉強する動機を持つことのできる日本人は大半のアメリカ人より有利な位置にあると言えます。
  • 二重言語者>単一言語者(英語>スペイン語>...アラビア語...>...日本語...>...)
404 Blog Not Found:英語の世紀で日本語を話せるよろこび
そして英語の世紀において、英語を母語とする者たちは、外国語を学ぶ必要に迫られることなく一生を過ごす。こうして「かまけて」いるうちに、多重言語者である「よそもの」たちが自分たちの頭を超え、社会のおいしいポジションをどんどん抑えてしまう。
複数言語者が英語単一言語者を上回るのは、「異文化マネジメント能力」と関係していると考えられます。この点は、一つの事象や考え方に対して、複数の視点から考察を加えられる能力と言いかえることが出来るかも知れません。
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